自殺少女輪廻
夕やけが目についた。
青とオレンジをごちゃ混ぜにしたような、お世辞にも綺麗とはいえない色。
これを人は美しいと言うのだろうか?
これを見て人は感動するのだろうか?
何が美しいものだ。
こんなもの、私にはなんの感情も起こさない。
空は空以外に成りえないのだから。
私を救ってくれなどしないのだから。
これで、何回目だろうか?
記憶を持っているのが馬鹿馬鹿しくなる。
何故、忘れてしまうことが出来ないのだろうか。
何故、消してしまうことが出来ないのだろうか。
忘れてしまいたい。
消してしまいたい。
こんな記憶、持っていたって意味はないのだから。
空を見上げる。
この短時間で何かが変わる訳でもない。
未だに空は青とオレンジで濁っていた。
もう、夕暮れだ。
いつからここにいて。
いつまでここにいるんだろう。
下を見下ろすと校庭で遊んでいた子供達が帰り支度を始めている。
人が帰る時間だ。
なら、私も帰ろう。
もう、ここにいる理由はない。
いや、最初からここに居る理由なんかないのだ。
だって、ここには何もないのだから。
願いも。
救いも。
誰も私を見てなどくれないのだから。
そう、だからこそ。
帰るのだ。
手すりに手をやる。
ここは屋上。
どこの屋上だかは知らないし、関係がない。
ただ、私はここに居て、ここで息をしている。
それだけで良い。
考える事等、それだけでいいのだ。
もう、この世界に未練などないのだから。
「わたしは、わたしを救ってくれる人を探しに行く」
この言葉を言うことが、いつしか癖になっていた。
この悪夢から救ってくれる人間。
それさえあれば、もう何もいらないのだから。
そして、この世界にその人は居なかった。
だから、私は――
世界に向けて、身体を投げた
次に受けた生も希望はなかった。
絶望だった。
それでも、私には特に何の後悔もなかった。
「また、駄目だったんだな」
それだけだった。
それだけで、済ませられるくらいに、私は繰り返していた。
学校に行っても私の居場所なんてなかった。
みんなから蔑みの目で睨まれる。
当たり前のように、殴られた。
見えないところで、見えないところを。
何度も、何度も。
それでも、子供のやることだ。
大人は気付いていたはずだ。
子供を守ってくれるはずの先生。
なのに、守ってくれなかった。
見て見ぬふりをした。
私の存在を、消した。
だから、居場所なんてどこにもない。
もともと、居なかったことになっているのだから。
居ない人間に椅子なんかない。
机なんかない。
教科書なんかない。
上履きなんかない。
あるのは花瓶と、落書きと、暴力だけ。
死にたいと思った。
心から死にたいと思った。
でも、それでも身体が動く訳ではない。
思うだけで実行なんかされる訳が無い。
殴られる事も怖いけど、死ぬ事だって怖い。
だって、二つは似た物同士だから。
痛いのが嫌なのにどうして死ぬ事が出来るのか?
痛くない死に方なんか、苦しくない死に方なんかできるはずなんてないのに。
だから、私は繰り返す。
私を救ってくれる人を探すまで。
私が救われるまで。
「……」
今日も屋上はオレンジと青がごちゃ混ぜになっていた。
これを見て人は綺麗だと思うのか。
これを見て人は感動するのだろうか。
私には何の感情も起こさない。
空は空以外に成りえないのだから。
私を救ってなどくれないのだから。
だから、私は空が嫌いだった。
なんで、いつも同じ空を見なければならないのか。
なんで、もっと綺麗な空を見ることが出来ないのか。
私には、どうしたって出来ない話だ。
やるべきこと以外の事をやってはならないのだから。
屋上の手すりに手をかける。
下を覗くと子供達が帰り支度をしていた。
もう、家に帰る時間だ。
私も帰ろう。
この世界じゃない、新しい世界へ。
そして、また世界は始まった。
「……っ」
また、目が覚める。
見渡せばわかる。
いつもの教室だ。
そう、ここで私はいつものように……。
「おい、雨宮」
端っこで喋ってた女グループの一人が私を呼び付ける。
