硝煙
説明が長いです。もう少し考えなければ。
嫌な臭いがする。きな臭くて、血なまぐさい。私が嫌いな臭いの一つだ。そんな臭い、もう二度と鼻腔に届くことなど無いと思っていた。
なのに。どうしてだろうか。
ここにはそれがある。
意識を底から引きずり出すようにして私はゆっくりと目を開いていた。
どこか見覚えがある天幕に私は目をぱちぱちさせ、記憶の中を探る。思い立って、そんなはずはないと身を起こせば、広々とした天幕の下で病人やらけが人やらが転がるように寝かされている。
かくゆう私もその一人だったのだが。
理解できない。どういう事だろうか。
ここは――『宿営地』だ。明らかに私が駆けた時代のもの。それは天幕にある剣と鉾を象った複雑な紋章に現れている。
夢――だろうか。『石像』になってから一度たりとも人で言う『眠る』を経験したことが無い身体であるのだけれど。
それとも。
薄ら脳裏に浮かぶのは『大魔導士』を名乗る少年の姿だった。何かをしたことはどうやら間違いないらしい。
「おぅ! 新人。気分はどうだ?」
新人。そう声を掛けられて私は視線を向けた。
私、だろうか。いや――そうなのだろう。手が肉を持って存在するのが分かる。軽く口の中に残る血の味。何をしたのか全く分からなかった。
「――ええと。あなたは?」
私は目の前の女性に声を返した。細い筋肉質の女性。髪は短く切りそろえられ化粧っ気など一切なかった。一見男性の様に見えるが女性と分かったのは辛うじて胸があったからかも知れない。
すこし驚いたような顔をした後、彼女は苦笑を軽く浮かべて見せた。
「お前――まぁ、いいや。あたしはお前の教育係でバニア。で、お前は自分の事覚えてるか?」
「――ええと?」
ここは本名を名乗った方がいいのだろうか。考えあぐねているとバニアはしまったと言いたそうな顔を浮かべて見せた。
「覚えてないのかよ? 頭強く殴った覚えはねぇんだけど――ああ。まずいな。まぁ、忘れてても後々思い出せば問題ないのか? 幸い大きな怪我はねぇみたいだし」
記憶が無いのは当たり前かも知れないけれどここに運び込まれた原因はバニアだろう。一体何があったのか知りたいが聞くべきはそんな事ではない。
「あの。今はいつの時代ですか? 今ここの宿営はどこで――」
言うとますます困ったようにバニアは肩を竦め、眉を寄せる。
「はあ――何言ってやがる? 根本から忘れたのかよ? ……面倒だな。別に知らなくていいだろ? あたしたちは所詮駒だし。やることをするだけだ――終わりを防ぐために。後は『聖女』に任せりゃいいんだよ」
「聖女」
それは――それが存在するとしたら私はやはり違うのだろう。別の誰かだ。どことなく分かってはいたけれど不思議な気分だった。
「そ、聖女様。この世界を救ってくださるんだとさ。まぁ、戦っているのはあたしらだけどな」
「……」
その言葉には棘があるように聞こえた。確かに戦っていたのは多くの兵だし民だった。彼女の言う通り私は高みの見物をしてた様に見えるだろう。時には戦況を見て残酷な選択も下さなければならなかった。
文句を言われて当然かもしれない。私は『聖女』としてはふさわしくなど無かったのだ。
「馬鹿言え――バニア」
突如として入って来る声に私は驚いて思わず弾ける様にして顔を上げていた。その様子にバニアは驚いたらしく不思議なものを見る様な眼で私を見ていた。
「大丈夫か? まじで」
視界に入って来るのは私の反応を見て驚いた――青年の顔。否、青年と呼ぶにはまだ幼さを十二分に残している様にも見える。
浅黒い肌。麻色の髪。黒い双眸。私が記憶しているその人より若干幼かったが間違えるはずなんて、なかった。
勇者――アリアナ。最後まで戦った私の戦友であり、婚約者だった人。もう、二度と会えることなどない。そう思っていた。
「――アリ、アナ――様?」
「え、あ。うん? バニア――この娘、大丈夫か?」
何故知っている。と言いたげな顔で返事をすると困ったようにバニアに視線を投げた。バニアは『大丈夫だろ? 多分』と無責任に付け加えている。
「それに知ってるのは当然だろう? 自己紹介なんてしてなくてもさ。あんたはこの小隊を纏める小隊長なんだから」
小隊長時代――と言う事は。と私は感傷を打ち消し、必死に記憶の中をまさぐった。まだ、勇者とも何とも呼ばれてない時代だったように思う。確か私と会ったのはこの頃だったと記憶しているのだが。
私は考えた後で顔を上げ、二人を交互に見た。
「……あのっ、イルワンデールの滝には――」
イルワンデールの戦。
前後に起こった小規模な戦を介して私たちは出会った。戦い自体は本当に小さな小競り合いだつたのだけど、この滝が重要な意味を持つ。
