仮病使ってサボろうとして、わざと道を間違えて、目敏く困っている人を見つけて人助けしただけ
大きなドーム状の建物の前で、二つの人影が途方にくれていた。
一つは小柄な女の子のものだ。釣りあがった青い目が印象的で、ショートボブに整えられた金髪と合わせて、気位の高い猫を連想させる。緑色の貫頭衣から出ている手足は小枝のように細く、体もまだ丸みを帯びていない。身長ともども、体の成長はまだこれからである。彼女の名前はシュラ、運命祭に参加する糸紡ぎの一族の一人だ。
その隣の人影は大きい。一八〇センチはあると思われる細身の人物だ。黒いマントを頭からすっぽり被り、顔の上半分を隠している。唯一見える口元はだらしなくにやけていた。黒いマントは妙な光沢と触角らしき二本の毛を持ち、ゴキブリを連想させた。彼の名前はカラ、運命祭の為に呼び出された英雄の一人である。
二人の前には何十人でも一度に入れそうな巨大な入り口が開いている。その奥から、ざわめきが聞こえてきており、中には多くの人が居る事を示していた。
途方にくれる二人の視線は、その入り口の隣、受付に注がれている。小さな雨よけ用天幕の下に机と椅子が置かれている。しかし、誰も居なかった。
「まだ、時間はあります」
「そうね」
カラは自分の時計で、シュラは壁にかけられた時計で、時間を確認する。まだ、運命祭開会式までは時間がある。受付終了には早すぎた。
「無人と言うわけでもなさそうです」
「そうね」
受付の椅子は机から出て横を向いている。席から立って椅子を直さずに立ち去ったような状態だ。
「まさか受付が居ないとは、予想外でしたねー。アハハハハーーーーー」
「笑ってる場合じゃないでしょ。どうすんのよ。カラの所為なんだから何とかしなさいよ」
「シュラさん、怒らないで下さいよー。ちょっと寝坊して、仮病使ってサボろうとして、わざと道を間違えて、目敏く困っている人を見つけて人助けしただけじゃないですか」
カラがぼやくと、シュラが怒気を押し殺した声で言った。
「最後以外、怒らない理由が思いつかないんだけど」
「取り敢えず、現状打破が最優先です。細かい事は気にしないでいきましょう」
カラは取り繕うように受付を観察する。しかし、机と椅子があるだけだ。カラには手がかり一つ見つけることができなかった。
カラは机を睨んで唸る。そして、受付に背を向けて歩き出した。
「とりあえず中に入りましょう」
「え、え、え? いいの?」
「なに、入ってしまえばこっちのものですよー。幾らでも、言いくるめようはあります。元々、落ち度は相手にありますからねー。アハハハハーーーー」
カラはシュラを置いて、ドームの中に入っていく。シュラは受付とカラの背中を交互に見る。カラの姿が見えなくなった頃、シュラは慌てて後を追った。
「ま、待ちなさいよ」
走るシュラの視界にカラの背中が見えた。歩幅の違いだろう、カラはゆっくり歩いているように見えるのに、シュラはなかなか追いつかない。
「と、その前に、小細工しておきましょう」
「はい?」
漸く、シュラが追いつくと、カラは入り口目指し後ろ走りを始める。急な方向転換についていけなかったシュラは、その場で足をもつれさせ、ビッタンッ、と非常に痛そうな音が響いた。
その音にカラは気づかず、後ろ向きに全力で走る。数秒で受付に戻ったカラは、ポケットから紙を出して一筆、何かを書きとめて、受付の机の上に紙を置いた。
「これで、準備は周到、用意は完了、です。シュラさんのところに戻りましょう」
「カラァッ、どこ行った。あんたの所為で、膝すりむいちゃったじゃない! 逃げたんならただじゃ置かないわよ」
カラの脇をシュラが走りすぎた。怒りで視野狭窄になっているのだろう。脇にいたカラに気づかなかった。
「あら、シュラさん、待ってて下されば良かったのに、何をしているんでしょう?」
