女の子におごってもらう文無しとは、まさにヒモですねー
翌日、シュラは公園のベンチに座っていた。へばりきったカラの回復を待っているのだ。柔らかな風が頬をくすぐり、桜の花びらが流れてくる。
指先で花びらを弄んでいたシュラがベンチから飛び降りた。石畳をスニーカーがタンと叩き、ジャンパーのチャックがチャリンと鳴る。膝まで覆い隠していたスカートがまくれ上がり、太ももが覗いた。
「カラ、そろそろ行くわよ」
ベンチに座ったまま動かないカラの手を引くが、動かない。
「シュラさん、そろそろ勘弁して下さい。もう限界ですよー。体中が悲鳴を上げます。昨日、しこたま殴られましたからねー。アハハハハーーーーー」
早朝、浮かない顔をしたシュラを、カラが気分転換もかねて無理矢理外へ連れ出した。その狙いは成功し、近場の洋服店や装飾店を数件ひやかした頃には、シュラに明るさが戻ってきた。その代わり、カラの顔色が悪くなり、公園のベンチに倒れこんだのだ。
「取り敢えず、あそこで何か飲み物を所望します」
カラは公園の広間で営業している屋台を指差す。レンガと木材を組み合わせた洒落た外観の屋台だ。家をイメージしているようで、入り口と窓がある。
「仕方ないわね。そこで何か買ってあげる」
シュラは大業にため息を吐いて、ジャンパーのポケットから青い半透明のカードを取り出した。手のひらサイズのカードに貯まっている数値がお金となる。
「ありがとうございます。女の子におごってもらう文無しとは、まさにヒモですねー。アハハハハーーーーー」
カラの笑い声には幾分、悲しみの要素が混じっていた。生き返ったばかりのカラはお金を持っていない。必要最低限の衣食住は運命祭運営委員会から支給されているが、それ以上の贅沢をしたければ誰かに買って貰うしかなかった。
シュラとカラは連れ立って屋台へ向かう。屋台は無人式で店員の姿はない。二人が店の前に立つと、空中にメニューが浮かび上がった。
屋台には飲み物のほかに、サンドウィッチやサラダ、アイスクリームのような軽食もある。シュラはオレンジジュースとバニラアイス、カラはメロンソーダとサンドウィッチを注文した。
屋台の窓が開き、紙袋に入った品物がトレイに載って出てきた。二人は、紙袋を受け取り、近くの芝生に腰を下ろす。
「ふぅ、やはり芝生の上が落ち着きます。ベンチの上はお尻が痛いんですよー」
「まぁ、たまにはこう言うのもいいわね」
カラは紙袋からジュースを取り出す。透明なコップの中になみなみと注がれた緑の液体が姿を現す。
「シュラさん。自分で頼んで言うのもなんですが、この緑色をした液体は飲み物ですか?とてもとても不安な色合いです」
不安そうにメロンソーダを見つめるカラに、シュラは小さく噴出した。
「当然じゃない。メロンソーダ、おいしいわよ」
「メロンの果汁はこんな青草色ではありませんよー」
「でも、そういうもんだし。飲まないなら頂戴、代わりにこっち上げるから」
いつの間にか半分飲みきったオレンジジュースをシュラが突き出す。カラは自分の手の中とシュラの手の中を見比べてから、首を横に振る。
「いえ、人生何事も挑戦です。スリカタラン族に出された虫の幼虫のミックスカクテルに比べれば、いい匂いをしているだけで上等ですよー」
「何、そのゲテモノ料理」
顔を顰めるシュラにカラは無言で首を振る。何かを悟ったシュラは、追求しなかった。
大きく深呼吸をして、覚悟を決めたカラがジュースを煽った。ゆっくりと嚥下し、ほう、と唸る。
「流石は未来、こんな色なのにおいしいです」
「でしょ。これが未来よ」
シュラが薄い胸を張る。
「それにしても」
カラはコップを握る力を入れたり抜いたりして、感触を確かめる。
「この透明で柔らかいコップ、水の流れるトイレに御風呂、これだけ便利でとんでもない技術がありながら、見た目は私の居た時代と殆ど変わりません。意匠やデザインに差はあっても、基本的な材料や造りは一緒に見えます。これが人間の進歩の限界なんでしょうかねー。シュラさんはどう思います」
話を振られたシュラは、口に入ったアイスを飲み込んでから応える。
「知らないわよ。そんな昔の事。むしろ、端末を使えなくて不便に感じてるし」
子供らしい回答の中に紛れた固有名詞に、カラのセンサーが反応する。
「端末とはタンスに松の木の略ですか」
「んなわけあるか」
カラのボケをシュラは一蹴した。端末を説明をしようとして、眉を寄せる。当たり前にある物なので、逆に説明が難しい。
「遠くの人と話せたり、色々な事を調べたり、命令すると色々してくれる機械の事よ」
悩んだ末、シュラは端末でできる事を端的に述べた。
