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運命祭  作者: AAA
二回戦
9/22

協力者がでしゃばり過ぎるのは良くないですからねー

 翌日、太陽の光が建物の隙間から差し込んでくる早朝。まだ人通りが少なく、空気が少し冷えている。時折建物の中で、今日の準備をしている姿が見えた。

 店が軒を連ねる大通りも同様だ。統一感のない建物に合わせたように、準備も統一感がない。ある店からは重いものを下ろす音が聞こえ、ある店からはパンの焼ける匂いがし、ある店では店の前に商品を出していた。

 忙しそうに動く人達の間をすり抜けるように、カラとシュラが肩を並べて歩いている。

 カラは昨日と同じ背広を身につけ、左手に鞄を持っていた。まだ顔立ちに幼さが残るため、学生かよくて新人会社員に見える。隣を歩くシュラは、薄いピンク色のシャツ、踝まで隠れる水色のロングスカート、つばの大きい帽子、赤いローファー、と言う出立ちで、良いところのお嬢様に見える。お嬢様とそれに付き従うさえない従者のような構図だ。


「から、こんなあさはやく、どこにいくの?」


 シュラが眠たそうにまぶたを擦る。足取りも心なしか、重そうである。


「昨日の話しを覚えてますか?」


「うん、みんなにきょうりょくしてもらわなくちゃいけないんでしょ」


「はい、そうです。その為には、力が要ります。皆さんが私達を無視しないだけの力、皆さんが私達を信じてくれるだけの力、そう言う力が必要なんです」


「うんにゅ、それはたいへんね」


 シュラが欠伸をかみ殺す。カラは右手でシュラの手を握り人や物に当たらないよう誘導する。シュラの眠気が完全に引いた頃、目的の場所に着いた。

 建物の一階を間借りした店だ。ショーウィンドンの中に魚が泳いでいるガラス球の置物が置かれ、隙間から見える店内は天井まで品物で埋め尽くされていた。鈍い金色のドアノブに準備中という札が吊るされていた。


「力を持たない私達は、力を持った方に協力して頂かなくてはいけません」


「ここ、昨日、サービスしてもらった店員さんの店、どうして?」


 見覚えの在る店構えを前にして、シュラは戸惑う。昨日、パンやジュース、お菓子等を貰った店だ。お世辞にも大きいとはいえない小売店に何の用があるのか、シュラには見当もつかなかった。

 カラは無遠慮にドアノブを掴む。鍵はかけられておらず、ドアは簡単に開いた。一瞬の躊躇もなく、店内に入った。


「たーのーもー」


「いらっしゃー、てっ、まだ開店前なんだけど」


 昨日の店員が、パンの入ったバスケットを持ったまま固まっている。その他、二人店員がいたが、こちらもカラの登場に目を丸くした。


「店長さんを一名注文します。仕事のできるクールビューティーな二五、六歳のスレンダー系おねーさんを所望しますよー」


 カラは大声で欲望を垂れ流す。周囲の空気が凍りつく。


「ふぅん、昨日あれだけ口説いておいて、第一声がそれ?」


 額に血管を浮き上がらせた店員が、口元だけ歪めて見せた。


「あ、いえ、店長さんを所望していますが、それ以外は嘘です。決して一度は付き合いたい女の子ベストテンの子をお願いしたわけではありません」


「で、店長に何の用?」


 真顔で応えるカラと寒々とした笑顔で応対する店員を周囲は固唾を呑んで見守る。


「それは店長さんにお話します。店長さんは、貴女ですか?」


 カラが店員を指差し尋ねた。


「はい、店長です。クールビューティーな二五、六歳のスレンダー系おねーさんじゃなくて、ごめんね」


 店員もとい店長が頷いた。冗談めかした口調だが、瞳は冷め切っていた。


「おお、貴女が店長さんですか。これは失敗です。明るくはきはきとしていながら、少女のようなあどけなさを残し、結い上げた髪の隙間に見え隠れするうなじが色っぽい店長を所望するべきでした」


 顔を真っ赤にした店長が自分の首筋を両手で隠す。桜色の唇が何度も開閉し、声なき声を吐き出した。カラが店長の可愛らしい反応を愛でていると、袖を引っ張られた。


「カラ、カラ」


「はい、何でしょう、シュラさん」


「取りあえず、お仕置きね。罪状は、セクハラ、睡眠妨害、業務妨害」


 いつの間にかカラの隣に近寄っていたシュラが、カラの腹を殴る。鈍い打撃音が、三発、雑然とした店内に響いた。崩れ落ちるカラの後頭部をシュラが躊躇いなく踏みつけた時、店長、店員の顔が引きつった。


