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変わりつつある




「ご、ごめんなさい。私無責任に会食にもいかず…け、仮病を使ったのだって、少しは迷惑かけたはずだよね。本当に仮病なんてなんで使ったんだろう、務めもしっかり果たせないなんてどうかしてた」「あ、あとライドルトはただ私の相談に乗ってくれてただけだから。ノーラントも知ってるようにライドルトは私の兄のようなものだし、さっきだってただ一緒に犬に餌やってただけで…!」


ノーラントの何の感情の揺らぎも映さない瞳を前にしたアレクシアは、何かを話していないと息ができないとでも言うようにゴボゴボ湧き上がってくる後悔と罪悪感に苛まれ、よく考えもせずに必死に口を動かしていた。



どうしよう。

さっきなんで自分が世界で一番苦しいなんてなんで思ったんだろう。世界に自分一人しかいなければこんなに苦しまなくて済んだのに、なんて。なんで私は一人前に自分の境遇を悲観したんだろう。そんなことで務めを放棄していい理由にはならないのに。こんな罪深い嘘までついた私は悉く救えない。こんな弱い私は、ノーラントにもっと嫌われてしまう。

それになんで私仮病まで使ってノーラントから逃げて、ライドルトと一緒にいるの?ノーラントがいくら私を嫌っていても、私がノーラントのことを避けてよかったの?でも逃げたんじゃないよね?ちゃんと理由があったよね。説明させて。だからお願い誤解しないで。ノーラントといることが辛くて耐えられなかったなんて私の本当の気持ちに勘づかないで。

