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宴の夜に舞い降りる。  作者: 津森太壱。
【宴の夜に舞い降りる。】
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08 : 広がる空は嘘をつく。3





 アウレニア大陸最北端のリョクリョウ国から、中央の聖国まで、どんなに足の速い馬を使っても一旬はかかる。だが、四駆の車という機械を使えば、半旬で行くことが可能だ。

 聖国の属国であるリョクリョウ国は、その技術を授かることもできるゆえに、旧型でも車という機械を手に入れている。ただ、聖国では貴族でも車は貴重で、そう頻繁に使われるものではない。最北端のリョクリョウ国では聖国以上に車は貴重であるし、年中雪に覆われているような国では車よりも馬が重宝される。王族でなければ車を使う機会などないようなものだ。

 滅多に使用されない車が王族を乗せて国を出たのは、雪が降り始める少し前、聖国の領土に入り皇都ヴァンリに到着した頃には、リョクリョウ国の大地は白くなりつつあった。


「帰路では車を使えぬか」

「状況にもよります。どちらにせよ長居はできないでしょうが」

「そうだな。害獣被害のこともある。聖国に長居はできまい」


 宰相ロク・シエンと、父である国王ツキヒトの言葉を横に聞きながら、ヒョウジュはぼんやりと窓の向こうを見ていた。

 華やかで美しく、活気ある城下町を見たのは昨夜のことで、止まることなく聖国の皇城入りをしたのは夜更けのことだ。これがイザヤと一緒の旅であったなら、どれだけ楽しかったことだろう。今は見るものすべてが色褪せているように、心が躍らない。

 眺めるなんて気持ちすら起きず、ただ見ているだけしかできない自分が、悲しかった。


「ヒョウジュ?」


 呼ぶ声が、イザヤではない。


「……はい、父上さま」


 振り向いたヒョウジュの前には、心配そうな顔をした父王がいる。そんな顔をするくらいなら、ヒョウジュに強引なことをしなければよかったのだと、今さらだが思った。


「具合でも悪いのか」

「いいえ」

「では気分が?」

「いいえ」


 父王の顔が歪み、いっそうひどくヒョウジュを心配する。


「やはり気が乗らぬか……」


 そうさせているのは父王だ。兄王子だ。

 しかし言ったところで、ヒョウジュに過保護な父王が、今回のことをなかったことにするはずもない。ヒョウジュが聖国の皇帝に嫁ぐというのは、それほど大きな意味がある。ヒョウジュひとりの判断で、父王が決めたことを覆すのは難しい。父王が決めたことは、国民の総意でもあるのだ。国を背負う王族の端くれでも、ヒョウジュにそれを無視することはできない。


 今日はこれから、皇帝となる聖国の皇太子との謁見がある。そこで初めてヒョウジュは皇帝の妃候補として顔を合わせることになり、また挨拶をすることになる。

 気が乗らないどころか、重い。帰りたくて仕方ない。イザヤに逢いたくてたまらない。

 イザヤはもう帰ってきていることだろう。もしかすると、また害獣駆除の依頼で出かけているかもしれない。ヒョウジュが国に、イザヤが帰ってくる場所にいないことを、彼はどう受け止めるだろう。

 イザヤに逢いたい。

 イザヤを想うと、胸が痛い。

 父王や兄王子を恨みそうになる心を抑えるのが、今はやっとだ。


 はあ、とため息をつくと、父王がびくりとする。ヒョウジュの機嫌を損なわせたくないという気持ちが、ありありと伝わってくる。もう無駄なことなのに、とヒョウジュが緩く首を左右に振ったとき、その時間が来たことを宰相が告げた。


「では行くか……ヒョウジュ」


 こくりと頷いて、父王に差し出された手を取る。しずしずと歩いて、皇太子が待っているという部屋まで行った。


「静かだな」

「……そうですね」


 戴冠式を目前に控えているというのに、皇城内はとても静かで、それなのに先帝が崩御したという悲しみが感じられない。喪に服しているふうでもない。むしろ静謐な空気によって新しい風が送り込まれ、その時代が動き出すべくして準備を整えているようだった。


