決闘とアメリア
決闘の当日。
決闘場は締め切られ、アレクシア、リナリーと、その代理のライドルト、それから生徒会から審判として来てくれた3人だけがその中にいた。
「では、アレクシア・ヴァン・クロスライトと、リナリー・ミュンヘル代理のライドルト・ヴァン・クロスライトの決闘を始めます」
3人の生徒会役員のうち、一番右にいた役員が宣言して、真ん中の一人が決闘の内容を確認した。
「………………………先に膝をついた方が負けです。負けた方の誓約は明日から効力を持ちます。…
…ということで間違いありませんね?」
「はい、間違いありません」
眉をキュッと引き上げてアレクシアが頷いた。
軽く武装をして、真っ赤に光る髪を高い位置で一つ結びにしている。
女性としては身長が高いアレクシアは、髪を結わえたことで益々身長が高く見える。
「間違いないです」
リナリーも青い髪を揺らして頷いた。
リナリーの隣にはライドルトがいる。アレクシアと同じく簡単な武装をしている。
では、と生徒会の役員に促され、アレクシアとライドルトは一礼をして決闘場に入った。
リナリーは決闘場のすぐ脇にある客席に移動し、そこにちょこんと座る。
静かな決闘場の中、アレクシアとライドルトがグラウンドの上で向き合った。
「では、始めます」
生徒会の役員が二人を交互に見て、落ち着いた声で試合開始の合図をした。
大きく息を吐いてから、アレクシアは自身の得物である大きな訓練用の槍をブンと手の中で一回転させると走り出した。
同じく訓練用の剣を構えるライドルトに正面から突っ込んでいく。
長い槍がしなるたび、アレクシアの長く紅い髪が宙を舞う。
アレクシアの強い藍色の瞳は、素早いライドルトの動きを捕らえている。
だが攻撃が当たらない。アレクシアの槍は空気しか切らない。ライドルトにはいつもすんでのところで避けられる。
空ぶった槍の遠心力を利用して、アレクシアはライドルトを長い足で蹴り上げた。
ライドルトは上体を少し揺らしただけでそれを避け、アレクシアの懐に飛び込んでくる。
横一文字に放たれたライドルトの木刀がアレクシアを薙ぐ。アレクシアは間一髪でライドルトの剣を槍の柄で受けたが、その衝撃に耐えられず後ろに吹っ飛んだ。
…だが、まだまだ。
タンタンッと地を蹴って宙で二転三転して勢いを殺す。アレクシアは膝をつくことなく立って見せる。
間髪入れずにアレクシアは再び飛び跳ねるようにしてライドルトに向かっていく。
今日は体が動かなくなるまでやめない、とアレクシアは思った。
散々打ち合って打ち合って、
打ち合って打ち合って、
吹っ飛ばされて、
避けて飛び跳ねて走って、
滴り落ちる汗を拭ったところで、
アレクシアは自分の膝ががくがくになっていることに気が付いた。
そんな疲弊した体に、思いがけず達成感のようなものがあった。
しかしそう思ったのもつかの間、
…あっ
アレクシアの腕は弾き飛ばされた。
迫ってきた大きな影に意識は反応できたが、体が思うように反応せずライドルトの攻撃を受けてしまった。
「かはっ…」
肺に残っていた息を吐きだす。
膝をつく。
蹲る。
痛い。体を庇うために咄嗟に槍ではなくて腕を前に出してしまったせいだ。
腕から細い生ぬるいものが伝ってきたのを感じる。
「ライドルト・ヴァン・クロスライト及びリナリー・ミュンヘルの勝利です」
生徒会の役員が淡々と宣言する。
ライドルトはそれを聞く前に跳ね返ったようにアレクシアに駆け寄って、彼女を支えていた。
「ほんとごめん。早く手当てしてもらいに…」
見るとアレクシアの腕に大きなすり傷ができていて、それを見ているライドルトはアレクシアより痛そうな顔をしていた。
思うように動かない膝を無理やり立てたアレクシアは、顔を上げてライドルトに思う存分できてすっきりしたとお礼を言った。
変に体を庇って剣を腕に当ててしまった私が悪いんだからそんなに気にしなくてもいいのに、と言葉を続けようと思ったが、その前に決闘場に降りてきていたリナリーに話しかけられたので止めた。
リナリーは、お願いですからちゃんと跡が残らないように手当てしてもらってくださいねと念を押してくれた。
「いたた…」
布が当たった時も湯を使った時もきりきりと痛み、何もしてなくてもふとした時に思い出したように痛む腕の傷が、アレクシアを一人ではないような感覚にしてくれる。悲しんでばかりいたが、その間にも自分の体はアレクシアの心に必死に寄り添ってくれていたことを思い出す。
そしてこの傷が全部治り切れば、自分は完全に自由なんじゃないかとアレクシアは勝手に想像した。
勝手にすっきりしていた。
自己満足なんだろうが、かさぶたがはがれるみたいに少しずつすっきりできるならそれでいいと思った。
アレクシアは手当てをしてもらって授業に出て、まるで決闘なんてなかったかのように残りの一日を過ごしていた。
何事もなく過ごした。
何事もなく過ごせていたはずだった。
放課後までは。