今まで通りだった。
今まで起きていた事がここでも起きていた。
「……なに?」
だから、私もいつものように彼女達のグループの所に向かった。
それ以上の選択はない。
できない。
誰かが来てくれるまで、私はこの選択をし続ける。
そうしなければならなかった。
「……ちょっとさぁ。今日お金忘れちゃったのよねぇ。少し貸してくれなぁい?」
さっきとは違う女子に話しかけられる。
「……忘れちゃったの?」
嘘だ。
わかってる。
もう何度もこのセリフを聞いた。
耳にタコが出来るくらいに、私はこのセリフを聞いた。
最初からわかっていたんだ。
金を巻き上げようとしている事くらい。
あの時、私は変えられたかもしれない、この運命を。
でも、今となってはもう遅い。
だから――
「いくら?」
そう言ってしまった。
ポケットからお財布を取り出す。
この後の展開も分かっているのに、私は一体何をやっているのだろう……。
「いいから貸しなさいよ!」
今度は違う女子からお財布を奪われる。
そのお財布からありったけのお金を取り出す。
「おー、雨宮金持ってんじゃーん」
「さすがー」
貸してくれと言ってくれた女子は笑いながらそのお金全てを自分のポケットにねじ込んだ。
空になったお財布を投げ渡される。
「…………」
軽くなった財布。
この中には今日のお昼のお金も含まれていた。
でも、私には何も言うことが出来ない。
そんなこと、できない。
いつまでも、そこで立っていることしか出来ないのだ。
「おい、いつまでここにいんだよ。さっさとどっか行けよ」
酷い言い草だ。
そっちから私を呼んだくせに、用が済んだらそこで終わり。
あとは、まるでゴミでも見るかのような目で見られる。
所詮、その程度の存在なのだ。
奴らに取って、私なんかそれほどの価値しかない。
怒りが湧き上がる。
何か叫んでやりたい。
殴ってやりたい。
仕返しをしてやりたいと何度望んだことだろう。
でも、出来ない。
あの時、出来なかった事が今になって出来る訳が無い。
だから、私は彼女達の言われるままに席に戻るしかなかった。
それ以降、私は彼女達に、そのクラスの人間達に
一言も話しかけられる事は無かった……。
昼休み。
「おい、雨宮~」
今まで無い物とされていた私が存在を取り戻す時間。
でも、それは幸せなことなんかじゃない。
「ちょっとさぁ、私達これから大事な予定があるのよぉ」
「大事な予定?」
そんなものあるものか。
お前らの大事な予定なんてせいぜい無駄話を甲高い声でわめき散らす事だけだろ。
実際その通りだった。
私は知っている。
「そうそう。大事な予定があんの。だからさ、あんた私達の昼食買ってきてよ」
なんで私が……。
そう思ったが、結局私は首を縦に振る事しか出来なかった。
「それじゃ、よろしくね~」
「……え?あの、お金は?」
「あー、今急いでるから立て替えといて~」
「で、でも……お金、なくて……」
そう、さっき全額取られたのだからある訳がない。
「はぁ?お金持ってないの?信じらんね~。てか、マジ使えね~」
「ご、ごめんなさい……」
なんで、私は謝っているんだろう?
ここは怒るところじゃないのか?
どうして、あの時の私はこんなことを?
訳が分からない。
でも、私はもう、この選択しか許されない。
「あ、そうだ」
さっきまで機嫌悪そうに睨みつけていた彼女が途端笑みを浮かべ始めた。
何か企んでる。
気味が悪い。
「しかたないなぁ、じゃあ貸してやるからさ。買ってきてよ」
「え?う、うん」
ポケットから出したお札を取り出す。
これは、多分……私の財布から巻き上げたお金だ。
「あーあと、これメモだから。んじゃ、よろしく~」
そのままニヤニヤと笑いながら彼女は去っていった。
「……」
それを無表情で送った後、私は一人、購買に足を運んだのだった。
「……買って来たよ」
彼女達はすでに教室に戻ってきていた。
何も忙しそうな素振りも無く、ただ無駄に甲高い声でキャンキャンと喚いていただけだ。
そんな彼女達の真ん中にメモに記された物が全て詰まった袋を置く。
