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幽霊

 言わないけれど。


 ともかく、バニアの事は分からないし信じることはできない。消すのは決定事項なのだから。


「……して、私は誰の餌だと言うのですか? まさか『魔王』の?」


「喰うばかりが餌ではないでしょ? あ――夜伽でもする? 『ここ』まともな女少ないし――」


 そもそも『人型』を保っているかも怪しいだろうけど、冗談ではない。借り物の身体で――いや、そう言う事だけでも無いんだけれど。


 私は言葉に被せるようにして声を発していた。


「お断りします」


 言うとカラカラと笑う音が響く。


「拒否権は無いんだけど。――まぁ、いいや。今回『聖女』様に来てもらったのは『勇者』を殺すためだ。どうせあいつらここに来るだろうから。その為の餌だ」


「……意味が分かりませんが?」


 一兵士だ。沢山の者を手放しながら立つアリアナ様に私が何の役に立つと言うのだろうか。まさか、力を持っているがゆえに『助けに来る』とか思っているのだろうか。それなら失笑ものなのだが。


 大体『オルガ』を捕まえた方が早い。まぁ、それができないから私を狙ったのだろうと言う事が透けて見えた。


 馬鹿馬鹿しくてため息一つ。


 アリアナ様は私を助けにこない。それは決定的な事。その現実に少しだけ何故だか分からないけれど涙が出そうだった。


「本当の聖女様でどうぞ。――帰していただけるとありがたいのですけど?」


「来ると思うけど。だって聖女だろ?」


 何故信じて疑わないような声を出すんだろう。馬鹿なのかもしれない。この『声』の主は。頭が痛くなってきた。


「あの――ですね。私は一兵士。力はあるけど特にアリアナ様に影響力は持ってないし、ただの部下ですので」


「だな」


 分かってなさそうな返答に米神を押さえていた。


「……分かったところで帰していただけませんか?」


「だめ。俺が何の勝算も無く連れてきたと思う? ある程度の確信があって連れて来たんだけど?」


 確信。何をどういう確信なのだろうか。私にもある。確信は。――来ないと言う確信。けれどその確信はあまりにも悲しくて私は半ば八つ当たり気味に虚空を睨んでいた。


 その光景を見てなのか声は楽しそうに喉を鳴らして見せた。


「ようやく感情らしい感情が出たか――うん。いいよ。賭けをしよう。俺は奴が来ると思うしあんたはその反対だ。俺が勝てば――そうだな。あんたに『勇者』を殺してもらう。来なければ――自由だ」


 私は一瞬自身の手を見つめていた。もはや慣れ親しんだ滑らかな掌。おそらく――おそらくこの手がアリアナ様を殺すことは無いだろう。できないことだ。


 魔族が約束を守ると到底思えない。けれど。取引するしかここを出る方法は無い気がする。非力な身体。人が生きるのには不向きな北の地。そして死に絶えた世界。


 私には『自殺』すると言う選択肢なんて無かった。


 すうっと私は冷たい空気を吸い込む。


「――分かりました。良いでしょう。付け加えてそれまで私に手を出さないでください」


「保身か」


 あざ笑うかのような声。別にそうなのだから苛立たしくも無い。『それ』の何が悪いのだろう。正確には『身体』の確保だけど。


 すっと背中を伸ばす。


「何を言われても構いません――くれぐれも言葉を違えぬように」


「いいだろう」


 すうっと空気に溶けるようにして現れたのは男女の区別がつかないものだった。中性的なと言うより『人』とはやはり違う。文字通り陶器で出来たような肌は叩いたら割れそうに思えた。


 私はこの人を知らない。記憶の断片にも残ってはいなかった。忘れているだけなのだろうか。


 ニッと赤い口が歪む。


「その日まで好きにすると良い。欲しい物も食事もすべてそろえてやるから――名前は『アーゼル』でいいか?」


「そのように」


 そっか。と興味もなさそう呟く。


「俺はカノール。まぁ、頼むよ」




 あの日から、どれ程の日々が経ったのだろうか。夏も冬も時さえも感じられない牢獄のような部屋。ただ聞こえてくるのは嵐のうめき声だった。


 怖くて眠れなくても。悪夢にうなされても、『私』は此処から去るわけにはいかない。毎日起きるたび『ここでは無かったらどうしよう』という不安に襲われるがいつもの部屋で安心する。


 鍛錬から始まり、本を読んで部屋の掃除をして――また眠る。そんな規則正しくかつ倦怠な生活を送る日々。こんな事をしている場合ではないのだけれど。苛立つ心に蓋をして、私は相変わらず固いベッドの上に寝転がると祈る様に目を閉じた。