ベンチに座って、食欲が出ないまま残してしまっていた昼ご飯を少し齧って、やはりいらないとそのまま残して包みなおしたその時までは。
その時アレクシアは、人がまばらにしかいない校舎裏にいた。
その校舎裏の面白みのない風景にふっと色が差したかと思ったら、ノーラントが視界に入った。
歩いてくる彼の後方を見れば、リナリーもいる。そしてリナリーの後ろにはアレクシアもよく知るノーラントの付き人もいた。
その視界の隅から銀色の人影だけが真っすぐこちらに歩いてくるのを見て、アレクシアは固まった。
指の先から血の気が引いていくのが分かる。
しかしアレクシアは唇を噛んで、こぶしに力を入れた。
熱が戻ってくる。強い感覚が戻ってくる。
もし彼が話しかけてくるのであれば、返事はできる。
先程からしてきたように何食わぬ顔で、返事をすればいいのだ。
彼はずんずんと歩いてきて、彼女の前に立つとハアと周りに聞かせようとでもするかのように大きくため息をつく。
そしてその紅く滲む太陽のような瞳でアレクシアを睨んできた。
怯んでしまいそうな気持ちを受け止めて、小さく刻んできちんと並べて整理して、
アレクシアは立ち上がる。
アレクシアは、ノーラントの正面で彼に向き合って立つ。
「お前、何故リナリーに決闘なんかを申し込んだ?」
ノーラントが言った。
もしも彼がアレクシアに話かけてくることがあるとすれば、そのことだろうとは思っていた。
リナリーを危険なことに巻き込んだことでアレクシアに怒っているのだろう。
リナリーは代理を立てていたしアレクシアはリナリーにボコボコにされる予定だったから大丈夫だった、と言ったところで何の意味もないので、息を静かに吸って答えた。
「私、これから貴方にもリナリーにも話しかけることはないので心配しないでください」
アレクシアは冷静を装うことができていたと思う。
発音するごとに、気持ちの痛みは静かになっていく。
「もう私とリナリーに近づくこともないのだったな」
氷のように冷たいノーラントの瞳は、まるで感情が欠落した人形のもののようだ。
アレクシアが近づけなくなっても、何ら思うところはないということだろう。むしろ清々しているのだろう。
「はい」
アレクシアは言い切った。
それから、言うべきだと準備していた言葉を、そのままひたすら押し出すように一気に伝えた。
「それから…いつでも、
いえ、早くしてください。婚約破棄」
この言葉をノーラントを前に言い切ってしまうと、さすがに最後の砦が崩れるように足元がぐらりと揺れたような感覚があったが、耐えた。
耐えられる。
足元を見たら自分はその足で真っすぐ立てているのが分かる。
もう座り込んだりしていない。
やっと一つ目の目標地点にたどり着いた気がした。
「ああ。すぐにでも」
アレクシアが顔を上げると、ノーラントは言った。
そう短く言ったノーラントの瞳は微動だにしない。
動いていないが彼の瞳と目が合ったとアレクシアが思った瞬間、ノーラントはばっと身を翻した。
未練も、戸惑いも、悲しみなんてものはもちろん、彼からは何も感じられなかった。
短い会話だった。
あまりにもあっけない最後だった。
人生の半分以上を一緒に過ごしてきたけど、彼からしたらもう好きでもないやつとの別れなんて案外こんなものなのかもしれない。
…さよならノーラント。
大事な自分の片割を失った気分。
将来はノーラントが治める国に貢献したいと意気込んで、あれもこれも頭に詰め込むのが楽しかったことは燃えて灰になって、吹けば消える嘘だったみたいだ。
もし戦争が起こってもノーラントを一人で戦場へ送ることはしない、と強くなるために訓練した虚しい思い出も、重りをつけて深い海に投げ込んだみたいに沈んでいく。
こんな学校を作って、こんな同盟を近隣諸国と結んで、と昔ノーラントと一緒に話していたことがまるでなかったことのように霞がかって見えなくなった。
そう、こんなものだ。
思い出だけは綺麗に見えるが実際はこんなものだ、とアレクシアはストンと腑に落ちるような感覚に安心した。
そして彼女は去って行くノーラントと、彼を向こうの方で待っていたリナリーの後ろ姿を見送った。
「アレクシア様。大丈夫ですか?見てましたよ。ついでに言うと聞いちゃってもいました」
横から恐る恐る6割、興味深々4割の面持ちで、ベンチに座り込むアレクシアに声をかけてきたのは、第二王子オズワルドの婚約者だった。
彼女の名前はアメリア・ヴァン・グレイハウス。
大きく巻かれてボリュームのある金色の髪に、快活な緑色の目が可憐な女の子だ。
七大公爵家のうちの一つ、グレイハウス家の出身。アレクシアと同い年だ。
グレイハウス家はもちろん第二王子派の家で、アレクシアの家と彼女の家はそれほど仲がよくない。
家同士の仲が良くないのだから子供同士の仲もそんなに良くない筈なのだが、アレクシアは良く彼女に話しかけられる。
学園で初めて話しかけられた時は警戒心の方が強かったが、いつもいつも馴れ馴れしく飽きもせず無難な話題で話しかけてくる彼女には、少しずつ慣れてきた。