「おせーよ、ボケ」
肩を殴られる。
痛い。
「まぁまぁ、買い忘れもないみたいだしいいじゃない」
さっきお金を渡した女子が殴って来た女子を諌める。
「あ、あの。これ、お金……」
私の取られたお金で、こいつらのご飯を買って、さらにそのお釣りも返さなきゃいけない。
理不尽だ。
でも、それでも私は怖くてそんなことを言う勇気はなかった。
大人しく、お金を渡すこと。
それだけしか、今の私に出来ることはなかった。
「あー、いいよ。それはあんたに渡しておく」
「え?」
きっと、私はそんな反応をしたはずだ。
だから今の私も同じような反応をする。
先を知ってしまっている私にはこれがどれほど辛い事か。
でも、それも慣れてしまった。
ただ、あの時と同じ反応を繰り返す。
まるでロボットのように。
ゲームの中のキャラクターのように。
「いいのいいの。あ、でもちゃんとお金は返してね。明日でいいからさ」
「う、うん」
そう、こくりと頷く。
それを見た女子は笑顔で答え、機嫌良く会話を続ける。
「え?ちょ……奈緒美?」
殴って来た女子、それに周りに居た女子も彼女の突然の反応に驚いている様子だ。
でも、そんな彼女達に「いいのいいの」と、手を振る女子生徒。
「ほら、それじゃあんたはどっか行きな」
「え?あ、うん」
どこか納得のいってない彼女達をしり目にさっさと話を切り上げてしまう。
私も、これ以上ここにいるのが苦痛で仕方が無かったので足早にその場を去った。
「明日が楽しみだわ」
そう、後ろから声が聞こえた。
次の日。
私はお金を持って学校に来た。
昨日、財布に入れていたお金。
だいたい、三千円くらいだろうか。
多分、そんくらいだった気がする。
これが初めてな訳じゃない。
もう、何度も同じような嫌がらせはされた。
何度お金を取られたことだろう。
その金額すら覚えていない。
「……」
一度だけ。
一度だけ、彼女達に抵抗したことがある。
なんでこんなことされなくちゃいけないの!
そう言った。
でも、その叫びは。
私の心からの悲痛な叫びは。
暴力の壁の前では無力だった。
私は何度も叫んだ。
その度に殴られた。
いつしか、私は抵抗することを止めた。
辛かったんだ。
世界はこんなにも冷たいものだったんだって自覚してしまった事が。
殴られる痛みより、そっちの方が耐えられなかった。
世界から見放されたら、私はどうなってしまうのだろう。
いつしか、そんなことを考える事になっていた。
そして、私はただ耐える事だけを覚えた。
逃げたんだ。
現実から目を背けただけ。
私の世界から見放されるのが怖かったんだ。
だって、そしたら私は本当に一人ぼっちになってしまうから。
だから、今は耐えるんだ。
「……」
廊下の窓から教室の様子は簡単に窺えた。
私はそんな早く学校に来るタイプじゃない。
今だって始業のチャイムギリギリで学校に来ていた。
だから、たくさんの人が教室で談笑をしている。
そして、その中にはもちろん彼女達も紛れていた。
私が一番会いたくない人達。
彼女達さえいなければ……。
そう思ってももう遅い。
結果はもう出てしまったのだから。
だから、私はその線路に向かって歩いて行かなくちゃならない。
もう、諦めもついたから。
「……おはよう」
教室に入る。
その瞬間、談笑が止み。
教室から、会話が消えた。
「お、きたじゃーん」
彼女の言葉がさらに教室の空気を冷たくする。
それに呼応するように彼女達の中からクスクスと声が聞こえる。
不快だった。
耳に残るその声が――
人を馬鹿にしたような顔が――
……これから起きる最悪な出来事が――
「んで?持ってきた?金」
「うん……」
財布からお金を取り出す。
「もたもたしてんなよ!」
渡そうと手を伸ばす前に根こそぎ持って行かれてしまう。
そのお金が別の女生徒の手に渡る。
昨日、お金を貸してあげると言っていた奴だ。
元々、私のお金なのに……。
「へぇ、ちゃんと持ってきてんじゃん」
「う、うん……」
「……で、残りは?」
「……え?」
残り?残りってなに?
