奇跡は十二月二十五日の夜、ストーカーのおじいさんから良い子枕元にそっと、プレゼントされるものですからねー
運命祭要綱と組み合わせ通知書が朝一番でシュラの元に届けられた。内容を一瞥したシュラは、難しい言葉の連続で半分以上理解できなかった。そこでカラの部屋に突撃し、シュラが分かるよう翻訳させるところだ。
カラが運命際要綱をテーブルの上に置く。
「それではルールについて、簡単に説明しますね」
「うん、お願い」
対面に座るシュラが頷く。
「シュラさんが覚えなくてはいけないルールは三つです。
一つ目、指定された時間までに会場に来ること。来なければ、失格となります。この時、私が居なくても問題は無いようです。
私が居なければ勝負できないので、負け確定ですけどねー。アハハーー」
「遅刻は駄目、て事ね」
「はい、その通りです」
そして、とカラは続ける。
「二つ目、勝負方法は相手も賛成しなくてはいけない。そして、砂時計の砂が落ちきるまでに勝負が提案されなければ、双方失格になります。何でもいいから勝負を提案しろ、と言う事です」
「うーん、あんたに有利なルールにするなんて、自信ない」
シュラが眉を八の字にする。普段は釣りあがり気味の目も、情けなく垂れ下がる。
シュラは一二歳である。交渉ごとなぞ、今回が初めてだろう。初めてにして、人生最大の交渉となるかもしれない。その重圧が、シュラの顔を弱々しいものにしている。
「大丈夫です。シュラさんなら問題ありません」
カラはシュラの両肩をつかんで微笑む。一片の曇りも無い笑顔。
「カラ」
「どんなルールでも一緒です。
どうせ、一回戦で負けるんですからねー。アハハハハーーーーーー」
体重の乗った肘打ちがカラの脳天に直撃した。パリッと静かに何かが割れる音と共に、カラは床に叩き付けられる。
「感動して損した、バカッ!」
「酷いです。どうせ私のスペックじゃあ、どんなルールでも勝ち目はないんです。今更、ルールの有利不利を考えても仕様がないだけですよー」
「え、それマジ?」
床とキスしたまま弁解するカラに、シュラの頬が引きつった。
「ぶっちゃけ、そんなに弱いの?」
カラは顔だけ上げて軽薄な笑みを浮かべる。
「昨日、シュラさんも言った通り、私は弱いですよー。
チンピラと互角程度の喧嘩強さと、十歳の子供といい勝負をする悪知恵、強者に寄生し弱者に媚びる気概、どこをどう見ても、英雄なんかに勝てるわけありません」
「でも、あんたも一応英雄じゃないの」
「さあ、私は英雄と呼ばれるような超絶技を持ってません。そんな功績にも心当たりはありません。しいて言えば、食い逃げ百連続成功ぐらいでしょうかねー」
シュラが沈んだ。
「ちょ、ちょっとは勝てるかも、て思ってたのに、なんでこんなの選んじゃったんだろ」
「運がなかっただけです。あきらめましょう。
それで三つ目は、二つ目にかかるのですが、勝負方法は必ず英雄たちによる勝負である事、だそうです。
つまり、いくらシュラさんが強くても、シュラさんが勝負するわけにはいかないという事です」
「うう、運、運かぁ」
儚い希望さえも本人によって断ち切られたシュラは、話を聞くどころではない。
「シュラさん、シュラさーん、聞いてますか。聞いていなければ、その場で歌って踊ってアイドルですよー」
カラがシュラに呼びかけるが反応はない。現世回帰には時間がかかりそうだ。
カラは暇つぶしに、組み合わせ通知書を手に取った。
「えーと、私達の対戦相手はハンク・トウテインさんですか。年はシュラさんと同じ十二歳だそうですよー。
日時は、おお、明日の第一クルー、いの一番です。これはさっさと負けろと言う、お告げに違いありません。待って下さい。必ずご期待に添えますからねー。アハハハーーーー」
カラが対戦相手の名を口にすると、目を丸くしたシュラが通知書をかっさらう。
「ちょ、シュラさん。まだ読んでるさい「ちょっと黙って!」
シュラは穴を開けるようにまじまじと通知書を見る。
「ほんとだ。あいつが、ハンクが、わたし達の相手」
軽い音と主に通知書が握り潰れた。
「知り合いですか?」
「ただのいじめっ子。いつもわたし達をいじめる嫌なやつ」
シュラが視線を下に落としてそっけなく答える。硬く握り締められた拳がテーブルの下で震えていた。
「そうですか」
「そうよ。髪にトリモチ付けたり、新しく買ってもらった服に泥団子を投げたりする。嫌なやつ」
「意外です。シュラさんはそういう事、見るのも、やるもの、やられるのも、嫌いで、絶対に止めると思ってました」
カラは両手を上げて、驚きのポージングをとる。
「そりゃ、嫌いだけど、止められないよ」
「ホワイ、なぜですか? シュラさんの拳なら十分世界を狙えます。男の子一人や二人位、ステゴロで楽勝でしょう」
「だって、だって、いじめられてる子に、やめて、て言われたんだもん」