――人類の『駒』を選定する重要な場所だったのだ。
つまりは選定された『人間』が『魔王』より先に死ねば人類は終わりを迎えると言う選定の場所。選定された人間はその代わりに多大な『力』を得ることが約束されていたが、それは『人間』を超えていくことだった。
どう超えていくのか私には分からないが、その力が無ければ『魔王』を滅することは出来なかったことは確かだ。
ちらりと今のアリアナ様を見れば、不可解な顔を浮かべて見せている。
「ええーと。ああ。死霊が発生したとかいう? 問題ないらしいけど……いま、浄化してるんじゃないかな?」
死霊とは読んで字のごとく死んだ人の――もしくは動物の霊の事だ。実体を持った霊。魔力が強かったり、死して魔力に干渉されると実体を得て徘徊する。彼らは考えることをせず『生者』を襲うのを習慣としていた。その為に『敵』の先兵として大量に導入され、主に一般兵士が戦うのは死霊だった。
ちなみに一時的な無効化はできるが本当に消すことができるのは――。
私が持つ『浄化』の力。――もうそれを扱う者は私しかいない。それを以て私が『聖女』と呼ばれる所以だった。
そんなものになりたかったわけではないけれど。
「あの女、一人で行ったのかよ?」
「もちろん護衛も行ってるだろ」
軽く言う言葉に私は少しだけ後ろめたくなって目を反らした。
そう。護衛もいることはいるのだ。しかしながら私は其れを連れていなかった。撒いたと言うわけではなくいなくなっていたのだ。あの後でとても怒られたけれど。
「アーゼル?」
「おい! アリアナ!! いるか?」
突然慌ただしく男たちが入って来た。ずかずかと病人の間をかまうことなく、こちらに向かう。その誰もが完全装備。剣やら槍を持ち鎧を身に着けていた。
その誰もに見覚えがある。名前は確か『ケスナ』『ザクロディン』『バイライ』だ。皆昔から私の警護を務めてくれた男たちで同時に教育係でもあった。
懐かしい顔。何度目かの戦で死んでしまった彼らが生きているのは当たり前だとは思う。しかしながらそれでも嬉しいことだった。
何事か。誰もがぎょっとした顔を浮かべる中で、アリアナ様は小首をかしげて見せた。この時点でアリアナ様は相当の実力者だ。何かあればアリアナ様に頼るのが当然のようになっている。それをアリアナ様は不思議にも思わないようだった。
「何だよ? おれは可愛い新人の見舞いに来てるんだけど? 何かあったか?」
どこが可愛いんだよ。顔が――と言った年若いケスナの声を遮ってバイライが厳しい顔つきのまま口を開く。
「それが。どうやら姫様がお一人で滝の方まで行かれて――見失い」
ついでに言えば私は『姫様』とも呼ばれている。それはもう滅んでいる小国の王族であったためだ。勿論祖国の人間しか呼ばないが。
「はぁ? あの女馬鹿なのか?」
苛立しく言うのはバニア。聞いたとたんにすっ、と立ち上がり身を翻すのはアリアナ様だった。
ほぼ無意識に手を伸ばし、私はアリアナ様の袖を掴んでいた。それに驚いて私は慌てて離す。アリアナ様は少し首をかしげて私の言葉を待っているようだった。
「――いかれるのですか?」
行ってほしくない。と私は思ってしまっていた。思った所で意味はないと言うのに。世界は変わらない。変えてはいけないし、世界は救われなければならない。
分かっている。私は世界を救うために生きたのだから。
でも――と迷う。
それはアリアナ様で無ければいけないのだろうか。元々そう選定されるのは『私』のはずだったのだから。
それを為さなかったのは……私の弱さからだった。
今でも悔いているのだ。他人に押し着けたことを。チクリと心臓に刺さった棘は今でも消えない。アリアナ様は笑っていたけれど。
「うーん。仕事だからなぁ。本当に大丈夫か? 変だぞ? アーゼル」
私はぼんやりと自身の掌を見つめた。
魔導士は――言った。『結果は変わらない』と。だったら、やってみるのもありのではないだろうか。
今度こそ。
「んでも、あの女の御守じゃねーだろ? お前は、俺たちの御守だろ?」
「うるさい女だな――ってか、女か? 少しは姫様を見習え、行くぞ。アリアナ」
言ったのはザクロディン。『なんだと?』とバニアが殴りかかりそうになるのをアリアナ様が困った顔をして止めている。
「まぁ、実質俺が一番強いから、仕方ないだよ。言うなら弱いこいつらに――」
アリアナ様が悪びれもせずそう言っている横で、護衛は苦虫を潰したような顔をしている。それを無視するようにして私は意を決したようにゆっくりと立ち上がっていた。
まっすぐに視線をアリアナ様に投げる。
「アーゼル?」
「私も行かせてください」
震える声で私は言葉を吐き出していた。




