こっちは最初から、全部覚悟の上よ
シュラとフレデリカの交渉が始まってから六時間経過した。その間、何度か対話があったが、全て決裂した。身長勝負しか認めないシュラに対し、フレデリカは英雄同士を武器制限なしで戦わせる事を提案した。お互いの主張が相容れず、交渉時間は無限に近い。妥協点のない話し合いは、平行線を辿っている。場は完全に膠着していた。
その膠着状態を打ち破ったのは、フレデリカであった。それまで澄ましていた顔を赤くし、居心地悪そうに何度も座りなおす。両手で太ももの付け根を押さえ、何かを我慢しているように見える。
その仕草に、シュラは安堵する。先にシュラが、今のフレデリカの状態になっていたら、その後の説得の難易度が上がるところだった。朝、しっかりしてきて良かった、とシュラは胸を撫で下ろす。
小刻みに体を揺らし耐えていたフレデリカだが、我慢できなくなり、審判に声をかける。
「審判、ちょっと席を外させて頂きますわ」
フレデリカが退室したい理由、それはトイレに行きたいのだ。交渉時間は六時間経過している。尿意や便意を感じるには十分な時間だ。
審判が何か言うより先に、シュラがフレデリカに忠告する。
「この部屋から出たら失格よ」
「はぁ? 何を言ってるんですの。そんな事……」
フレデリカが鼻で笑おうとするが、ナマコ男がシュラを肯定する。
「シュラ様の仰る通りです。不正防止の為、交渉終了まで退出は禁じられております」
「何ですってーーーーーーッ!」
フレデリカが机を叩き立ち上がるが、すぐ座りなおして股間を押さえる。真っ赤な顔から脂汗が滲み出て来た。フレデリカが小声で叫んだ。
「そんなの可笑しいですわ。それでは食事は、入浴は、どうなるんですの?
この場が実質的な時間無制限となった以上、柔軟な対応が必須ですわ。こんなおかしな話はありません。責任者を呼びなさいっ」
フレデリカが怒気を強めてナマコ男を睨む。英雄がさりげなくフレデリカとナマコ男の間に入った。フレデリカが審判に手を出さないよう、止める為だろう。
「事情が事情ですので、対戦者の同意がありましたら、可能とさせて頂くのですが……」
弱った様子のナマコが体を捻り、シュラに意見を求める。シュラは首を横に振った。
「わたしは認めないからわ。こっちは最初から、全部覚悟の上よ」
「ああ、やっぱり」
英雄が肩をすくめ、ため息を吐く。フレデリカが燃えるような瞳で英雄をなじった。
「ウィンッ、分かってたなら何故、教えなかったの。この紅茶ジャンキー」
ウィンと呼ばれた英雄は、髪を掻き揚げ、自嘲気味に笑う。
「ミス フレデリカ。それを言ったら、君はぼくに八つ当たりしただろう。責のない事で糾弾されるのは、ぼくの趣味じゃないよ。
それに、それを彼女に聞かせるわけにもいかないだろう」
英雄がシュラを指差す。フレデリカ瞳がシュラを射抜き、シュラは微笑で応えた。
「もしかしたら、彼女もそこまで考えていなかったかもしれない。無闇に喋って、相手を意固地にさせるわけにはいかないよ」
「う」
フレデリカが言葉に詰また。真っ赤な唇は震えるだけで、吐息一つ漏らさない。フレデリカは荒々しく座りなおす。怒りの矛先を、最後の一人、シュラへ向ける。
「貴女はそれでいいの? こんなところではしたない粗相をしても」
フレデリカとシュラの条件は変わらない。たまたま、フレデリカの尿意が先だっただけで、いつかはシュラも同じようになる。フレデリカはそこを責め立てようとする。
「知らないんでしょうから、教えてあげますわ。この内容は全一族に放送されてますの。つまり、わたし達の痴態も全部見られるのですわよ」
「あ、それ大丈夫だから。そっちだけ漏らして」
シュラは椅子から降りると、鞄の中に手を突っ込んだ。中から、カーテンや鉄棒、溶剤等を取り出す。
あっけに取られるフレデリカを無視して、シュラはそれらを組み立てていく。トラブルシューティングを見ながら、鉄棒を椅子の形に組み上げる。椅子の座面真ん中に開いた穴に、袋を取り付けた。
次第にでき上がっていくそれが何か理解したフレデリカが叫ぶ。
「何ですの、それはっ?」
「携帯トイレよ」
シュラが答えを口にする。シュラはトイレの組み立てに不備がない事を確認する。
「うん、これで良し。後はカーテンで覆えば完成ね」
シュラはフレデリカの方を振り向いて、意地の悪い笑みを浮かべる。
「これ、わたし専用だから、貴女には使わせないわよ。ああ、それと食べ物と飲み物も持ってるから、最悪、そっちが倒れるまで粘るつもり」
シュラが大きな鞄を手で叩く。
「ずっこいですわっ! 卑怯ですわっ! 陰険ですわっ!」
