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夕食会



今、この国は女王が治めている。

しかし、彼女には子供ができなかった。

単に病気だったとか、暗殺の毒がその器官をダメにしてしまったとか、戦場で腹を刺された時の怪我が原因で子供ができない体になってしまっただとか、真偽が定かでない噂がたくさんあるが、とにかく彼女に王位を継げる子供はいなかった。


そこで、白羽の矢が立てられたのが女王の弟たちの子供だ。女王の弟は二人いて、その各家から1番優秀だった子が選ばれた。

女王の上の弟の息子、ノーラントと、下の弟の息子、オズワルドだった。

奇しくも同い年だった幼いその子たちは、時が来たらそのどちらかからより相応しい者が選ばれて王位継承権を手に入れる運命にあるのだと言い渡された。


王子達は幼い頃から継承権を勝ち取るための教育をなされ、優秀さだけで選ばれた婚約者をあてがわれた。

将来の王妃になるであろう彼らの婚約者たちも、自分の婚約者が王になるための評価の一部となるのだから、必死に勉学と訓練に励んでいた。

そんな二人の間には自然に様々な確執と競争が生まれた。

王位継承争いと言うやつだ。


それだけではない競い合い、派閥同士の牽制のしあいが顕著になりだしたのはここ一年くらいのことだ。

なぜなら、王位継承の儀の日取りが決まったからだ。

ノーラントとオズワルドが学園を卒業するタイミングだ。

その式典でどちらか一人が女王から直々に選ばれて、王位継承権を賜る事になる。

そしてその日はあと半年も経たないうちにやってくる。






アレクシアはノーラントに王になって欲しいと思っているし、彼ならなれるとも思っている。

だがその王の隣にいるのはリナリーで、アレクシアは将来クロスライト公爵家の当主として彼らを支えなければならないのだろう。


…そんなもの、やりたくない。


そう思ってから首を振って、アレクシアは自身を虚しく叱咤する。

私情に振り回されて責務を全う出来ないなど、貴族の名折れだ。











しかしアレクシアはさっそく今、私情に振り回されて責務を全う出来ないかもしれない心持ちの中にいた。




授業が一通り終わり、生徒たちは互いに挨拶をして去っていく中、アレクシアは一人、どうしようかと考えながら窓の外を見ていた。

沢山の生徒たちが迎えの馬車に乗り込んでいく。

その中に、付き人を従えていつものように一緒に帰っていくノーラントとリナリーを見つけてしまった。

急いで窓辺から遠ざかりため息をつくが、今はこれの他にもアレクシアの心を削るものがある。


それは、件の夕食会だ。

第一王子派の公爵家が、第一王子であるノーラントとその父である宰相と親睦を深めるために催す夕食会だ。ノーラントの母親も同席するらしい。

彼ら王族が、第一王子派の公爵家をそれぞれ何日かかけて順に訪問し、夕食を共にするのだ。




時が経つのは早いもので、今日がその夕食会当日だ。


ノーラントたち王族とクロスライト家の軽い会議も兼ねたその会に、他のクロスライトの者と共に名ばかりの婚約者であるアレクシアも参加するように父に言われている。


だが、アレクシアはもうそれに出席したくない。


アレクシアは、ノーラントには会いたい、と思う。

顔が見たいと思う。

話したいとも思う。


だが今のノーラントは、アレクシアのことなど歯牙にもかけない。

誰がその手首に跡をつけたのかも知らない。

誰が泣くアレクシアの涙を拭ったのかも気にしない。


アレクシアが会いたいのはそんな今のノーラントじゃない、と分かっている。

それなのに、だ。

幾ら頭を整理して、今のノーラントはアレクシアを好きだと言ってくれた彼とは違うのだと言い聞かせても、

その夕日色の瞳が、銀色の髪が、その長い指も、全部全部大好きだった彼のものだと心が言うのだ。

将来なんて関係ない。彼に会えば、またそうやって性懲りもせず心を震わせてしまうのだろう。


自分の事だ。分かっている。


だから、出席したくない。

だから、もう会いたくない。



しかし同時に、これに出席するのは、義務だ。

逃れようは無いと分かっている。




そうしてなんの解決策も思い浮かばないまま帰る気も起きず、アレクシアは放課後の時間を潰して過ごしていたのだった。






「アレクシア。何してるの」


机に伏していたら、聞き慣れたハスキーな声が教室のドアの方から突然響いてきた。

ドアにライドルトがもたれかかってアレクシアを見ていた。


「ライドルト」


アレクシアは机からバッと顔を上げる。そして髪を素早く手櫛で整えた。

歩いてきたライドルトがアレクシアの前の誰かの席に後ろ向きに座って、アレクシアの席に腕を置いている。


「今日、本家で第一王子の夕食会あるんだろ。アレクシアやっぱり出席するの」


「…しなきゃね」


「あのさ、今日ポチの毛切ってやろうと思ってるんだけど、家来る?」


唐突に、アレクシアに犬の毛を切らないかと誘ってきた。

ライドルトはいつもマイペースでいきなりだ。

しかし、これはきっとライドルトなりに励ましてくれているのだろうなとも思う。

ちなみにポチとはライドルトが飼っている犬である。大きくてふわふわした栗色の犬だ。


「出席しなきゃいけないって言ってるのに」


「お前は出席したいわけ」


「…」


会食など行かずに、何も考えずに犬と遊べたらいいのにと思っていたのは顔に出ていたのだろう。

色々話してしまったライドルトには、気丈に振る舞っていた緊張感が緩んできてしまっているのかもしれない。


「もし出席したくないなら、仮病使いなよ」


「…そんなの許されないよ」


ライドルトが気を遣ってくれるのは嬉しかったが、逃れようのないことは分かっている。

ノーラントもアレクシアのことが嫌いでも、逃れられない義務だから今夜はクロスライト家に訪ねてくるのだ。

自分だけ逃げてはいけないと思う。


「…まあ、そっか」


ライドルトは暫くアレクシアの顔を黙って見詰めてから、諦めた顔で椅子から立ち上がりじゃあと言って去っていく。


何か言おうとして振り返ったようだったが、じゃあねと手を振るアレクシアに何か追加で言うことはなかった。






アレクシアはそれからも考えて考えて、

答えは出ていないのに体は勝手に予定に間に合うように家に帰っており、準備をして待っていた侍女たちに気が付いたら腰を絞め上げられ、髪も結い上げられてドレスを着ていた。

どうしてもノーラントに会う勇気が出ないまま、見てくれだけは完璧に整えられていた。


彼女の紅く美しい髪によく合うゴールドのドレスを着たアレクシア。

彼女はドレスや装飾品などに特に興味があるわけではないが、これは彼女の母が薦めてくれた美しいシルバーのドレスを拒絶して、半ば強引に自分で決めていたゴールドのドレスだった。

