望むべくは隕石
窓の外の校庭を眺め、ふと、隕石でも落ちないかなあと思った。
俺の名前は黒木纏、高校二年生だ。部活に入っていないにもかかわらず成績は学年最下位。得意なことといったらゲームくらいのもんだ。
昨日全国模試の結果が返ってきたが、偏差値は42だった。ここは地区トップの進学校だから、受験を突破した俺も優秀な部類だったはずだ。だが今となってはいわゆる落ちこぼれってやつだ。
隕石が落ちてこの世界が滅びれば、勉強も受験もなくなる。俺はこの世界にたいした未練はない。心残りがあるとすれば童貞ってことくらいだ。
今日の天気は雲一つない晴天。一応まだ梅雨だよな。こんないい天気になんの希望も見出せないけど、眠気だけはしっかり運んでくる。仕方ないだろ、人間は三大欲求には抗えない。
「おい黒木! 何寝てんだ!」
「いてっ」
頭が沈みかけていたところを教科書で小突かれた。明るい茶髪、180cmを超える身長でやけにガタイのいい37歳の国語教師、うちのクラスの担任の島本さんに。というか教師としてどうなんだ、その髪の色は。
「黒木、寝るならちゃんとバレないように寝ろよ。そういうのも生きる術だからな」
「……今度から気を付けます」
島本さんは授業中居眠りしてても軽く流してくれる、ありがたい先生だ。いや、でも今のは痛かったな。教科書の角って結構硬いんだよな。
「さてはいいおかずが見つかったんだな? 昨日何発抜いたんだ?」
島本さんは俺の耳元でささやいた。
「いや抜いてませんよ。なんで抜きすぎて寝不足だって決めつけるんですか」
俺も周りに聞こえないように小声で返した。
「纏! 昼飯買いに行こーぜ!」
島本さんの授業が終わって早々、桜井が話しかけてきた。
桜井優人。この学校で俺が唯一友達と呼べる人間だ。いや、この学校に限らずか。中学のときの同級生は誰の電話番号もラインも知らないし。
身長は182cm、短髪のさわやかなイケメン。勉強も運動もでき、友達は多く女からはモテる桜井は、俺の知っているかぎりもっとも完璧超人に近い人間だった。ちなみに俺の身長は162cmだ。
女子に話しかけられてちょっと喜んでたら、桜井にラブレター渡してくれっていう話だったこともあるし。
「……おう、桜井」
「まだ眠そうだな。つーかさっきの島本さんじゃなかったらヤバかったぞ」
「俺も寝る相手は選んでる」
「何そのヤリチンが言いそうなセリフ!?」
「あいにく童貞だけどな」
あっ。
目が合ってしまった。白沢ゆりと。
俺は前髪で右目を隠してる。いや別に、右目に秘められた力を封印しているわけではない。アシンメトリーってやつだ。他人と目線が合いづらくなるから、この髪型は気に入っている。
でも俺の左目と白沢の視線が確実に2秒以上合ってしまった。そこから必死に不自然にならないように目をそらす。
白沢ゆり。一年のころから俺と同じクラスの女子だ。ややつり目がちの瞳に人形のように整った顔立ち。そして黒いロングヘアに一直線に切り揃えられた前髪。おまけに胸が大きい。あれはF、いやGはあるか? まあ俺は巨乳が特別好きというわけじゃないが。いや、本当に。
「どうしたんだよ纏? そんな神妙な面持ちで」
「いや……今日はなんのパンにしようかと」
「絶対嘘だろ!? とにかく早く行こーぜ! パンなくなっちまうよ」
「お、おう」
購買に着いた。いつものことながら人が多い。
列が俺の前の桜井まで回ってきた。チョコチップ、まだあるな。よく持ちこたえてくれた。
「焼きそばパンとメロンパン、あとコロッケパンで」
「350円ね」
「チョコチップパン1つ」
「100円ね」
「纏、そんだけでよく飢え死にしないな」
「俺は部活もやってないし省エネなんだよ」
俺はチョコチップさえあれば生きていける。
「えーっ、もう全部売り切れですか!?」
この場を離れようとしたとき、女子の高い声が聞こえてきた。
「あっ纏先輩に桜井先輩!」
こちらに気付いた、その声の主が俺たちに話しかけてきた。
「よっ外村さん」
「ねー聞いてくださいよ! もうパン全部売り切れだって! このままじゃあたし死んじゃいますよ」
外村茜。俺の中学からの後輩だ。二重まぶたの大きな瞳が特徴的な、少し赤みがかった茶髪のショートカットの小柄な女子だ。そのルックスはアイドル顔負けといっても過言ではないだろう。ちなみに胸は、まあノーコメントだ。いや、俺は別に巨乳好きではないから特に問題はない。
この外村と白沢が学校の二大美少女だと俺は勝手に認定している。
「桜井先輩、その焼きそばパン売ってくださいよ。このままじゃあたし部活で倒れちゃいます!」
「俺も腹減ってんだ。ダイエットと思って今日は我慢しなよ」
「うー、桜井先輩のケチ」
桜井が一瞬切ない顔をした。
「まっ、纏先輩! そのチョコチップパン半分分けてください!」
「いや、俺もさすがにパン半分じゃ辛いんだが」
「お願いですよぉ」
懇願の言葉とともに外村は上目遣いでこちらを見てきた。その目は反則だろ。
「わ、わかった。わかったよ」
観念してチョコチップを半分にちぎり外村に渡した。
「あ、ありがとうございます! このご恩は一生忘れませんっ!」
「……大げさだよ」
「纏先輩、本当にありがとうございますっ! あっ、桜井先輩また部活で。それじゃ!」
外村は半分のチョコチップを持って走っていった。
「はぁ、外村さんにパン1つあげればよかったかな……。ケチって言われたし……。なんで焼きそばパンくらいあげなかったんだろ俺……」
桜井が珍しく落ち込んでいる。それもそのはず、桜井は外村のことが好きだからだ。先月格ゲー三番勝負で、負けたほうが好きな女子を言うことを賭け、俺が見事勝利したときに聞き出した。
桜井と外村は同じ空手道部。どっちも異性に人気あるし、お似合いだとは思うが。
「ケチってのは冗談だろ、普通に考えて」
「そうかな……。でもその後纏が普通に分けてあげたし、やっぱ俺ケチだと思われたよ……」
俺は普段ほとんどと言っていいほど女子と接する機会がないから、外村にあんな頼み方されて正直嬉しかった。でも中学のときからあんだけモテてたんだから、彼氏の一人や二人いたことあるんだろ?
