相互理解は必要だと思うのですよー
決闘が始まってから五分経過した。
強烈なフックでカラが吹き飛ばされる。枯葉のように舞い、地面を転げまわった。
「ワーン、ツー、スリー」
審判のカウントが響く。カラはゆっくり呼吸を整える。たっぷり、エイトカウントまで使って立ち上がった。真っ黒なゴキブリファッションのマントは、そこもかしこも土にまみれた。
決闘の方法はボクシングに近かったが、完全にそれではない。グローブは指の部分が露出しており、手刀や相手を掴む事も可能だ。場所は四角いリングではなく、円形の高い金網で囲まれた檻で足場は地面である。服もボクサーパンツとブーツではなく、着ている服そのままだった。当然、ラウンド制もなく。既に五分間戦い続けている。
「フン」
軽い呼吸と共にロックマンが、カラめがけてその身を発射させる。土ぼこりを残した突撃は、鎧を着けているとは思えない。巨大な岩の砲弾だ。
カラは左ジャブで停止させようとするが、その程度で砲弾が止まるはずがない。それでもカラは丁寧に後退しながら、ジャブを繰り返す。顔面しか殴る箇所が狙えない状態では焼け石に水だった。
ロックマンの体に打ち込んでも、グローブと鎧が衝撃を遮断しダメージが通らない。相手に予想され、何発も防がれていても、カラの狙いは顔面しかなかった。
左のジャブを突破したロックマンが、懐に入ると拳を振りかぶった。突進の勢いを利用した体を大きくひねるパンチは、どんな種類のものか素人でも間単に予測できる。しかし、その拳の軌跡は素人では確認できない。
速い。速すぎるパンチだ。
カラは後退しながら大降りのパンチを回避するが、直ぐに金網に突き当たる。それでも、打ち出される拳を避けていると、クロスレンジに進入したロックマンのフックがカラの側面に直撃する。カラは枯葉のように飛んで、地面を転げる事となった。
「よっしゃ」
「カラッ」
ハンクの歓声と、シュラの悲鳴が左右反対側から響いてくる。
カラはゆっくり呼吸を整え、エイトカウントで立ち上がった。そしてまた、ロックマンの突進が開始される。十数秒後、カラは先ほどと同じように塀へ追い詰められ、ロックマンのフックで吹き飛ばされてしまった。
決闘開始からずっと同じ事が繰り返されている。技術や気合の入る隙間がない圧倒的な身体能力の差があった。
しかも、カラのジャブにロックマンが慣れてきたのだろう、カラが吹き飛ばされるまでの時間が短くなっている。
「カラッ! カラァ」
カラの背後から嗚咽が聞こえる。地面に横たわるカラは首だけ後ろに向けた。真っ青な顔をしたシュラが金網にへばり付いている。
カラはエイトカウントで立ち上がると、シュラを安心させるかのように、両手を天に突き上げて叫ぶ。
「焼き鳥定食っ!」
そして、吹き飛ばされた。ロックマンのフックが、わき腹に直撃したのだ。
「カラーっ!」
「ブワハハハハッ」
ハンクが腹を抱えて哂う。
カラは打たれたわき腹を押さえながら、口から胃液と朝食の残りを吐き出す。その間にも、審判のカウントは止まらない。
カウントナイン、まさにぎりぎりのタイミングでカラは立ち上がった。足は小刻みに震えており、呼吸音がおかしい。たった一発の直撃で、体の機能を根こそぎ破壊された。
ロックマンの眉が上がる。何かを確かめるように、自分の拳を見た。
カラはロックマンの仕草に、意味深な笑みを浮かべる。
「グッフフフフフ、ウゥウゥゥゥゲエ、オウ、ウッゥェエエエエエエエエエエ」
カラは声を上げて笑おうとし、嘔吐する。自分が戻したものの中に血が混じっていない事を確認し、嘲るような笑みを浮かべた。
