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ライドルト




アレクシアの承諾を得てから、ドアを開けてアレクシアの自室に入ってきたのはアレクシアの侍女だった。


アレクシアは、突っ伏して寝てしまっていたベッドから起き上がり、姿勢を正す。

侍女は昨晩からアレクシアのガラスで切れた足を心配していて、今日も消毒をしてくれた。

縛られて跡が残った腕のことも、そっと冷えた布を当てて労わってくれた。

昨日も今日も、何も聞かれないのはありがたかった。


稽古をつけに来てくれていたアレクシアのハトコには帰ってもらいました、と侍女は言っていた。アレクシアは足も怪我をしているし、最近寝られていないようだったので起こすのも憚られて、と申し訳なさそうにしていた。

アレクシアは侍女の気づかいに感謝の言葉をかける。


とりあえず、折角予定を開けていてくれたハトコに、事前連絡もなしに稽古をすっぽかしてしまったことは明日学園で謝ろう、とアレクシアは思った。


そして、時計を見る。かなり寝てしまっていたようで、もう遅い時間だ。









放課後、アレクシアは人もまばらな三年生の校舎まで、ハトコを訪ねてきていた。

ノーラントに会いたくなくて放課後訪ねたので、ハトコはもう帰ってしまったのではないかと一瞬思ったが、まだ彼は教室にいたようだったのでほっとする。


「ライドルト。この前はせっかく来てくれたのにごめん」


アレクシアが教室をそろりと覗いていたのを見たライドルトが、友人との会話を中断して廊下まで出てきてくれた。




ライドルト・ヴァン・クロスライトはアレクシアの2つ上のハトコだ。

彼はアレクシアの2歳上なので、クラスは違うがノーラントと同じ学年にいる。

クロスライトの分家出身で、若くしてこの国の騎士団の第5部隊の隊長を任されている勇将である。依ってその剣の腕は折り紙付き。


クロスライトの一族はさすが七大公爵家の一角を担うだけあって大きいが、アレクシアと年の近い親戚はライドルトと他数人しかいなくて、そのなかでも特にアレクシアはライドルトを兄のように慕い、ライドルトはアレクシアを妹のようにかわいがってくれていた。