「何やってんの、カラ。わたし達には大切な用事があるんでしょ」


「も、申し訳ありません。反省してます。後頭部に乗せた頭をのけて頂けないでしょうか。重くて体が動かないんですよー」


「乙女の禁句を言うなんて、死にたいのね」


 シュラがカラの後頭部を打ち抜こうと、足を高々と振り上げた時、控えめな様子で店長が声をかける。


「えっと、漫才の押し売り? 悪いけど、おひねりはあげないよ」


「違います。この、馬鹿、がっ、何っ、かっ、用事があるらしいんですよっ」


 カラの頭に足を振り下ろしながら、シュラは否定する。六回踏み潰した所で、シュラは足をカラの頭からどける。つぶれたカラを見下ろし、説明しろ、と命令した。

 後頭部をさすりながら起き上がったカラは、何もなかったかのように話し始める。


「もうけ話を持って来ました」


「もうけ話?」


 店長の眼光が光る。獲物を前にした野獣のように、目が欲望に染まっていた。


「はい、もうけ話です。それも、手間暇は殆どかからないお話です。手に粟状態間違いなしですよー。アハハハハーーーーー」


 カラは自信満々に笑いながら、手に持った鞄を頭上に掲げた。胡散臭さが漂ってくる。

 店長は怪しすぎる二人を追い出そうかどうか迷う。結局、話だけは聞くことにした。一二歳とは言え糸紡ぎの一族の一員と、ネジが何本か抜けているとは言え英雄が持ってきた話だ。聞くだけ聞いても損はない、と判断したのだ。

 店長は店員達に開店準備を頼むと、シュラとカラを店の奥に案内した。一番奥にあるドアをくぐり、入ってすぐ右手にあるドアを開ける。ドアには休憩室と簡素なネームプレートが張られていた。

 休憩室の中は簡素で、大き目のテーブルと六脚の椅子が床から生えていた。タイル張りの床をタイルの継ぎ目からそのまま上に押し上げたように、椅子やテーブルの脚と床の間に隙間が見えない。真っ白い壁にはコーヒーメーカーが置かれた棚があり、その隣にはダストシュートの穴が大きく口を開いていた。

 店長はカラとシュラを室内に通すと、入り口横の壁を触る。六脚あった椅子のうち、三脚が床に沈み、三脚だけ残る。そのうち二脚が肩を並べており、テーブルを挟んで反対側に残りの一脚がある。


「とりあえず、そこに座ってくれるかな」


 店長は並べて置かれた二脚にカラとシュラを座らせる。棚から白地のカップを取り出しコーヒーを注いだ。コーヒーと砂糖、クリープをシュラ、カラに差し出す。


「それで儲け話て?」


 店長は自分のコーヒーに砂糖を入れながら尋ねた。シュラと店長の視線がカラに集中する中、カラはシュラの肩を抱いて店長の前に突き出した。


「その前に、こちらの話を聞いて下さい」


「か、カラ?」


 シュラが上ずった声で、カラを呼ぶ。カラはシュラの耳元に口を寄せた。


「シュラさん、店長さんにシュラさんがしたい事を話して下さい。

 この先、シュラさんは多くの方を説得し味方につけなくてはいけません。その練習ですよー。第一関門です。心をこめてお願いしますねー」


 シュラの顔が不安で曇り、何か言いたそうに唇を動かすが、きつく結んで頷いた。シュラは椅子に座りなおして、居住まいを正すと店長の視線を正面から受け止めた。


「何から言っていいか分からないけど、運命祭で沢山の人がこの人を王様にしようと決めて派閥を作ってるんです。派閥は運命祭が始まる前からあって、今のルールは派閥の人達に有利なようにされています。それで、このままじゃ、より多くに人が居る派閥が王様になります。

 わたしはそれが間違っているのか、正しいのか分からないです。でも、けど、始まる前から決まっている出来レースなんて嫌なんです。派閥に入っていない人も皆頑張ってます。それなのに最初から負けるように仕向けて、それに文句を言ったら努力が足りないとか、頑張ってない、なんて言われるのは可笑しいと思います。

 運命祭は皆の運命祭だと思うから、派閥だけの運命祭なんて嫌なんです。

 けど、わたし達だけじゃ皆の運命祭なんてできない。だから、力を貸して下さい。皆の運命祭をやる為に、協力して下さい。お願いします」


 シュラが大きく頭を下げた。店長はカップを持ち上げ、ゆっくり口をつける。コーヒーを啜る音がやけに大きく聞こえた。食器が重なる音が響き、店長がシュラに呼びかける。


「シュラさん」


「はい」


 シュラが顔を上げた。真剣な顔をした店長がシュラを見据えている。


「その気持ちは凄いと思う。やろうとしている事も、とても偉いと思う。だけど、うちにも生活がある。下手な事して、他の糸紡ぎの一族から睨まれるのは勘弁してほしい」


 一瞬明るくなったシュラの顔が暗くなった。


「それに、うちにはメリットがないよね? シュラさんの手伝いで、人手や機材を手配しなきゃならない。そのお金は何処から出るの? お金を沢山使って、まったく利益が出なかったら、やるだけ損だよ。頑張って稼いだお金を無駄死にさせたくない。

 そりゃこの大会が面白ければ楽しい。うちみたいな小さな小売店は誰が勝ってもそれほど影響はない。だけど、それだけじゃ無理だよ。理想だけじゃ、手伝えない」


「それは」


 お金、と言う考えてなかった要素を突きつけられて、シュラはなにも言う事ができなくなる。店長が気まずそうに、ごめん、と謝った。空気が湿っぽくなる。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハーーーーーーーーーーーーーーーー」


