幸福
「幽霊でいいから。立ってくれ」
「……」
言われてノロノロと足に力を入れた。ゆるりと首を回せば視界に剣が入る。
「どうして?」
ぼんやりと尋ねてみればアリアナ様は苦笑を浮かべて見せた。顔色は悪く疲れた様子だ。その目には光が灯っていないように、覇気がないように感じられた。
勝った――その高揚はどこにもない。
「さぁ? 俺は死んでいるのかも――。そんな事より無事で何よりだ。バニアなんてここに来たいと聞かなかったからな」
「バニアさんは無事なんですか?」
「生きてる」
苦虫を潰したように言う言葉。しかしながら素直に『良かった』とは言えなかった。多分雰囲気からして五体満足とは言えないのかもしれない。それはおそらく私の所為で。
きゅっと口許を強く結ぶ。
「そうですか」
そう言うものだ。とアリアナ様は優しく頭を撫でにっこりと微笑む。それがとても温かくて嬉しいと思ってしまった。
「さぁて。そろそろ終わらせようか」
よく分からなくて私はアリアナ様を見た。何だろう。酷く笑顔が歪な気がする。何となく『狂っている』と言った方が正しいかもしれない。
思わず一歩後退していた。
これはアリアナ様なのだろうか。
「アーゼルは俺を殺すためにここに居たんだろ?」
「え?」
「魔族から聞いた――殺してくれるんだろ?」
言いながらアリアナ様は落ちていた剣を手に取って鞘を抜く。その笑顔のまま一通り刃を確認した後で私に『ほら』と渡した。
重く伸し掛かる剣。それはいつもより酷く重い。銀に光る刀身を見た後でアリアナ様に目を向ける。
「ま、まってください。私は――」
混乱する。カノールから聞いていたと言うのもそうだけれど――アリアナ様が『それ』を望んでいることに。
アリアナ様は混乱している私に優しく笑いかけた。それこそ子供にそうするようにして。
「約束は果たすものだ。自ら望んだとすれば尚更。――俺はお前になら殺されてもいいと思うよ?」
「待ってください。私は殺したくなど――そもそも来ないと思っていたから、約束をしたのです。私は――」
私は。何が言いたかったのだろう。分からなて口を噤んでいた。
でも。確かに約束は約束だ。違えることは良くないことだし、反故にした結果何があるか分からない。きっと何かはあるはずだ。それに関して聞いていなかったのを悔やまれた。
――殺したくなんて無い。
「でも――来ただろう? アーゼルの為に」
違う。それはきっと『私』の為なのではない。と感じていた。きっと『心配』していたのは本当。『助けたい』思っていたのも本当だろう。本当に優しいから。でも。
ここに来たのは『死にたいから』だ。
私のためなどではない。それがとても悲しく感じられた。本来――来てくれたことに感謝して喜ぶべきで、そんな事を思うべきではないかもしれないけれど。
けれど、涙さえ浮かばない。
私は虚ろに剣を見つめた。
「アーゼル?」
「……私は、『死にたい』人を助ける気はありません。それに――万人の命の上に立って何故『死にたい』などと言えるのでしょうか?」
ピクリとアリアナ様の眉が跳ねる。そう。本来であれば絶対に『そんなこと』を望まない人だ。なにもかも受け入れて笑って生きる。今回だって本当は拾った命と生きることに使ってしまうだろう。人の為に。そんな人。
私はそんなアリアナ様が――好きだった。
「約束をしたのだろう? なら」
「そうですね――カノール」
私は先ほどから黙りこくっているカノールを読んでいた。声は聞こえない、その代り空間が微かに揺らめく。居ることは居るのだろう。
すうっと私は息を吸い込む。
「『私』が死ねばどうなります?」
「ぜっ、対、えら、ばないと思ってた」
声が上ずっている。少し息が荒いだろうか。本人が言う様にやはり死にかけているのかもしれない。先ほどまで元気だったのに。
敵だけれどそれは少し悲しいような気がした。
「そう、だな。あんたと、約束したん、だし。あんた、が、居なくなれば――約束、自体はきえ、る。けど、えらぶのか?」
私は目を落とす。
――選べばアーゼルが死んでしまう。けれどアリアナ様を殺すことはできない。
私は眼前で真っ青になっているアリアナ様に目を向ける。それを見て何か妙に納得した私が居た。
「おい、まさか」
もしかしたらアリアナ様もこんな気分だったのかもしれない。すがすがしいような。悲しいような。寂しいような。
にっこりと笑って見せた。
「私は。きっとアリアナ様を助けるためにここに居るんです。死んでも助ける。その為にここに居るんです――だから」
アーゼルに申し訳ない気分でいっぱいだけれど、心を変える事はできない。助けるなら何度でも。
その代り痛みも何もかも私が引き受ける。当たり前だと怒られるだろうけど。
幸福な死を。
「まて、死ぬのは俺で――」
私は頭を振って見せた。殺しはしない。アリアナ様は――私に必要だ。世界の為にという気はない。私が生きていて欲しいと願う。ただそれだけ。アリアナ様らしく。
くいっと私は刃を首に軽く当てる。後は強く引けばいいだけだ。
「家族に伝えてください。申し訳ありませんと――罪はすべてこの私に。あ、動かないでくださいね? あまり身体に傷を付けたくはありません」
出来ればきれいなままで、返したい。下らない事かもしれないけど。私はゆっくりと目を閉じていた。
ドクンドクン。生きている音が聞こえる。
でももう終わりだ。それは悲しい事だけれど。
「待てっ!」
ぐっと手に力がこもる。しかし『それ』が成される事は無かった。ポタリ、ポタリと血が地面に落ち、ゆっくりと広がっていく。その元を辿れば。
私は声にならない悲鳴を上げていた。