無難に対応していれば害はなさそう、と。
「大丈夫ですか?噂ではもうお二人、婚約破棄してるって言われてましたけど、まだだったんですね。
…それにしても話で聞くより冷たい方ですね、第一王子様」
いつもは天気の話とか授業の話とか本当に当たり障りのないことを喋ってくるだけのアメリアだったが、今日の彼女は無難な話題でペチャクチャおしゃべりしてくれる気はなさそうだ。
彼女は移動して、アレクシアの隣に座る。
アレクシアは感情をすぐに引っ込め、表情を取り繕う。それから背筋を伸ばして座りなおした。
「うん、大丈夫。ありがとう」
本当は、無難な話題を選んでくれないのであれば彼女からは今すぐ走って逃げたかったが、彼女は第二王子の許嫁だ。お互いに嫌な感情はなくとも長らく無意識下で競い合ってきた相手である。
だから相手はするが、適当に虚勢も張らせてもらう。
「そっか。全然大丈夫じゃないって顔も、してないですもんね。大丈夫ならいいですけど」
アメリアはアレクシアの顔をずいっとのぞき込んでくる。前はこの彼女の距離感が苦手だったが、たくさん話しかけられたおかげで今はもう気にならない。
アメリアは成績の面ではアレクシアに一歩及ばないが、その持ち前の器用な性格でいろいろな場面で上手く立ち回り、常に人の輪の中にいる。
人と話すのは苦ではないが、好きでもないアレクシアとは全然毛色が違う。
「二人とも昔は仲が凄く良かったと記憶してますけど…」
あんなふうではなく、とアメリアが少し音量を落として言葉を濁す。
アメリアとは幼い頃から面識はあった。オズワルドと一緒にいる彼女に話しかけられたこともあるし、アレクシアがノーラントと一緒にいる時に彼女たちに会った事もある。
だからアメリアとオズワルドと同じような境遇だったアレクシアとノーラントが『あんなふう』になってしまったのが彼女なりに少し寂しかったりするのかもしれない、とアレクシアは自分なりに解釈して返事をする。
「昔は良かったと思うんだけどね」
「今はやっぱり…?」
「見ての通りだよ」
今は、見ての通り。それ以外に物事を判断する術があるなら教えて欲しいくらい単純で明快に嫌われている。
念を押すように首を傾げるアメリアに、そういう事だからもう会話は終わりと言わんばかりにアレクシアは肩をすくめて見せた。
「そうよね。失礼しました」
肩をすくめたアレクシアの意を汲んでかアメリアが短い返事をしたので、頷いて立ち上がろうとすると、アメリアに静かに手で制された。
彼女はアレクシアの意を汲んでくれたわけではなかったようだ。
アレクシアは渋々またベンチに腰掛けなおす。
かけなおすと、アレクシアを制したアメリアの手がぎゅっとアレクシアの手を包む。
そして力を入れて握りこまれた。
「ねぇアレクシア様…私達、今なら仲良くなれそうじゃない?今はもう違うのかもしれないけど、同じ立場にいた者同士よね、私達。私、貴方の気持ちもわかるし、貴方の周りのしがらみも理解できるわ。だから、貴方と一番近いのはやっぱり私だと思うの」
アメリアの緑色の綺麗な瞳がアレクシアの顔を覗き込んでいる。
彼女の大きな瞳の中で、アレクシアが自分自身を覗き込んでいた。
「貴方の本当の希望を叶えられると思うの。私、貴方を助けたいわ」
アレクシアは彼女のことをよく知っているわけではないが、そんなことを言う彼女の真意はもっと良く分からない。
アレクシアはノーラントのことを諦めたいと願って、諦めた間に時間が過ぎればそれが助けになると信じている。
でもアメリアは、アレクシアにはまだ何かしたいことがあって、アレクシアにはまだ助けられる余地があると言う。
アメリアは私が何を希望していると思っているのだろう。そしてなにが私の助けとなってくれると言うのだろう。
「アレクシア様。貴方、ノーラント様が憎くありません?」
他の女性を好きになったから邪魔な貴方につらく当たって、自分の欲しいものだけを優先する王子様が憎くありませんか。散々優しくして思わせぶりなことをしたくせに、手のひら返したように貴方を裏切った大好きだった王子様が憎くありませんか。復讐したいと思ったことは無いんですか。もう手に入らないんだから、それなら報復して彼から受けた痛みを返してやったらどうですか。憎いものを憎んで、やられたらやり返すのは前を向いて生きるために必要ではありませんか。けじめをつけるために必要ではないですか。少しずつすっきりなんて泣き寝入りする時の常套句です。甘いです、甘すぎます。あの王子様に貴方の痛みを思い知らせてやったら、きっと貴方はすぐに心から笑えるようになりますよ、
とアメリアは言った。
一息に言った。
言い切ったアメリアの確信を湛えた緑色の瞳は、アレクシアからの肯定を期待していた。
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