18.44
私にはいつも同じ通勤電車の車両に乗り合わせる女性がいた。年は私と同じ社会人1、2年の新人であろう。
最初は別に意識しなかったが、2回、3回と乗り合わせの回数が増えていくに連れ、お互いが意識するようになった。同じ車両でどうしてこういつも近い距離で乗り合わせるものか。時に私は運命というものを感じるようになった。
それは、ある雨の日の出来事であった。ただ雨が降っているというだけで晴れの日や曇りの日と何ら変わらなかった。いつものようにほどよく混んだ車両に乗り込んだ私はまず、彼女が乗っているかどうか気になるのであった。
そして、距離感を確かめるのであった。
まず18mあるかざっと確かめる。
そして、次に小数点以下が44になるように微調整。
これはもちろん、本当に距離を測るではなく、飽くまでシミュレーションである。今日は2回で決まった。
18.44
測定が終わると同時に車掌のアナウンスが流れる。
「ドアが閉まります。駆け込み乗車はお止め下さい」
そして、間もなく車両が動き出す頃、私はフォームを整え、彼女に向かって球を投げるふりをした。
一球目はボール。
二球目もボール。
三球目、四球目ときて、ついにフォアボール。これが、四回続いて押し出しの1点。気を取り直して、次の打者も彼女。ロングヘアーの凛とした佇まいが美しい。そのスラッとしたスタイルの長身はイチローを思わせる。
そして、再び投球フォームを整えた時、次の駅に着いた。
どうやら、他の乗客を押し退けて彼女が私の方に近づいてきた。
おや、これは乱闘か。そう思うや否や、私は彼女に腕をつかまれ無言で然るべき場所に連れて行かれた。ここで監督に成り変わった彼女に戦力外通告ならず、痴漢通告を出されてしまった。
「痴漢?僕がですか」
私の目の前にいる小太りの男は教官室で生徒に説教を垂れる高校時代の体育科の教師に似ていた。
「自覚がないのかね?」
それに対して私は
あるともないとも答えず、屁理屈を述べた。
「自覚も何も、彼女とはあかの他人ですから。まだ、付き合うも何も」
「君の妄想を述べられても困る。君は確かに毎日、彼女に執拗に嫌がらせをしていたと同じ時間帯に乗り合わせた人の証言があるんだよ」
「いえ、僕はただ彼女とのプレイを…」
バン!
机を激しく叩く音
「それが、痴漢だと言っているんだ!君にはこれから近くの警察署で取り調べを受けてもらう」
駅長か何なのか私にはわからなかったが、今の口吻といい、鬼気迫る形相といい、閻魔法王の化身にしか見えなかったその中年男に命じられるまま隣にいた警察官に手錠をかけられ、ロッカールームを後にした。
彼女との18.44の距離はあっという間に縮まったと思うや、それが痴漢行為だと見なされると遠くへと引き離され、二度とマウンドに立つことはなかった。
後で気づいたことだが彼女はあの日、傘を持っていなかった。
バットを持っていなかった。
つまり、それが私に打者であること、目標にされたくないという彼女のささやかな意思表示だったのかもしれない。
あの時、私が彼女の警告に気づいていれば、痴漢行為は寸でのところで抑えられていたかもしれない。
なんて愚かで最低な人間なんだと今更ながら己の痴態を恥じるのであった。
もし、本当に彼女を思う気持ちがあったとしてもそれは己の胸の内にしまって墓場まで持っていけばよかったのだと自らの極論が頭に浮かぶのであった。
しかし、今となっては後の祭りだ。
私はこれから社会の冷たい目に晒されることだろう。
それでも私はこれから更正するのだ。そのため、法の裁きの基に償っていかなければならない。
二度と18.44の過ちを犯さぬように…。