私は全部渡したはず。
自分のお金だからちゃんと覚えてる。
確かに昨日取られた分全部持ってきたはずだ。
「いやいや、貸してあげた利子くらいちゃんと払って貰わないと、ねぇ?」
「そんな……」
「なに?私達に意見すんの?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、早く出しなさいよ」
「も、もってないよ……。だって、利子だなんて聞いてない――」
瞬間、私は腹を殴られた。
「ぅぇ……っ」
いきなりの激痛に耐えきれず、私は倒れ込む。
「ふざけんじゃねぇよ。こっちは真面目にやってんだよッ!」
「……かはっ!」
倒れ込む私に追い打ちをかけるように横腹に蹴りを入れる。
痛い。
痛い。痛い。
こんなことをされているのに、周りの人は誰も助けてくれない。
悲痛な顔、同情的な顔。
そんなものは見飽きた。
私が欲しいのはそれじゃない。
そんな感情はいらない。
私が、欲しいのは……私が欲しいのは……。
「ねぇ、あまみやぁ……」
ずっと座ってた女生徒が立ちあがり私の髪を掴む。
「私だって、こんなことしたくないんだよ?でもさぁ、借りた物は返すってのが礼儀じゃん?」
何が礼儀だ……。
そんなもの、あるもんか。
お前達の中に、礼儀なんて言葉があってたまるものか……。
「……あれ?反抗的だね」
「……」
「ねぇ、こいつどうするぅ?なんか反抗的なんだけどさぁ」
掴んでいる腕をさらに引き上げる。
私の顔はさらに不格好になり、彼女達の前に晒される。
「キャハハ、ひっどいかお~」
黙れ。
「もう一から調教し直すしかなくね~?」
黙れ……黙れ……。
「え~、私達そんな暇じゃねぇじゃん」
「いやいや、せっかく私達が相手してあげてるんだから。最後まで面倒見てあげないと駄目じゃねぇ?」
黙れ……黙れ……ッ!!
「だまれぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!!!」
教室に怒号が響き渡る。
さっきまで笑っていた女生徒も。
さっきまで同情の目を向けていた生徒も。
全ての人の表情、声が消えた。
まさか、私がここまで怒るなんて思わなかったのだろう。
一瞬の静寂が教室内に走った。
「……ふふ」
だが、その静寂はすぐにかき消される。
私の髪を掴んでいた女生徒がふいに笑いだしたからだ。
「なに言ってんの?こいつ」
「放せっ!!放せよっ!!」
「うっせぇな!!」
私のお腹に拳がめり込む。
女だろうが本気で殴ればそれなりの威力は出る。
髪を掴まれ身動きも取れなかった私はただ、殴られるままに地面に突っ伏す事しか出来なかった。
「……おい、雨宮」
そこで彼女は止めをさす一言を発する。
「私達に逆らったこと、後悔させてあげるよ」
きっと、ここで耐えていればなんとかなったのだろうか?
もっと我慢すれば、あんなことにはならなかったのだろうか?
いや、きっと遅すぎたのだ。
もっとこうなる前に出来る事はあったはずなのだ。
可能性の選択肢はもっと枝分かれしていたはずだ。
そして、その道を選んだのは私だ。
自業自得なんだ。
そして、これはきっとその罪を償う為の方法。
何度も傷付き、何度も絶望する。
そういう生き方を強いられたのだ。
この後、奴らのいじめはさらにエスカレートしていった。
ホント、ドラマでも見ているんじゃないかってくらいのいじめっぷりだった。
教科書に落書きやかつあげなんて軽い物だったんだって、初めて思った。
それくらい酷いものだった。
もう、生きているのが嫌になるくらいに。
それくらいに、地獄だった。
どれだけエスカレートしたって、助けてくれる人なんか誰もいない。
それだけは以前と変わらずじまい。
見て見ぬふりを決め込む生徒。
私という存在を無かった事にする教師。
どれだけ叫んでも、どれだけ泣いても。
誰も救ってなんかくれなかった。
結局、今回の世界も変わらなかった。
ただ、絶望を味わっただけ。
私はあと、どれだけ痛みに耐えればいいのだろう?
「……」
そして、私はまた屋上への扉を開ける。
連中からお金を持ってくるように命令された日だった。
もちろん、私は断った。
あの日から私はずっと戦って来たのだ。
ずっと一人で。
でも、もう限界だ。
この日、今日というこの日を持って。
私の存在は本当に消えてしまうのだから。
屋上には、当たり前のように青とオレンジの混ざった空が一面に広がっていた。
もう、見飽きたんだ。
それくらいに、私はこの空を見て来た。
なにも感じる事はない。
ここに来て、この空を見上げる行為は私に取って絶望以外の何物でもないのだから。
それでも、見上げてしまうのは何故だろう。
この空に救いを求めているのか?
それとも、この空になにかしらの意味を求めようとしているのか?