 最終的にこの城に乗り込むのは七人。そして魔王の前に立つのは私とアリアナ様だ。兵士は白の外で踏ん張って戦い――どれほど生き残ったのだろうか。劣勢に立たされていたことは確かで私達は一刻も早く『魔王』を倒す必要があった。あのまま続いていたら『負け』だ。勝実に。


 私は身を起こすとベッドの上に投げてあった本を手に取った。昔偉い人が書いた兵法の基本。机の上には私には扱えない魔術書が転がっている。まぁ、使えなくとも勉強にはなる。


「ええと――」


 どこからだっただろうか。パラパラページをめくっているとドンと何かが壊れる様な鈍い音が辺りに響いていた。大きい――。それは建物の中心部から聞こえてくるように思えた。


 パタン。本を閉じ、私は閉じられ開くことのないドアに耳を押し付けた。


 壁自体は厚くないらしい。壊せるかもしれない。試みたが特殊な魔術がかけてあるらしく――寒さもしのぐため――壊すことは出来なかった。カノールに爆笑されたのは今でも少し腹立たしくおもえる。


「――?」


 パタパタと音がする。慌ただしく。ここはカノール以外誰も通らないと言うのに。と言うかカノールでさえ歩くことをしない為足音が響くなんてことはまず無かった。


 まさか。


 ドクンと心臓が一度鳴った。


 まさか。この城が落ちたのだろうか。もう――私自身は何もしないままで。私はずるりと壁を滑る様にして力なく座りこんだ。


「……カノール。いるのですか?」


 最近気づいた。呼べは答える。と。私は力なく『それ』を呼んでいた。


「ん、ああ。ちょい死にかけてるけど? 容赦ねぇな。大魔導士って。城の中で最大火力ぶっ放してきやがった。仲間を殺す気か? 魔族かあいつ?」


 光景が目に浮かぶ。まぁ他も避けると踏んでいたのだろう。避けなければ死ねばいいだけと真顔で言う人だ。謝りもしないだろう。


 ブツブツと文句を垂れ流すカノール。私はそれを静止するように声を出していた。


「魔王は――?」


「……察しの通りだろ。本当にやる気なかったからなぁ。その役目を放棄してたから半ば――仕方ねぇって言えば無いんだろうけど」


 察し。ではそのまま私と消えたのだろう。この世界から――。アリアナ様はどうしているだろうか。やはりもう『居なくなって』しまったのだろうか。悲しみの中でアリアナ様も居なくなってしまったのだろうか。やはり。


「悲しくはないのですか?」


 まるで代わりに泣くのを、悲しむのを確認するように私は見えない男の姿を探していた。悲しかったら泣けばいいのだし、悔しかったら喚けばいいのだけれど――それができない。どうあがいてもそれが出来なかったのだ。お門違いとは思うのだけれど、誰かが代わりに泣いてくれれは晴れる様な気がした。


「何で?」


 どうやらそれは無理らしい。本気で思ってそうな声に気分なんて晴れることなどない。憂鬱な気分を心の奥に留めて私は宙を見た。


 少しだけ空気が揺れる。どうやら笑っている様であった。


「さぁて、どう出るか? 我が君が消えようが消えまいが約束は果たしてもらわないとな」


 カタン。音がしてなじみの剣がいつの間にか床に落ちていた。スラリと鞘から抜けば整備されていたのか刃こぼれ一つない。


 私は確認し鞘に刃を納める。きっとコレを扱う事はもうないだろう。


「ここに居ることは知っているはずだし」


「来ませんよ。魔王を倒した以上来ることはできません。ですので自由にさせていただきます」


 魔王が死ねば必然と死んでしまう。その運命。――せめて丁寧に埋葬したい。次はこの世界ではなくもっと平和な時に生まれてくるように願いながら。

 私は動くはずの無いノブに手をかけていた。


「そう、思うじゃん? けど――」


 そう言えばこの扉はどちらに開くのだろうか。押して開くのだろうか。引くのだろうか。今更少し考えてしまう。


 とりあえず押す――。


 ぐっと力を込めた刹那――。


 扉が乱暴に押し開いた――反対側から。そのおかげか私は壁と扉の間に挟まれそうになってしまう。間一髪。身体を必死に反らし難を逃れたが挟まっていたら死んでいたかもしれない。隙間はもはや成人女性が収まるサイズでは無かった。


 一体何があったのか分からないまま、私は腰が抜けてしまった身体を無理に立たせていた。


「はい、負け」


「はい?」


 嬉しそうな声。意味が分からない。ともかく足が立たないので必死に立たせているとフワリと肩を担がれる。


 泥と埃。血の匂い。冷たい肌に顔を上げてみればそこにはよく見知った人物が両眼に映る。


「済まない。遅れた」


「……ゆうれいがいる」


 すべてが停止した。何もかも。私の心臓は動いているだろうか。思考すら停止しかけた中でなぜかそれだけが思いついた。


 黒い双眸が私を困ったように覗き込む。


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