どこかに駆けて行くシュラの後姿に、首を傾げる。カラは受付の椅子に座ってシュラが帰ってこない事を祈る。運命祭に対してやる気がないのだ。
カラは運命祭の為に呼び出された英雄である。死んで気付いたらシュラが目の前にいて、この大会に参加する事となっていた。
この時代がカラの生まれた時代から、かなり未来である事は教えられている。石畳よりも平らで水はけがよい真っ黒な道路。当たり前のように配備されている常夜灯。大会中は使用できないが、自動車も実用化されている。どれもカラの時代では、夢物語だった事だ。
糸紡ぎの一族達は生き返らせてあげたつもりかもしれないが、カラにしてみれば別世界に無理やり呼び出されたようなものだ。それに対して思うところはあるが、カラがやる気のない原因は他にある。
「なんというか、生きる気がしませんねー」
カラはしみじみと呟く。これがやる気のない理由だ。
カラの晩年は幸福だった。よき理解者に囲まれ、自分を慕う多数の人たちと語り合い、そして自分のやりたい事をやりきって死んだ。幸福でないはずがない。今更生き返っても、カラにはやりたい事がない。しかし、痛いのも、つらいのも、苦しいのも、嫌だから、自主的に大会不参加を決める事もできなかった。
「適当にやりましょう。体は丈夫ですし、何とでもなるでしょう」
椅子に座ったまま空を見上げていると、カラの体が吹っ飛んだ。
「そこに居たか、カラッ!」
いつの間にか戻ってきたシュラのとび膝蹴りが、カラの側頭部に直撃したのだ。
スピードの乗ったそれは既にひとつの大砲に等しく、運動エネルギーを全て相手にたたきつける完璧な一撃は、シュラをその場に静止させ、カラを一メートルほど吹き飛ばした。何かが潰れたり、何かが折れたり、人体から聞こえてはいけない音を出しながら、カラは地面を数メートルほど転がり、静止する。
「おー」
自分が起こした惨状に、シュラは感嘆の声しか出ない。この威力を予想外だったようだ。
「ひ、ひどいですよ。今の完璧な飛び膝蹴りは人を殺せますねー。アハハハハハー」
生まれたての小鹿のように震える脚で立ち上がったカラは、笑いながら前のめりに倒れた。
「カ、カラっ。寝ちゃだめ、意識をしっかり持って」
慌ててシュラがカラに駆け寄り、肩を揺らす。ひどく焦った様子だ。
「この位では死ねませんよ。ちょっと、あの世の境界線が見えただけです。プロブレムです」
シュラを力づけるようにカラがサムズアップを見せる。その手は小刻みに揺れていた。
「そんなことはどうでもいいの。もう時間だから、さっさと起きて、マジで遅刻しちゃう」
カラは力尽きた。
「カラーーーーー」
悲痛な叫びがこだまする。
「はーい」
能天気な応答があった。辺りの空気が一瞬、真っ白になる。
シュラの目の前で、ゴキブリファッションの男がストレッチを行っている。先ほど危ない薬を切らしたように震えていた人物だと思えない。
「さっきのなんだったの? と言うか演技?」
怖いぐらいの笑顔でシュラは尋ねる。その顔の横には血管の浮き出た拳があった。
「演技ではないですよー。
私、ちょっとばかり丈夫なので回復能力は高いんです。後は、服に仕込んだプロテクターのお陰です。備えあれば憂いナッシングですねー。アハハハハハハハハハハーーーーーーーーー」
腰に手を当てて笑うカラの姿にシュラは頭を押さえ、これからどうなるの、と呟く。総重量三十キロを越す肉弾が頭部に直撃して、すぐ笑い出すカラの姿に、パートナーとしての頼もしさより、変人と一緒にいる不安を感じているのだろう。
一通りストレッチを終えたカラが懐から出した時計を見る。針は開会式の時間直前を示していた。一瞬、逡巡したが、すぐに口を開く。
「もうすぐ開会式ですねー」
「げ、急ぐわよ。カラ」
シュラが壁にかけられた時計を見て、顔を真っ青にした。慌てるシュラを、カラはひょいと担ぎ上げ、走り出す。