 沈んだ空気を笑い声が切り裂く。

 シュラと店長が振り向くと、カラが手に持っていた鞄をテーブルの上に叩きつけるように置いた。笑い声に勝るとも劣らない音量が発生し、テーブルが細かく振動する。


「確認します。てんちょーさんが手伝えない理由は、資金がない、他勢力から睨まれるのが嫌だ、の二つですねー。シュラさんの考えに反対でも、すでに他の派閥に入っているわけでもない」


「そうね。後は、一過性の熱かもしれない事だね。これから幾つもの困難にあたった時、投げ出さずに最後までやれるの? 手伝って、全てをベットした後で、やっぱりやーめた、てなったら困るわ」


 店長は少し考えてから頷いた。


「もーまんたい、ノープロブレム、ジェネパレプロブレム、問題ありません。店長さんの挙げた問題は既に対策済みです」


 カラが鞄を開く。中に分厚い紙束が鎮座していた。紙束を無造作に掴み、テーブルの上に放り投げるように置いた。


「店長さんにお願いしたい事は、新しい商売をやって頂くことです。これはその企画書です」


 店長が企画書に手を伸ばすが、カラに手首を掴まれてしまう。


「企画書を読む前に問題点を解決しましょう。取り敢えず、お金の問題は後に回して、残り二つからです」


 カラが人差し指と中指を立てた。


「まず、他の糸紡ぎの一族から睨まれる可能性ですが、これは気にしなくても問題ありません。お願いしたい内容は、いわゆるアイディア商品です。

 一度、世に出てしまえば、消す事はできません。ルールを変更したら可能ですが、それほど大きな影響を与えるにはこの店は小さすぎます。こんな小さな店の営業妨害の為だけにルールを変更したら、盛大なブーイングが発生しますよー」


「小さくて悪かったね。これでも、青のエリアと赤のエリアに三店舗づつ展開してる中堅どころなんだけど」


 店長が面白くなさそうにコーヒーをあおった。シュラがごめんなさい、と頭を下げるが、カラは笑ったままだ。


「事実を認める事は重要です。その他大勢の店にそれほど大きな影響力はありません。万が一、商売に影響の在るようでしたら、その時は私達に脅された事にして下さい。家族を盾に取られ無理矢理やらされた、と言えば、被害は殆どないでしょう」


 いいですよね、とカラがシュラに聞く。シュラは躊躇わずに頷く。迷いのない様子にカラの笑みが深くなった。


「一二歳の女の子とへらへら笑った優男に脅された、なんて誰も信じないでしょう」


 シュラとカラを一瞥して、店長は苦笑する。先ほどの小さな店発言が効いているのか、言葉に若干棘がある。


「大丈夫です。絶対に信用してもらえます。疑われるのでしたら、これを見せれば良いですよー。きっと信じてくれます」


 カラが懐から四つ折になった紙を取り出す。店長は疑わしげに紙を広げ、一瞥する。


「う~ん。取りあえず、分かった。今のところは信用する。けど、この内容で言い訳に使えそうになかったら、その時点で協力破棄。それでいい?」


「当然ですねー。納得して頂き、ありがとうございます」


 店長が紙をプラプラと揺らしながら、取り敢えずだからね、と念を押した。


「カラ、あれ何が書いてあるの? なんか、あっさり信じちゃったけど」


 シュラがカラの方に身を寄せて尋ねる。視線は店長の持った紙に固定されていた。


「秘密です。ああいうものは知っている人間が少ない方が効果的なんです。時が来たらお話しますので、それまで待っていて下さい」


「店長さんは信じたみたいだし、カラがそう言うなら待つけど」


 カラの有無言わぬ口調に、シュラは渋々ながら引き下がった。


「次に土壇場で逃げる事は、まず無理でしょう。土壇場になるほど追い詰められた時には、恐ろしい位大事になっています。周りが逃がしてくれませんよー。アハハハハーーーーーーーーーー」


「どんなに辛いことがあっても、誰かを見捨てて逃げる事はしません。だって、その見捨てられている人達が居るのが嫌だから、そんなの可笑しいと思うから、運命祭を皆の運命祭にしたいんです」


 カラのあっさりと言い切り、シュラもそれに追従した。店長は暫く考え込んでから企画書に手を伸ばした。今度はカラも止めない。


「内容次第だけど、力を貸すわ。シュラさんの言う皆の運命祭、てやつを見てみたいからね」


 店長が神妙な顔でシュラを見た後、顔をカ輝かせて聞いた。


「それで、新しい商売ってどんなもの? お金は、お金は沢山手に入るの? ゼロの数を数えなきゃ単位が分からない位沢山手に入るの?」


「詳細はその企画書を見て頂ければ分かります」


 店長は飢えた獣のように素早く企画書を手元に掻っ攫い、表紙をめくった。

 カラの提案する新しい商売とは、赤と青のエリアで連絡のやり取りをできるようにする、と言うものだ。

 現状、ルールにより、赤のエリアと青のエリアに居る糸紡ぎの一族およびその英雄は、基本的に連絡を取り合うことができない。唯一可能なのは、公務上仕方のない場合だけである。