フレデリカは椅子から勢いよく立ち上がると、顔を真っ赤にして叫ぶ。しかし、直に内股になり、股間を押さえながら椅子に座り込む。
「これは困ったね。ミス フレデリカ、どうやらあちらは本気のようだよ」
英雄が苦笑いを浮かべて、頬を掻く。シュラはトイレの周りをカーテンで覆うと、自分の席に戻った。真剣な瞳で、フレデリカの様子を観察している。
「審判、これは反則でしょう? 明らかに不必要な道具を持ってきてますわ」
フレデリカが涙目で訴えるが、ナマコ男は体を左右に捻った。
「ルールでは、審判や対戦相手に危害を加えなければ、あらゆるものの持込みを禁じておりません。よって、シュラ様の行為は反則ではありません。えげつないとは思いますけど」
「そんな」
フレデリカが力なく肩を落とした。意気消沈しているフレデリカに、シュラは謝罪する。
「フレデリカさん、ウィンさん、ごめんなさい。
こんな酷い方法は納得いかない、と思います。だけど、これしかないんです。カラ抜きで勝つには、他に方法がないんです。
だから、どうかお願いします。負けて下さい」
シュラの後頭部を晒され、フレデリカが顔を歪め、歯軋りした。フレデリカはシュラにぶつけたい罵声を我慢する。シュラを罵っても惨めになるだけ、と分かるからだろう。
「ううぅぅぅ、貴女は何故そこまで勝ちたいんですの?」
フレデリカは血を吐くように尋ねた。シュラは顔を上げ、フレデリカの目を見て話す。
「フレデリカさん、わたしのお願いを聞いた事ありますよね。赤のエリアでも放送してもらったから」
ハイス達との交渉前に行われた発表は録画され、青のエリアと赤のエリアで何度も放送されていた。その為、シュラの主張を知らない者の方が少ない位だ。
「皆の運命祭ですわね」
「うん。その為にわたしは色んな人に迷惑をかけてる。今もカラが誘拐されたのに、こんな事してる。本当なら、わたしが先頭に立って探さなきゃいけないのに」
シュラの顔が苦しそうに歪む。
「だから、わたしから諦めるなんてできない。少しでも可能性があるなら、諦めない。情けなくても、酷くても、最後まで頑張るしかないの。
皆に真剣に戦って欲しいわたしが、ちょっと位不利なだけで諦めちゃったら、全部嘘になるから。そんなの絶対嫌だから、だから、わたしは何が何でも諦めない。
わたしにはそれしかできないから、それだけはやらなくちゃいけないの。
だから、勝手な話だけど、負けて下さい。御願いします」
シュラはテーブルに額を押し付け、懇願した。フレデリカは大きく息を吐くと、ゆっくり口を開く。その顔は穏やかなものだった。
「分かりましたわ。貴女に負けるなら納得できます」
「いいのかい? 君にも」
フレデリカは英雄の唇に人差し指を当てて黙らせる。すっきりとした顔で頷いた。
「ええ。わたくしは、自分の生理現象に負けるのではありませんわ。目の前に居るとんでもないおチビに負けるんですわ。それなら納得できますもの」
但し、とフレデリカがシュラに向き直る。
「条件があります。わたくしはお金が必要なんですの。
貴女、色々手広くやっているでしょう。その話にわたくしもかませなさい。そうしたら、遺恨抜きで負けて差し上げます。
これが。この卑怯な場の敗者が送れる最大限の配慮ですわ」
腕を組んで眉を寄せたシュラが慎重に言葉を選んで、返答する。自分に関する事なら即答できたが、商売に関しては店長達の考えもあり、簡単に応えるわけにはいかなかった。
「う~ん、紹介位ならできるけど」
シュラの顔が難しいものから明るいものに変わる。
「あ! あのハリネズミ、あれなら高値で引き取れるかも」
「それは難しいかな。あれはぼく達のものじゃないからね」
英雄が首を横に振る。フレデリカもそれに倣っていた。
「貴方達のじゃない、て事は、誰かに頼まれてたの?」
シュラは、セバス達と敵対する家、バルゲンザン家から頼まれたのか、と言う意味で尋ねる。答えは、シュラの期待していたものとは少し違っていた。
「ええ、ちょっとした方から、頼まれましたの。頼んだ相手は、一回戦が終わったらハリネズミを回収して、ドロンですわ。わたくし達の手元にあれはありませんわ」
「どうやら実戦データが欲しかったみたいだね」
「そっか、それだと本当に紹介位しかできないわ。楽に稼げるお仕事はないと思うけど、それでも良い」
シュラが申し訳なさそうに確認する。
「十分ですわ」
フレデリカが自信に満ちた顔で笑う。
「わたくしに足りないものは伝手だけですもの。私の才覚に伝手が組み合わされば、後は勝手に成り上がりますわ。オーーーホホホホホホッ」
手の甲を口元に当てた笑い声と共に、二回戦はシュラの勝利で終了した。




