造血幹細胞
フォンテーヌ王国各地で行った一般市民への診療行脚のいよいよ最終日。王宮から転移すると腕を組んで仁王立ちの村長が待っていた。
「遅い」と叱られる。
「ごめんなさい」と言いながら、リオはいつものように診療の支度を始めた。
初回と違って、その後の診療は事前準備がしっかりしている。国王の指示で、各地の領主が診療場所や患者の順番を手配し、診療しやすい環境を整えてくれているからだ。また、王宮医師団も医師を派遣してくれるので、一日で多くの患者を診ることができる。地元の医師らも参加しているので、思いがけない交流会もしくは勉強会の様相を呈している。休憩や昼食も取れるし、最初の時に比べたら格段に楽になった。患者の混乱も少ない。
他の医師らが手におえない症例をリオが診ることになっていて、そんな時は多くの医師らにじーっと見学される。患者の許可を取ってはいるが居心地悪いことこの上ない。レオンから「みんな『癒しの聖女』の治療に興味津々なんだよ」と苦笑いされた。こればかりは仕方がない。
リオの背後にいる村長とは、診療の合間に色々な話をした。せっかくの機会なので、今まで気になっていたことを全部質問してみる。
「そういえば、スタニスラフがオリハルコンについてるって、どうして最初から教えてくれなかったんですか?」
(知っていたら、ちょっとは安心できたのに)
「スタニスラフは主君と認めなければ決して姿を現さない。お前が彼に認められるか分からなかったからな。ぬか喜びは嫌だろう」
(え?!そうなの?じゃあ、あのままスタニスラフに見捨てられていた可能性もあったってこと?)
「主君として認められたんだ。素直に喜べ」
(・・・主君として認められたというか、襲われて可哀想だから仕方なく出てきたって感じだと思うんだけど・・。もう二度と姿を見せてくれなかったりして・・・?)
「そういえば、ゲスが私をオリハルコンで殺そうとしたら、真っ黒な炭になって消えちゃったんです。あれもオリハルコンの力ですか?」
「あれは正邪を判別する刃だ。そういう風にできている」
と村長はしたり顔で頷いた。
(なるほど、そういう風にできているんだ。私は悪い人間にならないように気をつけよう・・・)
***
それからこんな質問もしてみた。
「村長のところにiPadありますよね。何のために使っているんですか?」
「お前が居た世界に我は足を踏み入れない。神も魔法もない世界だ。ただ、管理者として何が起こっているかを把握する必要がある。情報収集は必須だ。以前はテレビやラジオを使っていたが、今はインターネットが一番情報を得られる」
「テレビの前はどうやって情報を集めていたんですか?」
「新聞や書物だ。それ以前は、為政者の記憶を複写していた。住人の記憶の複写は、世界に影響せず簡単な方法だが、個人レベルでの情報しか手に入らない。情報に偏りがあったことは否めなかったな」
(なるほど。面白い)
「私もiPadをよく使っていたので、村長の部屋でiPadを見かけた時に、懐かしいなと思ったんですよ」
「お前たちの文明は非常に興味深い。局所的に文明の盛衰はあるが、人類全体の滅亡に至ることは無い。魔法がない非力な人間たちが自然を動かし、宇宙にまで手を伸ばした。他の世界で宇宙に行くことを可能にした文明はない」
「そうなんですか?」
そんな話をしていたら休憩時間が終わった。
***
次の患者を待っていると王宮から派遣されている医師から
「すみません・・この患者は僕ではどうしていいか分からなので、診て頂いてもいいですか?」
と頼まれた。
二つ返事で引き受ける。
すぐに五~六歳くらいの男の子が母親に連れられてやってきた。
体が細くて、顔色が悪いのが気になる。歩くのも辛そうだ。慌てて椅子を勧めて座ってもらう。
まず母親に話を聞く。
子供の頃から貧血の症状。常に倦怠感有。しょっちゅう鼻血が出る。怪我をして痣ができるとなかなか消えない。頭痛、吐き気が常にある。風邪を引きやすく、頻繁に熱を出す。
リオは手に殺菌魔法をかけ、患者に口を開けてとお願いした。男の子は不安そうな表情だが、素直にあーんと大きく口を開ける。
ああ、口内炎がひどい。喉も赤い。
口を閉じてもらい、リンパ節を触診すると明らかに腫れている。
まさか・・・と思うけど、急性白血病、血液の癌かもしれない。
骨髄中にある造血幹細胞が悪性腫瘍化したのだろうか。
魔法も使いつつ更に触診を進め、骨髄の辺りを触ってみる。
・・・ああ、やっぱりと絶望的な気持ちになる。造血幹細胞に異常な動きがある。
以前、瀕死の影を治療する時に正常な造血幹細胞の動きを感じたから分かる。
白血病だ。どうしたらいいだろう?
前世では骨髄移植をするにも、抗がん剤や放射線治療が必要だったし、免疫反応の管理がとても難しかった。
でも、自分のチートな魔法なら、免疫攻撃されない造血幹細胞の移植片を本人のDNAから作れるかもしれない。男の子にお願いして、髪の毛を一本抜かせてもらう。毛根の先端の毛乳頭には微量なDNAが含まれているはずだ。
リオは見学の医師らに囲まれていたが、やっぱりレオンの助けが欲しい。レオンの手が空いているようだったら呼んできてもらうようお願いする。そして別室に患者用のベッドを用意してもらった。
男の子にはそこに横になってもらい、ベッドの脇に母親の椅子も用意した。母親は心配そうに男の子の手を握りしめている。
そこにレオンが現れた。彼はちょっと息を切らしながら「リオ、どうした?」と愛おしそうな視線を向ける。
人前だとちょっと照れるな。気のせいか周囲の医師たちが生温かい目で見ている気がする。
リオはできるだけ冷静に患者の症状を説明した。
「それで、髪のDNAから造血幹細胞を作り、骨髄に移植しようと思うのです。ただ、魔力が足りない可能性もあるので、レオン様に手伝ってもらいたくて・・」
レオンは蕩けそうな笑みを浮かべて「無論だ」とリオの肩に手を置いた。
(すごいドヤ顔なのは気のせいだろうか・・?)