「素手、ガンレットとは勝手が違いませんか。それがグローブです。柔らか過ぎて慣れないと使いにくいでしょうねー」
カラが自身の拳を打ち合わせる。ポスポス、と気の抜けた音が鳴った。
「なるほど」
ロックマンも自身の拳の硬さを確かめるように、何度も打ち合わせる。
「確かに柔らかいな。これでは、後十発殴らなければ、倒せそうにない」
「それだけグローブは安全なのです。その拳なら、死なずにすみます。平和的ですねー。アハハハハーーーーーーーー」
わき腹を押さえ笑うカラ、ロックマンはその姿を正面から見据えて尋ねた。
「その代わり、貴様は後十回、その痛みを受ける事となるが、負ける気はないか?」
「負ける気はあるのですが、一二月二五日に幼子の寝顔を観察しなくてはいけないのでできません」
ロックマンは怪訝そうに眉をひそめる。
「なら、後十回、苦しめ」
ロックマンの突進が再開した。
「もう少しお話していただけると嬉しいです。相互理解は必要だと思うのですよー」
カラが左ジャブで迎撃する。動きが先ほどまでより、鈍い。
「回復時間はやらん。沈め」
ロックマンはあっさりジャブを掻い潜る。既に拳は腰だめに構えられている。
カラが腹部を両手で覆うと同時に、稲妻のごとき轟音が鳴り響いた。
ロックマンの打ち込んだボディブローもどきの一撃で、カラはフェンスまで後退させられた。腹部をガードした両腕は宙に押し上げられ、腹部が丸見えとなる。
カラはチャンス、と呟く。この絶体絶命のシチュエーションがカラにはとても都合が良い。カラが勝つ上で必要な条件を全て満たしてくれている。
ロックマンの追撃が来た。
カラはこの決闘が始まって初めて、拳をしっかりと握った。今まで打ち続けたジャブは、拳に力を込めていない。それは勝つための条件が揃わなかったからだ。今、勝利条件が揃った以上、手を抜く理由はなくなった。
勝つための条件一、殴り合いを含めた戦闘能力が低い事をアピールする。
ロックマンがカラの腹を殴る。カラの体がフェンスにめり込んだ。
フェンスに縫い付けられたカラは倒れる事ができずに、更にもう一発腹部を殴られる。
「あぅっ」
うめき声を漏らすカラの腹に更にもう一発。
後はサンドバックだった。
何度も、何度も、カラの腹に拳が吸い込まれていく。その度に、カラの体はフェンスにめり込み、辺り一面に鈍い音が鳴り響いた。
カラの拳は握り締められたまま宙に浮き、動かない。その拳だけが唯一の勝機である。その決意を見せ付けるように硬く握り締められている。
「カラッ! カラッ!」
シュラの泣き声が響く。シュラの叫びを遮るように、フェンスが激しく揺れ、硬い金属音が生じる。
「もうやめて、負けでいい。わたし達の負けでいいからっ!」
シュラが泣き叫ぶが、審判は首を横に振る。シュラの顔が絶望に染まる。
「それはできません。勝利条件は相手をダウンさせてテンカウントとる事です。それ以外はありません」
勝つための条件二、シュラに二度と勝とうと思わせない事。
追記、勝つときの保険、ルール適応範囲の確認。
ロックマンの拳がカラの顔面を叩き潰した。カラの頭がフェンスにめり込む。更にもう一発、まったく同じパンチがカラの顔を押しつぶす。
その二発はカラの体から最後の力を抜ききるに十分だった。硬く握り締められていた拳が緩み、フェンスに体を預けたまま腰が落ちる。
カラは焦点の合わない目で、ロックマンを眺める。ロックマンの拳がカラのめがけて発射された。金網が鳴り、シュラの悲鳴が響いた。
ロックマンが大きく腕を振り回し、腹に二発、顔に一発、胸に一発、好き勝手に殴り続ける。後十発と宣言してから、ロックマンの拳は二〇発以上、カラに叩き込まれた。それでも倒れないカラに、ロックマンは何かを感じ取ったのだろう、その表情は険しく、油断などかけらも見当たらない。
