シュラさんは私を殺せますか
壁に備え付けられたディスプレイの中で、二人の女性が運命祭の対戦を解説している。『今日の運命祭』の時間だ。二人の女性のうち、つまらなそうに頬杖をついた方、ミミルが面倒くさそうに本日あった対戦を読み上げていく。
カラの言った通り、今日の対戦はシュラと同世代の子供しか居なかった。対戦内容を半分見たところで、シュラは乱暴にディスプレイの電源を切った。
シュラとカラは、昨日と同じくカラの部屋のベットに腰掛けている。違いはカラの体に包帯が巻かれていない事と、二人の間に店員から貰った紙袋が置かれている事だ。
「カラの言った通りだった」
シュラが怒気を滲ませた声をはき捨てる。
「それよりシュラさん、このパンおいしいです。お一ついかがですか?」
カラが店員から貰ったパンを差し出してくる。シュラはベッドから立ち上がり、差し出されたパンも、カラの食べかけのパンも取り上げた。
「カラ、あんたねぇ。なんとも思わないの? これくれた時、店員さん、二回戦も頑張れ、て言ってくれてたじゃない。二回戦を楽しみにしてたじゃないッ!」
「私達には関係ないことです」
シュラの怒気を受けても、カラの軽薄な笑みは崩れない。
「関係なくない。こんなの納得できない。こんなの嫌だ。こんな出来レースなんて可笑しいじゃないっ!」
シュラが力の限り叫ぶ。両手の中でパンが握りつぶされた。カラはシュラの顔をじっと見つめ、シュラの言葉の本気度を探る。
「では、どうしたいんですか?」
「どう、て?」
「文句だけ言われても困りますよー。ただ愚痴るだけなら、馬鹿でもできます。それで、シュラさんは何がしたいんですか?」
カラは冷たく言い放つ。セバスとマリーンと言う、二つの派閥から声がかけられた以上、優しい言葉で誤魔化せるタイミングは過ぎていた。
シュラは一瞬、悲しそうに瞳を揺らし、目を閉じる。暫く考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「皆にチャンスが欲しい。カラの言う派閥があるなら、結局、対戦前の交渉なんて無意味じゃない。それが嫌なの。だから、それをなんとかしたい。これは私たち、ううん、皆の運命祭なんだから、派閥の人だけのものじゃない」
カラはこれ見よがしにため息を吐いた。なんとかしたい程度の覚悟なら、潰した方が良い。王を決める戦いに半端な覚悟で手を出せば、火傷ではすまない。
王位継承権争い、カラはそれを内外から幾つも見てきた。男と言うだけで生まれたばかりのわが子の首を絞める母が居た。兄と姦淫し失墜させた妹が居た。息子に毒殺される王が居た。部下に手足を切られ喉を焼かれ文字通り、生きる屍となった王子が居た。権力という力の前で、人は如何様にも残酷になれる。それが特に、自分の人生を賭けたものであればなおさらだ。
カラの予想では既に幾人かの優勝候補が、自分の全てを賭けて戦いに望んでいるはずだ。金、知識、人脈、身体、友人知人親族恋人、残りの人生、その全てを賭けているのだ。生半可な覚悟で手を出せば、残りの人生をまともに暮らす事は出来ないだろう。
「それは私にまた戦え、と言う事です。また痛い目を見ろ、と言っています。今回勝てたのは運です。プロテクター越しとは言え、かなりダメージがありました。次、戦えば、殺されるかもしれません」
シュラの顔色が変わる。カラはできるだけ嫌な言い方で、責任の所在をシュラに押し付けるように聞いた。
「それでも、シュラさんはどうにかしたいんですか?」
「う、それは……」
シュラの視線が下がっていく。カラが追い討ちをかける。
「私を殺す覚悟がないのなら、そんな事はやめて下さい。私は死にたくありませんからねー。シュラさんは私を殺せますか?」
シュラの顔が勢いよく上がった。瞳が潤み、いつ涙が落ちても可笑しくない。シュラは首を左右に激しく振りながら、鼻声で叫ぶ。
「そ、そんなの、できないっ! できないに決まってるじゃないっ!」
シュラは肩で息をしながら、鼻水をすする。両手で自分の顔を覆いながら、胸のうちを吐露する。