母はノーラントの髪と同じ色のドレスを勧めてくれたのだろうが、アレクシアにはそれを着て笑っていられる余裕などない。


…どうせ私のドレスなど見てもくれないだろうから、気にしなくてもよかったかもしれないけど。



そしてアレクシアは思う。


会食でのアレクシアの席はきっと、ノーラントの隣。

もしかしたらノーラントは私の家族がいる手前、笑顔を作ってくれるかも知れない。耳触りの言い言葉を使ってくれるかも知れない。


それとも、家族がいても私への嫌悪は隠せないだろうか。

隣にいてもそこにはいないように扱われるのだろうか。


どちらでもいい、会いたい。

どちらかしかないのだから、会いたくない。


どちらにせよ、アレクシアは彼女のことなど考えていない大好きなあの人のことを考え続けるのだ。

会いたくないその人に会いたいと願うのだ。


…愚かな私。

誰か、早く終わらせてくれないだろうか。






アッと思う間もなく、アレクシアはノーラント達を出迎えるためにクロスライト家の他の者らと共に玄関に立たされた。

分家からも思ったよりたくさんの人が招待されていた。


大きな邸宅の玄関から門の方に目をやると、橙色の外灯の明かりで照らされた庭の道がずっと先まで見える。


今宵は、心地の良い温度の小さな夜風が吹いている。さわさわと木の葉が揺れる音が聞こえる。

丸い月もまだ少し明るい空にはっきり見える。


しかし、そんな美しい日の余韻などアレクシアには気にかけている余裕は一切なかった。

王子に公爵家の人間として会うのは仕事の一部なのだとなかなか割り切れず、何をされても動じないと腹もくくれず、そして仕舞いには何も考えられなくなっていたからだ。


考えられず時が刻々と過ぎていき、もう諦めようと思ったのに、最後の最後でアレクシアの体は勝手に動いていた。

彼女がはっと前を向いた時には、クロスライト家の当主である父親の腕を掴んでいた。


「今日は朝からお腹が痛くて、気持ちも悪かったんです。申し訳ないのですが、会食は欠席させていただけませんか」


ノーラントたちが到着するかしないかというギリギリのところで、気づいたらそう口走っていた。



アレクシアは結局、人生で一度か二度くらいしか使ったことのない仮病を使った。


内心穏やかではなかったアレクシアだったが、父は拍子抜けするくらい簡単に承諾してくれた。

アレクシアが本当に青い顔をしていて、真実味があったのかもしれない。

しかし、出迎えの挨拶だけはしていくことを条件付けられた。


アレクシアはそれくらいならばと頷いた。




やがて定刻になり、門からノーラントの乗った馬車が現れ、馬車が玄関近くの広場に止まるとノーラントのすらりと伸びた影が馬車から降りてきた。

先に降りたノーラントは彼の母親に手を貸している。

母親に気遣いの言葉をかけ、軽く微笑むノーラント。

そんな彼の姿を、アレクシアは悟られないように見ていた。



玄関に到着したノーラント達がクロスライトの家の者、一人ずつとあいさつを交わし始めた。


アレクシアの前にもノーラント達3人がやってくる。

アレクシアは先頭に立って彼女に向かってきたこの国の宰相、ノーラントの父に慌てて頭を下げる。


「今日はお越し下さってありがとうございます。

私は体調が優れないので、今夜はお付き合いできないことをお許しください」


というようなことを一息に言ったら、宰相が少し残念そうに『でも体調を整えることが最優先だ』と言ってくれ、その横にいるノーラントの母親、宰相夫人も微笑んで『会食のことは気にしないでゆっくり休んでね』と言ってくれた。