 その為、連絡を取りたくても取れない人達がいる。例えば、シュラのように両親と別エリアになった子供や、別々に引き裂かれたカップルだ。他にも、歳をとった参加者から安否の連絡を欲する家族も居るだろう、そう言う人達のための連絡版を作ろう、と言うのだ。

 二つのエリアにそれぞれ掲示板を設置して、互いのエリアからの伝言を掲示する、と言う古典的な方法だが、連絡を取り合うだけであれば十分である。

 手続き上は、糸紡ぎの一族から他の一族に伝言があり、その伝言を依頼されたほかの一族が別エリアの掲示板に掲示するだけなので、問題はない。限りなく黒に近い白であり、実質的には糸紡ぎの一族やその英雄が連絡を取り合う事になるが、反対される可能性は低いと見積もっている。

 理由は、掲示するだけなので不特定多数に見られるので、運命祭に関する事を不用意には書き込めない。家族や恋人と連絡を取りたいと言う思いを、ルールだからと言って禁じてしまうと、参加者全員に不満を抱かせてしまう。

 最期にカラの予想だが、これをルールで禁じてしまうと、現状を二つのエリア間で連絡を取っているであろう大派閥が困るはずだ。派閥が大きくなればなるほど、誰かが暴走したり勘違いする可能性が高まる。それを押さえる為に、大派閥は懇意にしてる一族を使って連絡を取り合っているはずだ。掲示板をルール違反にしたら、大派閥の連絡もルール違反になってしまう。

 企画書を読み終えた店長は顔を上げた。


「面白い案だね。確かにこれなら、お金は殆どかからない。フォーマットを決めてしまえば、後は伝言内容を張るだけ。需要はあると思うし、利益も出そう。よく考えられてるね。

 上手くいけば、ゼロの数を数えて遊べるわぁ、エヘヘヘヘヘ」


 夢見る店長の反応にシュラはテーブルの下で拳を握る。シュラも先ほど初めて企画書を見たので、これがどう皆の運命祭に繋がるのか分からない。しかし内容は良い事で店長を味方に付けられそうなので、自然と頬がほころぶ。

 現実に戻ってきた店長が悔しそうな顔で言う。


「けど、うちだけじゃ無理だよ。うちは馬乗りの一族だから、小売商売専門なんだ。他の一族と協力しないと、通信系は仕事ができない。悔しいけどね」


 悔しそうに拳を振るわせる店長にカラが口を挟む。


「必要な一族に私達を紹介して下さい。説得します」


「ちょっと話は最後まで聞きなさいな」


 カラの申し出に店長の眉が上がった。


「悔しいのは利益を独り占めできない事っ! 不可能だとは言ってないわ。寧ろ、他を説得してでもやる。これはそれだけの価値があるわ」


 店長の目が¥に変わる。


「それでも、説得はこちらがします」


 今にも外へ飛び出しそうな店長をカラが押し留める。店長が面白くなさそうにカラを睨んだ。


「何? それはうちじゃあ、説得できないと思ってるの」


「すみません。言い方が悪かったですねー。この戦いの核は私でも店長さんでもないんです。説得はシュラさんの役目なんですよー」


「ブッ!?」


 いきなり話を振られたシュラがコーヒーを噴出した。

 店長がハンカチで口元と鼻の下をぬぐうシュラを見て、再度カラを見る。


「それ、本気?」


「はい、シュラさんのお仕事ですよー。ね?」


 同意を求められたシュラがすがるようにカラの袖を掴むが、笑い顔で振り払われた。


「協力者がでしゃばり過ぎるのは良くないですからねー」


 協力者、その言葉にシュラは目を見開き、気付く。

 そうだ、これは自分の我侭が始まりなんだ。だからわたしが先頭に立たなきゃいけないんだ。

 シュラは今までどこかにあった甘えを消して力強く頷く。


「うん、分かった。わたしがどうしたいのかは、わたしが話します」


 シュラは店長に向き直り、しっかりとした口調で言った。


「これはわたしの我侭だから、わたしが説得します」


「分かった」


 店長はあっさりと役割を譲り渡す。


「それじゃ、改めて、これから宜しく、シュラさん、カラさん」


「うん、お願いします」


 店長が手を差し出し、シュラがそれを握り返す。更に、カラが二人の肩を抱いて笑う。


「はい、協力関係の締結です。それでは三者、誓いのベーゼをしましょう。ささ、いきますよー。ムーーーーー、グフッ」


「死んどけ、馬鹿!」


 カラが唇をタコのように突き出し、その唇の先にシュラが拳を叩き込んだ。カラが仰向けに倒れた。完全に白目を向いているカラに、シュラはもう一度馬鹿、と罵声を浴びせる。

 こうして、カラとシュラが店長に協力を取り付けてから四日後、夕方、『今日の運命祭』の時間がやってきた。

 ディスプレイには既におなじみとなったミミルと、その自称親友キークが、本日一六区であった三二試合を解説している。運命祭も六日目を向かえ、対戦者達の年齢層は一挙に高くなった。それまで居た子供同士に対戦はなくなり、最低でも一七歳以上の青年、乙女、最高で六〇を越す老人が一回戦を戦っている。