「でも、でも、そんな派閥の所為で泣いている人がいて、そんな派閥を知らないで運命祭を楽しみに人がいるの。そんな人たちの為に、何かしたいのは間違っているの? 胸がぐるぐるってなって、頭がぐちゃぐちゃで、意味分かんないけど、嫌なの。こんなの嫌なの」
「でも、諦めて下さい」
助けて、と甘えてくるシュラを、カラは容赦なく見捨てる。まだ、足りない。
「それが一番良いのはわかるけど、嫌なの。そんなの嫌なの。諦めたくないの」
それでも、とシュラは両手で涙をぬぐってから、カラを見上げた。熱の篭った瞳を、カラは穏やかな顔で跳ねつける。
「無駄な事はやめましょう。私程度を殺せない覚悟じゃあ、成功しません」
カラがおどけた調子で笑った。更にシュラの心を叩きのめす。
「貴女はただの子供で、私は英雄と言える力のない人間、いわば自称三流英雄です。お金も権力もコネもありません」
シュラが反論しようとするが、カラは素早く言葉を繋げ、口を挟む間を与えない。一度徹底的に潰し、それでも立ち上がってくるものでなければ、命を賭ける楽しみがない。なにせ、手を出すと決めた瞬間、自分の死は確実なのだ。せめて、命を全て捨ててでも、失敗した時のフォローをしたいと思わせる輝きが欲しい。
「ですから、全力で頑張らなくてはいけません。それこそ、命がけですよー。自分の命だけでは足りません。私の命もチップにして初めて舞台への入場料が払えます。それ位とんでもない事ですからねー。アハハーーーーーーーー」
寒々とした笑い声が室内に木霊する。シュラは何かに耐えるように奥歯を噛み締めた。
「……私の命とカラの命を賭ければ、何とかなるの?」
「さぁ、ただそれが何とかする為の最低条件です」
カラは軽い調子で肩をすくめる。
シュラはカラの軽薄な笑い顔から顔を逸らす。
「わたし、一回戦の決闘でカラが死んじゃうかと思った。そしたら、凄く怖かった」
一呼吸、躊躇ってから震える声で続ける。
「カラが死ぬ事じゃなくて、私の所為でカラが殺される事が怖かったの」
「それが普通ですねー」
ごめんなさい、と語る瞳を受けながら、カラは許しも責めもしない。謝罪を受け取ってもらえなかったシュラの心に痛みが走る。
「だから、わたしはカラを殺せない。カラの命を賭ける事もできない」
シュラは苦しそうに言葉を重ねる。次第に顔が歪み、最後は掠れ声しか出てこない。
「けど、どうにかしたいの」
擦り切れて、装飾のない音が出た。泣く事をこらえている一二歳の女の子が居た。
カラはそっと安堵のため息を吐く。止めるだけなら、優しい言葉で甘やかせばよかった。しかし、それでは駄目だ。進むにしろ、退くにしろ、本気で考えた答えでなければ、面白くない。
そしてシュラは、カラが遊ぶには十分面白い存在だった。それを今証明してしまった。
「不思議ですねー」
カラの暖かな声色に、シュラはホッと顔を緩めた。
「なぜ、そんなにやろうとするのか分かりません。どうしたって、最後は優劣が付きます。ルールがある以上、そのルールの中で最適化できた人間が勝ちますからねー」
言葉に優しさはない。あるのは事実だけ。
「それでも、ずるいじゃない。ルールを勝手に決めて、それを皆に内緒にしている時から準備して、始まったら、お前達の努力が足りないから負けるんだ、なんて、ずるいわ」
シュラは拗ねた口調で、ずるい、と繰り返す。
「ずるい世の中で、その世の中を治める王を決めるのですから、順当だと思いますよー」
「でも、嫌なの。近くで泣いている人がいて、誰も手を差し伸べてくれない。すっごく悲しいの、すっごく寂しいの。自分は悪くない。自分は正しい。何度言っても、何にもならない。
わたし、カラがわたしを助けてくれて凄く嬉しかった。味方がいてくれて凄くほっとした。だから、今度は他の誰かをわたしが助けたい」
シュラが描く幼くて立派過ぎる絵に、カラは最後の確認として現実を突き立てる。
「その為に、私を殺すんですか?」