どっちにしろ、私にはなんの関係もないと言うのに……。
だって、私はまた別の世界に飛んでしまうのだから。
ここで見るこの空はもう見おさめで、二度と見る事なんてないのに。
そんな空に意味を求めて、何の意味があるのか。
私にはわからない。
だから、また飛ぶんだ。
繰り返すんだ。
そしたら、その意味の必要性にも気付けそうな気がするから。
「……さよなら」
屋上のてすりに手をかける。
最初は怖かったこの行為も今では何のためらいもない。
だって、死なないってわかっているから。
……あれ、なんで死なないって知ってるんだろ?
というか、なんで私ってここにいるんだろ?
ここまで飛び降りたとこまでの記憶はあるのに、その後の私の記憶ってどうなってるんだろう?
そんなことを考えながら、また私の身体は宙を舞ったのだった。
そして、また時間は繰り返す。
「……」
気が付けばいつもと同じ場所。
いつもの教室。
私は自分の席に座ってる。
そっか、また同じか。
私はもう幾度目になるかわからないため息をついた。
そう、私はまた絶望を見なければならない。
「……」
あと少ししたら、私は奴らに名前を呼ばれ――
「雨宮さん」
「……え?」
なかった。
え?なんで?どうして?
私の目の前に居るのは彼女じゃない。
同じクラスメイトの藤代くんだ。
奴らは遠くからじっとこっちを見ていた。
すぐに視線を外したけれど。
もし、彼が来てくれなかったら私は今までと同じ最期を迎えていたのだろうか。
きっとそうなんだろう。
彼が私の永遠を壊してくれたのか。
「……雨宮さん?」
「は、はいぃ!」
余りに急な事で変な声を出してしまった。
は、恥ずかしい。
でも、彼は気にせず、ただ笑っていた。
「おかしな人だね、雨宮さんって」
それはお互い様でしょ。
私は心の中でそう呟く。
だって、今までのループを壊すだなんて、そんなの普通の人じゃできないよ?
私は諦めてたんだよ?
だってさ、もう何度目だと思ってるの?
いつから始まって、今に至るかわからない数のループを続けてさ。
何度も痛い思いをしたんだよ。
いくらループしたって、その結論は変わらなかったんだよ。
痛くて辛くて暗闇しかない。
そんな世界なんだよ、ここは。
私が自分で選んでしまった罪なんだよ。
だから、諦めてたのに。
それなのに、さ。
なんでこんなことしちゃうのよ……。
なんで、優しさを入れてしまうの?
なんで、痛みを和らげようとするの?
「……なんで、希望で照らそうとしちゃうかなぁ」
「……何の話?」
彼が首を傾げる。
わかる訳がないだろう。
私がどんな世界を見て来たか知らないのだから。
私がどんな苦痛を受けて来たか知らないのだから。
でも、彼は私を引っ張ろうとしてくれている。
それが自覚があろうとなかろうと。
私には関係ない。
それは事実以外に成りえないのだから。
だから、私は――
「……?雨宮さん?」
「ご、ごめんね……」
「泣いてるの?」
そりゃ、泣きもしますよ。
やっと見つけた光なんだから。
ねぇ、私はこの光の先に進んでいいのかな?
私は彼の優しさに甘えてしまってもいいのかな?
……もう一度、信じてみてもいいの、かな?
わたしのしあわせ、探してもいいの?