「つーわけで、今日の見所はこんなとこだなー、後はダサいのしかないわ。ダサいのしか。説明だりーし、ここらで止めようぜ」


「だ、駄目だよミミルちゃん。最後まできちんとしないと」


「でもー、ぶっちゃけだるいんだよねー。つーかさ、内容あんま変んないし、勝ち負けだけ言えばよくね?」


 テーブルに上半身を投げ出しているミミルに、自称親友が耳とで何か囁く。


「はい、それでは残りの解説も張り切りたい所存です」


「ミミルちゃんは元気が良いねぇ。あ、でもその前にCMだよ」


 自称親友が、どうぞとディスプレイに向けて手を伸ばす。画面が切り替わり、店長の店が映される。店前には数日前とは違い長蛇の列ができていた。よく見ると、列は店の横に出されたテーブルに向かって伸びている。そこではシュラと店員が忙しそうに応対していた。


「あーと、なになに、二日前から始めた事業が大当たり? 赤と青の絆をつなぐ掲示板? なにこれ、なんでこんなダサい店映してんのぉ」


 ダセー、ダセーと連呼するミミルの声が、何かが潰れる音と共に沈黙する。


「これは赤のエリアと青のエリアで連絡が取れるように、ルマガズンの店長さんが始めたんだよ。

 今、画面に映っている受付に料金と伝えたい言葉を渡すと、翌日、別のエリアにある掲示板にその言葉が掲示されるの。ちょっと不便だけど、家族の無事を確認したり、恋人や友達が励ましあったりして、とっても繁盛してるんだよ。

 凄いよね、ミミルちゃん、あれ? ミミルちゃん? おーい、寝ちゃ駄目だよ。息しないで寝たら死んじゃうよ、おーい」


 なにやら不穏な言葉が聞こえてきた自称親友の声がぶつ切りにされ、画面では店長とシュラにマイクが差し出されていた。二人の顔はこわばり、完全に緊張していた。


「それでは、ルマガズンの店長と掲示板の発案者の二人に突撃インタビューをしたい、と思います。宜しくお願いしますね」


「よ、よろひく、おねがひゃ」


 マイクを向けられたシュラが舌を噛んだところで、耐えられなくなったシュラがディスプレイの電源を消した。

 ルマガズン青のエリア本店、休憩室。シュラ達が店長に企画書を見せた場所だ。シュラや店長、その他、手の空いている店員達が『今日の運命祭』を見ようと押しかけていた。先ほどディスプレイに映っていたシュラと店長は、本日、昼ごろ撮影されたものである。

 シュラに店長が協力することになってから、話は恐ろしい速さで進んだ。翌日には、掲示板を行うために必要な一族が集まり、シュラの説得とカラの企画書によって協力を取り付け、その次の日に開店となった。

 開店初日は酷いものだった。準備期間がたった半日しかなく、最低限必要な掲示板と伝言を書いてもらう紙だけ準備するだけで手一杯となった。その上、協力してくれる一族が張り切って宣伝してくれたお陰で、初日から人が絶えなかった。誰もが家族や恋人との交流に飢えていた証であるが、対応するシュラ達には地獄でしかない。準備不足による不備が後から後から津波のように押し寄せてきた。文字数の制限忘れ、おつり切れ、システムの説明不足等、挙げればきりがない。それでも何とかなったのは、仕事の内容が単純であった事と、様々な一族が自分達の専門分野を上手く分担してくれたお陰だ。

 そして開店三日目、漸く仕事が順調に回ってきた時、唐突な依頼が舞い込んだ。どこから聞きつけてきたのか、『今日の運命祭』で店を紹介したいとスタッフがやってきたのだ。シュラと店長は凄い宣伝になると張り切り化粧を直したり、服を一番良いものに変えたり、気合を入れて準備していた。