「そんなのできない。最低だけど、酷い事だけど、馬鹿みたいな事だけど、わたしがカラを殺さなくてもいい方法で、この運命祭を少しでも皆の運命祭にしたい」
シュラがカラの手を握った。小さな指先は振るえ、簡単に振り払えそうな程弱々しい。
「お願い、味方でいて。わたしの敵にならないで」
すがりつくシュラの瞳に、カラは唇で弧を描いた。
「承知しました。マイリトルクィーン」
カラは跪くと、シュラの手の甲に唇を寄せる。何を意味する行為か理解したシュラの瞳から大粒の涙があふれ出た。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」
涙と共に零れ落ちる言葉をシュラは留める事ができなかった。
シュラが泣き止むまで待って、カラはおもむろに口を開く。
「それで、シュラさんの言う平等な運命祭を行うには、どうしたらいいと思いますか?」
シュラが眉を寄せる。暫く唸ってから、おずおずと自身の考えを言った。
「派閥を解散させる?」
カラは首を横振った。
「それは無理です。派閥を解散させる力を手に入れる時間がありません。仮にあったとしても、今度は別の派閥ができるだけで、いたちごっこにしかなりません」
「それじゃあ。派閥があっても意味がないようにする?」
自信がなさそうなシュラに、カラが大きく頷いた。
「はい、その通りです。現状、私達にできる方法はそれしかありません」
「でも、どうやって?」
首を捻るシュラに、カラが意地の悪い笑みを浮かべる。
「自分で考えてみて下さい。ヒントは運命祭で二つの派閥が戦う場合、どうなるかです」
「う~ん、どちらも勝とうとするから、自分に有利なルールにしようとするわ。うん、ハンクの時もそうだった。だとすると、陪審員が問題?」
「正解です。シュラさんは頭が良いですねー」
「子ども扱いは止めなさいよ。わたしはもう一二歳なんだから!」
カラに頭を撫でられたシュラの顔が崩れるが、すぐに真っ赤になって手を振り払う。
「そうですねー。シュラさんはもう大人です。では、大人なシュラさんにこれからやらなくてはいけない事をお話します」
カラはベッドに腰を下ろし、シュラにも座るように促す。
「シュラさんが言われたように、最大の問題は陪審員です。このシステムをどうにかしなくてはいけません。その為にはやらなくてはいけない事が、二つあります。
まず一つ目は、シュラさんの考えに賛同してもらう事です。一人でも多くの参加者が賛同を示せば、それだけ公平に陪審員をやってくれるでしょう。それに、良い事をやっても、解ってもらえなければ、非難の対象となります」
「うん、そうだね」
シュラが自分の拳を見ながら頷く。思い起こすのは学校での事、いじめを止めたはずなのに、逆にいじめていると先生に告げ口されて怒られた日々だ。
「二つ目は陪審員の選択方法をできるだけ無作為に選ぶようにしなくてはいけません。極論、ある派閥に一〇人の陪審員が居て、その一〇人だけずっと選出されれば、意味がありませんからねー」
「全員敵の学級ミーティングとか最悪だもんね。いつもいつもゴミ捨て当番とか、牛乳の運搬とか、臭くて重くて面倒くさい事だけやらさるもの」
シュラが沈んだ声で同意する。真っ黒い学校の思い出に、シュラの目が荒む。
「解って頂けたようで何よりです。その為に、明日からは色々頑張らなくてはいけません」
「か、カラ!?」
カラはシュラのわきの下に手を入れて、持ち上げる。目を白黒させるシュラを扉の前まで運ぶと、優しく下ろした。
「今日はもうお休みの時間です」
「そんな子供じゃない」
カラのあやすような口調に、シュラは頬を膨らませる。
「明日は色々しなくてはいけません。体力をたくさん使います。その為、今日はしっかり寝て体力を蓄えてください」
シュラは不満そうに唸っていたが、最後は渋々頷いた。
「う~、分かった」
「ちゃんとお風呂に入るんですよー。涙の跡が残ってたら私が変な事をしたと疑われてしまいます」
「十分、変な事したじゃない。それ位、当然の報いでしょ。おやすみ、カラ」
シュラは笑いながら扉を開け、小さく手を振って出て行った。