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零せば零すほど




これは、二人いるこの国の王子からどちらかが選ばれ、その一人が王位継承権を正式に手に入れたあの儀式が行われたその瞬間から、遡ること約半年前のことだ。





アレクシアは自室で一人、力なくベッドに横たわっていた。

彼女の綺麗に手入れされた長い深紅の髪は、まるでバラバラに散らされたバラの花のようにベッドに広がっている。





このアレクシア・ヴァン・クロスライトは、この国で王家に次いでもっとも強い力を持つ七大公爵家がうちのひとつ、クロスライト家の令嬢である。


今から9年前、アレクシアが8歳の時。

彼女はその聡明さと美しさ、そして強い魔力を持って生まれてきたことを買われ、第一王子の婚約者になった。

第一王子を次の王にと支持する、第一王子派の七大公爵家のうちの4つの家の本家と分家の娘たちから、抜きんでて優秀だったアレクシアが選ばれたのだ。




アレクシアが8歳の時に婚約者として面会した2歳年上の王子、ノーラント・ヴァン・オーフェンは綺麗な銀の髪と、夕焼け空の色をした瞳が澄んだ肌に映える、噂通り綺麗な王子だった。


初めて面会した時の彼は、終始穏やかで落ち着いていた。

10歳の子供にしては落ち着き過ぎていて、なにかを諦めているようでもあった。

あまり感情を表に出さない人なのだろうな、とその時のアレクシアは単純に思っていた。


親に決められた政治的な意味が大きかったこの婚約で、ぎこちなかったアレクシアも、表情が読めないノーラントも、何度も何度も会っているうちに不思議とお互いが分かるようになってきた。


ノーラントのニコッと嬉しそうに笑った顔が見られたのは、アレクシアが彼の婚約者に決まった時からずいぶん経ってからだった。


打ち解けて、アレクシアのことを認めてくれた後のノーラントは、第一印象からは想像できないくらいとても優しく笑い、アレクシアのことをそれはそれは大切にしてくれた。

アレクシアが今日はこれを勉強して分かるようになったとか、稽古で師範から一本取ったとか、ダンスの先生に褒められたとか、他愛のない事でも話すと、彼は目を細めてまるで自分のことのように喜んでくれた。

アレクシアの髪を梳きながら、彼もたくさんの話をしてくれた。

王宮の抜け道の話とか、実はトマトが嫌いとか、みんなには内緒だけど2種類の魔法が使えるんだとか、たくさんの秘密の話も教えてくれた。



幼かったアレクシアは、時が経って大きくなった。

たくさんのことを知るようになり、たくさんの人と会うようになった。

だが、いつまでもノーラントという婚約者の存在だけが彼女の胸を高鳴らせる唯一の存在だった。

ノーラントも同じ気持ちでいてくれているはずだ、とアレクシアは漠然と思っていた。

好きな人と、将来もずっと一緒にいられるのだと信じて疑わなかった。



疑いたくなかったという理由以外にも、根拠、と呼べるものはあったと思う。


ノーラントはアレクシアだけに嬉しそうに笑いかけてくれていたから。

『ずっと大切にする』と頬を染めながら言って、手を握ってくれたこともあった。

アレクシアの深紅の髪を一房取って『この綺麗な髪もみんなみんな、僕以外の誰にも触らせるな』と真剣な顔で言ってくれたこともあった。

『親同士がアレクシアの優秀さだけで決めたことだから本当は期待などしてなかったが、この婚約だけは心から両親に感謝している』と言ってくれた時の彼の顔は息を飲むほど美しかった。



アレクシアは、ノーラントが自分を好きでいてくれることが嬉しくて、もっと賢くなって彼を支えようと思った。だからたくさん勉強した。

ノーラントの笑った顔が愛しくて、もっと強くなって彼も、彼の愛するこの国も守りたいと思った。だからたくさん稽古した。



大好きなノーラントが王位継承権を望み、王位継承争いに勝ちたいと思うなら、その婚約者で将来の王妃になるアレクシアも誰よりも優秀でなくてはならない。

アレクシアは、寝る間も惜しんでますます勉学にも武芸の稽古にも励むようになった。

それも全て大好きなノーラントとの未来の為だった。




…それも今では。




と17歳のアレクシアは思う。




優しかったノーラントはいつからか変わってしまった。


多分、私がリナリー・ミュンヘルに嫉妬したことが原因なんだろう、と理由を探してみる。


嫉妬なんてしたから、アレクシアのことを好きだと言ってくれて、温かく笑うノーラントはもういなくなってしまった。

今のノーラントはアレクシアを無視するか、そうでなければ何の温度もない鋭い目を向ける。そしてナイフで裂くような言葉を投げる。

そしてその一方で、何処からともなく現れた彼の想い人、リナリー・ミュンヘルは、アレクシアの愛した彼の微笑みと優しい言葉を一身に受ける。



彼がもうアレクシアのことが好きではないことは誰の目にも明らかで、明白だった。



その事実をもうすでに何度も思い知らされてきて、アレクシアはもう何度声を殺して泣いたか分からない。

裏切られたような虚無感をどう埋めればいいのか分からない。







今日だってそうだ。

今日だって、目をぎゅっと瞑ってみても深呼吸してみても、彼女の綺麗な藍色の瞳から溢れ出る涙は止まらなかった。





…8歳から17歳になるまでの9年間、風邪をひいても骨折しても稽古を休んだりしなかったけど、私、今日はもう休みたい。

もう限界だ。もう頑張れそうにない。頑張っても無駄だと思う。


今日はこれから武芸に秀でたハトコと稽古をする約束をしている。

気心知れたハトコではあるが、それでも今日はもう誰とも話したくない、とアレクシアは弱弱しく思った。


泣きたいことがあっても外では己を鼓舞して凛々しく気丈に振舞っている彼女だが、今日は鼓舞する気力も起きない。


アレクシアはベッドの上でごろりと横を向いた。



綻んで汚れてしまっていたはずの、昨日の社交パーティに着ていったドレスが目に入る。

侍女が何も聞かずに直して洗ってくれたのだろう。綺麗になったその赤いドレスは壁に掛けられている。








昨日のアレクシアはその赤いドレスを着て、ノーラントと一緒に招待された社交パーティに参加していた。


そこであったことが、今日のアレクシアの気力を奪った出来事だ。


その社交パーティでノーラントに何か特別なことをされたわけではない。

ノーラントが婚約者であるアレクシアのことを全く気にかけることなく、リナリー嬢の肩を抱いて終始笑顔なのはいつものことであって特別なことではない。



昨日はその『いつものこと』がアレクシアの身に起こったことを増長させただけだ。



ドレスを見つめるアレクシアが、その記憶を思い出してみすぼらしく涙を零せば零すほど、更に鮮明に昨日の出来事が浮かんでくる。







10万字完結が目標です。

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