カラにやる気がなかろうと、シュラにやる気がある以上、運命祭に参加はしなくてはいけない。運明祭に参加するより、落ち込んだシュラを慰める方が面倒くさいのだから仕様がない。
「最大走力でいきますよ。私は風です。気分は飛脚ですねー。アハハハハハーーーーー」
「じ、自分で走れるから、離しなさい」
シュラが手足を振り回すが、カラの腕がしっかり腰を固定して外れない。暫く暴れていたシュラだが、最後にはあきらめて大人しくなった。
会場に入ると、その広さにカラは目を丸くする。豪邸が数件入ってもまだ余裕がありそうな、広大な建物だ。天井なんて、教会よりも高い。
呆然とするカラの服を興奮で顔を赤めたシュラが引っ張る。
「すごい、すごい! 人がすごく一杯よ」
シュラの言う通り、会場の中は人でいっぱいだった。大まかには二種類の集団が形成されていた。寄り添うように集まっている集団達と、壁際で二人きりで居るペアだ。
カラは引きつった笑顔を隠す為、頬をかく。王を決める祭りとしか聞かされていないカラの予想を上回る熱気とやる気が辺りに充満している。
シュラの肩にカラは手を置いた。いつでもシュラを守れるように、神経を尖らせる。
「だれか知り合いは居ますか?」
「こんなに人が居たら分かんないわよ」
シュラが頬を膨らませ、首を横に振った。
「それでは、探しに行きましょう」
カラはシュラの肩を押し、会場の中心を目指して歩き出した。
様々な時代の英雄がいる。腰に獣の皮巻いただけの男、鎧を身に着けた槍使い、カラの見た事のない布を使ったドレスを着た女、おもちゃのように小さい銃を腰ぶら下げている者もいた。
全員の言語は統一されており、理解できないものはない。言語を統一する技術が使われているのだ。
カラは生前の知り合いにそんな研究をしていた物好きがいた事を思い出す。カラの時代では未完成だったが、この時代では一般的な技術である。
カラとシュラがステージ前に到着すると、盛大な破裂音が鳴り、紙ふぶきが舞い落ちる。紙ふぶきが辺り一面を覆い、参加者からステージを隠す。次にステージが現れた時、そこにマイクを手にした女性が一人いた。
「糸紡ぎの一族の皆さん。
召喚された英雄の皆さん。
運命祭への参加ありがとうございます」
手にしたマイクに発せられた声は女性にしては少々低いが、よく似合っていた。
「年、性別、生き方、生まれた場所も、時も、思想も違いますが、目指すものは唯一つ」
女性はマイクを片手に、ステージ上を歩く。パンツルックのスーツの上からでも分かる肉感的な肉体が踊る。
「欲しい称号は唯一つ。
手に入れる方法も、たった一つ。
今、ここに宣言します。
最強を決める祭、運命祭、開幕です」
怒号のような歓声が沸き立った。会場中が振動し、空気がうねる。
「それでは、運命祭について説明させて頂きます」
一瞬で会場が静かになる。一言一句聞き逃さない様、全員耳をそばだてていた。
「運命祭は基本、各ペア同士、一組対一組で戦われるトーナメント戦です。
決勝トーナメント、区域トーナメント、予選トーナメントの三つの段階に別れ、それぞれ、四回、五回、六回戦となっております。
予選トーナメントの組み合わせは、既に決まっており、明日公表されます。
糸紡ぎの一族の皆様、明日お部屋に組み合わせ表を送付させて頂きますので、ご確認願います。
次に勝負のルールですが、ルールは英雄の皆さんに戦って頂く、それだけです。勝利条件や細かいルールは、こちらで設定しておりません」
会場がざわついた。ざわつきは小さなもので、その殆どが壁際からだ。
「これは、各々英雄の得意分野が違うので、同じ競技で競って頂いては不利であると、大会本部が判断したためです。
そこで皆様は戦う前に、こちらが用意した部屋で対戦相手とお互いに勝利条件を決めて頂きます。
制限時間は、部屋に置かれている砂時計の砂が全て落ちきるまでの、約一〇分です。