 その結果がアレである。

 シュラと店長は誰も見るな、と厳命したが、聞く者はいない。多勢に無勢、寧ろ、一緒に見ようと強引に連れてこられてしまった。

 結果、シュラは耳朶を真っ赤に染めて大きく肩を落とし、店長がトマトになった顔を両手で抑えて身悶えていた。


「うぅぅぅぅぅぅぅ」


「ぎゃあああぁぁぁぁ」


 羞恥で死にそうになっている二人に、無理矢理連れてきた店員達は何も言えない。寧ろ、下手な慰めは逆効果。そっとその場を去っていった。逃げたとも言う。


「これで、もっと沢山の人が来るわね」


 自嘲気味にシュラが笑う。


「だねー。まぁ、それを期待して、明日からは他の馬乗りの一族から人を借りるし、掲示板の容量も増やす。十倍までなら、なんとかなるよ」


 平坦な口調で店長が答える。 


「良かったー。それなら明日は休めそう。明日も仕事なら、顔中から火が出て死んじゃってたかも」


「だめだよ。シュラちゃんはこの仕事の責任者なんだから、ちゃんと店に来ないと」


「それなら店長も出なきゃね。だって、このお店の責任者だもん」


 乾いた笑いが休憩室内を木霊する。奇妙な連帯感が二人の間に生まれる。


「シュラちゃん」


「店長」


「「強く生きよう」」


 二人の息がぴったり合った。

 この四日間の激務で、店長がシュラをちゃん付けで呼び、シュラも遠慮なく話すようになった。本当の姉妹のようだ。未だにシュラが店長を店長と呼ぶのは、本人の希望である。

 シュラと店長が人の噂も七五日とお互いを慰めあっていると、休憩室のドアが開き背の低い男の店員が入ってきた。


「店長、紙のお手紙です」


「珍しい、誰が持ってきたの?」


 店長は店員から手紙を受け取ると、もの珍しげに眺める。シュラも興味津々、と言った様子で、手紙を見つめる。手紙は無地の封筒に入っており、差出人の名前は書いていない。表にそっけなく、『ルマガズン気付シュラ・シンク様』と書かれていた。


「シュラちゃん宛ね。誰から?」


「六歳位の男の子が持ってきたんです。なんか頼まれた、て言ってました」


「うん、そっか、分かった。ありがとう、仕事に戻って」


 店員はうぃっす、と答えて、店に戻っていった。


「シュラちゃん、どうする? 差出人不明の怪しい手紙だけど」


「とりあえず、見てみる」


 シュラは店長の差し出した手紙を受け取り、手で封筒の端を丁寧に破いた。店長が、シュラの肩口から覗き込む。二人は手紙の内容に目を通した。


『シュラ様

 始めまして。わたくしはXと申します。

 既にお分かりと思いますが、偽名です。訳あって本名を名乗ることができません。偽名を使う失礼をお許しください。

 シュラ様の興された掲示板のお陰で、知人の無事を確認できました。有難うございます。

 さて、今回、手紙を差し上げたのは、シュラ様に対する不穏な情報を知ったからです。それは、シュラ様のご両親に関する事です。

 シュラ様の成功を快く思っていないもの達が、ご両親を誘拐し掲示板の停止を求める計画を進行中との事です。

 詳細は分かりませんが、信頼できるものからの情報です。

 運命祭に参加する全ての糸紡ぎの一族にとって、有益なものへ成長する掲示板。その開拓者であるシュラ様が不幸になる事は看過できるものではありません。

 無力なその他一人でしかないわたくしですが、勇気を振り絞ってお知らせにあがりました。

 どうか、ご両親が無事であることをお祈りしております。

X』


 手紙を読み終えたシュラの顔が青を通り越して真っ白になる。完全に血の気が引いていた。店長の表情も硬い。


「どうしよう」


 シュラの瞳が揺れる。全く予想していない内容にシュラの心が、恐怖と申し訳なさで満たされる。店長はシュラの肩を優しく抱きとめる。震えているシュラの体を外界から守るように、後ろから優しく包み込む。


「大丈夫。まだ本当と決まったわけじゃない。うちから人を出して、シュラちゃんのご両親の周りをそれとなく見て回らせる。大丈夫、大丈夫」


 店長の暖かな言葉がシュラの鼓膜にしみこんだ。シュラの心の震えが小さくなる。


「本当?」


 目に涙を溜めたシュラが、店長の腕を抱きとめる。


「もちろん。だから大丈夫、安心しなさい」


 暖かくも力強い声が返ってきた。シュラの瞳から涙が零れ落ちる。


「あびばぼう」


 鼻水をたらしながらお礼を言うシュラに、店長がしょうがないわねーと鼻紙を差し出す。シュラは鼻紙を受け取ると、思いっきり鼻をかんだ。ズズズズ、と女の子が異性には絶対聞かれたくない音が部屋中に響く。店長は雰囲気台なしの音に苦笑いを浮かべる。


「ただいま帰りましたよー。なかなか重労働でしたが、ビラは全て配り終えました」


 休憩室のドアが開き、カラが帰ってきた。カラは今日一日中、着ぐるみを着てビラ配りをしていた。本人の志願ではない。シュラと店長が強制的に与えた仕事である。それというのも、店長の協力を取り付けてから三日間、カラは一切仕事をしなかったからだ。

 店長の説得が終わった後、カラは『遊んできます。探してください。』と言う書き置きを残して街に消えた。毎夜、ガラクタや女性用香水の香りを伴って帰ってきた。昨日、ついに日々の重労働で疲れていたシュラの堪忍袋の緒が切れ、本日の強制労働となったのだ。


「カラ君、おか、え……り?」


「カラ! ノックぐらいしな、さ」


 丁度、鼻をかんだ音を聞かれたシュラは羞恥で肌を真っ赤に変え、カラを怒鳴ろうとして絶句した。怒鳴り散らすはずだった口が大きく開いたまま戻らない。店長も同じように、口を大きく開けていた。


