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アントンの事情 その1

コズイレフ帝国第三皇子アントンは、暗澹たる気持ちで父親である皇帝イヴァンの顔を見上げた。


あ~あ、言っちゃった・・・


**


その日、コズイレフ帝国皇帝イヴァンが国境付近で行われていた軍事演習から戻ってきた。意気揚々と帰還したばかりの皇帝は、主だった皇族を皇宮に集めて突然宣言したのだ。


「そろそろセイレーンの純血種の娘を娶ろうと思う」


下卑た嗤いを浮かべる皇帝を見て、アントンの気持ちは氷点下に冷え込んだ。


その宣言がこの場に居る人間にどんな影響を及ぼすか、この皇帝は分かっているのか?いや、分かっていないんだろうな。


アントンの母親である末端妃のマリヤ以外は、正妃側妃ともに顔面が引きつっているし、兄皇子二人も皇女たちも悔しそうな表情を隠し切れていない。


アントンはセイレーンの村への物資調達係なので、ある程度の事情は知っているが、何も知らない人間もいる。いきなり宣言されたって、訳が分からないだろう。


『後で俺が事情説明に呼び出されるんだろうな』と思うとうんざりした。


マリヤはアントンを心配そうに見つめている。『俺は大丈夫だよ』と伝えるために、バッチリウインクを決めた。が、マリヤは益々心配そうな顔になる。なんでだ?


そもそも諸悪の根源はポレモスだ。


イヴァン皇帝は野心家で暴君だ。絶対的な権力とこの大陸の覇者になることを望んでいる。そして、権力が永遠に続くように永遠の命も望んでいるんだ。か~っ、欲張りだね!


十三年前にイヴァンはセイレーンの純血種の娘をフォンテーヌの貴族であるブーニン侯爵に下げ渡した。フォンテーヌ攻略に向けた陰謀めいた理由があったみたいだ。


その時に『へぇ、純血種みたいな貴重な存在を気前よく渡すなんて、らしくないな』とは思ったんだ。


実はポレモスはイヴァンに『もう一人純血種の娘がいるから、今一人渡しても大丈夫だ』と囁いたらしい。


近年の歴史を鑑みると、皇帝が純血種の娘を幼い時に引き取ると縁起が悪いという噂がある。マレードを幼い時に引き取り結婚したピョートルは暗殺された。次代の皇帝アレクセイはセイレーンの娘には興味を示さなかったが、その次の皇帝はやはりセイレーンの純血種の赤ん坊を得ようとして逃げられ、密かに嗤いものになった。


ポレモスはイヴァンに純血種の娘は成人後に娶った方がいいと勧めた。


現に三歳で純血種を引き取ったミハイル・ブーニン侯爵は彼女に逃げられ、恥を晒した上に、権力を取り上げられ幽閉される結果となった。しかも、最近死んだという噂もある。


ミハイル・ブーニンがフォンテーヌ侵攻に全く役に立たなかったのは計算違いで腹立たしいが、縁起の悪い方の純血種を持って行ってくれたのは良かったとイヴァンは密かに考えていた。


もう一人の娘はもう十六歳。ちょうど良い年齢だ、と今年六十歳のイヴァンは悦んでいる。


・・・ぶるるっ!うぅ、想像するだけでキモイ。


当たり前かもしれないけど、セイレーンの女の子は超絶美形。超可愛い。こんなキモイジジイの嫁になんてなりたくないよなぁ、と不敬なことを考える。


(こないだ会ったリオちゃんも超絶可愛いかった。俺はロングの髪が好みだけど、リオちゃんを見たらショートも悪くないって思ったもんね)


アントンはリオと出会った時のことを思い出した。リオが無事に逃げられて良かったと安堵する。


あの後、ポレモスが必死に探し回ってて、ざまーみろって心の中でアッカンベしたら、スゲー殺気に満ちた目で睨まれたんだ。


皇帝の嫁になる女の子は気の毒だな。


アントンの胸がズキンと痛む。


こんなクソジジイの嫁になるだけじゃなくて、彼女はきっと正妃側妃皇子皇女から命を狙われることになるだろう。


皇宮は恐ろしい伏魔殿だ。


正妃側妃は、イヴァンが若返って永遠の命を得たら自分たちが捨てられることを恐れているし、皇子たちは自分が後継ぎになる日は永遠にこないと覚悟しなければならない。皇女たちだって、自分より若くて美しい嫁が、永遠に若くて美しいままなのは許せないだろう。女って嫉妬深いからさ。


そういった色んな欲望が渦巻く皇宮で、純血種の女の子は生き残れるんだろうか?