「……」
彼を見つめる。
彼も私を笑顔で見つめる。
何万回のループの末辿り着いた一筋の救い。
それを見逃さぬように、手放さないように。
私はずっと彼を見つめ続けた。
「……放さないでね?私を」
「……?」
私が何を言ってるかわからない。そんな顔をする。
うん、わかってくれなくてもいい。
でも、その手は放さないでいて欲しい。
私は心からそう思ったのだった。
「ねぇ、雨宮さん」
昼休み。
私は藤代くんに呼びとめられた。
本当なら昼休みは奴らに呼びとめられるはずだったんだ。
でも、それが変わった。
やっぱり世界は変わってる。
私の知ってる世界と違う。
やっぱり少し動揺。
だって、今まで同じ経験しかしたことがないんだから。
未だにここにこうしてある事が信じられないくらい。
「雨宮さん?」
「へ?あ、うん」
「ほら、行こうよ」
手を引かれる。
私は引かれるままに教室を後にする。
その時、彼女達に目があった。
こっちにこようとしたのか、少し腰を浮かしたままだった。
私達がいなくなるのを確認した後、彼女らは小さく舌打ちをした。
やっぱり連れ出すつもりだったのか。
また、彼に助けられたな。
手を引く藤代くんに小さくお礼を言う。
きっと聞こえてないんだろうな。
まぁ、いいんだ。
聞こえていても彼はきっとわからないだろうし。
購買前まで来た。
ここには良い思い出が余りない。
永遠とお金を取られ、そのお金でパンを買いに行かされ。
購買を見ると特にそんなことを思い出してしまう。
「どうしたの?」
購買の前で立ち止まった私が気になったのだろうか。彼も同じく立ち止まり同じ場所を見つめる。
「……パンが食べたいの?」
「ううん。余り食べたくないかな」
「パンは嫌い?」
「昔はそうでもなかったけど。今は嫌いかも」
「嫌いなのに、購買を見ているの?」
「やっぱり、ここは思い出が強いなって」
「思い出?」
「うん、私がパンを嫌いになった思い出……」
「購買のパンがまずかったとか?」
彼の問いに思わず笑ってしまう。
「ふふ、そんなことだったら良かったのにね」
「違うの?」
「違うよ。それにもういいんだ」
彼の方を向いて、その後もう一度購買の方を向く。
きっと、この後が続けばまた好きになれるだろう。
この長い長い世界から抜け出して、私は自由になれたのだから。
「ほら、藤代くん。食堂に行こうよ」
「そうだね」
未だ賑わう購買を後にし、私達は食堂に向かった。
……また、好きになれたら戻って来るよ。絶対に。
「やっぱり、人混んでるね」
食堂も購買に負けず劣らずの賑やかさを見せていた。
それにしても、ここに来るのは久しぶりだ。
かなり長い時間の間、ここへは足を運んだことが無かったから。
なんだろう、初めてここへ来た時のような。
入学してすぐの頃の新鮮さが感じられた気がした。
「どうしたの?きょろきょろして?」
「……懐かしいなぁって」
「なつかしい?」
「あ!う、ううん。なんでもないの」
いけないいけない。彼にそんなこと言ったってわかる訳ないもんね。
余りに嬉しくてついつい喋ってしまった。
「そんなことより早く並ばないとお昼休み終わってしまうよ?」
「あ、そうだね」
「そこで食券買おうか」
「……食券?」
「……もしかして、食堂でご飯食べるのは初めて?」
「へ?あ、うん。じ、じつは……」
「なんだ、だったら教えてくれればよかったのに」
彼は笑いながらここの説明をしてくれる。
食券の事。食べ終わった後の事。
他にもいろいろ。
私は食堂を利用するのは初めてなんかじゃない。
もう、何度もここへ足を運んだ事がある。
でも、私は食券の事なんか完全に忘れていた。
彼に言われるまで気付かなかった程に。
そこで改めて、私はどれだけの時間あそこをループしていたのかを理解した。
今まで当たり前だったことを忘れてしまうくらいに、私はあの時間に閉じ込められていたのか。
「美味しいね」
「うん、美味しい」
久しぶりに学食なんて食べた。
その味が私にはとても美味しく感じられた。
だって、その味を感じる事が出来るってことは……。
だから、私はゆっくりとよく噛んで。その味を楽しむ。
忘れないように。
今まで当たり前だったものを取り戻すように。
今度こそ忘れないように。
「あーやばい!ゆっくり食べすぎた!」
そんなゆっくり食べているから。
予鈴がなるのは当然のことで。
「い、いそいで!雨宮さん!」
「は、はい!」
私達は急いで後片付けをして食堂を後にする。
「つ、つぎのじゅぎょうってなんだっけ!?」
「た、たぶん。びじゅつ!」
「い、いどうきょうしつじゃん!」
「なんでよりによって食堂から一番離れた教室にぃっ!」
さらに焦りながら教室まで走る。
でも、楽しい。
こんな感情、久しぶりだ。
きっと、これが普通の学園生活なんだ。
これが、普通の女学生の生活なんだよね?
今、私は幸せなんだよね?
