雨の日のジャージと傘と恋心
ばしゃばしゃばしゃ
走る私の長靴が水溜まりを跳ね上げる。
雨はまだまだ止みそうにない。けれど、私は走らなきゃ。行くって決めたんだ。あの子のところに。
もう一本の傘と共に、御守りのように抱きしめるのは少し湿ったメンズのジャージ。
あの人のジャージだ。
これを握っていると、雨の中駆け出していったあの人の勇気がちょっと分けてもらえるような気がして。
ぎゅ、と握りしめる。じわっとまだ残る雨が染みだしてきたけれど、むしろそれが私を奮い立たせた。
あの子──私の弟は、血の繋がりはない。私とはもちろん、お父さんともお母さんとも。
実は、あの子は誰の子かもわからない。推定年齢三歳くらいのときに今も気にいって身に着けているぶかぶかのパーカーをずるずると引き摺って歩いているところを私の両親が見つけたのだ。
お父さんとお母さんは? と聞いても首を傾げるだけのその子を、当時の父と母は憐れんで、引き取ることにしたのだけれど……
お父さんとお母さんがあの子に優しかったのは、あの子が来て、たった三ヶ月くらいしか経たない頃までだった。
あの子は少し、異常だった。
当時のあの子は、全く感情を表に出さない子だった。
けれど、
人の心が読めた。
あの子は無垢で、無知で、何も知らなかったのだろう。だからきっと、思ったままを口にしたんだ。
「なんでおとうさんもおかあさんも嘘をつくの?」
「なんで心の中では"嫌いだ""痛い目を見ろ""消えればいいのに"とか思ってるのに、えがおで"ただいま""おかえり""いってきます""いってらっしゃい"を平気そうなかおで繰り返せるの?」
お父さんもお母さんも……私も、身震いした。
無垢な故に嘘がない弟の目に、恐怖を抱いたのだ。
そして、父と母のその反応は、暗にその子が口にしたことが真実であることを示していた。
実の娘である私がその事実に打ちのめされる前に、父と母は行動に出た。
今思えば、弟が告げた真実が現実であったことが滑稽に思えるほど、
あの子を罵る仮初めの両親は一致団結していた。
「お前なんか、息子じゃない!!」
「出ていけ! 拾ってやったのに、育ててやったのに」
「恩人を貶してそんなに楽しいか?」
「クズが」
「下等生物……いや」
「「化け物がっ!!!!」」
殴る、蹴る、首を絞める、切る……刺す、なんてのもあったかな。
私には恐ろしかった。
本物の暴力と
言葉の暴力で
子どもを苦しめる、
両親が。
あのときすくんだ足を、今なら一歩、踏み出せる。
あの子を救えると思っていたんだ。
……思えば、根拠のない自信だった。
たまたま見つけられたんだ。久しぶりに見たけれど、あの頃の弱さが脆さが薄れて随分逞しくなった弟。
と。
ジャージをくれた人。
でも、そこにいたのは、
大切な人を失ったフードの少年と、
知らない女の子を必死で守るジャージの人。
ああ、私、
遅すぎた。