本当に酷い話だ。考えるだけで落ち込むな。


落ち込んだ気分のまま執務室に戻ってきたら、侍女のエレナが待っていた。


エレナはこの皇宮でアントンが唯一信頼できる侍女だ。


しっかり者で、頭が良く、仕事が出来る。緊急時には臨機応変に対応できて、おまけに性格もいい。


顔も可愛いんだけど、口説ける雰囲気にならないのは、完全に『戦友』みたいな感じだからだろうな。


でも、最近エレナは急に女らしく綺麗になった。彼女を見慣れたアントンでも見惚れてしまうような愛らしい笑顔を見せることがある。


原因は分かってるんだけど、なんとなく面白くない。あ~あ。


エレナは頬を紅潮させながら、一通の手紙をアントンに渡した。


フォンテーヌ王国の大使アンドレからだ。


最近アントンはアンドレと頻繁に連絡を取っている。実際に会った回数はそれほど多くないが、あいつは面白くていい奴だ。


リオちゃんがアンドレの妹って聞いて、超びっくりしたよ。


妹を助けてくれてありがとう、ってわざわざ手紙を寄こしたんだけど、それ以来密かに連絡を取り合っている。詳細は分からないが、リオちゃんは悪者に理不尽に狙われているらしい。可哀想に。


第三皇子が敵国の大使と密に連絡を取るのは危険だ。皇帝にバレたら命も危ない。エレナを介して慎重に文通を続けている。


アントンとアンドレの目的は戦争の回避とポレモスの排除だ。でも、それってマジ無理難題。


溜息をつきながら、ソファに倒れ込んで手紙を読む。


へぇ、と思い、ソファから起き上がり、もう一度真剣に手紙を読む。


エレナは内容が気になるようだ。


エレナはアントンの真意を知っている。


アントンは戦争を回避して平和な時代になったら、マリヤと一緒に市井で生活するのが夢だ。


二人とも贅沢な暮らしは望んでない。アントンは雑用でも力仕事でも何でもする覚悟があるし、マリヤの刺繍の腕は国一番と評判で今でも売って欲しいという商人が後を絶たない。だから、贅沢しなければ二人で慎ましく生きていくのは可能だろう。見栄っ張りで支配欲の強いイヴァンは絶対に許さないだろうけどな。


マリヤは下級貴族の娘でイヴァンに見初められて後宮入りしたが、皇族の真っ黒い根性やドロドロした権力争いにさんざん苦労して、うんざりしている。


「二人で周囲に何の気兼ねもなく自由に生活できたら幸せなのにね」がマリヤの口癖だった。


アントンはいつかその夢を叶えたいと願っている。だが、戦争なんて起こったら、庶民の生活はボロボロだ。何とか戦争を止めたい。


アンドレからの手紙には、フォンテーヌ王国、シュヴァルツ大公国、スミス共和国の間で三国同盟が成立しそうだと書かれていた。フォンテーヌ王国とシュヴァルツ大公国は元々同盟関係にあるから当然だが、スミス共和国が同盟に参加するというのは意外だ。


スミス共和国は王政を廃止し共和国となった。当然王政や貴族制度には反感を持っている。しかし、帝国がフォンテーヌ王国侵略に成功した場合、次のターゲットはスミス共和国になると予想したのかもしれない。現実的な政治判断だ。


近いうちに三国同盟の知らせが帝国に届くことになっているから、その時の皇帝らの反応を教えて欲しいというのがアンドレからの依頼だった。了解っと。


暖炉に手紙をくべてすぐに燃やす。


エレナがもじもじしながら


「お返事はどうなさいますか?」


と尋ねる。ちょっと顔が赤い。『ちぇっ。俺にはそんな顔したことないよな』と意地悪したくなる。


「返事は後で書く」


と素っ気なく言うと、少しがっかりしたように


「承知致しました」


と下がっていくエレナの後ろ姿を見て、自分の器の小ささを感じた。軽く自己嫌悪になる。


初めてアンドレへの手紙をエレナに託した時、何となく嫌な予感はしたんだ。


アンドレへのお使いを済まして帰ってきたエレナの顔はリンゴみたいに紅潮していて、とても可愛らしかった。


何気なく、


「アンドレはどうだった?」


と尋ねると、ピョンっと飛び上がって、


「っ、えっ、あの、とても・・素敵でした」


と真っ赤になって答えたエレナを見て、アントンは茫然となった。


・・・まあ、確かにアンドレはいい奴だ。顔もいいしな。


それ以来、エレナはフォンテーヌ大使館にお使いに行くのを楽しみにしているらしい。それまで飾り気のなかった髪を、凝った風に結い上げ、さりげなく髪飾りを付けたりしている。


うん、まあ・・・・アンドレは独身だし、いい加減な女遊びをするような奴じゃないが、やっぱり身分の壁ってのはでかいぞと言いたくなってしまう。なんつーか、心配っつーか、これが老婆心ってやつかね・・・エレナには幸せになって欲しいからさ。


