昨日、隣の部屋に居るフィニティアイシクルツヴァイと名乗る女性に聞いたのです
シュラは木製のドアの前で立ち尽くしていた。この先が一回戦の勝負を決める場所となる。
勝負服として着てきたお気に入りの一着、そのスカートを握り締めたまま動かない。青と赤のチェック柄が両手で握りつぶされ、グシャグシャになった。
「シュラさん、そろそろ時間ですし、行きましょう」
カラがシュラの背後からドアノブに手を伸ばす。服装は開会式と同じ。黒い背広にアホ毛付の黒いフードというゴキブリファッションである。
シュラが残像の残る速さでカラの手を掴んだ。
「カラ、わたし凄く緊張してるの。すっごく不安なの。理由、分かる?」
シュラは肩越しに冷たい視線をカラに突き刺した。
「今日の朝食がテキーラとカッゼンではなかったからですか。
ちなみにカッゼンとは、牛皮で包んだ野菜を牛の骨髄のスープで煮込んだ西側の伝統料理ですよー。
野菜には、キャベツやジャガイモ、エリンギ、等が主に利用されており、肉料理の付けあわせとして出てくる事が多いです」
「カッゼンの話なんて聞いてない!」
シュラは胸にたぎる不安と怒りをそのままカラに叩きつける。苛立たしげに、地面を蹴る。
「正解は、昨日は遊んでばかりいて、何にも作戦を立てられなかったからよ。カラがわたしを連れ出したのが原因でね」
「いや、すみません。珍しいものがたくさんあって、年甲斐もなくはしゃいでしまいました」
「あれは、はしゃぐなんてレベルじゃないわ」
悪びれないカラに、シュラは大きく肩を落とした。
「店の人に原価や作り方尋問したり、指紋を付けようとしたり、コインで傷つけようとしたり、いきなり奇声を上げて走り回ったり、挙句の果てには迷子にまでなったのをはしゃぐとは言わないわ」
シュラは額に手を当てて、首を左右に振る。カラはシュラに顔を近づけて、言った。
「私の人生の師は言いました。はしゃぐとは、戦争である、と」
「それは絶対違う」
「ですが、私の師は両手に持った民族工芸品を振り回しながら狂喜の踊りを踊りつつ、女の子に頬ずりしながら、値切り交渉して、奇声をあげて笑いつつ、激しいオーラを出して、限界突破して体中の血管を浮き上がらせながら、似顔絵を描いてもらいつつ、名物料理を食べて、足つぼマッサージをしてもらいながら、オイルマッサージをおっさんに施しつつ、彫刻を彫りながら、伸身後方三回転宙ひねり二分の一を連続で決めていました」
「なによ、それっ! 意味不明よ」
「あれを見て思いました。人間、はしゃぎすぎてはいけない、と」
「ぜんぜん、教訓になってない!」
どこか遠くを懐かしそうに見るカラに、シュラが突っ込む。
「シュラさん、そんなに突っ込んでいて疲れませんか? 肩で息してますよー」
「誰のせいだと思ってるのよ?」
「当然、私の所為です。私がボケるから、『突っ込みあん』なシュラさんはついつい興奮するんです。恨むなら、自分の突っ込み体質をうらみな、ですねー。アハハハハーーーーーーー」
カラのリバーにシュラのナックルがめり込んだ。腹を押さえたカラが金魚の様に口を開閉する。
「ああ、もう、どうでも良いわ。とにかく、わたしがなんか有利な条件を出させるから、カラも頑張ってよね」
シュラは乱暴に頭を掻き、力強くドアを開けた。緊張や気負いは、すっかり抜けていた。
ドアを開けると中は小さな部屋だった。対面にもドアがある。部屋の中央に木製のテーブルが置かれ、手前側と奥側に椅子がある。
「よう、遅かったな。シュラ」
対戦相手は、既に椅子に座っていた。シュラと同じ位の背丈だろう、組んでいる腕や顔にいくつもの擦り傷が見える。
学校での事を思い出したシュラが蹴落とされたように後ろに下がる。
