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舞姫と楽士の物語  作者: 桜 みゆき
第一部 湖のある町
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第一楽章  フーデリア

 顔の周りを五色の房が揺れ、金の飾りがしゃらしゃらと軽やかな音色を奏でる。王宮楽団一の舞姫の証である房飾りをつけた彼女、ラミアは朝の練習を終え、その装束のまま、廊下をペタペタと歩いていた。舞は裸足で舞う。そのため怪我をせぬよう磨き上げられた床はツルツルで、ひんやりと気持ちが良かった。

 中庭に面した廊下からは、朝の日差しが燦々と緑に萌える草木を照らしているのが見えた。

 ラミアはその緑と蒼を見上げると、朝の清涼な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「ラミア。」

 ラミアは自分の名が呼ばれた方向を見た。

「レルカ、どうかした?」

 視線の先にはラミアと同じ様に舞装束の、少しきつい感じのする娘が立っている。彼女はムッとしたような表情で、後ろに顎をしゃくった。

「団長が呼んでる。」

「分かった。」

 ラミアはレルカににっこりと微笑むと、彼女の隣を通り過ぎた。

 彼女の様子から見るに、おそらくは仕事の、舞の話だろう。

 ラミアが一ノ姫となったのは一年前のことだが、それまでその一ノ姫の座を争っていたのがレルカだった。一年前までは良い好敵手同士だった二人だが、一年前、ラミアが一ノ姫に選ばれた時からその関係は変わってしまった。レルカは自分が一ノ姫に選ばれなかった事に納得がいかなかったのだろう。ラミアは彼女に対する態度を変えなかったが、レルカは違った。ラミアは少し悲しく思いながらも、これは仕方がないことだった。

 正直な話、私より舞に対する意識は高いんだもの……

 一年経った今でも、彼女の中で折り合いがつかないのだろう。

 ラミアが小さく溜息を吐き、ちらりと後ろを確認すると、すでにレルカの姿は無かった。




 木々が窓の外を通り抜けていく。ラミアは移動の馬車の窓から外を見るともなく見つめていた。

 あの日レルカと別れた後、王宮楽団長の部屋へと赴いたラミアを待っていたのは、案の定、舞の話だった。

 今向かっているのは、王宮楽団本部のある王都リャデンシャスから少し離れた場所にある、王国有数の湖水地帯フーデリア。そこには、年中その美しい景色を求め、人々がやってくる。フーデリアは、王国統一が成され、王宮楽団の始まりとなった舞手達が舞を披露した地で、式典等の際には王宮楽団も幾度にわたってフーデリアに赴いていた。しかし、ラミアがフーデリアへと訪れるのは初めてのことだ。一般員の時も選ばれず、一ノ姫となってからは、一ノ姫は有事に備えねばならず、あまり動くことが出来ないため、尚更だった。

 しかし、ラミアはフーデリアに訪れようとしている。

 あの日、王宮楽団長のもとに赴いた際、ラミアが聞いたのは驚くべき内容だった。


  フーデリアの湖の水位が異常に下がっている。


 フーデリアは年中を通して水に恵まれた土地だ。有史以来、フーデリアの水が枯れたことは無いとされる程に。事実、ここ数百年に数度あった日照りによる飢饉の折にも、例え雨は降らずとも、フーデリアはその湖は枯れることなく、その水によって、他の地に比べそれほど酷い被害になったことは無かった。

 今のところ、目立った被害こそないが、住民の間に不安が広がっており、国から派遣された調査員も湖の様子に衝撃を受けて帰ってきたとラミアは聞いていた。王宮楽団長にも焦りのようなものがあった。

