最後
「なにを」
震える声。剣にめり込んだ血まみれの手を意に返す様子も無くアリアナ様はまっすぐ私を見つめている。
怒っている。けれど。そんな事より。
ぐっと剣を引こうとしたが動かない。無理に動かせば指が亡くなってしまうかもしれない。私は泣きそうな顔でアリアナ様を見た。
「放して下さい。手が――」
私の言葉を遮るようにして口を開く。静かに。呟く様に。それでも聞こえるのは近いからだろう。
「どうして、分からないんだ? 俺は皆の為に生きてたわけじゃない。世界の為に生きて来た訳じゃない」
私の肩に頭を置くアリアナ様の表情は見えなかったが泣いてるようでもあった。それがなぜか小さな少年の様に見えて、ポンッと軽く背中を撫でれば小さく肩が跳ねた。
同時に軽い音がして剣が地面に転げ落ちる。
「――皆、そうでしょう? ユーラシエは自分の腕を試したかったからだし、家族、友。恋人を護りたかったと言うのも聞きます。見ず知らずの『世界』に命を捧げる人なんていませんよ」
私は『国民』を護りたかった。今はもうそんなものは存在しないけれど。それが私のあり様だったから。私は『そう』で無ければどうしていいのか分からなったから。それはやがて世界を救う事と同義語になってしまった。
そうすれば私の国民は生きる。僅かでも――。
でも今は、この人を助けたい。何よりも誰よりも。殺したくはない。死なせたくない。
「あのひとが残した世界を人々を守ることはできませんか? ――その命を使って」
私はゆっくりと宙を見上げた。微かに空間がある。きっとそこからカノールは私達を見ているのだろう。
「カノール。生きてますか?」
「何とか――。まぁ、風前の、灯ってやつ? で? 死ぬの? 殺すの? それとも」
私はちらりとアリアナ様を見た。相変わらず表情は分からない。ここは先ほどの様に私が死ぬことがきっと約束的に正しいのだろうけれど、それが本当にアリアナ様にとって正しいことなのだろうか。もちろんアーゼルに取っては間違った選択だけれど。
アーゼル。
考えて、ふと、呟いていた。
「……魂を抜くことはできますか?」
「は? 死ぬ、とかで無くて? できなくは、無い――ケド」
「『この身体』は死にません。魂を抜いてください――『私』の」
私が居なくなることで死ぬはずはない。忘れていたけれど、私はこの世界の人間では無かった。そう言えば。あの後だってアリアナ様は健在で――子供だって居たのだから。
歴史が変わることは無い。
大丈夫。きっと。
アーゼルは仮にもアリアナ様の部下だ。知らない仲でもでも無いだろうし――信じたい。私の願いが通じることを。
それは賭けでもあるが。
「そうすればカノールと約束した私は居ないでしょ?」
アリアナ様はゆっくりと顔を上げていた。表情なと無いその顔にニコリと笑いかけた後で血まみれの手を取った。
冷たい――痛いはずなのだろうけど。ピリッとスカートの裾を破りくるくると巻き付ける。今はこれしか出来ないのが悔やまれる。
手を離そうとしたがアリアナ様は力強く握りしめていた。微かに震えている。
「何を言っているんだ? お前は? それは『同義語』だろう? 死ぬこと――どうして」
「分かりますよ。――分かります。そして、申し訳ないと思います。本当に。けれど。これが一番ですから。元々ここに居るべきではないのですから」
元居た場所に行けるかどうかは分からないけれど。
「そんな事――はないだろ?」
「『アーゼル』にごめんなさいと伝えてください」
「独りにしないでくれ」
「しませんよ。皆います――皆あなたの力になってくれます。私と同様に皆、あなたが大好きなのですから。そんな事を無下にできるほどアリアナ様は子供ではないでしょう?」
こうしていると子供のようでもあるけれど、本来のアリアナ様は自身が皆にどう見られているか知っている。それを外れないように、期待に添う様に生きて来た人だ。真面目で強く。勤勉で優しい。そう言う人。多分生きて戻れば泣きながらその役割をこなすだろう。
だが近い物はそれを知っているので無茶振りはしないだろうけれど。
皆も優しいのだ。
アリアナ様はぐっと口許を結んで見せた。頭では分かっているのだろうと思う。
「俺は――」
「さあ、時間です。いずれまたお会いできる日を楽しみに」
艶やかに笑うと、私は口の中で『カノール』と転がしていた。




