迷宮に潜むものの話
~パーティの戦士、ドラクガルの視点~
はあ~、はあ~、と後ろからアズセナの大きなため息が聞こえてきてうっとうしい。
「そんなに嫌ならついてこなければいいのに」
「そんなわけにはいかないでしょう!」
文句を言ったら怒られてしまった。
ダンジョンへ向かう道中、アズセナはずっと不機嫌そうに歩いていた。
でも、なんだかんだいって心配だからついてきてくれるんだよなー。
あたしより弱っちいのに、保護者面をしてくるし。
そういうところは別に嫌いじゃない、というか好感を持っていてついつい甘えてしまう。
実際、頼りになる人だ。
知らないことはアズセナに聞けば、大抵のことは教えてくれる。
教会で子供に読み書きなどを教えていたらしく、彼女の説明はわかりやすい。
戦闘においても、支援役としてパーティの重要な役割を担っている。
アズセナの調和魔法がなければ、あたしは10回ぐらいは死んでるだろう。
あと良い体してる。だぼっとした法衣を着てても、豊満なボデーの自己主張を抑えられていない。
抱きついて甘えるにはもってこいの気持ちよさだった。
ベアトにも抱いてみろと誘ったが断られた。あいつホモなのか?
そのあとアズセナにおしおきの鉄拳をもらったっけ。
まあ何が言いたいかって、アズセナはこのパーティのお母さん役みたいなもんだってこと。
そして、時に母は子供の行動を静かに見守ることも必要だと言いたい。
まあ言わないけど。私はそんなに老けてないって殴られそうだし。
先頭を歩くベアトはアズセナの様子に困ったように笑っていた。
「二人とも、そろそろダンジョンの入り口だ。気を引き締めてくれ」
「はいはーい」
「返事はしっかりしなさい!」
あう。また怒鳴られた。そんなにいらいらしなくてもいいのに……。
クエストの難度が高すぎることに不満があるみたいだけど、難度なんてあてにならないことはよくある。
実際、道中は魔獣にもほどんど遭遇しないし。
どうせ田舎すぎて優秀な冒険者が来ないせいでクリアされなかったクエストが、年月が経って難度Sになったみたいな感じでしょ。
そんな感じで何事もなくダンジョン入り口。
石か煉瓦のようなダンジョン特有の壁で造られた長方形の箱のような面白みのない外面に、どでかい穴が開いていて、それがこのダンジョンの唯一の入口らしかった。
「ルテーグ。Ni etresat pup. Etvat pefigipivak lak pup ĝk pe etvat peŝapĝedmak. Viem, ni pe emtvseliva tepvok liuk sigubat ma namosfo. ファープロプ」
アズセナが詠唱をすると体のまわりに薄く白いもやのようなものが発生した。
「これってなんの魔法だっけ?」
「防護魔法ですよ……。そろそろ詠唱も覚えてください」
そんなこと言ったって何言ってるかさっぱりわからないのだからしょうがない。
調和魔法の詠唱というやつは宗派で違ったりするらしいが、そんなものをこの国ではほとんどの人が使えるのだというから恐ろしい。
「各自、準備はできているよな? ……よし、突入する」
全員に防護魔法がかけ終わったのを確認して、ベアトは号令を出し、ダンジョンに入った。
その背中は勇者見習いというより、歴戦の部隊長といった感じのオーラを放っている。
やっぱり、心配なんて必要ないよなぁ。
ダンジョンに突入して二時間後。
あたしたちは早くも最下層へ続く階段の前までたどり着いていた。
「…………」
おかしい。簡単すぎる。
さすがに楽観的にはなれなかった。
このダンジョンに入ってからあたしは魔獣を一匹も倒していない。
このパーティの隊列は前からベアト、あたし、アズセナ、となっている。
冒険者のセオリー的には、近接戦闘以外にも役割を持てるベアトが真ん中に入るべきだと思うのだが、ベアトの強い要望によりこの順番である。
彼が言うには、勇者とは常に先頭を歩くものらしい。
そんなわけであたしの主な役割は、ベアトが正面でさばききれなかった魔獣への対処である。
だというのに、ベアトは道中の魔獣を全て1人で屠ってしまった。
それくらい低レベルの魔獣しか出てこなかったのだ。せいぜい難度Dクラスだ。
「い、いや~、あたし今日はほとんどただ働きだなー」
「そうですね。今のところは私もただ働きですね」
アズセナが皮肉気に言った。
このダンジョンは核あるいは主が健在の、俗にいう生きているダンジョンなので、ダンジョンの壁が薄く光っていて、明かりがほとんど必要ない。
なので、いつもは光魔法で道を照らしている彼女の役割が一つ減ってしまっていた。
道幅は狭く、複雑に入り組んでいるが、しっかりとした地図があるので迷う心配もない。
前衛の二人は負傷しないので、回復魔法の出番もなし。
仕事が無いのも当然である。
「その調子なら休憩はいらないな。じゃあ行こうか」
ベアトは何も問題がないかのようにそう言った。
彼もわかっているはずだ。このクエストの難度Sの部分が最下層の危険度によるものだと。
それでも迷わず進み続ける。それが勇者だからだ。