 もっとも、私が行ってる時点で、か。

 ラミアはふぅと息を吐くと、視線を馬車の中へ戻した。中にはラミアを含め舞姫が数人いたが、楽士は今回はいなかった。

 国では王宮楽団以外にも、地方にそれぞれ楽団を持っており、その地域の危機の時に踊る、とされている。もっとも実際は、もっぱらは村の祭りの際に舞う程度で、本当の有事の際には王宮楽団が駆り出されるのだが。ともかく、この地方楽団はフーデリアにもあり、そこの楽団は楽士が多いため、王宮楽団の楽士は連れて行かない事に決まったのだった。楽団の移動は、舞姫、楽士の衣装の類、楽器類など、かさばる物が多いので、出来うる限りは少数で動き、それで駄目な場合は順次応援を呼ぶという方式を取っているためだ。そんなことから、この馬車も上等なものでは決してなく、荷馬車の様な簡素な馬車で、荷物の隙間にそれぞれ自分の場所を作っている。

 ラミアは熱心に書状を読んでいる王宮楽団長、エグゼルの方を見た。昔は地方楽団で楽士をしていたこともあるらしいが、国家の官僚として王宮楽団長の任に就いた男だった。彼は、楽士達からも評判が良く、また舞姫達からも信頼の置かれている人物だった。

「今回の曲は何ですか?」

「ああ、『ソクラーナ』だよ、一ノ姫。」

 王宮楽団は上下関係が明確に定められている。一ノ姫となった舞姫を、特に公式の場では絶対に「一ノ姫」と呼ばねばならないのも、決まりの一つだった。

「『ソクラーナ』、ですか。」

 ソクラーナは水を、特に雨を好むとされる女神の名で、雨乞いの舞の曲の一つだった。フーデリアの湖の水位低下は、今のところ原因が分かっていない。雨も例年通り降っているためそれが原因とも言えず、それがより住民を不安にさせていた。しかし、他に適切な曲が浮かぶべくもなく、ラミアはどことなく判然としないものがあったものの、エグゼルの言葉に頷くほかなかった。

 一体、何が原因で水位が下がってるのかしら……。

 しかし、フーデリアに着くまではどうすることも出来ない。ラミアは仕方なく元の場所に腰を下ろした。自分には舞うことしか出来ない。ラミアはそれを象徴するような、自分の顔の側で揺れる房飾りに触れた。赤、黄、緑、青、白の五色の色をしたその房飾りは、それぞれ意味があるらしい。愛、幸福、調和、誠実、清廉。これは舞楽に携わる者、特に王宮楽団の決まりを表している。つまり、「人々を愛し、幸福を与え、調和を保ち、誠実に接し、清廉であれ。」である。

 こんな高尚な志しを持った人間なんて、王宮楽団にはいないでしょうにね。

 民衆の多くは王宮楽団を信奉するような気持ちで見て、危機に陥れば頼みの綱と思っている。まさに、この五色が表すものを人々は求めている。だが実際問題、国の幹部が地域へ楽団を派遣するのは、その謝礼金の為であったし、上位の舞姫達の中で何人が、のし上がるために上層部の人間に身を明け渡したか知れない。むしろ、ラミアの様に実力のみで上がった者の方が少ないかも知れない。

 この舞にもどれだけのお金が動いているのか。ラミアはうんざりと外に視線をやった。

 それでも舞うしかない。ラミアは顔の周りで揺れている五色の房を握りしめた。




 フーデリアは一帯の湖で最も大きいラドリア湖に面した町で、町の中心にはそこから引きこんだ川が流れている。町の奥の方には、湖と町に沿うように森と山が広がっていて、その中にも無数の湖があるらしい。

「何か変わったところはありますか?」

 ラミアは隣を歩いていたエグゼルに問いかける。確か、エグゼルは何度かこの町に訪れていたはずだった。

「ああ、そうか。君がここに来るのは初めてだったか。―――いや、目立った変化は無いな。……川の水位が少し下がっている位か。」

「そうですか。」

 湖の水位が下がっていれば、川の水位も下がるのは十分に考えられることだ。それよりも、人々の生活に大きな変化が出ていないのは、喜ぶべきことだ。

 今、エグゼルとラミアはこの町の町長に先導され、フーデリア地方楽団の詰所へと向かっていた。他の団員は荷物の類を持って、先に滞在先へ向かっている。

「こちらでございます。」

 町長の声に顔を上げると、街の建物より些か立派な石造りの建物がある。微かに漏れ聞こえる楽の音は、個人で練習しているところなのか、ばらばらだったが、人の多さだけは窺い知ることが出来た。弦楽器、管楽器、打楽器など、様々な音色が聞こえるが、王宮楽団以外で、これほど楽器の種類がある楽団も珍しい。