体を縮こまらせるシュラの脇を抜け、カラが一歩前に立つ。
「なるほど、あなたがハンクと言う、好きな子をいじめちゃうツンデレ男ですねー。流石ツンデロ、なかなかの面構えです」
カラが椅子に座っている少年の隣に立つ岩男を指した。
岩男の顔は伸ばしきった髪と髭に隠れてほとんど見えない。かろうじて分かるのは岩を切り落としたかのような輪郭と、見るもの全てを威圧する鋭い眼光だけだ。身長はカラより頭一つ以上小さいだろう、しかし体重は男の方が上だ。原因はもちろん、脂肪ではない。服と皮の鎧の上からでも分かる鍛え上げられた筋肉である。
歴戦の戦士を髣髴とさせる厳つい姿は、シュラの同級生には見えない。十人中十人がありえないと応えるだろう。
「「「「おい」」」」
奇しくも、その場にいた全員が突っ込んだ。
「あ、部屋の隅で影薄そうに立っていらっしゃるストーカーばりに怪しいあなたは、審判さんでしょうか」
四つの突っ込み声の内の一つ、ナマコの着ぐるみを着た人物にカラは顔を向ける。
「あ、はい、ここでの話し合いが公平に行われるように、私たち山猫の一族が立会人兼審判として参加させて頂きます」
ナマコが器用に体をくねらせて、くの字に折れ曲がった。
「ところで、ストーカーはやめろ。こっちだって蛇とか蛙とか蜘蛛とか、もっとかっちょええ着ぐるみを着たかった。けど、無理だったんだ。畜生、畜生、畜生、畜生」
ナマコの頭頂部が部屋の壁にぶつかる音が響いた。
不気味なナマコのダンスを、三人は生暖かく見守る。
ナマコを無視したカラは。真剣な声でシュラに呼びかける。
「シュラさん」
カラの逼迫した雰囲気にシュラの喉がなる。
「見た限り、相手はすっごく強そうなので、死なないようなルールを設定して下さい。私は、自分の命が一番大切なんですよー。アハハハハーーーーーーーー」
四方から冷たい視線を浴びせられたカラは、朗らかに笑い続けた。
「死にたくなければ、すぐに負けを認める事だ」
シュラが口を開くより早く、岩男が忠告する。重々しい声が響いた。
「それができればうれしいです。シュラさん、やっぱり勝たないと駄目ですか。私、痛いのは嫌いなんですよねー。アハハハハハハーーーーーーー」
シュラの拳がカラの腹部にめり込み、笑い声が止まった。
「黙れ」
底冷えする声が叩きつけられる。
「シュラさん、酷いです」
本日二回目のリバーブローを受け、カラは腹を抱えたまま動かなくなった。
シュラは、昨日の格好良いカラはもう居ないのか、と心の中で涙を流す。
「ハハハハハ、それがお前の相棒か、シュラ」
対面の椅子に座った少年、ハンクが日焼けした腕を大きく振り、手を打ち鳴らした。
「可愛そうに、完全にはずれくじを引いたみたいじゃないか」
「そんなこと…………うう、反論できない」
「やっぱり、相棒は強くなくちゃ駄目だよな。な? 爺さん」
「ああ、戦いに弱きものは不要だ」
爺さんと呼びかけられた岩男は小さく頷く。歴戦の戦士を証明する傷だらけの鎧、その下から盛り上がっている重厚な肉体、そしてあまたの殺戮を見続けてきたであろう眼光が、唯の言葉を鉛よりも重くする。
「と言う訳だからさ。さっさと負けてくれないかな。俺も爺さんも、もっと上まで行くつもりなんだ」
そう言って、ハンクはシュラのつま先から頭の先までねっとりと凝視する。
粘着質な視線にシュラの体が萎縮する。あの視線と共に、今まで何度も苛められてきた。心の傷が疼き、自然と顔が下を向く。
カラは腹をさすりながら状況をほくそ笑む。ここまで順調に、ハンクと岩男について情報収集ができた。運よく、予習した内容との誤差は殆どない。情報は十分、後はシュラが勝つ為の標識を設置するだけとなった。