アレクシアの住まいであるクロスライトの本家の邸宅を囲むように分家の邸宅は建っているので、二人は昔から物理的にもほとんど本物の兄妹のように育っていた。

そして大きくなって互いに多忙になった今でも、アレクシアは彼に時々稽古をつけてもらったりしている。

そしてその代わりに、アレクシアはライドルトに魔術の稽古をつけたりもしていた。


ライドルトは騎士団で大きな剣を振り回している割には細身で、身長が高い。灰色がかった赤い髪と濃い灰色の目が印象的な綺麗な顔をしている。

凛とした瞳が、どことなくアレクシアに似ている。




「いや、いいけど。でも珍しいな、お前が稽古休むのは。足に怪我したって聞いたけど、大丈夫?」


「大したことないから平気。でもありがとう」


「…それと、なんか他にあったんじゃないの」


そう言ったライドルトの形のいい目が、アレクシアの藍色の瞳を捕まえた。

その落ち着いたハスキーな声が、何かがあったことを知っているかのように問いかける。


アレクシアは目を逸らしてしまいたいのを堪えて、何もないよと笑って声を絞り出した。


「何かあったならちゃんと言えよ。力になってやるから」


ぽんとアレクシアの頭にライドルトの手のひらが乗せられる。体温の高い手だ。温かい。


「何にもないよ」


アレクシアがその温かい手に罪悪感のようなものを感じ、抗うようにふいッと目を逸らす。


目と共に顔も逸らしたのに、がっと動いたライドルトの大きな片手が彼女の頬を両側から挟んだ。

少しぎこちなかったアレクシアの頬がきゅっと押さえつけられる。

そしてアレクシアの顔は、無理やりライドルトの顔の正面で固定された。

ライドルトの怒ったような、真剣な目がアレクシアの視界の真ん中にあった。


「あのさ。チャンスやってもお前はいつもそうやって何も言わずに溜め込んで。なんで言えないの」


やはり、顔に出ていただろうか。ぎこちなかったかもしれない。とアレクシアは己の態度を反省した。


もしかしたらそうでなくとも、聞いても誤魔化し続けるアレクシアにいい加減我慢ならなくなったのかもしれない。

アレクシアとノーラントの冷め切った関係は既に噂になるまでもない程明らかで、妹のようによく知るアレクシアが最近いつも何かを溜め込んでいるのも、いつまで経っても頑なに弱音の一つも吐こうとしないのも、心配してくれていたのだろう。



…でもそれは、彼や、誰かに言っても解決はしない。

言ってすっきりしたり、せいせいしたりもしないのだろう。


とアレクシアは思う。

でも本当はそんなことよりも、言葉にして人に話したら自分が気付かないようにしていた事実も明らかにされてしまう気がして、怖くて言えないでいる。


アレクシアは、頬をキュッと挟んでいるライドルトの手から無理やり逃れ、そのまま何も言えないことを誤魔化すかのように耳に髪をかけた。





その瞬間、何かを捕らえたライドルトの目が細くなる。





「アレクシア。ちょっとおいで」


突然。

ライドルトのハスキーな声が妙に深く、掠れて聞こえた。


まるで獣が低く威嚇をしているかのような声に、何があったのだろう、とアレクシアは悠長に首を傾げる。

しかし次の瞬間には腕を強く引かれていた。


そのまま無言で引かれて引かれて、引きずられるようにして。


引っ張られて連れてこられたのは二人のいた廊下の近くにあって、人眼が避けられるところだった。

正確には、備品が保管されている小さな部屋だ。

使わなくなった物がたくさん詰め込まれていて、椅子もあったが横には埃を被った大きな機械やたくさんの模造紙、古い資料なんかも山積みにされていた。


バタン、とドアが閉じられる。


部屋の窓からは太陽の光がさんさんと入ってきていて、舞った埃が光を反射して綺麗だった。


しかしそんなゆっくりとした情景とは対照的に、妙に険しい顔をしたライドルトが焦るアレクシアの腕を強引に引っ張り上げた。

そしてアレクシアの腕の袖を少し下げる。


「なにこれ。…もしかしてあの第一王子にやられたの」


ライドルトの前で、あの時のパーティで男に縛られてできた跡が残っているアレクシアの手首が露になっていた。


アレクシアは逡巡してから目を伏せる。


「…違う」


「じゃあどうしたの」


「…」


「お前、人に言えないようなことされたの」


「…」


「誰にだよ。ぶっ殺してきてやるから誰にやられたか言え」


ライドルトの濃い灰色の目が、感情をむき出しにしていた。

奥歯をキリと合わせて、今にも何かを噛み潰さんとしている。


アレクシアは、飛び出して行きかねないライドルトの腕を自由な方の腕で掴み、出来るだけ冷静な声を出す。


「だ、大丈夫だったから!…魔法使って火傷させて逃げたから」


「…数日前パーティ行ってたんだろ?そこでやられたの?その時王子は何やってたの」


上に上げていたアレクシアの腕を離してくれたライドルトは低い声で言う。





「ノーラントは…」


アレクシアは、言葉を続けようとした。


こんなに心配してくれるライドルトに、何があったか説明しようとした。

順を追って、きちんと説明しようとした。

だが、出て来たのは言葉ではない別のもの。


大好きな人の名前を声に出し、あの夜のことを思い出したら喉が詰まって、あっという間にアレクシアは言葉を失い、喉から先に進めず溢れた感情は、目から涙になって伝っていた。