「ハウゼン、王宮楽団長様と一ノ姫様がお着きだよ。」

 町長が扉を開けると、音がさらに鮮明に聞こえた。しかし、町長の声が聞こえると、ただ一つの笛の音を除いて、ピタリと演奏が止んだ。中からざわつく様な声が聞こえはじめると、最後の笛の音も止んで、中からせかせかと一人の男が出てきた。

「これはこれは。お待ち申しておりました。王宮楽団長エグゼル様と、一ノ姫ラミア様ですね。私は、フーデリア地方楽団長をしております、ハウゼンと申します。ささ、どうぞこちらへ…。」

 小太りのその男は媚びへつらうように、エグゼルやラミアを見て、いそいそと中へ導いて行った。

 廊下からそのまま繋がる大きな部屋には、所狭しと人々が詰め、それぞれの楽器を手に、二人を待ち構えていた。ざわざわとしていた室内は、ラミア達が現れたとたんぴたりと止んで、じっと二人を見た。

「彼らで全部?」

 ラミアはざっと辺りを見渡した。五十人前後といったところだろうか。皆一様に、王宮楽団の長と一ノ姫に興味津々といった様子で、二人を食い入るように見つめていた。

「ええ、ええ。楽士はこれで全部です、一ノ姫。」

 ハウゼンはにこにことしながらしきりに頷いている。ラミアはそんな彼に対し、興味なさげにふうんとだけ返すと、目の前の楽士達を見極めるように一人一人の顔を見ていく。

「……ねぇ、彼らの音が聞きたいわ。」

「は……。」

 ハウゼンは顔に張り付けたような笑顔を忘れたかのように、ぽかんと口を開けてラミアを見ている。舞姫が楽士を気にすることがそんなに不思議なのかと、少し苛立ちを交えて、ラミアはハウゼンを睨んだ。

「いけないかしら? これから彼らの音で踊るのは、私たちなのよ。」

「い、いいえ、いいえ! で、では、曲はソクラー……。」

「いえ、『豊穣の女神』よ。」

 この選曲には他の者からも少なからず、驚きの声が漏れた。今回の舞の曲は『ソクラーナ』。普通に考えれば、この曲を選ぶと思われるだろうから、無理もない。

 しかも、『豊穣の女神』は舞楽の入門曲の一つで、舞姫であっても楽士であっても一番初めに覚える簡単な曲だ。主に、地方の収穫祭などで用いられることが多い。だが、「一番実力が出る歌」と言われていることは、あまり知られていない。

「わ、わかりました。―――では、皆の者、頼むぞ。」

 わたわたと拍子をとろうとするハウゼンを、ラミアは無視して、『豊穣の女神』の舞の動きをはじめる。この曲は舞姫の踊りに合わせて、演奏を始める曲で、それ以外で拍子をとっても、出だしが微妙にずれる。

 腕を前に伸ばし、右足をつく。そして―――

 ラミアはうっすらと目を開け、踊りを乱さないまま楽士たちを見渡した。

 右足を離した瞬間に管楽が入らねばならない。しかし、完璧に合わせられたのは。

 ……彼だわ。

 出遅れた数人の楽士達は、驚いたようにばらばらと、“彼”とラミアに合わせていった。

 それほど長くないこの曲でも、その中頃にはこの場の全員が、ラミアに合わせて音を奏でていた。そこでラミアは軽やかに舞いながら、居場所を移していく。その変則的な動きで音を乱したものも数人いたが、曲自体にはそれほど影響しなかった。