アズセナも悟りを開いたかのような顔で、彼の後に続いた。
野生の勘が危険を告げ、尻尾が無意識に動いてしまう。
あたしは小さく深呼吸して、尻尾を静める。
ああ、なんであたしはこんなにびびってしまっているんだろう。
そもそもあたしは強いものと戦うために旅を始めたはずだ。
でもあたしを倒せる人は簡単に見つかってしまって、あたしは強いけど最強なわけでは全然なくて、もうちょっと頑張ればベアトにも勝てて、でもやっぱり勝てなくて、それを認めるのはプライドが許さなくて。
そうだ。プライドだ。
ここで退けばあたしのプライドが傷つく。
「うぉーし! そんじゃ張り切っていきますかあ!」
あたしの喉はいつもと同じように威勢のいい声を鳴らした。
大丈夫。あたしはちゃんと戦士のままだ。
最下層。
それは、ベアトが階段を降り切った瞬間だった。
つたたたたたたたたたたたたっ。
静かなダンジョンに小さく、しかし確かに響く音。
「来る……」
それが近づいていることをあたしの耳が捉える。
階段前の小部屋でいつでも撤退できる状態で待った。
現れたのは1人の少女だった。
「こ、こ、こんにちは!」
久しぶりに顔を見せた親戚の子がするような挨拶を少女はした。
どこにでもいるような女の子。でもけっしてダンジョンの中にはいない子。
腰まで伸びた黒い髪。パッチリ開いた目の色は浅緑。丸い頬はほんのりと紅潮している。潤んだ口元は半開きだ。
視線を体の方に移すと、ある意味この場にふさわしい異常な格好をしていた。
つぎはぎだらけで、どうみてもサイズのあっていないワンピースを着ている。
そこから伸びるのはきれいな素足。靴を履いていないのにまったく意に介していないようだ。
そして右太ももに赤い痣がある。
「はい、こんにちは。私はアズセナ・フィットセントです」
「え? おいおい、なんでのんきに挨拶返してんだよ!」
「だって、戒律で挨拶を返さないといけないですし……。それに、あの子が例の魔族なんでしょ?」
確かに情報に一致するし、あれがこのダンジョンの主だろうけど。それでももう少し警戒しろよ。
でもあたしだって、気を緩めなかったと言えば嘘になる。
目の前の女の子からは、殺気が伝わってこないし、強者に特有のオーラも感じない。
捕まえるのでさえ簡単にできそうじゃないか?
もう少し近づいてみようかと一歩踏み出そうとすると、ベアトに片手で制止させられた。
彼はまだ戦闘態勢を解いていない。
「ふえっ? ちゃんと挨拶したのに、あの人怖い顔してるよ。どうしよルスタ。ボク、変なことしたかなあ。え? 名前を言ってないって? あ、うん。ボクの名前はミルヴ・フェングセンって言います。……ダメだよぉ。無反応だよぉ。やっぱり一発芸とか覚えておくべきだっだのかなぁ」
ミルヴと名乗った少女はブツブツと1人で喋って不気味だった。
だが、その名は確かに情報通りの名前である。
ベアトはこの子と交渉をするのではなかったのか?
「生まれてからずっと迷宮にいるのに、どうして言葉を話せるんだ?」
ベアトのその一言は、よく考えれば当然の疑問だった。
そこに気づくと、目の前の少女が本物であるかが疑わしくなる。
ていうか、こいつ言葉を話せない奴と交渉するつもりだったのか……。
「えっとね、言葉はルスタに教えてもらったの」
「ルスタって誰ですか? というよりなんですか?」
「えっとえっと、ルスタはボクのことで……。ん? それじゃわかんない? んーっとんーっと。あ、二重人格って言えばわかるかもって……ひえっ!?」
アズセナの質問に少女が頭をかかえた隙にベアトは腰の剣を抜いていた。
左手に握った剣から炎が放たれ、少女を包み込んだ。
セクシオ24聖剣の一つ、アフェレー家に受け継がれし聖剣ディベルスコロライン。
またの名を「蒼炎剣」。
柄の先に刃はついておらず、代わりに自在に操れる青い炎が出現する。
その炎は魔獣の身を徹底的に焦がしつくす。
だが、人にはまったくの無害である。
「うわわわああ! 何これ、火が飛んできたよ! どうしよう、ボクもお肉みたいに焼けちゃうの? ボクって食べられちゃうの? ひどいよ、何にもしてないのに。もう無理。ムリムリムリムリむりむり……」
少女はどう見ても焼けていなかった。
だが、パニックに陥った少女はパタリと倒れた。
そして、むくりと立ち上がった。
まったくのノータイムだった。
「炎、熱いー! あっつあっつ、これめちゃくちゃあつ……くないやないかーい! 全然燃えてないやないかーい! あ、オレが噂のルスタです、キラッ」
別人になったと感じた。さっきとは違う言動、立ち姿。
そしてなにより、今の少女は強者のオーラを放っていた。
それも、今まで見た中でもっとも強いオーラだ。
あたしの理性が働いていたのはそこまでだ。
「んー、せっかくの登場なのにちょっと滑っちゃたかな。ま、いっか。反省はミルヴの領分だし。オレは好き勝手に暴れるのが仕事だもんな。つーわけで、ハイ、ドーン」
衝動的に剣を抜いてとびかかったあたしは、少女の何気なく放った拳の一撃で意識を持って行かれた。