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鍵替記  作者: ふみのかとん
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都の南

 風の鳴る晩だった。

 日暮れてもなお、北の空を朱に染めていた王宮の松明が消えると、都にようやく本来の闇が訪れた。この時刻になると、往来に人の影は失せ、時折闇の中で動くものは、野犬の類か、近頃さらに数を増している宿無したちのみである。

 そして、都の中心部から少し南に下った大路の辻で、角地に建つ空き家の軒下をねぐらにしているひとりの宿無しが、酒場の裏からくすねてきた残り酒を飲み終え、筵の寝床に潜り込もうとしていた。傍らには、相棒のぶち犬。久し振りの酒を楽しんでいた主人を尻目に、早々に寝息を立てている。

 東の空が、ほのかに明るくなった。痩せた月が少しずつ、連なる家々の屋根から顔を出そうとしている。薄い雲が出ているので、月の光はよりおぼろで、心もとない。

 と、眠っていたはずのぶち犬が、ふいにぴくりと耳を立て、起き上がった。

 吹き抜ける風の音に、かすかではあるが、風や砂とは明らかに異質な何かが紛れ込んでいる。音のする方向を見つめる犬の横で、宿無しは筵の中で身を縮めたまま、闇を睨んだ。やがて、北の方角から、黒い衣装をまとった数人の男たちが、滑るように南へと下ってきた。

 揃いの黒衣に身を包んだその男たちは、宿無したちの横を通り過ぎた後、少し先の商家の軒先で止まった。男たちを注視する犬の背を、宿無しは筵の中から伸ばした手で軽く叩いた。この犬は、こうして落ち着かせていないと、誰にでも吠えかかっていくのだ。

 話し声は、風の音に遮られてはっきりとしなかった。が、程なくして男たちは互いにうなずき合うと、きびすを返して宿無しのいる辻に戻ってきた。宿無しは、思わず犬の胴を両手で押さえつけたが、男たちはそちらには目もくれず、辻を曲がって西の方角へ去った。砂煙は風に飛ばされて間もなく消えた。

 宿無しは犬から手を離し、再び筵の下に身を横たえた。黒装束の男たちが現れるのは、近頃ではそう珍しいことではない。そして、彼らが現れてから数日経つと、どこからともなく、都に住む誰かの姿が消えただの、ごろつきが堀に落ちて命を落としただの、あまり気分の良くない噂が耳に入ってくる。だが、宿無しはそういったことにはすっかり慣れっこになっていた。都の南とは、そうしたことが日常の一部として起こっている場所であり、それを承知で、皆暮らしているのだから。

 風に混じっていたあの音は、すっかり消えていた。



「そろそろかな」

 小さな明かりをひとつだけ灯した広間で、背後からの声に、入り口近くでじっと控えていたヤライは顔を上げた。

 明かりの側でヤライに声をかけた女主人は、真夜中だというのに化粧も落とさず、薄暗い部屋にもひときわ目立つ衣装のまま、床几にもたれかかっていた。

「ええ」

 ヤライは答えた。女主人が声をかける前から、外を吹きぬける風の音に、きしむ砂のような、耳障りなものが溶けているのを、ヤライは感じ取っていた。その音はやがて風から離れ、まっすぐに、彼女たちの屋敷へ向かってくる。

「離れには、どなたが」

「入口に師軸がいる。あいつがいれば大丈夫だろう」

「ですが、万が一部屋の中に踏み込まれては」

 女主人は片手を上げてヤライを制し、黙り込んだ。明かりを見つめていた目が、ゆらりと動き、焦点をなくす。口の中で何事かをつぶやいた後、にっこりと笑った。

「直接つかねの部屋には行かないよ。奴ら、正面から来るつもりだね。今、最後の辻を曲がった」

 ヤライは女主人の前に進み出た。真っ赤な爪紅を施した指先でヤライの肩を叩くと、女主人は言った。

「行っといで。怪我のないように」

 ヤライはうなずき、部屋を辞した。廊下には、数人の男たちが待機していたが、ヤライに気づくと、道を空けた。その中のひとり、まだ少年にも見える若い男が、気遣わしげに小声で話しかける。

「もしものことがあったら、迷わず助けを呼べよ。すぐ飛んでいくから」

「承知しました」

 誰もいない、広々とした土間に裸足のまま下りると、ヤライは板戸の陰で膝をついた。土間の奥から、見守る仲間たちの視線を感じながら、腰に下げている短い棒のようなものに手をかけた。



 どれも同じように見える家々が立ち並ぶ狭い路地を抜け、黒装束の男たちは一軒の遊屋の前でようやく止まった。明かりの消えた邸内の様子をうかがっていたひとりの男が、小さく他の男たちに目くばせした。標的は、確かにこの中で眠りについているようだった。

 板戸の隙間に針金を差し込み、鍵を外す。静かに戸を開けると、男たちは入り口の左右に分かれ、懐から短剣を取り出した。左右のしんがりを務める男たちは縄を構えている。家の者は殺してもよいが、女主人と客人の少女は生きたまま捕らえよ、というのが、彼らの受けた命令であった。

 入り口の左側に張りついていた男が片手を挙げた。と同時に、続いていた黒い影たちが音もなく邸内に滑り込む。壁際を伝って一気に奥の居室へ入り込み、女主人を捕らえた上で客人の居所を吐かせ、ただちに確保する、というのが彼らの作戦だった。

 と、先頭の男が低いうめき声をあげ、膝から崩れ落ちた。

「どうした?」

 倒れた男は右のすねを押さえたまま動かない。男につまずく形で、土間の入り口付近で足止めを食らった他の男たちは、そこにいる人影に目をこらした。

 その人影は、ひざまずいた格好のまま、ゆっくりと目線のみを上げた。小さな体躯は、まるで子どものように見えるが、顔は頭巾で覆われている。手には、細長い武器のようなものをたずさえているようだったが、それは男たちが構える短刀とは違い、先に向かって錐のように鋭く尖っていた。象牙のような光沢を持つその先から、したたり落ちるものがある。同じ色のものが、倒れた男の足からにじみ出て、土間に大きなしみを作っていた。

 見たことのない武器をたずさえた、小さな迎撃者――ヤライは、武器を胸の前で構え、驚くほどの速さで立ち上がった。指先から直接伸びているように見えるその武器は、男たちに、ある幻想をもたらした。はるか昔、この国が統一されるずっと前に、国の始祖であり絶対的な支配者である「鍵主」に造り出された、闘いのみをその存在意義とする一族があったことを。人が体の中に持つ鍵を変化させ、常人を超えた力を与える鍵主によって、並外れた力と俊敏さとを授けられ、更に体の一部を武器として使い、敵からはもちろん、同じ国の者たちからも恐れられ、後に忽然と姿を消した、幻の「鍵替」のことを。

 自分たちよりもはるかに小柄なヤライの静かな視線に、男たちの足は釘付けにされたままである。だが、ここで逃げ帰ったところで、主の怒りを買って始末されるのは必定であり、過去にそうやってたくさんの同業者が消えていったことも、彼らは重々承知していた。だらりと下がっていた剣の先が、一斉に上を向いた。

 戦闘を見守る男たちに混じって、物陰から様子を伺っていた女主人の隣に、夜着を付けた少女の姿があった。ふいに、化粧っ気のない頬のあたりに、ひとすじ、血しぶきが飛んだが、それを器用に避けた少女は、ヤライが普段の控えめな態度からは想像もつかない素早さで刺客たちをひとり、またひとりと倒していく様を、表情ひとつ変えずに見つめ続けていた。

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