肩から入ってくるレオンの温かい魔力を感じながら、患者の髪に含まれるDNAに神経を集中させた。ひたすら『どうかこの子の造血幹細胞になって!』と念じる。
すると髪の先端からぶにゅっと何かが現れた。
(やった!造血幹細胞だ)
一見すると血液に見える造血幹細胞がドーナツのようにグルグル円形に回りながら空中に浮いている。
(うん、ちゃんと出来た)
勘だけど、治療に関しては今まで外れたことはない。
レオンにお礼を言って、自分の診療に戻ってもらおうとするが、レオンもこれから何をするか見たいらしい。見学の医師で部屋が一杯になった。
(うぅ。やりにくいけど、仕方ない)
リオは前世の点滴をイメージした。空中の血の塊からカテーテルを通して少しずつ体内に入るようにしたい。造血幹細胞の塊を空中に固定し、そこからカテーテルで少しずつ点滴されるイメージを描いた。
先端には細い針のイメージを作り上げる。
すると透明な針とカテーテルが現れた。
(やっぱり村長がくれた能力スゲ―――!ホントチートだ)
針を皮膚に刺すので少しチクっとすること、そこから血が体の中に入っていくけど、それが体の中から病気を治してくれることを患者に説明した。ゆっくり少しずつ血を入れていくので、しばらくこのまま動かずにいないといけないことも説明する。
母親にも「宜しいですか?」とこの治療に同意するかどうか訊ねる。母親は覚悟を決めたように頷いた。
やっぱり『癒しの聖女』の看板があって良かったかもしれない。そうでなかったら信用してもらえなかった可能性がある。
リオは患者に点滴を始めた。
安静にしていてね、と注意して、患者と母親を別室に残したまま、リオは次の患者の治療に向かった。頻繁に患者の様子をチェックするようにアニーにお願いする。見学の医師らもゾロゾロとついてきたので、自分の患者の診療に戻るよう丁重に追い払った。
約一時間後、リオは点滴中の患者の部屋を覗いてみた。地元のベテランっぽい医師にも一緒に来てもらう。少しウトウトしているみたいだ。母親は患者の顔を一心に見つめている。
リオが軽くノックをして病室に入ると、患者が目を覚ました。空中の造血幹細胞はほとんど残っていない。最後まで落ち切るのを待ってから針とカテーテルを消した。
患者の少年はまだ少しぼーっとしている。
リオは母親と患者に、今体に入れた血が定着して新しい健康な血を作り出すことができるまでには時間がかかることを説明した。二週間おきに経過を確認して欲しいと地元の医師にお願いする。怪我や感染症のリスクを避け、しばらくは安静な生活を送ることが重要だ。
更に細かな生活上の注意を母親に伝えていると急に少年が立ち上がって走り出した。視線の先には父親らしき男性が手を振っている。案の定母親が「主人です」と紹介してくれた。
夫婦は何度もお辞儀をしながら家に帰っていった。少年はお父さんのおんぶが嬉しいらしい。リオに向かって手を振りながら得意気に微笑む顔は、先刻よりも生気があるように見える。
地元の医師が感心したように
「リオ先生はお若いのにベテランのように患者の扱い方が上手ですね」
と褒めた。
(・・・・うん、中身は五十四歳だからね。はは)
最後の患者の診療が終わり、その場にいた医療従事者全員に不思議な連帯感が生まれていた。みんな口々にリオを称賛するが、実は神様から貰ったチート能力なのだ。村長本人も目の前にいるし、何とも決まりが悪い。困っているとレオンが輪の中からリオを救出してくれた。
安心してふぅと息をつくと、ものすごい歓声が建物の外から聞こえてきた。気がつくと村長が背後に立っていて
「お前への歓声だ。誇るがいい」
と言う。
みんなから「ちょっとだけ顔を見せてあげて」と言われて、レオンと一緒に建物の扉を開けてちらっと顔を出した。
大きな群衆からものすごい歓声があがった。レオンと手を繋いで一緒に外に出ると、何故か拍手まで巻き起こった。レオンが「笑顔で手を振って」と囁くので、言う通りにすると歓声が五倍くらいに膨れ上がる。
レオンが「皆、ありがとう。『癒しの聖女』は疲れているので今日は失礼する」と朗々とした声で宣言し、歓声に包まれたままリオたちは室内に戻った。
(はぁ~、あれは何だったんだろう。びっくりした)
まだ心臓をバクバクさせていると、村長がやってきて
「リオ、前に頼んだことだが・・」
と言う。
「あ、勿論、お約束ですものね。私でお役に立つなら。今からでもいいですよ」
とリオが答えると、村長は安堵したように頷いた。
慌てて周囲の医師らにお別れを言い、アニーとパスカルに村長の用事で出かけるけど、帰りは直接公爵邸に戻してもらうから、と伝える。左手の中に居たサンにも出てきてもらい、お礼を言ってみんなと一緒に帰ってもらった。
せっかちな村長が苛立ちも見せず素直に待っているのが不気味だと思いながら
「お待たせしてすみません。準備ができました」
と言うと、村長が指を鳴らして、リオとレオンは村長の家に転移した。