「最後は何故か小さな子供から泣かれて、男性からは避けられて、女性からは生ゴミを見るような目で見られましたが、問題ありませんでしたよー。アハハハハハーーーーーー」


「へ、変態」


 カラが結果を報告し、シュラが原因を端的に言い表した。

 シュラと店長の前にいたカラは特殊な格好をしていた。ゴスロリ風のミニスカワンピースに身を包み、頭にリボンをつけたのだ。

 ワンピースは手縫いのレースがみっちり付けられ、ふわふわとした雰囲気をかもし出している。ピンク色の生地が愛らしく、小柄な女の子が着ていれば、さぞ似合ったであろう。しかし長身で細身とはいえ、筋肉の付いた体の男が着ている姿は犯罪でしかない。はちきれんばかりの胸元、ちょっとかがんだだけで下着が見えてしまいそうなスカートからは、すね下処理されていない生足が惜しげもなく外気にさらされている。

 カラがどこか遠くを見ながら、男には色々あるんですよー、と呟いた。


「私の格好は気にしないで下さい。これには山よりも深く、海よりも高い、話せば三〇文字はかかる壮大な物語があったんです」


「色々突っ込みたいけど、取りあえず、一つだけ」


 歩く猥褻物を前に、店長はあまりにも綺麗な笑顔で尋ねた。


「着ぐるみ何処やった。あれ、高いんだよ」


 笑顔のまま店長はカラの襟首を締め上げる。身長一八〇センチのカラを、身長一六五センチの店長が持ち上げている。何処にそれだけの筋肉があったのか、人体の神秘だ。


「着ぐるみはあげちゃいました」


「あげたー!」


 カラが陽気に笑うと、店長が目を剥いた。店長の指がカラの首により深く食い込む。


「あれ一着で、従業員一人、一か月分は雇える位の値段なんだよ。

 どうすんの! どうやって弁償する気!」


 店長は首を絞めたまま問い詰める。目が血走り、鼻息が荒い、殺気がにじみ出ていた。


「ぶ、ぶがひひぎゅががぎまず(深い理由があります)」


「深い理由?」


 店長は眉をひそめる。とりあえず事情だけは聞こうと、カラの首を絞める力を弱めた。


「はい、暑くて息苦しくなったので、この服と交換して頂きました」


「「アホかー!」」


 店長とシュラの絶叫が重なる。店長はカラの襟首を締め上げ、シュラが無防備になった腹部を殴りつける。三発、四発とシュラの小さな拳がカラの腹部に吸い込まれ、カラの手足から力が抜けた。カラは気力を振り絞って、現状を訴える。


「私の腹は限界です」


 店長がゴミを捨てるようにカラを放り投げる。カラは受身も取れず、タイル張りの床と衝突し、そのまま動かなくなった。


「今日からまかない抜きね。内臓限界なんだから、ちょうど良いよね?」


 止めとばかりに、店長の冷たい言葉が降り注ぐ。


「せめてパンを、真っ黒で硬いパンで良いので、パンを下さい」


「ずうずうしいわ、この馬鹿ラ! 着ぐるみ分弁償するまで、ご飯食べるな! 水飲むな! 息も吸うな!」


 興奮したシュラが両手を振り回しながら、カラを威嚇する。


「それでは死んでしまいますよー。おや、シュラさん何か落としましたよ」


 手を振り回している最中に落ちた手紙を、カラが拾った。シュラが止めるより早く中身を取り出す。床に倒れたまま一読して、一言。


「安い脅しですねー」


「脅し? 脅しなんて言ったら、このXさんに失礼でしょ! せっかくお父さん達が危ない、て教えてくれたのに」


「シュラさんは純真ですねー。これは善意の第三者を装った脅迫文です」


 シュラの純粋な反応を楽しみながら、カラは自身の見解を口にする。


「このXという方は、何故、青のエリアに居ながら赤のエリアに居るシュラさんのご両親が危ないと知っているのでしょうか。

 今、二つのエリアを繋ぐ、表向きの場所はここしかありません。しかし、掲示板にはそれらしい文面はありませんでした。そうなると、非合法に情報を手に入れられる立場に居る糸紡ぎの一族か、自由に連絡可能な他族の方となります。

