なんてことはない姉弟の日常
空は雲ひとつない晴天。暑い夏の、退屈な日。だというのに、義理の弟は、髪もシャツもびしょぬれで自習室に入ってきた。獣のような髪からぼたぼたと雫を垂れ流し、あいかわらず目つきが悪いが、機嫌はいいようだ。
「……なんて格好なのかしらねえ」
「悪ぃ、とにかくタオル貸してくれ」
「まさか来る途中の廊下で、犬みたいに頭振ったりとかしたんじゃないでしょうね」
「した」
ちっとも悪びれず笑った。びしょぬれのシャツを脱ぐと、渡したタオルで若干プリン頭になりかかっている髪をかなり大雑把に拭きだした。知らないうちに海かプールでも行ったのだろうか、ただでさえ浅黒い肌が更に日焼けしているように見える。暑苦しい。
「寮に遊びに来たらさ、ちょうど丸山たちが水撒きとかしててな。いきなりぶっかけられた」
「ああ……そう言えば今日はあの子達が当番か。彼らは放っておくとすぐ調子に乗って遊びだすんだから」
「いや結構楽しかったぜ、水とかひっかぶったら涼しいし」
「それで私に迷惑かけているんだから、ちょっとは考えて」
「へいへい」
シャツを手に、二人で水道の所に行った。軽く水で流して寮の洗濯機で脱水し、屋上に干しに行く。陽気が良いからすぐ乾くだろうと、階段を上がった。
外は日差しがきつく、私は眉をしかめた。もう一度日焼け止めを塗ってから来れば良かったと、少し後悔する。熱いけれど湿り気はない風が、既に干してあったたくさんの洗濯物を揺らしている。かなり近いところでセミが鳴いているなと思って何となく目をやったら、揺れている誰かのシャツに、セミがくっついていた。弟がそれを捕まえて誇らしげに私に見せた。小学生か。
「このままここで寝たら、ジーンズも乾くかな」
「これ以上日焼けする気なの」
「夏っぽくていーだろ」
「……わざわざ肌を傷めて何が楽しいんだか」
「姉ちゃんが日焼けしてんのは想像つかねえな」
「私はもう部屋に戻るから」
「あーオレもオレも」
少しだけ名残惜しんでいたようだけれど、弟は結局セミを逃がした。セミは青い空に吸い込まれるように飛んで行き、すぐに消えた。そう見えたのは太陽の光に目が眩んだせいかもしれない。部屋には君の好きな炭酸飲料は置いていないよと告げたら、部屋に寄らずそのまま自動販売機に向かった。歩いているだけなのにばたばたと足音が響く。
すっかり変声期を終えた低い声だけれど、大きいから嫌でも聞こえてくる。きっとそこで誰かに会ったんだろう。その誰かの声と一緒に、彼の馬鹿笑いする声が寮内に響いた。待っている必要もないし、大体彼は私に会うために来たわけじゃない。部屋にタオルを借りに来ただけ。扉を閉じて私は机に向かい、課題に目をやった。ぱらぱらとめくると、ぬるい風が起こる。私にとっては簡単な課題だけれど、こんな蒸された部屋ではやりたくない。だからなるべく涼しい場所に行こうと、荷物をまとめはじめた。
ガチャ。
ノックもなしに弟が入ってきた。そして当然のように私のベッドに座り、ジュースを飲み干し、空のカップを傍のテーブルに音を立てて置いた。私は洗わないからね。
「何だ、出かける用事があったんじゃないの」
「……暑いから別の場所に行こうかと思っただけで、別に」
「んじゃここでいーじゃんよ」
何がいいんだか。そう思ったけれど、口には出さなかった。意味なんてない。座っていた弟は立ち上がってカーテンを開け、そこから外を覗き込んだ。南向きの窓から、少し熱いけれどいい風が入り込む。彼は目を細めて喜ぶけれど、きつい日差しが直接、私の座っている机にまで差し込んでくるのは頂けない。椅子から立ち上がりその場を離れ、冷やしてあった麦茶を取り出してコップに注ぎ、今度は私がベッドに座った。
「あ、オレも一口」
「さっき飲んだばかりじゃない」
「なんかまだ喉かわいてるっつーか、べたべたすんだよな。一口わけて」
「ジュースなんて飲むから……」
「いーじゃん。それ飲みたかったんだから」
近寄ってきたでかい弟は立ったまま私のお茶を奪い取り、飲み干した。文句を言うとまたと笑う。お茶をつぎ足してきて、そのまま私の横にどっかりと座り込んだ。備え付けのベッドは狭く、年頃の男女二人で座ればどうしても脚やどこかがぶつかってしまう。……暑苦しい。
「部屋ン中あちぃな」
弟が文句を言ってくる。じゃあひっついてこないで、その脚を捻り上げてやったら、硬い手が伸びてきて反対に捻じ伏せられた。触れた手と肌を流れ落ちる汗の感覚にたまらず、私はとうとう考えることを放棄した。