次に、会場の説明をさせて頂きます」
ステージ上に映像が現れる。何もない空間がいきなり色付いた。
「さすが未来、なんでもありですか」
カラは自分の常識を超えた技術に目を丸くする。
投影された映像は、中央にある小さな円の左右にそれぞれ半月がくっついた形をしており。中心の円は灰色、右の半円は赤、左の半円は青色に塗ってあった。
「この映像は、会場の簡単な地図となります。皆様はこの、左側の半円、青色で塗ってある所に居ます。反対側、右側の赤い半円に、皆様の対戦相手が居ます。
中央の円、灰色の部分が、トーナメントの会場です。このエリア内で戦って頂きます。
この中央の円、灰色エリアにいくつもの対戦場が設置されており、その中の一つで戦って頂く事になります。
ご覧の通り、左右の半円のエリアは、中心の円部でだけ繋がっております。基本的に立ち入り禁止となっておりますので、対戦相手と事前に出会うことはできません。
なお、青、赤、灰色の三エリア、全てに大会運営委員や有志によるさまざまな販売店がありますので、上手に活用して下さい。
この他、細かいルールは、明日配られる運命祭要領書を参照願います。
以上、質問、苦情は後日、大会運営委員会へお願いします」
司会がマイクから口を離すと、辺りが騒がしくなる。周囲の人たちとルールの確認や感想を言い合う声が、そこかしこから聞こえてくる。
シュラもその一人だ。
「ねえ、カラ、どうしよう」
シュラは黒マントを引っ張る。
「はい、どうしました?」
「わたし、交渉なんてやった事ないし、もし、大人の人だったら、どうしよう」
カラを見上げるシュラは見るからに不安そうで、目じりが垂れ下がり、マントを握る手が震えていた。
「大丈夫です。祭りは参加する事に意義があるんです」
カラは安心させる為に、シュラの頭をポンと叩いた。
「でも、一回戦で負けちゃったら」
シュラの弱々しい言葉を、手で遮ると、カラは気楽な口調で言う。
「一回戦負けでも、誰も笑いません。半分は、一回戦で負けますからねー。アハハハハー」
誰かが言った名言がある。トーナメントは勝者を決めるものではない、敗者を決めるものだと。その言葉通り、実力に関係なく一回戦では半数が姿を消す。優勝候補でも関係ない。運悪く、より強い相手と当ってしまえば負けるのだ。
「あ、そっか、そうね。半分は、負けてるのよね」
カラの指摘にシュラの肩から力が抜けた。
「つまり、この一回しか戦えないかもしれないのよね。そうよね。やれるだけやらなきゃ。むしろ、やりたい放題しなきゃ勿体無いわ」
シュラの声色に危険なものが混じっていく。
「カラ、決めたわ」
「はい」
カラは嫌な予感がした。
「作戦は、死んでも勝て、よ」
「それは遠慮願いたいです。私の命は一つしかありませんからねー。アハハハハハハハハーーーーー」
「大丈夫。どうせ一回だけなんだから」
シュラが、人差し指を一本だけ立てる。
「既に、負け確定ですか。酷いです」
「だって、あんた弱いんでしょ」
「イエス、オフコース、です。目指せ一回戦敗退、と言うことで、命の大切さをかみ締めつつ、景気づけに何か食べましょう。ほら、食べ物が入って来ましたよ」
カラは会場に運ばれてきた料理の数々を指差す。巨大なテーブルに載せられたそれは、暖かな湯気と香辛料のいい匂いを漂わせていた。何処からともなく、唾の飲む音が聞こえる、
ステージ上でアオイが説明する。
「料理が運ばれてきました。ビュッフェ形式ですので、皆様、ご自由にお取りください。
後ほど、楽しいゲームや楽隊による演奏などをご用意しておりますので、皆様、ごゆるりと歓談願います」
会場中から歓声が上がった。我先にと、参加者達が料理に殺到する、
「今日は走ってばかりいたから、おなかぺこぺこよ」
シュラはカラのマントを引きずり、料理へ向かって駆け出した。