「それは便利そうです。それがあれば、伝書鳩や飛脚はいらないんですねー」
「あんた何時の」
時代の人間か、と言いかけて、カラが生き返ったばかりの英雄である事を思い出す。
「そんな昔の馬鹿だったわね。わたしと会った時も行き成りき、き、き、キスしようとしたし」
「おでこにキスは親愛の証です。けっして、可愛いおんにゃのこの肌を舐めたいとか、あわよくば唇もなんて考えてません。健全ですよー」
「この変態がッ!」
シュラの張り手がカラのこめかみを叩いた。乾いた音が鳴り、カラが目を回す。
「世界が回ります。回ります。回ります」
フン、とシュラは目を回すカラからそっぽ向いて、その場に寝転んだ。風の音と木々のざわめきに耳を傾けていると、何処からともなく女の子の鳴き声が聞こえてきた。
辺りを見回すと、一〇メートルほど離れた所で女の子が泣いていた。歳はシュラと同じ位の赤い髪をした女の子だ。赤髪の子は大粒の涙を零し、人目もはばからず泣いている。
その隣に居る女の子が赤髪の子をあやしていた。こちらもシュラと同い年位だろうが、若干大人びた雰囲気がある。
風に乗って、二人の会話がシュラの所まで届いてきた。どうやら運命祭参加者らしい。赤髪の子が英雄で、大人びた子が糸紡ぎの一族のようだ。
「ごべんなざい、わだづのぜえで、わだすのぜえで」
「気にしないで、相手が悪かっただけだから。仕方ないわ」
「ぞぶな……」
「相手に有利なルールに決まったんだから。圧倒されなかっただけでも十分。貴女は良くやったわ」
「でぼ、でぼ、わだづがぶべを、ゆべを、ぐすっ、だびなびに」
「ううん、相手はあのグリンドル家だもの、どうしたって勝てなかった。貴女の所為じゃないの」
次第に大人びた子の声にも涙が混じってきた。そして、二人は声を上げて泣き始めた。
昨日の話しを思い出したシュラの顔が怒りで歪む。眉間にしわを寄せ、奥歯をかみ締めるシュラの顔を十本の指が笑顔に崩した。
「シュラさん、ストレスは美容の大敵です。もっと朗らかに笑いましょう。スマイルスマイルですよー。アハハハハハーーーーーー」
カラが、シュラの顔面を強引に笑顔へ変えていた。シュラは顔を弄る手を振り払い、カラを睨む。
「あんな話聞かされて……笑えるわけないじゃない!」
「今更怒っても、何にもならないです。結果が出た後ですからねー」
シュラが言葉に詰まる。そして、次第に眦が下がり、視線が下がり、頭が下がる。
「だけど、こんなの、可笑しいじゃない」
「世の中平等はないんです。諦めましょう」
それに、とカラがシュラの耳元で囁く。
「勝った私達が慰めても嫌味にしかなりませんよー」
「……」
正論過ぎる指摘に、シュラは唇を噛む。カラは、悔しそうに震えているシュラの肩に手を置き、公園から出るように促した。二人の泣き声から逃げるように、シュラは公園を後にする。
沈んだ気持ちのままのシュラを連れて、カラは賑やかな通りに出た。
通りは二十メートルほどの道幅で、両脇を遮る巨大な建物は、石造りのものや木造のもの、壁一面ガラスのもの等、統一感がない。建物の中も統一感がなく、服屋、宝飾店の隣に食堂があり、本屋のとなりにまったく同じ本屋が並び、タバコ屋と薬屋が一緒になった店まであった。欲しい物を適当に詰め込んだおもちゃ箱のような場所である。
誰もが上を向いて歩いている中で、シュラだけ俯いていた。カラは何か慰めに使えるものはないか、辺りを見回し。一軒の店で視線が固まった。
「あ、シュラさん、ストップです」
「ぐぇ」
カラがシュラの襟を掴んで止める。シュラの口から潰れたカエル鳴き声が搾り出され、俯いていた首が上がった。
「カラ、なにすんのよっ!」
首をさすりながらシュラが怒鳴るが、カラはショーケースに顔を貼り付けて聞いていない。眉を吊り上げたシュラが拳を振り上げようとした時、カラが振り向く。
「これ、何ですか? いえ、どうやって作られているんですか? 中に入っているのは魚の人形です。これはどうやって動いているんでしょうねー」
頬を赤くしたカラがショーケースの中にある置物を指差す。丸いガラス球の中にさんごと海草の模型が取り付けられており、その間を二匹の黄色い魚の模型が動き回っている。
「いや、知らないわよ。店の人に聞いたら」
鼻息荒いカラの様子に気圧されたシュラは自分の怒りも忘れて素直に言った。
「シュラさん、素晴らしい助言をありがとうございます」
カラが店の中に突撃した。
「いらっしゃいま……キャッ」
「外にあった一品は何ですか? どうやって作ったんですか? 中に入っている液体は何ですか? あの魚はどうやって動かしていますか? いえ、いえ、いえ、それより何より」