そう。あの時私、本当にどうかしてた…私、今までどおり貴方に何されても耐えるから。また貴方を想って静かに泣くだけにするから。お願いこれ以上嫌いにならないで……




「お前がいなくとも、なにも不都合はない」


空気が震えるような声がした。

その声の主、ノーラントの軽蔑を含んだ目で見下ろされたアレクシアは押し黙った。


いつもと変わらない彼の冷たい声は冷水のようにアレクシアの体に沁みていく。

それは無情にも目の前を冷たく晴れ渡らせてくれた。



いけない、とアレクシアは思う。

いつもと同じように部屋に閉じこもって泣きたいと叫びそうになっている。

一人誰にも知られないように我慢して、何も考えないようにして、ただ泣いて眠りたいと思っている。

でも、もうやめると決めたじゃないか。

そう強く唇を噛む。アレクシアは腹の底に感情を抑え込むように、強くこぶしを握り締めた。




「お前がどうなろうと私は構わない」


黙ったままでいるアレクシアに追い打ちをかけるように、無表情のノーラントが続ける。


その言葉が本当だということは身に沁みて分かっている。

だから今更念を押すように言われたところで、と思ったがやはり本人の口から聞かされたそれは痛かった。

だが今回の痛みはしっかりと痛い。

いつものように内側からゆっくり体を腐らせるような痛みではなくて、骨まで一突きにされたような痛み。

もう少し我慢しようと思わせる痛みではなくて、やはりもうやめようと思える痛み。


これだけ嫌いだと言われて、あれだけ泣いてきた。ノーラントの為にも、自分の為にももうやめるのだ。








「あのさ。いつも思ってたけど、やっぱり度が過ぎると思います。殿下」


後ろでじっと二人の話を聞いていたライドルトが、もう我慢ならないとばかりに口を開いた。

そして言いながらアレクシアより一歩前に出る。


「そこまで嫌悪感出す必要あるんですか。言葉にも態度にも」


ライドルトの鋭い狼のような双眸が、ノーラントの瞳を正面から捉えている。

王子を前に仕方なく使う敬語の端々に感情を滲ませたライドルトの言葉に対し、夕日色の瞳を微動だにさせないノーラントが静かにライドルトの名前を呟く。


「アレクシアがどうなろうと構わないなんて言うのも」


その呟きを無視したライドルトは低く唸るように言う。ピクリとでも動いたら食い千切られるかもしれない、と思わせるような眼差しだ。

一方のノーラントは静かに蔑むような瞳でライドルトを見ていた。

ノーラントの美しい顔が夜に浮かび上がり、彼の着ている黒く長いローブが闇に溶けて見える。


「…じゃあ早く婚約破棄もして自由にしてやってよ。実はまだしてないんだって聞いたけど」


ノーラントはこのライドルトの言葉にも何も言わなかった。

その二つの瞳は相変わらず軽蔑したように冷め切っている。

ノーラントは、きっと返事をする価値もない話題だと思っているのだろう。

早く自由になって、リナリーと結婚したいと思っているのは彼の方なのだ。


アレクシアはライドルトの腕を後ろから強く引く。

もう何も言うなという意思表示に、ライドルトは口をつぐんだ。









アレクシアは伏せていた目をノーラントに向ける。

アレクシアの海の色の深い藍色を湛えた瞳が、ノーラントの沈む夕日色の瞳をゆっくり捕まえた。

彼の目の中に、以前のノーラントがアレクシアにくれていた温かい感情の光はもうない。


鼻の奥がつんとなる。

でも、目は逸らさない。喉の奥から痛いものがせり上がってきて、この場で吐いてしまいそうになっても逸らさない。何故私のことを嫌いになってしまったのかと叫びながら地にうずくまりたくなっても逸らさない。


アレクシアは、ははと小さく笑って乾いた唇を湿らせる。そして思う。


彼はリナリーが好きで、彼女に嫉妬した醜い私が嫌い。

ノーラントに愛された幸せなアレクシアはもう今はいないし、無様に泣いているアレクシアを愛してくれるノーラントも今はもういない。



頑張れ、と自分を叱咤しアレクシアは天を仰いでふうと息を吐いた。




「…リナリーのこと虐めてごめんね。あと未練たらしくしてごめん。もう全部やめることにするよ」



アレクシアが無理やり絞り出した声でそう言った後には、全力で走った後のような疲労感があった。


もっと早くに言えていればよかったのにと思う反面、ずっと言わずにいればもしかしたら明日も明後日もまだ婚約者という肩書ではいられたかもしれない、と何度も何度も擦り切れるくらいまで考えていたことを思い出す。

