…………
「許さない」
アレクシアは痛む肩を抑えて小さく呟いていた。
「絶対許さない」
もう何もできないと虚ろのようになっていた筈なのに、その心の内で燃え上がるのは今まで感じたことのない怒り。
諦めたはずの全ての感情より激しい憤り。
自然とこぶしを握ってしまう。
切れるほど唇を噛み締めてしまう。
今まで、この目の前の人に対して一度も感じたことのない激情。
アレクシアの目の前にいるのは、死人のような白い顔をして寝台に体を横たえている王子、ノーラントだった。
目は、覚まさない。
誰が話しかけても返事をしない。
あれから三週間は経ったというのに、彼は未だ辛うじて息をするだけの人形のようだ。
アレクシアはその蒼白な顔に向かって再度呟いた。
「許さない」、と。
数日前。
それは、混乱するアレクシアがようやく体面を取り繕えるようになった頃だった。
縫合された肩の傷の痛みにようやく慣れてきた頃でもあった。
その日、アレクシアはノーラントの部屋に呼ばれた。
父親に連れられ王宮の門をくぐり、護衛や側近に代わる代わる案内されながら王宮の最奥に辿り着く。
ノーラントの広い部屋の真ん中に置かれたベッドでは、ノーラントの体が横たえられていた。
その場所で、意識が戻らないノーラントの代わりにアレクシアの前に立ったのはリナリーだった。
あの日血を海のように流して叫び狂っていたリナリーは、アレクシアに向かって静かに礼をした。
アレクシアは、少し違和感を感じた。そして問うた。
「貴方は寝ていなくてもいいの?」
リナリーは首を振る。
そして腕を捲って見せた。
そこには、傷跡など一つもなかった。
白い肌がひたすら眩しいだけ。
アレクシアは眉を顰める。
アレクシアは自分がここに呼ばれたのは、あの日出しゃばって王子を巻き込んだ罪を償うためだと思っていた。
もう死んでしまいそうな王子に最後に詫びる為に呼ばれたのだと思っていた。
何故かまだ破棄されていない婚約は、王子の遺言で今度こそ取り消されるのではないかと思っていた。
しかし、アレクシアが立てた予想は全て外れた。
まず最初に、リナリーは謝罪の言葉を口にした。
それから、アレクシアを手近な椅子に座らせて静かに息を吸った。
「私は本当はノーラント様の恋人でも何でもありません。私はただノーラント様に影でお仕えする者です」
「ノーラント様はある時知ったようです。オズワルド様を筆頭に第二王子派の箍が外れた覚悟を。
…………どうやって知ったか、ですか?私は詳しくは知りませんが、ノーラント様は確信してらっしゃいました。まるでオズワルド様達の脳内でも読んだかのように」
「ノーラント様は、オズワルド様がノーラント様の大切な人を傷つけると知っていました。……予想したのではなく、これも知っていました。
それから、オズワルド様がノーラント様の大切な人を酷い形で王位継承争いに巻き込んでくることも知っていました。そして王位継承権を手に入れてもいなくても、どちらにしてもオズワルド様がノーラント様を消す気でいたことも、ノーラント様の大切なものも消したがっていることも知っていました。オズワルド様の得体の知れぬ執拗さも知っていました」
「その第二王子は……どう足掻いても救えない不穏因子でした。
ノーラント様は決心されました。オズワルド様を説得できるなど生ぬるいことはもう考えないと。そして、オズワルド様を欺き、嵌めるように動きました。アレクシア様を自分から遠ざけ、私を傍に置きました」
「……何故私が選ばれたかですか?年の頃や性別の問題となにより、私ならばいくら切られようと裂かれようと撃ち抜かれようと問題ないからです」
「……ええ、そうです魔法です。アレクシア様も気づいた通り、私の魔法は自己再生の水魔法です。どれだけ傷付けられようと流れた血はこの身に戻り、抉られた肉もせせらぎのように元あった場所に収まります。跡形もなく蒸発してしまわない限り、私は水のように元の形に戻り続けます。ですから、貴方のような炎遣い以外は私を殺せないということですね。
…………痛みですか?ふふっ、大丈夫です。もう慣れました」
「そして一年、オズワルド様を、第二王子派の人たちを、周囲を、そしてアレクシア様を騙し続けました。
私は演じることなど生まれた時からしているようなものなのでどうということは無いのですが、ノーラント様があれほどまでに徹底出来たことは、正直意外でした。アレクシア様のことを目で追うこともしないとは、驚きました。まるで人格が挿げ替えられているのではないかと思ったくらいです。それほど、覚悟されていたのでしょうね」
「何故それをアレクシア様に話してくれなかったのか、ですか?一言演技をするからと言ってくれればよかったのに、ですか」
「それは、その身を危険に晒せと貴方に言うことなど、ノーラント様にはどうしてもできなかったからです」
「そしてノーラント様が、オズワルド様を大義名分と共に捕らえて消せる機会を望んでいたからです」
「……それも何故話してくれなかったのか、ですか?