ソファに寝そべって、考え事をしていたらそのままうたた寝してしまったらしい。


「・・・アントン殿下、アントン殿下」


と呼ぶエレナの声が聞こえて、徐々に意識が覚醒する。


「・・ん、ああ、すまない。眠っていたらしい」


「大丈夫です。ただ・・あの、ポレモス様がアントン殿下とお話がしたいそうです。お通ししても宜しいでしょうか?」


というエレナの言葉に、アントンは慌てて衣服を整えて、居ずまいを正した。


「大丈夫だ。通してくれ」


と言う前に、ポレモスが傍若無人に部屋に押し入ってくる。


「まだ、ご案内する前ですが」


とエレナが抗議してもポレモスはバカにしたようにエレナとアントンを眺めるだけだ。


「あまりに長く待たされましたのでな。我はそれほどヒマな身分ではないのですよ。殿下と違ってね」


と嫌味っぽく言うポレモスに、エレナの目が殺気を帯びる。


「エレナ。ありがとう。大丈夫だよ。ポレモス殿、お待たせして申し訳ありません」


アントンが微笑むと、エレナは不満そうな表情を浮かべながらも一礼して部屋の隅に下がった。


ポレモスは


「人払いをお願いできますかな?国家の重大機密の話ですから」


とわざとらしく部屋の隅に控えるエレナを見ながら言う。


アントンはいい加減腹に据えかねたが、エレナに目で合図すると彼女は黙って一礼して部屋から出て行った。


「それで、何の御用でしょう?ポレモス殿を皇宮でお見かけするのは珍しいですね」


アントンは内心の憤懣を表に出さずにポレモスに相対する。自分の感情を殺すことには慣れている。


(こいつは俺がバカだと思っている。そう思わせておいた方が都合いい。権力の座とは無縁の愚かでチャラい皇子だと思っておいてくれ)


「ええ、先日セイレーンの娘が逃げ出した時以来ですね。あの時は大変お世話になりました」


ポレモスの嫌味をアントンは受け流した。


「それで、用件は何でしょうか?」


「ああ、最近フォンテーヌ王国の大使と仲が良いようですね。頻繁に手紙のやり取りをしているようで」


「そうですね。アンドレは良い友人なんで」


「差し支えなければ、どんな内容のやり取りか教えて頂けますか?」


「アンドレはモテるんですよね」


アントンの唐突な話にポレモスは呆気に取られた。


「だから、帝国の令嬢からしょっちゅうラブレターを貰うんです。それで、この令嬢はどんな子?とか。可愛い?とか。まあ、大抵女の子の話ですよ」


ポレモスは毒気を抜かれたようだ。でも、気を取り直して質問を続ける。


「先日のセイレーンの娘についてアンドレ大使は何か仰っていましたかな?」


「いいえ?彼に何か関係あるんですか?」


アントンは何も知らない振りを決め込んだ。


ポレモスは探るようにアントンの顔を覗き込んだが、素知らぬ顔で黙ってやり過ごす。


「いえ、彼もセイレーンの血を引いていますからな。念のため聞いただけです」


「なるほど」


アントンは簡潔に答えた。


「ところで、最近シュヴァルツ大公国に面白い動きがあるのをご存知ですかな?」


「シュヴァルツ大公国?」


「フォンテーヌ王国の斥候や隠密が多く入りこんでいるという噂ですがね」


「何で俺にそれを聞くの?」


「いや、フォンテーヌ王国と親しそうですから」


「個人的にアンドレと親しいだけで、別にフォンテーヌ王国のことを知ってるわけじゃないよ」


「アンドレ殿の妹君は国家療法士というのはご存知ですかな?」


「ああ、それはアンドレから聞いたことある」


「その力を使って今度シュヴァルツ大公の治療を行うと聞いていますか?」


「へ?そうなの?」


そんなのホントに知らねーし。


ポレモスは多少がっかりしたようだった。ざま見ろ。


ふぅと溜息をついた後


「まあいい、本題に入ります」


今まで本題じゃなかったのか。


「皇帝がこの度セイレーンの純血種の少女を娶ることをお決めになりました。それを村長に伝えてきて頂きたいのです」


(へ?!・・・・・俺が?)


間抜け面で自分を指さしているのが、面白かったのかもしれない。


ポレモスは馬鹿にしたように嗤いながら


「そう、殿下に使者として村に行って頂きたいのです」


「分かったよ。でも、何て言えばいいのかなぁ」


出来るだけ馬鹿っぽく聞こえるように言う。


「現在村にキーヴァ・オライリーという少女がいます。十六歳の少女です。彼女を皇帝に差し出すよう村長に伝えて下さい」


「はいっ。わっかりました~」


とおどけて答えると、ポレモスの話は終わったらしい。さっさと立ち上がると部屋から出て行った。


(何だあいつは?ムカつく)


と思っているとエレナが戻ってきた。


「なんでしょうね?あの人は?ムカつきます」


エレナの言葉が何だか嬉しかった。『この皇宮内で味方はエレナと母上だけだ』と再度実感する。


「あのさ、緊急にアンドレに会って話がしたいんだ。でも、人に怪しまれたくない。何かいい考えあるかな?」


とエレナに聞いてみる。


セイレーンのことはセイレーンに相談するに限る。アンドレの意見を聞いてみたい。


エレナはアンドレの名前を聞くと頬を紅潮させたが、真面目な顔でしばらく考え込んだ。


「お二人で女遊びをなさったらいかがでしょう?」


エレナの言葉にアントンは完全に凍りついた。


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