自分に問いかける。
なら、夢はここまでなんだろうね――
その日、私は『久しぶり』に家に帰れた。
今まで、学校から抜けることなんて出来なかったから。
気が付いたら次の日になっていて、私の教室から世界はまた始まっていた。
多分、一番思い出の深い部分だけ抜き取られたんだろう。
……うん、薄々感付いてはいた。
わかっていた。
でも、それを確信してしまえば……私は……。
「……でも、もういいんだ」
自分の部屋。自分のベッドの上で、私はそう呟いた。
懐かしい自分の家の匂い。
景色。
家族。
談笑。
そんな、何もかもが当たり前だと思っていた、この世界。
その世界に、私は帰ってこれた。
だから、もういいんだ。
満足なの。
「……あ、でも」
満足したけど、後一つ。
後一つだけ、どうしても知りたい事があるんだ。
だから、明日はそれを確かめに行こうと思う。
わかるといいな。
もう、これが最後の世界なんだから……。
「ねぇ、藤代くん」
次の日。
私は昨日と同じく絡んでくれる藤代くんにお願いしてみた。
「どうしたの?」
優しく微笑みながら彼はそう聞いた。
「あのね。一つお願いがあるんだ」
「お願い?」
「うん、あのね。今日の放課後一緒に来てほしいところがあるんだ」
どうしても、確認したいことがあるから。
それに、それは多分、私一人じゃわからないことだと思うから。
「うん、別にいいけど。確認したい事ってなに?」
「それは、あっちに着いてから話すよ」
もしかしたら、断られるかもしれないしね。
そして、その時間はすぐに来た。
不思議と奴らのいじめは収まっていた。
何もない。平凡な日々。
ただ、彼と楽しく団らんするだけの平和な時間。
今なら、昨日の問いに答える事が出来そうだ。
幸せだ。
私は今、幸せだ。
断言して言える。
だからこそ、ここで終わらせなければならない。
私の見た夢。
それを全て、無くさなくちゃいけない。
「ここに来たかったの?」
「うん」
屋上。
私が始まり、そして終わった場所。
最後に私はここに来たかった。
空を見上げる。
青とオレンジが混ざった様な空が、そこにあった。
それだけはいつまでも変わらない。
「ねぇ、藤代くん」
「……」
「あの空を見てどう思う?……あの空がそこにある意味ってなんなのかな?」
そう、私はその意味を知りたかった。
あそこにある空の意味を。
私に取って、あの空は無常で残酷で救いのない。
そんな対象だった。
でも、それでも。
最後まで変わらず見ていたのは、あの空だから。
「……雨宮さん?」
「私、あの空を見て何の感情も浮かばなかった。ただ、変な色だ。それだけしか思えなかった。……ううん、違う。私はそう思う事しかしなかったの」
「……どうして?」
「ここが悪い記憶で満ちていたから。何度やっても上手く行かなくて、その度にこの空を見てて……その内、この風景に何の感情も抱かなくなってた。辛いから。思い出したくないから」
きっと最初はこの風景に何かしらの感情を抱いていたんだ。
それが、何千、何万回と繰り返している内に……。
もう、その時に何を思ったかわからなくなってた。
ただ、自分の運命を呪って、それしかしなかった。
変えても無駄だって思ってしまったんだ。
「でも、やっぱりここは私の一番大事な場所だから。最後くらい意味を知っていなくなりたいよ」
「……そうなんだ」
「あんまり驚かないんだね……やっぱり、わかってたよね」
「……ごめん」
やっぱ、気付いてたんだ。
そうだよね。じゃないと、「こんなところ」に居られる訳がないもの。
「ううん、謝る事じゃないよ。それに、助けてくれたじゃない。このループから、それだけで私は――」
「でもッ!!」
屋上全体に響く様な声で彼は叫んだ。
今までの彼からしたら想像も出来ない様な怒鳴り声。
だけど――
「でも……僕はっ……」
だけど、その泣き顔はやっぱり彼なんだなって、思う。
私が流してきた涙とは違う。
人の為に泣ける優しい涙。
「いいんだよ」
だからこそ、私は笑顔で返す。
「いいんだよ、もう。自分を責めないで」
きっと、何度も後悔したはずだ。
何度も、何度も。
じゃなきゃ、そんな涙流せないもんね。
ここに、居られる事なんて出来ないもんね。
「……雨宮さんに似てるって思ったよ」
「……え?」
「あの空のこと」
指を差す。
空はいつの間にかオレンジ一色に染まっていた。
「今の雨宮さんそっくりだと思う。泣いて、笑って、そんな表情が変わる姿が空の色に似てるって思ったんだ」
「空が、私に?」
それじゃあ、あの青とオレンジが混ざった色は……。
「きっと、あの色は悲しみと喜びが混ざった色なんだよ」
「……え?」
喜び?
