15.初めての奪い合い
ゴブリンはもがき苦しむように身体を暴れさせ、目を血走らせる。
口端からは唾液が漏れ、プラントウィップが巻かれている首周りに自らの爪で作った傷が増えていく。鋭利な魔法を使っていないのにも関わらず、ゴブリンの身体には真っ赤な血液が付着していく。不規則に動く手足、苦しみから逃れようと胴体をあちらこちらに曲げる。
「―ッ―ッ――ッ――ッ―ッ!!」
「ゲゲゲェ?」
「ゲゲェゲ、ゲゲ」
「ゲーゲゲーゲ」
必死に助けを呼ぼうと声を出すが、気道を塞いでいるため音にすらならない。
彼には死が迫っているというのに、背後の仲間たちはそれに気づかない。
しばらくすると、ゴブリンの身体は力が抜けて静かになった。
目は虚空を見つめ、一筋の涙が流れる。
口元からは、えらく長い舌がだらしなく垂れる。
――ゴブリンは、死んだ。
苦しみながら、じっくりと死に向かう方法で死んだ。
なぜか恐怖心のような、焦燥感のような、なにか不快な違和感が私の中で渦巻いていた。
えっと、こんな残酷な倒し方するはずじゃなかったんだけどな……。
ほら、ゲームだとモンスターを倒したらすぐ爆発したりして消えるじゃん。
それで○○ポイントの経験値を獲得しましたって表示されるじゃん。
私はそんな感じだと思ってたんだよ。
だってさっきのスライムだって倒したらすぐ消えたじゃん?
当然ゴブリンも倒されたらすぐ消えると思うじゃん。
なのに、なのにあれは何なんなの?
人間みたいに苦しんで、人間みたいに死んだ。
なんだろうこれ。なんなんだろうこれ。
なんだろう、この感じ。
突如、ゴブリンの死体は光の粒子となって霧散した。
ああ、よかった。
ちゃんと消えてくれた。
人は消えない。だけど魔物は消える。
あのゴブリンは魔物であって人じゃないのだ。
しかし、奇妙な安心感に浸っているのも束の間、私は気を緩めてしまった。
ゴブリンの死体があった所に、小石ほどの球と短剣が転がった。
それはドロップアイテム。魔物が極稀に落とす品物。球の正体は生涯と共にあったゴブリンの魔核。短剣は消失せずに残った彼の装備品。
それが転がると、地面と衝突してわずかな音を発した。
「ゲェオ?」
背筋に冷たいものが流れる。
残ったゴブリンの一体が、こちらに目を向け歩き出す。
やがてドロップアイテムが落ちた場所に到達する。
ゴブリンは魔核を拾い上げ、執拗に観察する。
「……グゥゥウゥウウゲェェェエエエエエエッ!」
何かに気づいたのか、ゴブリンは天まで届く咆哮を上げた。
続けざまに鼻を荒く鳴らし、顔をこちらに見せる。
彼にとって先のゴブリンとは親しい間柄にあったようだ。
顔面には何本も深いシワが刻まれ、首筋には無数の血管が脈打つ。
手に持つ短剣は力を入れ過ぎているせいでカチカチと震えている。
いくら人間以外の他種族であっても怒気は感じられる。
と、その時。
「ゲェェェェエエエエッ!」
目が合ってしまった。
木陰から覗く私の目と、怒りに燃えた復讐の目とが。
すかさず手の平を見せ、魔法陣を起動させる。
既存のプラントウィップでは彼を拘束できない。動きが遅く、死角からの奇襲という事で先ほどは成功した。
しかし目の前のゴブリンは私の下へ走る。
以上から射出系の魔法と違って、操作技術を必要とするプラントウィップには役不足だ。
魔力を集中させ、魔法陣から風の刃――ウィンドブレードを発射する。
だがゴブリンがそれをかわす動作など取らずに刃は空を切る。
「はずしたッ!?」
焦りが出る。
呼吸が乱れる。
心臓が高鳴る。
魔力は少ないが、魔法の扱いには自信があった。
魔力が少なくても技術は磨ける。
技術があればそれなりの魔法使いにはなれるはずだ。
だから失敗の可能性なんて微塵も考えていなかった。
そんなおごりが私を死地へといざなう。
ゴブリンとの距離はもうそんなに残されていない。せいぜい一、二歩で彼の持つ短剣が届く。
二度目の失敗は許されない。
目の前から迫る恐怖心に焚きつけられながらも、私は二射目を放つ。
ゴブリンの腕は鮮血のしぶきをあげ、盾を装備していた片腕を落とす。
今度は当たった。
しかし絶命にまでは至らない。
「ゲェェェェエエエエェェェェエエエ!」
彼は片腕の損失を気にもかけず、猛突に接近する。
逆手に持たれた短剣。
ブレーキをかけず迫り、それが振り下ろされる。