「それが問題なんですよねー」
カラは口の中で呟き、問題点を列挙する。
問題一、この場でも、後でも直接相手に危害を加えられない。短時間かつ簡単にお願いするなら暴力に勝るものはない。
問題二、時間がない。いつの間にかひっくり返された砂時計は、既に砂の四分の一を底に移している。残りは約七分半しかない。
問題三、相手は何も考えていない。なぜなら、未だに勝負方法を提示しようとしない。
問題四、この戦いは誰かに見られている。防犯カメラが天井や壁に仕込まれている事が確認できる。派手な事を行えば、面倒くさい事となる。
そして最大の問題。
問題五、カラが勝っても意味がない。シュラがハンクに勝たなくてはいけないのだ。
昨日、昼は街中で、夜は借りてきた本で、情報収集をしたので、戸惑いはない。後はシュラを勝たせるだけだ。
カラは小さく息を吸い込み、陽気な声を出す。
「ツツツデロンさん、無理を言ってはいけませんよー。あなた達は二回戦負け決定です。上にはいけません」
小刻みに震えていたシュラの体が止まり、ハンクの嫌な笑みがバランスを崩す。岩男の眉がかすかに上がり、ナマコ男が垂直に起立した。
二回戦負け……それは一回戦を勝たなければ手に入らない称号。そして今は一回戦だ。
居たたまれない空気が漂う。
空気を打ち破ったのはハンクだった。
「プハハハ、シュラ、お前のパートナーも負けを認めているんだ。さっさと負けろよな」
ハンクは腹を抱えて笑う。
なるほど、とカラは小さく言葉を噛みこむ。
耳朶まで真っ赤に染めたシュラは、本気でカラを信じた昨日の自分を殺したくなった。
「カラ! なんで、負ける事前提で話し進めるのよ」
鬼の形相でシュラがカラを睨みつける。カラは、まぁまぁ、とシュラを宥めた。
「あんな戦場で敵兵を雑草の如く切り捨ててそうなロックマンとまともに戦ったら勝てません。三秒で地獄行きだぜ、ですねー。アハハハハハーーーーーーーーー」
岩男が真剣な顔で口を開く。先ほどまでの弱者と侮っていた雰囲気が薄らいでいた。
「貴様、なぜこの身の名を知っている」
一瞬の静寂の後、叫び声がこだました。
「「「「なんだってー!!!!!!」」」」
シュラ、ハンク、ナマコ男、カラが驚愕する。
「て、あんた知ってて言ったんじゃないの」
シュラがカラに突っ込みを入れると、カラは小さく、あ、と漏らしてから不敵な笑みを浮かべた。
「も、もちろん、この男がシューティングスターだと知っていました」
「いや、ロックマンだろ」
ハンクが敵ということも忘れて突っ込む。
「は、はい、そうです。ロックさんでした」
「さんではなくてマンでは?」
ナマコ男も突っ込む。
「ええ、私は知っていました。ほ、本当なんですよー。ちゃんと、昨日、隣の部屋に居るフィニティアイシクルツヴァイと名乗る女性に聞いたのです。胸はありませんでしたが、インクのように黒い髪が魅力的な方です。歳は二十で、身長は百六十センチ、好きなものは豚肉、嫌いなものはささみ、両親は共働きをしており、自分も働こうかもう少し勉強しようか迷っている文学少女さんが言われていたんです。間違いありませんよー」
カラが喋れば喋る程、周囲の視線は冷めていった。
「小僧、貴様」
岩男改めロックマンの口から、怒気が流れ出る。ロックマンが飛ばす鋭い眼光は、偶然を無視できなかった自分への怒りなのかもしれない。
それに対しカラは、
「アハハハハハハハハーーーーーーーーーーー」
笑って誤魔化してみた。
「まさかそこまで調べているとは、坊主にもまだフルネームは教えていなかったのだがな」