悲しみはわかる。でも、喜びなんて感じていたのだろうか?
あの瞬間に、私は喜びなんて……。
「感じていたはずだよ。君は喜びを感じていた」
でも、彼は言いきった。
その答えが正しいと確信しているように。
そして、私も泣き笑う彼が嘘を言っていないことくらいすぐにわかった。
「……ここを飛び降りたこと。僕は知らなかった。放課後、いつも通り帰って次の日には……」
「うん」
「だけど、わかるんだ。ここに来て、ここの意味に気付いた時に僕はわかった。君は希望抱いて飛んだんだって」
「希望……」
もう、かなり昔に聞いたような単語。
そこらに散りばめられている小さな欠片なのに、小さすぎて気付かなかったモノ。
「そう。だから、君は希望を感じて飛んだ。そして、その色が……」
「あの、オレンジ……なんだね」
なんとなくわかった。
きっと初めてこっちに来た時、私の空はオレンジだったんだ。
希望に満ちていたから。なにかが変わると信じていたから。
でも、結局変わらなかった。
どこに行っても、結果は同じだったから。
だから、自然と希望は絶望に変わって、染まっていったんだ。
少しずつ、少しずつ。
なら、あの空に感情を持つ事を止めた事も頷ける。
だって、悲しいことなんか辛いだけだから。
「……でも」
「うん、藤代くんの言いたい事はわかるよ。あの空にはもう――」
空。
日も沈みかけている夕暮れには、青なんてどこにもなかった。
こんな色を見たのなんて、いつ以来なんだろう。
「……ここまで来てくれて本当にありがとう」
「雨宮…さん?」
「夕暮れってさ、みんなが帰る時間なんだよね。ほら……」
校庭ではさっきまで遊んでた子供達が家に帰っていく。
皆、自分の帰るべき場所があるから。
だから、私も……ね。
手すりに手をかける。
「雨宮さん!」
「いつまでも、ここにはいられないよ」
私に取って最後の夢。
私の望んだ夢の世界。
でも、それももう終わり。
夢は醒めるもので、その終わりは突然なのだから。
「雨宮さん……」
「ありがとう。出来れば、見送ってくれないかな?私の旅立ちに。あの時、誰も見てくれなかったからさ。やっぱりちょっと寂しかったんだよね……アハハ」
「……うん、わかった」
ありがとう。
こんな辛い事まで引き受けてくれて。
「それじゃ、向こうでも元気に暮らすよ」
「手紙とか書いたら届くかな」
「どうだろうね……」
「お盆には帰って来るんでしょ?」
「それもどうだろ」
「……さよならなんて言わないよ。またね、雨宮さん」
「ふふ。ありきたりだね。でも、それでいいのかも」
もう、私に特別なんていらないから。
私が欲しかったのは最初から、そして今も普通だけだったのだから。
「じゃあ、またね」
「またね」
きっと下の校庭で遊んでた生徒と同じ言葉。
どこにでもある普通の挨拶。
それが、私には凄く嬉しかった。
本当に、ありがとう。
そして、私は頑張って笑顔を作る藤代くんに背を向けて。
飛んだ――
「……ん?」
白い。
全てが真っ白だ。
なんだこれ。
これが死後の世界なのか?
何もないんだな……。
でも、感触はある。
なんだろう、柔らかくてふわふわしてて、暖かくて。
でも、なんか固い。
ぎしぎしいってる……。
ん?
あれ?
これって……。
「雨宮さん」
声が聞こえる。
なんで、まだ藤代くんの声が?
「目を、開けて」
目を?
もう開けてるよ?
ん?いや、瞑ってるのか?
よくわかんない。
「ゆっくり目を開けて」
言われた通り、瞼を開く。
ゆっくり、ゆっくりと。
確認するように。
生まれてくる子供のように。
きっと、そこは辛くて苦しい世界なんだ。
大人だって逃げ出したいと思うくらいに、辛い場所。
でも、大丈夫。
今度はやれる気がする。
だって、声が聞こえるんだ。
『そこはきっと幸せが溢れているから』
そう言ってくれる。
私を救ってくれた大事な人の声が。
きっと隣に居てくれるはずだから。
彼と二人なら頑張れそうな気がする。
だから、目覚めよう。
夢はいつか、醒めるものなんだから――
~fin~