片腕を失った事でバランスを崩したのだろう、ゴブリンは半ば倒れる形で襲い掛かる。
私は人と喧嘩した事なんてたったの数回程度しかない。ましてや命の奪い合いなんてあるはずがない。
そんな私にできた行動はただ一つ。
腕を前に出し、交差させるだけの防御。
唯一できたのがそれだけだった。
ゴブリンの腕と私の腕がぶつかる。
彼の狙いは私の首。幸いに短剣が私の身体へ達する事はなかった。
衝撃を殺し切れずに両者は地面へ倒れ込む。
倒れてもなお攻防は続く。
「グェエエエエエエッ!」
私が下で、ゴブリンが上。
押し返そうにも、守るために両腕が塞がっている。
片腕を失い、両腕で防がれているのにもかかわらず、私の腕は最大の力を要求する。私とほぼ同じの背丈。なのに私は片腕を遠ざけるだけで精一杯。
これが魔物。人ならざる者。人外の身体を持ち、人並みの知性を持つ者。
眼前には私を殺そうと刃が踊る。
その短剣越しに、鬼気とした形相を覗かせる。
ゴブリンは奇声を発しながら睨む。
私の顔には悪臭をはなつ唾液が飛ぶ。
無と死。
二つの文字が脳裏をよぎる。
やだ。
殺意なんて今までの人生で向けられたことがない。
いや、イチョウ様には向けられたことがある。
だがあれはどこかに余裕を感じられた。
突然の状況で突然の出来事。私が全てを把握せずに起こった事。
しかし今は違う。
私が殺したせいでゴブリンは怒り狂い、私が殺したせいで殺そうとする。
彼が抱く殺意。その成り立ちを私は知っている。
それらは私に死というものを身近に感じさせた。
どこか夢見がちだった私の意識は、本格的な恐怖心によって荒らされる。
いやだ、嫌だ嫌だ嫌だっ! 死にたくない!
死なないようにするにはどうすればいいッ!?
どうすれば私は助かる!?
それにはゴブリンがいなくならないといけない!?
じゃあやるしかない。
また、また私はゴブリンを殺さないといけない!
顔と顔の間に、一つの魔法陣を出現させる。
不可視にする余裕はない。
こいつを殺せるなら何の魔法でも良い。
私は魔力を過剰に流し、がむしゃらに魔法を発動させる。
「死ねぇぇぇぇぇぇええええええええ!」
自然と声が出た。
喉を震わせた時、私は強い私になれた気がした。
瞬間、ゴブリンの頭部が四方八方に破裂する。
私の顔面には大量の血液と頭部の破片。
頭部が無くなったせいか、不規則な勢いで私の顔に血が流れ落ちる。
私が使った魔法は風だった。
恐らく直前に使ったウィンドブレードが影響したのかもしれない。
呼び出した風はゴブリンの鼻と口、そして耳に侵入し、膨れ上がった魔力で暴発した。
私は頭を失った身体をどかし、身体を起こす。
「ゲェェェェエエエエ!」
血で汚れた顔を拭うと、怒りに囚われたゴブリンがまた一体。
今の私に迷いはない。
手をゴブリンに向け、私は呟く。
「ごめん……ライトニング」
発光する線は一直線にぶれることなく、彼の額を打ち抜いた。
ダークグリーンの身体は力を失い、音もなく倒れる。
やがて二つの死体は誰に伝える事も無く、粒子となって消える。
同時に私を汚していた血液が浄化されていく。
彼らの最後を目で追う。
空に昇るは黒く輝く粒子。
見えなくなるまでそれが飛散すると、私の足元には魔核が転がっていた。
数は三つ。
私がそれらを拾うと、どれも秘めた輝きに違いがあるのに気づく。
基本色は黒。
一つは中心部にいくほど赤みが増す。
一つは茶色が。
一つは緑が。
完全に同じものは無い。
全て似ているようで違う。
そうか、彼らはゴブリンとして、個々として生きていたのか。
私は彼らを供養するように、魔核を飲み込んだ。
直後に感じる万能感。それが収まると失った魔力が戻る。
私は勝利した。
私が殺して、殺されかけて、殺した。
罪の意識はある。しかし後悔はない。
私が生きるには殺すしかなかった。私が死ねば、生き残ったユリが――。
「きゃあああああああああ!」
背後からの悲鳴に、私は振り向かざるをえなかった。
そこにはユリがいた。
ユリの前にはゴブリンがいた。
ゴブリンは短剣ではなくナタを持ち、すでに腕を振るう最中だった。
間に合わない。
魔法呼び出すよりも、ナタが彼女の柔肌に達する方が断然早い。
駆け出したとしても一歩目でそれは終わるだろう。
私に出来る事はない。
どうして私はユリに意識を向けなかった?