シュラの沈んだ声が部屋中に響いた。
「わたしがハンクに仕返ししたら、その子がもっといじめられるの。それでもハンクをどうにかしようとしたら、どうなったと思う」
シュラは自嘲気味に笑う。
「今度はシュラさんがいじめの対象になったんですねー。しかも、いじめられてた子もいじめ側に回ったんでしょう」
カラはシュラを泣かす為に無神経に言った。これでシュラの心が折れれば、一回戦負けは確実だからだ。
開会式に参加したカラは運命祭に勝つ気が全くなくなった。多少、シュラが傷つこうとも、穏便に一回戦負けする事が最重要事項となっている。
「更に言えば、そのいじめられていた子のいじめはそのままで、いじめる対象も増えたでしょう。何もしない方がましな事になったんでしょう?」
それまでのいじめる側、いじめられる側という簡単な二極から、多層的な階級ができたのだろう。その所為で明確な被害者が消えてしまい。訴える事ができなくなっている。カラはそう予想した。
シュラは何も答えない。目じりには浮かんだ涙ときつく結ばれた唇だけで、答えは十分だった。
カラは攻撃を弱めなず、止めの一言を放つ。
「今回、シュラさんが勝てば、きっと、いじめはもっと酷くなるでしょう。一回戦負けが穏当ですねー」
シュラはのど元から、かみ殺してもかみ殺しきれない嗚咽が漏れる。
カラはシュラの手を優しく包む。硬く握り締められた拳をゆっくり解きほぐし、通知書を取り上げた。くしゃくしゃになった通知書を丁寧に伸ばし、封筒に入れ直す。
暫く、肩を震わせていたシュラが目に溜まった涙を拭う。
「ねぇ、カラ」
静かな声色だった。
カラは小さなため息を吐く。静かだが、真っ直ぐで硬い芯を持った声。カラはこの声色に聞き覚えがあった。いつもこの声色は不退転の覚悟と一緒に聞かされた。
「ハンクを勝たせたくない。あんなやつに負けたくない。わたし、勝ちたい」
しっかりとした力強い声で、シュラは訴える。先ほどまで垂れ下がっていた瞳が、強気な釣り目に戻っていた。
「運命祭が終わったら、またいじめられる。わたしが勝っても負けても、変らないわ。だったら、勝ちたい」
「いじめが酷くなってもいいのですか」
「かまわない」
シュラは大きく首を縦に振る。頬を引きつらせながらも、笑っていた。
しかし、とカラは悲しそう首を横に振る。
「私では誰が相手でも、どんな勝負でも負けますよー。勝ちたいといわれても、どうしようもありません」
「あ、そっか」
シュラはあごに手を当てて考え込むが、すぐに晴れ晴れとした声を漏らした。
「ああ、それでもいいんだ」
シュラはつき物が落ちたような笑顔に変わる。
その表情の変化に、カラは諦めた。一回戦で簡単に負ける事は確実に無理だと諦めた。
今のシュラと同じ顔の人間を、カラは何人も見てきた。この顔の人間は止まらない。なにをやっても目標を成し遂げようとする。そして、実際成し遂げてしまう。
無理に負ける事はできるが、カラは運命祭について知ってしまった。シュラが勝とうとする以上、穏当に勝つ以外選択肢はない。無理に負ければ、もっとまずい事になる。
痛いのも、つらいのも、苦しいのも嫌なのだから、カラに選択肢はない。
「それでも、わたしが勝てるようにする。うん、これはカラの勝負じゃなくて、わたしの勝負だから」
だから、とシュラは続けた。
「ごめん、勝負に付き合ってくれないかな。カラがさっさと負けたいと思ってるのは分かる。それでも、この一回戦だけはお願い。わたしの為に戦って下さい」
シュラが大きく頭を下げた。
綺麗な金髪の髪が流れ落ちる後頭部を見ながら、カラは笑った。下種、人非人、その言葉をそのまま形にしたような笑顔である。
目的しかなかった人生を終えたカラにとって、目的ではなく自分の為に生きるシュラはとても眩しく見えた。目の前にいる少女の為に死ぬなら、今度も悔いなく死ねる。カラはそう感じた。
ああ、残念、とカラは口の中で言葉を紡ぐ。
「これは、手伝わないわけには行きません」
カラは身をかがめて、シュラの肩に手を置く。
「シュラさん、今回だけ勝ちましょう。一回位でしたら、何とかなると思います。
奇跡は十二月二十五日の夜、ストーカーのおじいさんから良い子枕元にそっと、プレゼントされるものですからねー。アハハハーーーーー」
「なにそれ?」
「シュラさんはとってもいい子ですから、ちょっとはやめのプレゼントがあっても可笑しくないという事です。とりあえず、一回戦だけ勝てるように頑張りましょう」
カラが拳を握って、シュラの前に出す。
「うん」
シュラの握った拳が控えめに当てられた。
「それではとり合えず、こちら側の地区の観光、もとい遊び、でもなく……そうそう、情報、情報収集に行きましょう」
カラはシュラを小脇に抱えて、部屋を飛び出した。