ロックマンの攻撃が止まった。打ち疲れか、何か異常に気付いたのか。
ともかく、一瞬の隙が生まれた。
その隙にカラは反撃に出る。カラはフェンスの反動を利用し推進力を得ると、ロックマンの顔面目掛けて右のロングフックを打つ。この決闘で初めて右を使った。
何度も殴られた体は限界で、カラの命令通りに動かない。膝の力が抜け、足を踏ん張る事ができず、体勢を崩した。
カラは空中で二回転しながら、背中から地面に落ちる。拳に確かな手ごたえはない。唯、何かにかすめたような感覚があった。
周囲が騒がしいが、それを聞くだけの余裕がカラにはない。既に審判がカウントを始めているはずだ。何とか立ち上がらなければ、負けてしまう。
カラは震える膝を叩きながら、フェンスをよじ登るようにして、立ち上がった。そして、狙い通り尻餅をついているロックマンを見下ろす。
ロックマンは呆然とした表情でカラを見上げる。自分が何故見下ろされているか分からないのだろう。
「ワーーーーン」
審判のカウントが気付け代わりとなったのか、ロックマンの瞳に力が戻る。そして、力強く立ち上がろうとして、転んだ。
「ナッ!」
地面に頬をこすり付けたまま、ロックマンは呻く。
四つんばいになり、上半身を起こすまではできる。その先、両足で大地を踏みしめようとすると、途端にバランスを崩し転んだ。
カラはその姿にため息を吐きたくなった。カラは今後、目をつけられない為にギリギリまで粘って勝たなくてはいけなかった。しかし、ロックマンは弱すぎた。
英雄がこれ程弱いと、カラは予想できなかった。カラの時代であれば、今のロックマンより強い人間が、掃いて捨てる程いる。
ロックマンは、身体、技術、精神、どれも超一流でありながら、全ての歯車がズレていた。幾ら素材が良くても、そのバランスが取れていない以上、その力はせいぜい一流、英雄と呼べるものではなかった。
そして一流程度なら、相手の土俵で戦わない限り勝てる程度の実力を二流のカラは持っている。
ロック・シューティングスター・マン、有名な傭兵団の団長だ。カラより少し昔の英雄である。記録では戦場において、無類の強さを発揮したと伝えられている。
戦場においては、だ。
戦場で最も人を殺した武器は拳ではない。遠距離ならば弓か投石、近距離ならば槍だろう。人を手軽に殺せない拳打は、ロックマンの得意分野ではない。昨日調べた内容にも、拳については何もかかれていなかった。指揮や槍についての記述はあったのにだ。
更にグローブ、これが普及したのはカラが十三の時である。それまでは一地方での拳を痛めない為の補助器具でしかなかった。カラはこのグローブの扱いについて、一通りは習っている。
慣れない殴り合いに、初めて使うグローブ。これだけの条件が揃えば、カラが負ける道理はなかった。
「テーーーーン、ペア・シュラの勝利」
審判が最後のコールを行うと同時に、カラは尻餅をつく。もう足に力が入らない。カラは全身の力を抜き、大地に横たわった。ゆっくり瞼を閉じるカラに、真っ青な顔をしたシュラが駆け寄って来た。
シュラがカラの側にしゃがみ込むと、その背中にハンクの怒声が響く。
「シュラ、よくもやってくれたな! 覚えてろよ」
シュラは後ろを振り返ると、強い意志を込めた瞳でハンクを睨み返す。
「勝手にしたら。わたしは、もうあんた達に負けないわ」
シュラは硬く拳を握り締めると、真っ青な顔をしたハンクが逃げるように去っていった。
こうして一回戦、シュラ、カラ組とハンク、ロックマン組の戦いは、シュラ、カラ組の勝利で終了する。