どうして四体目の存在に気づけなかった?
どうして私はユリのそばにいない?
私がそばにいれば、自分の身体を盾にして防げたはず。
私がそばにいれば、自分を囮にして逃げる時間を稼げたはず。
しかし、私はユリのそばにいない。
声も出せず、魔法も出せず、手も足も出ず、ただ私はその光景を見ているだけで何も出来なかった。
「――サンドウォール」
その声は私が知るものより声音が低く、重たい雰囲気を持っていた。
ユリとゴブリンの間に、一枚の壁が現れる。
薄く頼りない見た目とは裏腹に、ナタを弾き返したことから優秀な頑丈さを伺える。
突然現れた壁にゴブリンは血走る瞳を泳がせる。
しかし、状況を把握しようとさせるつもりはないらしい。
「形状変化・サンドスパイクフィールド」
ゴブリンの身体は、無数の針によって穴が空き静止する。
貫通している所からはサラサラと体液が漏れ出る。
壁と地面から飛び出す針は一本一本が鋭く長い。返しなどは付いておらず、純粋な針として存在する。
「僕たちはゴブリンの足取りを追っていたんだ。だけど、近くでゴブリンの鳴き声や悲鳴が聞こえてきた。誰かが襲われていると思って急いでみるとどうだろう? 現場にはゴブリンと二人の女の子。どうしてこんなところにいるんだろうね……ねぇ、アザミ?」
「……お父様」
姿を現したのは、甲冑に似た武装をしたお父様だった。
彼は私の目を真正面に捉える。
お屋敷で見ていたいつもの顔、聞いていたいつもの声。今日だけはお父様のそれとは大きく違う気がした。
「どうして、ここにいるのかな?」
串刺しにされていたゴブリンが解放される。しかしそれはほんの少しだけ。すぐさま針は出現し、穴だらけの身体はさらに風を通す。
とうに命は尽きている。お父様の目は俄然として私を向いたまま。
私が答えられないままでいると、ゴブリンの身体は限界だったのか霧散する。
魔核が落ちる。しかし土の針はそれが残ることを許さず、瞬く間に粉砕した。
「アザミ、巫女の決まりについては話したはずだ。どうしてなんだい?」
お父様は私の所へと歩き出す。自然と私の目線は足元までに落ちる。
お父様の靴が視界に入ると、重力が倍になったような錯覚に陥る。
「アザミ」
「……」
いつもならいくらでも言い訳が出て来る。
だけど今の私にはそれが出来なかった。
身振り手振り伝える手足が鉛のよう。
喉は何かでせき止められているよう。
頭は何かの力で固定され、地面しか見るのを許されない。
「帰ったら少し、お父さんと話しをしようか」
怒りや悲しみのどちらでもない平素な言葉遣いは、畏怖の感情を持たせるのに十分だった。
「お頭かしら! この娘たちはいってぇ!?」
「ああ、安心して。この娘は気を失ってるだけだ」
聞いた事がない声。察するにお父様の知り合いだろう。
「じゃあ向こうの娘はどうしたっていうんで? 何もないのにうつむいて突っ立ってやがる」
「あの娘も大丈夫。二人共ケガはしていないみたいだ」
「は、はぁ」
「それと、ここで見たことは他言しないで欲しい」
「そりゃなぜですかい?」
「あの娘たちが……僕の子供だからだよ」
「お、お頭の子供? それって巫女の?」
「ああ」
「わ、わかりやした。ここで見たことは誰にも言いやせん。お頭はこの後どうするおつもりで?」
「僕はこの娘たちを連れて帰る。すまないけど後は頼めるかな?」
「任せてください! 野郎共は俺がなんとかしやす!」
「迷惑をかけるね」
「いえいえ、これぐらいお安いご用でさぁ」
そう言うと、足音は明後日の方向へ遠のいた。
私は、唯一守りたかった存在の安否も確かめられずにいた。
少し頭を上げて、目を動かすだけでいい。
それなのにできなかった。
「さぁ、帰ろう」