ロックマンは、隣で座っているハンクの頭をポンと叩く。叩かれたハンクは、口をあんぐりと開けて、自分の英雄を見上げた。
「やはり、正体を隠すような小手先技は似合わないらしい」
ロックマンが自嘲気味に笑うが、周囲はついていけない。あまりに理不尽な展開を、脳が受け入れてくれなかった。
「改めて名乗ろう、名はロック・シューティングスター・マンだ」
名乗り上げと共に打ち合わせた両の拳から、甲高くも重い金属音が鳴り響く。その姿は威風堂々、英傑と呼ぶに相応しい重厚な完成度があった。
「丁寧な挨拶をありがとうございます」
カラが胸に手を置いて一礼する。にやけた小物然とする生き様が演技であったように、洗練された美しい動作だった。
「私の真名は、カラカラカラカカララカッカカラカカカララ・ラッパパラリラララライッリリリアラライアリアリアリ・ムフククククフグクク、セントンセンントセントンナセンネンアンンサンアナンアナンアンアン族プラララライアレレイレレエリエライラライアイアイアリアアライアリアライアリア」
「長いわ!」
シュラが容赦なくぶった切る。
「それはそうです。私の真名を名乗るには、最低、後五時間位必要です。何せ決闘の大半は、間違えずに名乗り、相手の真名を逆立ちで聞き、コサックダンスを踊りながら相手の真名を読み上げて、ベリーダンスを観賞しながら相手が自分の真名を読み上げる間に、飽きてしまいますからねー。アハハハハハハハハハーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「それ本当? キチガイすぎて、最悪なんですけど」
「もちろん、嘘です」
カラのリバーに本日三度目の拳が突き刺さる。カラは腹を抱えて地面に倒れこんだ。地面に倒れるまでの数秒、カラはあらかじめ考えていた台詞をシュラの耳元で囁く。
「チェスかボクシングなら勝てます。希望はチェスです」
カラはシュラの返事を待たずに、地面に顔面から倒れた。倒れた瞬間地面とぶつかった鼻から鉄くさい臭いが充満し、口の中に埃が入る。
これでカラが用意するものは全て用意した、後はシュラ次第である。
全員騙した快感に カラは地面で隠れた顔を歪ませる。最高の料理をかみ締めるように、カラの唇が鼻血を舐め取った。一緒に舐め取ったゴミも合わせて飲み込む。
「チェスで勝負よ」
シュラが勝負方法を提案する。
「何を言ってるんだ、シュラ? 戦わなきゃいけないんだぞ?」
予想外の提案だったのだろう。ハンクの声から毒気が抜ける。
「はい、分かりました。シュラ様からの勝負方法は、チェス、です。
ルールは英雄の皆さんに戦って頂く、それ以外は両者の合意で決めるとなっています。
極端な話、両者の合意があれば、ジャンケンやにらめっこでも問題ありません。英雄のお二方が戦っている事には、変わりありませんので」
「な!」
「ほう」
審判の宣言に、ハンクとロックマンが声を上げる。
ゆっくり立ち上がったカラが、シュラの頭を撫でた。
「流石シュラさん、ルールの真の意味を理解しているとは、驚きました。これは感心の一撃です」
シュラが何か言いたそうに眉を寄せる。しかし、カラが撫でる力を強くすると、シュラはその意を汲み取り、不敵な笑みを浮かべる。
「当然でしょ。あんたを勝たせる為に、必死に考えて、ルールブックを穴が開くまで読んだのよ」
「それでこそ『突っ込みあん』です。デロるしか後がないツンデロとは違いますねー。アハハハハハーーーーーーーー」
ハンクの顔が真っ赤に染まり、口が何度も開いて閉じる。
「ハンク君が大馬鹿な子供だと助かるんですがねー」
カラは誰にも聞かれないぐらい小さな声で呟く。カラの読みでは、ハンクが大馬鹿であれば、二回戦がより楽になる。二回戦を勝つにしろ、負けるにしろ、重要なのはその後なのだ。こんな所で、失敗したくなかった。
