失われた日
太郎は毎月二十四日が嬉しくて仕方なかった。なにしろ、明日は給料日なのだから。もちろん、給料日当日も嬉しいが、入金があると同時に多くの金額が支出されもする。嬉しさ半分悲しさ半分といった気分になってしまうのだ。それに比べ二十四日は「明日は給料日だ。楽しみだなぁ」とわくわくした気分にひたっていられる。太郎はわくわくした気分を抱いたまま寝床に着いた。
そして翌日。
「さて、一時でも金持ち気分にひたってみるか」
と太郎はコンピューターをインターネットに繋ぎ、自分の通帳明細にアクセスした。ところが振り込まれているはずの給料分の数字がまったく見当たらない。
「おかしいなぁ。また銀行がトラブルを起こしたのかなぁ」
そうこうしているうちに出勤時間となり、太郎は出社した。
すると社内はあちこちで騒然としていた。
「給料が振り込まれてないんだ」
「俺もだ。困ったなぁ。クレジットカードの支払いも今日なのに」
そう、給料が振り込まれていないのは太郎だけではなく、会社の人間全員だったのだ。社員たちは経理部におしかけた。
「おい! いったいどうなっているんだ!」
しかし経理部の社員たちも途方に暮れていた。
「コンピューターには二十五日の午前〇時に自動的に給与が振り込まれるようにプログラミングされていて、いままでは何の問題もなかったんだが……」
そのときに誰かが叫んだ。
「おい、テレビを見てみろ。ニュースをやっているぞ」
太郎たちがテレビ画面を見ると、なんと全国でこの社と同じ現象が起きている旨を報道していた。つまり、すべての社会人に給料が振り込まれていなかったのだ。
そのうちに原因が判明してきた。今日は二十五日ではなく、二十六日だったのだ。新聞の日付もコンピューターのカレンダーも、今日は二十六日であることを示している。
「馬鹿な! 昨日は確かに二十四日だった。なぜ今日が二十五日じゃなく二十六日なんだ」
そうだった。理由はさっぱり分からないが、今月に限り二十五日がすっとばされてしまっていたのだった。これは世界的な現象だった。
もちろん困る人は大勢出た。たとえばプリンを製造販売している会社。二十五日はプリンの日でもあるのだ。売り上げを見込んで大量生産されていたプリンの多くが廃棄されるハメになってしまった。
また、二十五日は天神様の縁日でもある。縁日での収入を当てにしていた神社や屋台は商売あがったりと言った状態になってしまった。
しかし何と言っても困ったのは多くのサラリーマンだ。だが、ほとんどすべての会社が臨機応変に対応し、その翌日、翌々日には給料を支払うことが出来た。皆はほっと胸をなで下ろした。だが、まさかだが、来月も同じ事が起きるのでは……。
その翌月、給料日はなくならなかったが、今度は誕生日がなくなった。もちろん、誕生日は人それぞれだ。つまり、当事者だけが誕生日をすっとばされ、関係ない人はその日を過ごすことが出来たのだ。あり得ない話だが、実際に起きたのだから仕方ない。
誕生日を祝ってもらえなかったり、プレゼントを貰い損ねた当事者は残念がったり悔しがったりしていた。一方で喜んでいる人もいた。「これで歳を取らずに済む」と言うわけだ。だが、二月二十九日生まれの人が、誕生日が来なくても毎年歳を取るのと同じように、そういうわけにはゆかなかった。当たり前の話だが。
前の月が給料日、今月は誕生日が消えてしまった。来月はいったい何の日がなくなるのだろう……。人々は気が気でなかった。
そして次の月がやって来た。が、それは一日ではなく二日だった。月初めの一日が消えてしまったのだ。その月は四月だった。
「なんだぁ? エイプリルフールがなくなったってことかぁ?」
多くの人が拍子抜けの顔をしていたが、キリスト教国家は大騒ぎだった。その年の四月一日は復活祭だったのだ。復活祭の日が消えたということは、キリストの復活が否定されたことを意味する。キリストが復活しないことには人類は救われない。
そう言った内容のことが国際報道機関などを通じて世界中に流された。世界は陰鬱とした気分に包まれた。
そんな気分のまま、人々は眠りについた。
そして翌朝。カレンダーを見た人々は驚いた。四月二日のままではないか。前日めくり忘れただけでは、と新聞の日付やコンピューターで確認したが、間違いなく今日は四月二日だった。同じ日が二日続けてくるなんて!
だが、それは二日間では終わらなかった。その翌日も翌々日も日付は四月二日だった。幾度太陽が昇ろうと、やって来る日は四月二日だったのだ。
そう、キリストの復活がなくなって救われることがなくなった人類は、明日という日を永久に奪われてしまったのだった。