「お、お客さん、顔が近いよ。鼻息が荒い、荒い。落ち着いて、落ち着いて」
店内から女性の必死な懇願が聞こえてくる。シュラは、一昨日と全く同じカラのはしゃぎっぷりに頭が痛くなる。頭を抑えてため息を吐き、店に入った。
店内は奥行きが広く、雑踏とした雰囲気をしている。唐草模様の万年筆、動物の彫り物、パンやジュース等、高級品と雑貨品が所狭しと並べられている。背の高い棚は天井までもので溢れており、今にも商品が落ちてきそうだ。店の奥からカラの騒ぐ声が聞こえてくる。
シュラが喧騒の中心に向かうと、カラがスーツを着た女性店員に詰め寄っている姿が見えた。歳若く見える店員は桜色の唇を歪ませ、視線をさ迷わせていた。
「あんな面白いものを見た以上、中身を確認しなくては私の人生の師にオオミズウミシロの生け作りを食べさせられてしまいます。是非とも、あの品物の謎を」
「落ち着け、馬鹿」
シュラのボディブローがカラのわき腹に突き刺さる。カラはわき腹を押さえて、二、三歩後ずさった。
「ふぅ、ありがとう。けど、お兄ちゃん大丈夫?」
店員は乱れた襟を正す。ほどほどに育った胸がスーツの中に押し戻された。
「こっちこそ、うちの馬鹿が迷惑かけて、ごめんなさい。後、これと親類にしないで」
「いや、うちは無事だったし、そこまで気にする必要ないよ。それより、もしかして……」
店員はあっさり許すと、シュラの顔をまじまじと見つめて尋ねる。
「君の名前、シュラさん、じゃない?」
「うん、でもどうして知ってるの?」
「ああ、やっぱり、そうか。昨日の一回戦、うちも見ててね。とっても面白い二人が居たから良く覚えてたんだよ。英雄を殴る女の子なんて、そうそう見れないからね」
「あ、あははは」
シュラの顔が真っ赤に染まる。
「私達の華麗な勝利を見て頂けたとは感激です。シュラさんもそう思いませんか?」
「うん、それは嬉しいけど、あんたの痴態が全世界に流れている証拠が見つかって、すっごく微妙」
「それでも勝ちは勝ちですよー。女の子にもてるなら、もう少し頑張っても良いかもしれません」
そこで、何かに気づいたカラが深刻そうな顔で考え込む。いきなり雰囲気が変ったカラにシュラと店員は顔を見合わせる。
「二回戦開始時にエリア分けがあります。二回戦でお別れになるかもしれない事を考えると、この場で頑張って口説い方が得策でしょうか?」
エリア分けとは、二回戦の前に二回戦進出者を再度、赤と青のエリアに分ける事だ。三回戦、四回戦、その先も同様に行われる。対戦者同士が街中で出くわさない為の配慮だ。
シュラは顔を真っ赤に変えて、カラの独り言を止める為に拳を握りこんだ。
「ブワハッハッハッハ」
シュラの拳が炸裂するより先に、店員の笑い声が店内に響く。カラが顔を上げ、シュラが目を丸くする。店員はカラに近づき、背中をバシバシ叩いた。
「正直だね、君。やっぱり、男の子はムッツリよりガツガツしている方が良い」
「それは光栄です。どうですか、店員さん、これから素敵な一夜を過ごしませんか」
「おねーさんを口説きたかったら、二十歳を過ぎてから出直してきなっ!」
「ああ、愛が寂しいです」
カラが自分自身を抱きしめる。くねくね動くカラから、シュラは一歩距離を取った。
「まぁ、うちの店は青のエリアだけじゃなくて赤のエリアにもあるから、そっちでも顔を合わせられるよ」
「それはつまり、私と何時でも会いたいと言うことですか?」
「いや、うちを落としたかったら、健気に通ってみなさい、て事。ついでに、売り上げにも貢献お願いね」
店員のさっぱりとした断り方に、カラは膝を丸めて床にのの字を描く。
「はいはい、いじけない、いじけない、これとこれとこれをあげるから」
店員はそう言って、ジュース、パン、お菓子等を棚から取り出す。
「迷惑かけたのに、そんなものまで貰えないわ」
シュラが止めようとするが、店員は気にせず紙袋に詰め込んでいく。
「気にしない、気にしない、子供が遠慮しないの。それにうちをひいきにしてくれたら良い宣伝になるしね」
店員がシュラに方目を瞑って見せる。
「そんなわけだから受け取って」
店員は紙袋をシュラに押し付けた。シュラは暫くためらっていたが、引く様子のない店員に観念した。ためらいがちに紙袋を受け取る。
「ありがとうございます。今度は何か買いに来るから」
「気にしないで頂戴。それより、二回戦も頑張ってね。応援してるよ。あ、でも、できれば明日以降もうち、ルマガズンをご贔屓にー」
店員が歯を見せて笑う。
「はい」
曇りのない笑顔を前に、シュラは他に何も言えなかった。手に持った紙袋が鉛のように重くなった。