しかし当のノーラントはアレクシアの顔は見たものの目を合わせずに、無難な言葉を当たり障りのない声で言ったきりだった。




昔のノーラントも大勢がいる前であからさまに感情を露にする人ではなかったが、アレクシアのことはいつもしっかり気にかけてくれて、目が合えば微笑んでくれていた。

食事をしている時も、スープに入ってしまいそうなアレクシアの髪をスッと耳にかけてくれたり、アレクシアがテーブルの真ん中に手を伸ばしたら、欲しいと思っていた塩の瓶を先に取って渡してくれたりした。何が欲しいとも言ってないのにどうして分かったのだろう、と思って見ると、ノーラントは分かるよとばかりにアレクシアのことを見返して笑ってくれていた。



今は決してそんなことはしようとはしないであろう、ノーラントの変化。

クロスライトの家の面々は、ノーラントが単に王位継承の儀式を目前にして気を引き締めているだけだ、とのんきに思っているだけなのか、それとも既にノーラントが婚約破棄を匂わせているから、私たち二人のことにはみんな触れないようにしているだけなのか。

どちらだったとしても、アレクシアはすぐにこの場から去りたかった。


アレクシアはノーラントから顔を逸らしペコリと頭を下げて、なんとか誤魔化して立っていられた。


アレクシアは、ノーラントを目の前で見ただけでも耐えられなくなってしまう自身の情けなさに愕然としながらも、仮病を使ってよかった、と思ってしまっていた。


そして邸宅の広間へ向かっていくノーラントたちと親類たちとは早々に別れ、自室に篭った。






飾りを取り解いた髪と、ドレスを脱いで身軽な服装に着替えた体でベッドに潜り込む。

暫くして着替えを手伝ってくれた侍女がまたやってきて、白湯を飲ませてくれ、冷えたタオルをおでこに当ててくれた。


仮病なのに真摯に看病されて申し訳ない気持ちになって、もう来なくていいし、部屋の外にも控えていなくていいとお願いした。






侍女もいなくなり一人になって、アレクシアは大きなベッドの上で天井を眺めていた。

染み一つない綺麗な白亜の天井だ。


静かだ。


いつもだったら廊下を歩いている執事達の足音も、侍女達が互いに指示を飛ばしあう声も聞こえない。

クロスライトの邸宅の大きな食堂で催されているであろう夕食会の音なども全く聞こえないので、もしかしたら今この家には自分一人しかいないのではないかという気がしてくる。

もしかしたら世界に自分一人しかいないのではないかという気もしてきた。




…私はこのまま世界で一人だったら何も考えなくていいのに。

何も知らなければよかった。

ノーラントを好きになることなど、知らなければよかったのに。


などと考えて、子供っぽい自分に呆れてしまったアレクシアはごろりと寝返りを打った。

はは、とかすれた声でわらって目を閉じる。


しかし、アレクシアはすぐに目を開けた。





コンコンコン




突然、ドアがノックされたのだ。


アレクシア様はおやすみかも知れません、と誰かに言う侍女の声がドアの向こうから微かに聞こえてくる。



…ノーラント?

婚約者を一応見舞ってこいと言われて来たのだろうか。



どきりと心臓が跳ね上がってしまい、アレクシアは布団の中で身を縮め、息を殺していた。

返事をするべきか。それともこのまま。それとも着替えてから返事をすべきか。と考えあぐねていたら、



「アレクシア」



ドアの向こうでアレクシアに呼びかけた声は、ノーラントの冷たい声ではなく、落ち着いていてハスキーなライドルトのものだった。






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