あれだけ泣いたのに、まだ出てくる。

飽きもせず泣く自分自身に呆れてしまったアレクシアは、諦めて泣いた。


ライドルトの大きな手がアレクシアの頬を包む。その親指で涙をぎゅっと拭ってくれた。

そして彼はその大きくて温かい手で背中をポンポンと叩いてくれた。



「お前さ、昔はよく泣いてたのに、最近全然泣かないから心配だったんだよね」


兄のようによく面倒を見てくれるライドルトは今、怒ったような困ったような、でも安心したような顔をしている。

彼は、後から後から止まらないアレクシアの涙を拭ってくれる。


そういえば、アレクシアが泣いたら彼はいつも親指でぐいっと涙を拭いてくれていた。

昔のノーラントがしてくれたような繊細で丁寧な手ではない。

ライドルトのそれは少し乱暴で、大雑把だ。

彼は今も昔も、いつも少し乱暴で、大雑把だ。

ライドルトはずっと昔から変わらずに心配してくれている。


嬉しかったのに、

それにもかかわらずなんで欲しかった言葉をかけてくれたのがノーラントじゃないんだろう、と心の奥底で思ってしまった自分を呪いたくもなった。




二人は備品室に保管されている椅子の上に腰掛けている。

アレクシアは暫く泣いて、パーティで小部屋に連れ込まれ腕を縛られたが事なきを得た、と細かいことは伏せて腕の跡についての事情を話した。

ライドルトは険しい顔をして殺気立っていたが、ずっとアレクシアの背中をポンポンしてくれていた。


そしてアレクシアは、一息ついてからぽつりと言った。


「…パーティでノーラントとは別行動だったよ。ライドルトも知ってるように、ノーラントはリナリーと婚約するために私との婚約はもうすぐ破棄すると思う」



思えば、こうやって変わってしまったノーラントのことを誰かに話したのは初めてだった。




そしてアレクシアは水が一度零れれば流れ続けるように、前回のパーティで見たことも含め、これまでのことを話した。



「お前は王子のことまだ好きなの」


「…き、だけど、だから傷付くことの方が多くて、惨め」


「あのさ、お前のこと惨めにするような王子が好きなの」


「…わからない。けど、ノーラントは昔は凄く優しかった」


「でも今は全然優しくないだろ。お前が男に話しかけられてても会場から消えてても、心配もせずに他の女と笑ってるようなやつ、お前好きなの」


「ノーラントは、昔はそんな人じゃなかった…」


そんなやつは、好きではないと思う。

でも、ノーラントは好き。

大好きだったノーラントが好き。


そう。

アレクシアは結局、好きだと言ってくれた頃のノーラントに囚われているだけだ。


人に話してみたら、それは嫌でも目の前に突き付けられる。

言葉にしてみたら、それが酷く滑稽だということにも気が付く。

今のノーラントは誰の目にも明らかにアレクシアを嫌い、誰が見てもリナリーという女性を愛しているのだから、それが苦しいのなら早く目を覚ますべきだ。


分かっているのに、まだ目が開けられない。

今のノーラントが昔のノーラントとは違うことを認めたなら、叶えたかった、ノーラントとずっと一緒にいられる夢が見られなくなってしまう。

だから苦しくても、目は覚ましたくない。

叶えたいものを無くすというのはもっと辛い。


ノーラントの傍にいる未来がもう叶わないことを認めてしまえば、途端に私は何をしたらいいのか分からなくなる、とアレクシアは思った。


…彼と国を支える将来をいつも思い描いていた。

その夢が取り上げられたら、私は何のために何をしたらいい?


ノーラントの存在は、アレクシアの中でそれほどまでに大きかった。






アレクシアの傍に腰掛けているライドルトが、またポンポンと背中をたたいてくれた。

何も言わずに、アレクシアが泣き止むまでそれを続けてくれていた。







ゆっくり息をしたアレクシアは顔を上げ、ライドルトに小さく感謝の言葉を述べた。

答えなど出ていないけれど、それでも辛抱強く話を聞いてもらえて嬉しかった。






涙が乾いた瞳で窓から刺す光が既にオレンジ色に染まっているのを見て、時間が進み続けていることを実感したアレクシアは、はたと思い出す。



二週間後。

王家とクロスライト家の会食の予定があったことを。


それはライドルトに感謝した彼女の心を、一瞬でまた憂鬱なものにした。






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