3 逃亡
何度か街の角を曲がったところで、ようやくリザは走るのを止めた。後ろを振り返ってもあの女性が追いかけてくる様子はなかった。
辺りを見回してみるが背の高い建物が密集しており自分の居場所を確認することができない。目印の城も見当たらなかった。道を確認せずに走ってきてしまったため、迷子になってしまったようだ。
薄暗い路地はどこか不気味な雰囲気を醸し出す。建物に囲まれる圧迫感と、知らない土地に一人きりという事実がリザの心に不安を募らせた。
とにかく城が見える場所に移動しようと路地を歩きまわる。
「おい、あんたそこで何をしている」
表通りに出ることができず入り組んだ路地裏を歩いていると、背後から野太い声が響く。後ろを振り返ると、ローブ姿に深くフードを被った、190cmはあるだろう巨漢が立っていた。
「用がねーなら、とっととここから立ち去りな」
路地裏に大男と二人きり。リザが恐怖で喋れずにいると、フードを被った男は迷惑そうに言い放った。
「ご、ごめんなさい。立ち去りたいのはやまやまだけど、道に迷ってしまって……」
「道に迷っただぁ?」
思わず謝りながら迷ったことを告げると、男は大きく舌打ちをした。
「す、すみません」とリザは肩をすぼめて縮こまる。
「その格好……。はあ……仕方ねぇな。メイン通りまで送ってやるからついて来い」
「え? いいの?」
「ここはタリアンの中でも一番入り組んでる道だ。ウロチョロされても鬱陶しいからな」
口は悪いが意外と面倒見がいいのか、男の前を歩きだした。親切にも案内してくれるらしい。
「タリアン?」
「ああ。あんた、ゾルビアから来たんだろ?」
ゾルビアから来たと言われてもよくわからない。もしかすると、浜辺で会った金髪の男が言っていた3つの街の名前かもしれない。
「うん」
よそ者だと怪しまれないためにも、リザは取りあえず肯定することにした。
存外男は話し好きなのか、歩いている間リザに話しかけ続ける。
「タリアンに来るんなら、格好にはもうちょい気をつけた方がいいぜ。そんなぼろっちぃ恰好してたらゾルビアから来たと言っているようなもんだからな」
「……」
この男の言い方からすると、この華やかな街タリアンと違い、ゾルビアというところはスラム街のような場所なのだろうか。この島の嫌な一面を垣間見た気がして、リザは黙りこむ。
「そーいや、あんた名前は?」
黙りこんだリザに構うことなく、男は彼女に話しかける。
「……リザ。リザ=ロベッタよ」
「俺はダズ=ジーンだ。何か困ったことがあったら……」
男はダズと名乗りながらフードを取ろうとしたとき、路地裏に足音が響きわたった。ダズは警戒して辺りを見回す。足音はどんどんとこちらに近づいてきているようだ。
程なくして二人の衛兵と思しき人達がダズとリザの前に立ちはだかった。
「お前だな、ボロボロの服を着た髪の長い女は」
衛兵の一人がリザの格好を確認すると、腰に挿してある剣を勢いよく引きぬいた。
「怪しい女がうろついていると通報があった。同行してもらう」
先ほどの女性が通報したのだろうか。もしかしたら、街を歩いている人々が、リザを不審に思って通報したからかもしれない。
「何のことか分からないわ。人違いよ」
捕まったらよそ者だとばれてしまう。ここから逃げようと、いつでも走りだせるように腰を落とす。
「嘘を吐くな! どうせ物でも盗みに来たんだろう。その腰にある布袋を見せてみろ!」
「違う! 盗みなんかしてない!」
衛兵はリザの話しに聞く耳を持たず、浜辺で会った男から貰ったリンゴの入った布袋を取ろうと手を伸ばした。
「テメーらいい加減にしやがれ」
もう少しで布袋に手が届く瞬間、ダズは勢いよく衛兵の腕を掴むと思い切り捻りあげた。
「うっ」
「こいつはやってねーって言ってるだろ。事情もよく聞かずに決めつけるな」
「はっ、事情なんて聞かなくともわかる。ゾルビアの人間なんて……」
「っ……。てめえ」
衛兵は腕を捻られたまま吐き捨てるように言う。
ダズが腕を振りかざして衛兵を殴ろうとしたとき、もう一人の衛兵がダズに剣を向けた。
「腕を離せ。さもなくばお前も牢獄にぶち込んでやる」
「やれるもんなら、やってみやがれ!」
ダズは剣を向けられているにも構わず腕を振り下ろした。ダズの拳は彼が掴んでいた男の頬に見事に当たり、数m先まで吹き飛ばす。
「おい! ここは俺が何とかするから、あんたは逃げろ!」
ダズは前方の衛兵を睨んだまま、リザに話しかける。
「でも、相手は剣を持ってるのに……」
ダズの図体からしていかにも強そうだが、丸腰なうえ、相手は二人とも剣を持っている。とても勝てるとは思えなかった。
吹っ飛ばされた衛兵も、既に起き上がって剣を構えている。
「お前はバカか! 剣なんておもちゃのようなもんだろ。あってないようなもんだ! いいから逃げろ!」
ダズは怒鳴るようにリザに言った。
剣をおもちゃと言うなんて、よほど腕に自信があるのだろうか。自信満々な彼の声に、リザは自棄になる。
「捕まっても知らないんだから!」
そう言って、リザは来た道を勢いよく走りだす。
「そこはお礼じゃねーのかよ」
ぼそりとダズが呟くが、気にしている余裕はなかった。
「待て!」と後ろで衛兵が叫ぶが、振り返らない。何か爆発するような音が聞こえても、ひたすら走り続ける。
何故自分がこんな目に遭っているのだろう。今日が厄日なのか、船が難破した時点で人生下り坂になってしまったのだろうか。いや、自分の人生なんて昔からろくなことがない。
嫌なことを思い出しながらも、リザは必死に走り続けた。