 他の一族の方だとしたら、この手紙で糸紡ぎの一族を騙っています。糸紡ぎの一族の方だとするならば、非合法な方法をよしとする人物です。結論はどちらでも信用できません」


「だからこのXが誘拐を計画していると考えるのは、カラ君の頭同様に単細胞に過ぎないって事?」


 カラは店長の言葉の棘に堪えた様子はない。寧ろよく聞いてくれました、とにやけ顔をさらににやけさせる。


「Xが誘拐の計画に加担しているかは、重要ではありません。重要なのは、信用できない人物が、誘拐計画の立案を示唆している。しかも、普通なら対処できないのに、です。

 これは悪意に満ちていますねー。善意ならば、何かしらの防御策も一緒に書かれているはずです。少なくとも、計画を立案している人物の名前ぐらいは乗せてくるでしょう。

 よって、これは脅迫状です。まぁ、違ったとしても、たいした差はありませんから、そのように処理する事をお勧めします」


 カラは手の中で弄んでいた手紙をシュラに返し、飛び上がるように立ち上がる。


「じゃあ、このままやってたら、お父さん達が危ないの?」


 シュラの瞳には再び不安の色が現れる。心臓が早鐘のように鳴る。


「それはまだ分かりません。様子見の可能性が高いです。私達は丸裸で生意気に飛び跳ねている目障りな小物ですからねー。

 だからこそ、不気味な存在なのでしょう。ただの小物がこれだけの事を裸一貫から行えるとは、普通考えません。恐らく、自分の調べた情報の正しさを確信できないのでしょう。

 この脅迫状は、こちらの反応を伺う為の一手です。私達の対処法を見て、情報の精度を確かめる意図があると思われます」


「じゃあ、お父さん達は大丈夫なの?」


 言葉の多すぎるカラに、シュラは自分が知りたい事だけを真っ直ぐ突きつける。


「分かりません。ですが、このまま前に進めば、確実に危険になるでしょう。

 それでどうしますかシュラさん?」


「カラ君っ!」


 カラが優しくもどこか毒々しい笑みを浮かべた。店長が鋭い叱責をカラにぶつけるが、カラの表情は揺るがない。


「どう、て?」


 シュラが震える声で問いただす。カラが出来の悪い生徒に言い含めるように、ゆっくりと穏やかな口調で言い直す。


「ですから、ご両親を見捨てますか? それとも、こんな事、止めちゃいますか? 今ならまだ、何とかします。どうしますか?」


 シュラは暫くカラと視線を交わらせる。カラの瞳の中に不安そうな様子で甘えようとしている自分の姿が見えた。情けない顔にシュラは、はっとする。


「止めないわよ。このまま続ける」


 シュラは甘えを振り切った。予定通りだったのだろう、カラの笑みが更に深くなる。その代わり店長が慌てて二人の間に割って入った。


「シュラちゃん、それでいいの? うちが言う事じゃないけど、今ならまだ止められるよ。……お金が消えてなくなっちゃうけどね」


 店長は心底残念そうな顔で付け加えた。


「ううん、無理。わたしは店長さん達を巻き込んだから、だから、今更やめられない」


「そんな事気にしないで。事情が事情だし、皆分かってくれる。お金命なうちだけど、身内の命とまでは交換する気ないよ」


 店長の言葉をシュラは首を振って否定した。たった数日の付き合いで身内とまで行ってくれた店長の心遣いが嬉しかった。だが、その心遣いを無碍にしてでも、やめるない理由があった。

 シュラは忙しかった掲示板の仕事を思い出す。思い起こすのは大変だった事ではない。やってきた客の顔だ。皆、嬉しそうに、そして何処となくほっとして帰っていった。掲示板を作ってくれてありがとうとも言われた。シュラはこの掲示板を自分だけのものと思う事は出来ない。


「きっと、これからここに来るお客さんは納得しない。絶対、がっかりさせちゃう。だからできない」


 シュラの指摘に、店長が目を見開く。

 それに、とシュラは続けた。その顔は先ほどまでとは違い、安心しきったものだ。


「カラ、どうにかしてくれるんでしょ? わたしは止まれないから、だからお父さんとお母さんを守ってくれるんでしょう」


「はい、正解です」


 甘えと言っても良い程の信頼をカラはたやすく受け止める。


「これは、私が何とかします。と言よりも、既にしています。実は赤のエリアに協力者を得まして、その方にシュラさんのご両親の身辺警護をお願いしているんです。

 流石、私ですよねー。アハハハハハハーーーーーーーーー」


「試したの?」


 店長が眉間に縦皺を作った。先ほどまでとは違う種類の怒りが瞳の奥でくすぶっている。


「当然ですよー」


 カラは飄々とした様子で頷いた。


「シュラさんはもう大人です。自分で決めて、自分で歩いているんです。ですから、その介添えはしても、甘やかす気はサラサラありません。それが男の生きる道ぃ、ですねー。アハハハハハハーーーーーーーー」


「うわ、分かってたけど、全然優しくない」


 シュラがカラの発言にけちをつけるが、その顔に不満はない。仕方ない、といった様子で、寧ろカラの発言を喜んでいるようにも見えた。


「シュラちゃん、今からでも考え直さない? どうみても、害にしかならなそうな奴だよ。急いで別の英雄にチェンジしてもらったら」


 納得していない店長が、英雄の交代を提案する。


「無理です。英雄の交代は英雄が死ぬかそれに類する場合しか許可が出ないんですよー」


「あら、ちょうど良いじゃない」


「てんちょーさーん、今言外に死ね、と言われませんでした?」


 店長の素の言葉に、カラが首筋を守りながら悲鳴を上げる。


「あ、なるほど、それいい案かも」


「シュラさーん、真剣に検討しないで下さい。私は死ぬなら腹上死と決めているのですからねー。アハハハハハハーーーーーーーー」


「なっ!」


 シュラが首筋まで真っ赤にして固まった。そして、無言で拳をカラの腹部に沈める。カラは再度、床に倒れた。店長は蔑んだ目をカラに向けて呟く。


「最低……」

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