……ああ鬱になってきた。まあ外村に彼氏がいようがいまいが俺には関係のない話だ。
だから桜井、お前の恋路は存分に応援してやるよ。
買ったパンを持って屋上へ向かった。島本さんからもらった屋上の鍵は俺と桜井しか持っていない。だからここを使うのも俺と桜井だけだ。なかなか居心地のいい場所である。
長らく友達と呼べる人間がいなかったから、俺は味集中カウンターがなくとも味に集中できるというスキルを身に着けている。
だが桜井と昼を食べるようになってから、人目を気にしなくていいのは大分楽だと気付いた。
「そういや桜井、模試はどうだったんだよ。志望、九大工学部だよな」
「A判定だったよ」
「いっぺん挫折を味わいやがれ」
「いやいやいや、二年のこの時期のA判とかマジで安心できねーから!」
「万年E判の俺に喧嘩売ってんのかてめえ」
この学校は土地柄九大が第一志望という生徒が多い。だが桜井のようにずっとA判定を取れるのは一部の人間だ。
逆に俺のようにずっとE判定で志望校を落とさないのも一部の人間だ。
とりあえず桜井の食べかけの焼きそばパンを無理矢理口に押し込む。
「もががっ! マジすいません!」
性格がよくて容姿もいい。運動も勉強もできる。ここまで完璧だと嫉妬する気も起きない……わけではない。むしろ嫉妬しまくりだ。こんな自分自身が嫌だから、隕石が落ちて世界ごと滅ぼしてほしいんだ。
「ただいま」
「ああ」
父さん、珍しく今日は帰ってくるの早いな。放課後にヨドバシからバスターミナルとゲーセンをはしごしていたとはいえ、俺より先に帰ってるとは。早く晩飯の準備しないと。
食事は俺と父さんが日替わりで作ってる。母さんがいれば料理なんて面倒なことしなくていいのに。
俺の家に母親はいない。俺が小5のとき出ていってしまった。
今日は何にしよう。こういうときは簡単ですぐ作れる料理、野菜炒めが鉄板だ。豚肉、キャベツ、人参、もやし。玉ねぎは切らしていたが、まあ問題ないだろう。
野菜炒め一品だと少々寂しいが、父さんも文句は言わない。
「おまたせ」
「いただきます」
うん、出来は上々。
「纏、勉強の方はどうだ」
「まあまあだよ」
「全国模試、そろそろ結果が返ってきたんじゃないのか?」
「ああ、偏差値50くらいかな……」
タイムリーな話題。でも本当の偏差値なんて言えるはずがない。
「そんなんじゃ自分の行きたい大学には受からないぞ。絶対的な勉強時間が足らないんじゃないか」
50でもダメなのかよ。50ってちょうど中間、普通オブ普通だぞ。なんの不満があるんだ。いや実際はそれより8低いけど。
「あと1年半もある、なんて思っていないか。1年半なんてあっという間だ。今から勉強しないとあとで後悔することになるぞ」
ああ、うるさいなもう。父さんが口を開くといつもこうだ。自分が学生時代優秀だったからって、それを押しつけるなよ。
「……ごちそうさま」
「まだ残ってるぞ」
「今お腹いっぱいだからあとで食べる」
父さんと話しててもいらいらするだけだ。自分の部屋に行こう。
「纏、最終的に自分の身を守れるのは自分だけだ。将来の自分のために今何ができるかよく考えてみろ」
はいはいわかりましたよ。
野菜炒めは残して自分の部屋に戻り、PS4の電源をつけた。俺のストレス解消は一にも二にもゲームだ。
俺の生きる場所はやはり戦場しかない。世界ランカー、black_dresser様の実力を見せてやる。
俺のプレイヤーネーム、black_dresserはFPS界では少々名の知れた存在だ。CODとBF、二大FPSと呼ばれるゲームの世界ランキング30位以内に入っている。
だが3戦が終わって、結果は全敗だった。コンクエストだから一人の影響力は小さいとはいえ、キルレ7超えてんのになんで負けるんだよ。これじゃ逆にストレス溜まる一方だ。
さすがにやる気が失せた。腹減ったし晩ごはんの残り食べるか。
リビングのドアを開けると、知らないチンピラ風の男が立っていた。色黒の肌につり上がった目つき。誰だ、父さんにこんな知り合いさすがにいないよな。
「てめーのガキかァ?」
その男は俺の顔を見て邪悪な笑みを浮かべた。
鼓動が速くなるのを感じる。
直感でわかった。こいつはやばい。関わっちゃならない人種だ。
待てよ、やつが右手に持ってるのは……銃?
「よかったなァー今からパパが死ぬとこが見れるぞ!!」