それから暫くの間、場の動きが止まる。ハンクは腕を組んで唸り、その姿をシュラが固唾を呑んで観察していた。
その間、カラはロックマンの姿を眺めながら、勝負を決めるルールを思い出す。
ルールその一、勝負方法はこの場で決めなくてはいけない。
ルールその二、制限時間は砂時計の砂が落ちきるまでの、約十分間。
ルールその三、勝負方法は双方が了解しなくてはいけない。
ルールその四、ただし、片方が勝負方法を提案し、片方が拒否し続けた場合は、拒否し続けたペアが失格となる。
ルールその五、双方が勝負方法を提案し、時間切れとなった場合……
「あ、そうだ!」
ハンクが両手を大きく打って、嫌味な笑いを浮かべる。悪い予兆を感じ取ったシュラの顔がこわばる。
「俺達は、勝負方法に決闘を提案するぜ。これでお前のチェスはなしだ、シュラ」
ふてぶてしいハンクの声が、室内に木霊する。
どうやら、ハンクは大馬鹿だったようだ。カラが笑みを深めた。
勝てると思っていた状況から転げ落ちたシュラは、椅子から立ち上がった。
「そんなっ! あたしが先に提案したんだから、そんなのなしよ!」
悲鳴のような叫びに対し、審判の宣言は
「了解いたしました」
無常なものだった。
「そんな」
シュラの体から力が抜ける。倒れるように椅子に腰を落とした。カラは呆然としてるシュラの耳元で囁く。
「ありがとうございます。ようやく本当の勝負が始められます」
「え、それって」
シュラの疑問を、審判の宣言が遮る。
「双方から勝負方法が提案されましたので、時間内に勝負方法が決まらなければ、この場を監視している陪審員の皆様によって、決定されます」
ルールその五、双方が勝負方法を提案し、時間切れとなった場合、陪審員が提案された勝負方法を加味しながら勝負方法を決定する。陪審員は失格となった選手で構成される。ただし、補欠として大会運営委員が不足分の人数を補う。
当然、大会の第一試合郡に属するこの場の陪審員は、全て大会運営委員である。全員中立である以上、より良い印象を与える事が重要だ。
「チェスにこだわる必要はありません。ボクシング、つまり素手での決闘になれば、必ず勝ちます」
「ほんとに、勝てるの?」
シュラは、弱々しい瞳でカラとロックマンを交互に見ながら尋ねる。
筋肉の塊のような相手に対して、カラは長身であるが線が細くとても頼りがない。シュラの肩に置かれた細い腕は、ロックマンの丸太のように太い腕とは比べ物にならない。
「大丈夫です。必ず、勝ちます」
カラは力強く頷いた。別に負けても良いんですけどねー、と腹の中で思っている事は欠片も漏らさない。
シュラの為に死ぬ気持ちはあるが、シュラの為に生きるつもりはないカラにとって、勝敗は最重要案件ではない。懸念事項は、一回戦の後である。
シュラがハンクに向き直る。
「決闘なんて嫌!」
シュラは首を大きく横に振った。ハンクの肩眉が跳ね上がる。
「そんな筋肉の塊と戦ったら、もやしのカラじゃ殺されるに決まってるじゃない」
指差されたカラはへらへらとした笑い顔でいた。
「そんなの関係ないね。そんな弱い奴と一緒に居る奴が悪い」
「弱いのがそんなに悪い?」
「当たり前だろう。弱い奴なんて、せいぜい、素直にやられる位しか能がないだろう。俺は決闘が良いんだ。大体、チェスなんて見て、面白くもなんともないじゃないか」
「面白く、て」
シュラが椅子から腰を浮かす。
「すっごいイベントなんだ。面白くなきゃ駄目だろ。あんまり駄々こねると、後が大変だぞ」
ハンクがシュラを睨みつける。シュラの体が震え、力なく椅子に落ちた。
