秘密
清浄な空気が森に流れている。見上げれば木漏れ日がキラキラと輝き、鳥たちが楽しそうに囀っている。
あれからどのくらいの距離を移動したのか私には分かららなかった。どこまでも続く緑はとても豊かで平和。話しには聞いていたけれど、それだけでとても嬉しかった。この眼で見ることは無いとそう思っていたから。
「森――私が居た所とそう変わらないですね」
どうやらこの森を目指して馬車は走っていたらしい。何の変哲もない――言ってしまえば私が居た所とさして変わらない森だ。何日もかけて移動する必要がどこにあったのだろうか。
数日の移動と輪をかけて山道を歩いているため疲れがたまり、愚痴っぽくなってしまう。
前を歩く魔導士の年若い護衛に声をかけてみれば不機嫌な顔で振り返った。ちなみに魔導士は有り余る体力で先に行ったらしい。
「だよな。魔導士様の考えることなんて分けわかんねぇス。何でまた森に来なきゃいけねぇんスカ? ――つぅか、ここどこだっけ? ルーラン」
問うともう一人の護衛が小さく折りたたまれた地図に目を落とす。その表情に変化はない。と言うか変化したところを見たことも無い。
「ああ――確かイワンデールの瀧の近くだと思うが?」
「イワンデール?」
私は眉を小さく跳ねて辺りを見回した。――当然だけれどあの時の痕跡はどこにも感じられない。木々は多い茂りすべてが生きている。地形なんて覚えているはずなかったけれど、何となく私は一歩足を踏み出していた。
『何か』があるようなそんな気がしたのだ。
これもあの時の感覚に近いのかもしれない。
「ちょっ」
後ろから引き留める様な声を無視して、無い道をかき分けて私は進む。スカートの裾が木の枝に引っかかったけれどそれを無理に引きちぎり前に進んだ。
何かがある。何かがいる。
また――あの怪物なのかもしれない。それをどうしても確かめたかった。
「こっち――」
刹那――私の足元が掬われた。ぐらりと傾く身体。地面に何もないと気づいた時には遅く、私の身体は崖を滑る様に落ちていく。幸いにも崖は低く私の身長ほどで大したけがはないけれど――痛いのは間違いない。
むき出しの膝は皮が捲れ血が滲んでいたし二の腕には小枝で傷をつけたらしく切り傷が幾つも付いていた。
おまけに身体の強打で全身が酷く痛む。
「……っ」
私は落ちた崖の上を見上げるが見失ったらしく誰も居ないようだ。すこし遠くから呼ぶ声が聞こえるけれど声を出す元気がない。
困ったな。
痛みをこらえながら小さく息を付いて辺りを見回す。そして見つけたものに――ああ。と声を出していた。
忘れもしない。
あの洞窟入口があったのだ。それは相変わらずで、まるで時を止めていたかのよう。その奥には暗い空間が広がっている。
「あの、中」
ぐっと私は身体に力を込めていた。立てる。――行ける。行かなければならない。何故かそんな思いに駆られながらずるずると身体を引っ張り、一歩をゆっくり進めていく。ただそれはとても遅く辛かったけれど。
「何、をしてる?」
誰の声でも良かった。それはとても邪魔で雑音にしか聞こえないほど苛立たしい。私は声の主に目をやることなく口許を開いていた。
「行かないと。いけないんです」
「何故です?」
「待ってるから」
――多分。誰がとか何かとか分からないけれと。待っている気がする。あの怪物かもしれないしもっと『別』の何かかもしれない。
でも行かなければならないのだ。
声はクスリと笑みを落としたようだった。それが余計な苛立ちを募らせる。
「誰が」
いい加減にしてほしい。痛いし疲れているし。身体は動きにくいし。本当は一歩だって動きたくないと言うのに。私は喘ぐようにして声を出していた。
「少し黙っていてもらえませんか? 私歩くのに精いっぱいなんで」
「……肩を貸してほしいと素直に言えばいいんでは? 自分自身の願いはほんとされませんよね――昔から」
昔。っていつ頃だっただろうか。数日前を昔と言っただろうか。しかしその口調はどう考えても『昔』の私を知っているそれで。考えながら私はゆるりと首を動かしていた。正直に言えば首を動かすのも痛い。
けれど。
「……アリアナ……様?」
私はぼんやりと呟いていた。