それは、オズワルド様が腐っても何をしても貴方の幼馴染だからです。その幼馴染を殺す片棒を担げなど……たとえ相手がこちらに殺意を持っているからと言ってもそんなこと、愛する人にはどうしても言えなかったのです」
「そんな心配は無用でしたか?それよりも知らされない方が辛かったですか?そうですね……
私の考えなど何の足しにもならないでしょうし、ノーラント様を擁護したい訳でもありません。しかし人を殺すというのは、親しかった人を殺すというのは、辛いよりも辛くて想像よりもはるかに悍ましいのです。自分が生きる残りの時間、何を忘れても人を殺したことだけは覚えているのです。寝ても覚めても体が、心が鮮明に覚えているのです。逃げられぬ業は一度背負ってしまえばそれは……」
「…………………………………………そう、ですよね……出過ぎたことを申し訳ありませんでした」
肩を震わせ出て行って欲しいと呟くアレクシアに一礼したリナリーは、音を立てずに立ち上がり、やはり無音のまま扉を閉めた。
許さない。
この時、アレクシアは思った。
死んだように生きている、もの言わぬノーラントに向かって叫ぶ。
彼の大きなベッドの端に両手のこぶしを打ち付け、訴える。
肩が痛んだが、その痛みさえ心地良く感じる程に感情は昂っていた。
「守りたかったなんて、冗談じゃない!」
「そんなことされて、誰が喜ぶって言うの?!」
「それくらい、オズワルドを嵌めることくらい……言ってくれれば私だって……私だってできた!」
「私だって、腕を切られて足に刃物を突き立てられるくらい……くらい、我慢できた!」
「なのに言ってくれないのは、貴方の隣に並ぶ覚悟がないって言われてるのと同じじゃない!」
「そうかと思えば、貴方に冷たくされても耐えられる強さならあると思ったの?!」
「私は貴方を支えるために努力してきたのに、何故肝心なところで戦力外にするの?」
「そうまでして立てた計画で、なんで貴方も死にそうなの?何故しくじったの?私が出しゃばったから?」
「なんで……」
「なんで私に言ってくれなかったの?私たち二人で叶える夢だったんじゃないの?」
「守りたかったなんて、そんな理由じゃ私は納得しない!謝って!その目を開けて私に謝って!私に謝りもしないまま、私を庇ったことに満足しながら死ぬのなんて、絶対に許さない!!」
「悪いと思ってるなら、まだ私のことが好きなら、生きて後悔して、私の目を見て謝ってよ!」
「……ねえ、答えてよ!」
このままアレクシアを庇って死んで、アレクシアに何も伝えないまま消えるのは許さない。
レビューや感想などたくさん下さって、本当にありがとうございます。
拙くて至らないところもたくさんありますが、温かく励ましてくださった皆さんのおかげで、どう書こうと泣くるる気持ちを奮い立たせられました!
更新が遅くて本当にごめんなさい!