でもそれも今日で終わり。




好きで大好きだったノーラントともう一緒にいられないと決めたなら、その身を切るような痛みの分だけ笑わなければならないと今のアレクシアは思う。








アレクシアはばっと身を翻した。

ノーラントに向かって更に何か言おうとしているライドルトを彼の家の方向に押し、ノーラントから離す。


「ライドルト。早く帰った方がいいよ。

私も…早く部屋に戻らなきゃ。お父様かお母様が様子を見に来るかも。

ノーラント様、数々の不敬お許しください。あとライドルトの非礼もお詫びします。申し訳ありませんでした…おやすみなさい」


続けて、アレクシアは失礼します、と呟いた。


家に帰ってと言っても、それでも心配してくれるライドルトを振り切る。

振り切って、アレクシアはノーラントのことは見ないようにして足早にその場を去った。








清々しいほど真っ白に疲弊した頭でベッドに入ったアレクシアは、一睡もできなかった。

体も疲れていたのに、全然眠れなかった。


それにもかかわらず朝起きてからも全く眠くは無くて、次の日も学園を休んだりすることはなかった。

その次の日も、その次の日も、アレクシアは普通に学園に来ていた。


普通に授業を受け、ノートをとった。

教師に指名されたら普通に受け答えをし、疑問に思ったところを質問した。

休み時間にはクラスメイトに話しかけられたので返事をしたり、適当に相槌を打っておいた。

教室を移動している時、第二王子オズワルドの婚約者の女性に話しかけられた。

腹を探るような瞳を向けられたが無難な話題だったので、無難な答えを返しておいた。


窓の外で、いつもと同じようにリナリーと帰っていくノーラントを見つけた。

その二人からは目を逸らさなかった。


会食の日の夜のことがまるで夢だったかのようにいつもと変わらない日々だったが、アレクシア自身は変わりつつあった。




この数日、実行するのに散々逡巡したが、最初にすべきだと思った事もできた。

結果は、芳しくなかったけれど。


自分なりに進める気がしている。

進めている気がしているだけでも、大きな前進だと思う。














「この前夜王子に会った時からしばらく経ったけど」


校舎から馬車が止まっている門へ向かって歩いていた時に、後ろから声をかけられた。

聞きなれたハスキーな声。

アレクシアは、その声の主であるライドルトに振り返った。目が合うと、ライドルトは小さく質問を口にした。


「お前、大丈夫なの」


「…」


大丈夫などではない。まだ大好きだ、あんな冷たい態度をとられているのにまだ未練はあると言ったら、ライドルトはまた目を覚ませと怒ってくれるのだろうか、とアレクシアはふと考える。

だが、もうライドルトを心配させる必要はない。

ノーラントのことはまだ好きだが、もうアレクシアは泣いてはいないのだ。




「昨日、お父様に婚約破棄のことを打診したよ」


「…なんて言ってた」


「当たり前だけど特に驚いてなくて、歯切れの悪い返事だった。

けど多分、まだリナリーより私が婚約者でいる方が、ノーラントが王位継承権を勝ち取るには有利だと思ってるのだろうし、あの人にとっては私が王妃になった方が色々と都合がいいんじゃない」


「自分の娘を道具にするってか」


「みんなしてるけどね」


「そんなことないだろ」


「まあ、そんなことはいいの。私、もう未練たらしくしない」


アレクシアは心配そうに彼女を見つめるライドルトに笑って見せた。

ひきつった笑顔だったかもしれないけど、気にはしない。

泣いていないのだから、今までの私からしてみれば大きな進歩だ。



「でも親父さんが婚約破棄に協力的じゃないなら、これからどうするの」


そう静かに聞いた、ライドルトの濃い灰色の瞳がアレクシアを真っすぐ見ている。

アレクシアは今度はもう少し肩の力を抜いて笑ってみた。



昔のアレクシアは大好きなノーラントと結婚できると思っていたけど、

ノーラントはどうしてもアレクシアとの婚約を破棄して、リナリーと婚約したいと思っている。

リナリーは戦えなくても、爵位の低い家の出身であっても、ノーラントが愛する聡明な女性だ。

彼女が王妃になれば、ノーラントと二人でこの国を立派に治めるのだろう。


なら、もうそれでいい。


ノーラントの傍にいる未来が叶わないことはもう認めた。

これからノーラントに足枷のようにまとわりつくことは、もうしたくないとも決めた。



「…お父様が駄目でも大丈夫」


アレクシアは小さく笑ったまま静かに頷いた。




突然、くんっと体の中で音がした気がして、歩けなくなった。

正確に言うと、手が動かないので体が前に進めない。


進みたい、と思って振り返ると、立ち止まったライドルトの手が、アレクシアの手を強く握っているのが目に入った。

彼の温かい手がぎゅっとアレクシアの動きを止めている。

婚約破棄するならさ、と言ってアレクシアの手を握る彼の手はいつも温かいが、今日は特に熱いくらいだ。


「あのさ」

「ライドルト、私」


ライドルトが何かを言いかけた。しかしアレクシアはそれを遮るように強く言う。

有無を言わせない強いアレクシアの瞳がライドルトを見つめる。



大好きな人をなくして、やりたいことも夢もなくしてそれを憂いて泣き続けるのも、もうやめようと思った。


アレクシアが好きだった頃のノーラントを待つのは、もうやめる。

昔のノーラントが隣で笑いかけてくれる、ありもしない未来を思って泣くのはもうやめる。

愛してくれない大好きな婚約者に振り回されるのはもうやめる。

それで、無くした分笑ってやる。

何があっても笑ってやる。





そして最後にもう一つ、ノーラントの為にしてあげられることがある。

それは私が全部やめて笑う為にも必要なことだ。




「もう一つ、考えてたことがあるから。だから心配しないで」






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