沈黙が辺りを支配する。シュラは顔を伏せて、ハンクが勝ち誇った笑みで見下す。カラは何もしようともせず、ロックマンはそんなカラを油断なく注視している。
シュラは拙かった。後ろにいるカラから見ていても分る程である。大人なら、誰でもいぶかしむだろう。
カラは何もしなかった。既に、必要十分ではないが、できる限りの対価は乗せたて居るのだ。これ以上は余分でしかない。乗せすぎれば、一回戦後が大変になりすぎる。
「分かった」
シュラが小さく言った。
「決闘でいい」
シュラの敗北宣言に、ハンクの笑みが強くなる。
「でも、殺し合いは嫌、武器でカラの体を切り刻まれるのなんて見たくない」
弱々しい、震える声でシュラは心情を吐露する。素手なら勝てる、逆に言えば素手でないと勝てないのだ。無残に切り裂かれるカラの姿が、シュラの脳内で何度もリピートされる。
シュラの生々しい言葉に、ハンクはあごに手を当てて何事か考え始めた。どうやら、決闘という事以外、何も考えていなかったようだ。
ハンクはロックマンに何か耳打ちをする。ロックマンはカラを一瞥してから頷いた。
その間、カラは懐だから出した糸で、マントのほつれを修繕する。未だに、顔を伏せているシュラは無視する。後はシュラが勝手にやれば良い。
カラがマントのほつれを一つ、二つ、繕った所で、ハンクの側からロックマンが離れた。
既に砂時計の砂は殆ど落ちている。残り時間は僅かだ。
「それなら、殴り合いで文句ないだろ」
ハンクは仕方なさそうに言うが、絶対の自信を顔に張り付かせていた。シュラは何の反応も見せず、俯いて黙り続けた。
仕方がない、とカラは呟く。これほど上手くいけば、笑いをかみ殺す事で必死だろう。
シュラは拙かった。シュラが演技をしている事は、後ろから見ているカラでも分る。大人なら、誰でもいぶかしむだろう。
しかし、シュラを侮るハンクと、カラに注意が向いているロックマンの二人は気付けなかった。
二人はシュラの演技に引っかかった。シュラは心が折れたように見せかけ、その実まったく諦めていない。最後のカードが残っていて心が折れる訳がない。
シュラは下を向いて、横目で砂時計を観察していた。砂時計が落ちきるぎりぎりのタイミングで、シュラは最後のカードを切る。追い詰められた何とか付け足したように、小さくいじけた声色で言う。
「グローブつけて、ボクシングみたいにダウンしてテンカウントで負けならいいわ」
ハンクが口を開くより先に、笛が鳴った。部屋の隅にいたナマコ男が、不気味にうねりながらハンクとシュラの間に立つ。
「はい、はい、はい」
ナマコ男は誰かと通信をしているのだろう、何度か頷くとシュラとハンクにルールを宣言する。
「陪審員の協議の結果、勝負方法は、グローブを付けての殴り合い。勝利条件は相手をダウンさせてテンカウントとったら勝ちとさせて頂きます」
ハンクが抗議するが、ナマコ男は聞き入れようとしなかった。
既にシュラは一度大きな譲歩をしている。そして、最初から最後まで、カラを死なせたくないと言う主張を変えていない。その上で、ハンクの素手での決闘を受け入れ、安全策のみ提案したのだ。陪審員が中立である以上、シュラのルールが適応されて当然の流れである。
ハンクの印象は悪すぎた。結果、シュラの要望がそのまま通ってしまった。
未だに文句を言い続けるハンクの姿を見ながら、カラは労うようにシュラの肩へ手を置いた。
「おめでとうございます。シュラさんの勝ちです」
「ありがと、カラ。わたし大満足、だって、たとえあんたが相手に負けても、わたしがハンクには勝った事は間違いないもの」
顔を上げたシュラは晴れ晴れとした笑みを浮かべていた。