 ラミアは楽士たちの間を縫うように、縦横無尽に動いた。

 曲の終わりが近付く。『豊穣の女神』は管楽に始まり、管楽で終わる曲だ。そのため、弦楽が消え、打楽が消えていく。

 右足、左足、そしてまわって、ラミアが動きを止め―――

 それと同時に最後の笛の音も止んだ。

 最後に演奏を止めた笛の奏者は、ラミアの目の前にいる。

 ラミアより少し年上と思しき少年は、自分に注がれる頭上からの視線に、ゆっくりと視線を上げた。そんな少年に、満足そうにラミアは微笑むと、すっと手を彼の方へ差し出した。

「あなたの名前は?」

 ラミアの問いかけに、彼女の前にいた少年は、手を出すでも、立ち上がるでもなく、彼女の顔をじっと見ていた。そして、視線を外すと小さく溜息をついた。

「……人の名前を聞くときは、自分の名前から。知らないのか?」

 その横柄とも取れる態度に、周りがどよめく。

 この国で災害を治めることが出来るのは舞のみ。その最高機関の王宮楽団の、しかも最上位の舞姫である一ノ姫に、そんな態度をとるなど、考えられない事だ。

 ぷいと違う方向を向いたままの少年に、ラミアはぽかんとしており、その場のほぼ全員、特にハウゼンはみっともないぐらいにあわあわとしている。その場の誰もが、ラミアの叱責を覚悟していた。

「ぷっ。」

 しかし、その予想に反して聞こえてきた笑い声に、周りの楽士たちはおろか、少年自身も驚いたようにラミアの方を見た。

「―――そうね、ごめんなさい。…私は、王宮楽団の舞姫ラミアよ。あなたは?」

 ひとしきり笑うと、ラミアは涙を拭いながら、にこにこと少年の方に改めて向き直った。目の前の少年も、そんなラミアに軽く頷いた。

「フーデリア地方楽団楽士の、ルテス。」

「そう、ルテス。――あなた、今回の儀で吹いてくれませんか?」

「え……。」

「―――お、お待ちください、一ノ姫!」

 声を荒げたのは、今まで黙ってただ、おたおたとしていたハウゼンだった。周りの楽士たちもざわついている。

 ラミアがじろりとハウゼンの方を見ると、彼は一瞬たじろいたようだが、すぐに自論を捲し立てる。

「が、楽士の選抜は、もう私が済ませてあります! 彼はその中には入っていません、一ノ姫!」

 ラミアは周りの楽士たちが戦々恐々としている理由にようやく合点がいった。

 今回、フーデリアで徴用される楽士は十名と決まっていた。すでに選抜が済んでいるのなら、ラミアが誰かそれ以外の人間を選べば、既に決まっていた誰かが落ちる。しかし、ラミアはハウゼンにつっと冷たい視線を向けた。

「……選抜はあなたにまかせる、と誰が言ったのでしょうね。誰を使うかは、こちらが決めること。そうですね、団長。」

 黙って成り行きを見守っていたエグゼルも、静かに頷いた。ハウゼンはぐっと詰まったように黙った。他の楽士たちも黙ってしまい、部屋はしんとした。

「では、彼では何か問題がありますか?」

 ラミアはエグゼルに問いかけるが、エグゼルはゆっくりと首を振った。

「いいや。」

「なら、何も問題はないですね。」

 ここまで言われてしまっては、ハウゼンももう何も言えないようで、黙ったまま項垂れている。ラミアはそんなハウゼンも、未だに状況が呑み込めないような楽士たちも無視して、少年、ルテスに向き直った。

「後はあなたの気持ちだけ。どうする、ルテス?」

「―――やる。」

 真剣な表情をしたルテスに、ラミアはにっこりと微笑んだ。

「なら、決まり。よろしくね。―――後の楽士は…もう選べますよね、団長。」

「ああ。」

 ここにきてようやく、先程の演奏が試験の意味合いもあったことに気が付いた他の楽士たちの慄くような声を後目に、ラミアはにこにことルテスに手を振って、その場を後にした。

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