「この先に、皇太子殿下がおられます」


 案内をしてくれていた文官が足を止めた場所は、謁見が行われる場所とは思い難かったが、喪も明けきらないうちに戴冠式が開かれることを考えれば、華やかであるべき戴冠式が質素かつ簡素になってしまうのもわかる。そんな、静かな場所だった。


「……人払いがされているのか?」


 静かさに眉をひそめた父王の言葉に、文官が顔を上げる。若い文官は問いに応えず、どうぞ、と扉を開けてしまった。促されては、中に入らざるを得ない。


 部屋に入ると、まず目についたのはその部屋の明るさ、そして清浄さだった。ヒョウジュが吃驚して息を詰めるというくらい、柔らかな空気が漂っている。

 そして、謁見の場とは思えないその部屋には、先に来ていた人物が、窓辺に置いた長椅子に腰かけていた。

 淡い金の髪、碧い瞳、均衡が取れているのはその容姿だけでなく体躯もで、しかし随分と線が細い青年が、こちらに気づいてにこりと微笑んだ。


「よくおいでくださりました、リョクリョウ国王」


 その声を聞いた瞬間、僅かだがヒョウジュは、イザヤが重なった。なぜ、と思うまもなく身体が反射的に礼儀を取る。

 この人が皇太子、サライ・ヴァディーダ・ヴァリアス。

 父王に、兄王子に、嫁ぐように言われた人。

 父皇を失くし、若き皇帝となる人。

 リョクリョウ国を含め多くの属国を従える、主上国の次代皇帝。

 そんな人が、なぜイザヤと同じような声をしているのだろう。声の質が似ているのではない。声から知れる感情のようなものが、似ている。イザヤに逢いたいあまりに、耳が狂い始めたのだろうか。


 父王が儀式的な挨拶を済ませる間も、当たり障りのない会話をしている間も、ヒョウジュは顔を上げることなく声の復習をして、ぐるぐると考えていた。


「ヒョウジュ、ヒョウジュ?」

「! は、はい」

「そろそろ暇を願うが……いかがした?」

「いえ……なんでもありません」


 いつのまに終わったのだろう、というくらい、ヒョウジュにはあっというまだった。


「リョクリョウ王、もう少しだけ、よいだろうか」

「ああ、かまわぬが……姫は下がらせてもよいか?」

「ええ。ただ姫にも一言、お伝えしたいことが」

「姫に?」


 わたしになんだろう、とヒョウジュが顔を上げたとき、それは二度めの拝顔だったわけだが、視線が合った青年はやはり微笑んでいた。


「案ずることはない」

「え……?」

「それだけだ」


 なんのことか、さっぱりだ。だが、それ以上の言葉はないようで、怪訝に思いながらもヒョウジュはその場を辞す許しを得て、父王を残して部屋を出た。廊下に控えて待ってくれていた侍女と、滞在している部屋まで戻る。

 青年、皇帝となる皇太子の言葉は、その道中ずっと考えていたが、やはり答えは見つからなかった。


「姫さま?」

「……なんだったのかしら」

「はい?」

「不思議なお方だわ」

「……失礼ですが、皇太子のことですか?」


 ええ、と頷いて、部屋に入るとすぐに長椅子に腰かけた。


「とても空気が澄んでいたの……驚いた。聖国は、やはり聖国と呼ばれるだけのことがあるのね」


 あの皇太子が聖国の育んだ皇帝なら、心配されるリョクリョウ国の害獣被害は減るかもしれない。歪み狂った聖国の天恵も、修繕されるのではないだろうか。

 父王や兄王子たちの気苦労も、きっと救われる。


「姫さまにそれだけのことを言わせるのなら……きっと賢帝になられますね」

「私の言葉はそれほど重くないわ」

「ですが、姫さまのお言葉ですもの」


 にこりと微笑む侍女に、ヒョウジュは苦笑する。

 自分はどこまでも王女なのかと思うと、それは悲しいことだったけれども、侍女を始めとした祖国の者たちの笑顔は、なによりも得難い喜びだ。

 祖国のためにも、ヒョウジュは聖国に輿入れしなければならないだろう。民を護り、国を背負う立場にあるヒョウジュにしか、それはできない。

 それは、わかっているけれども。


「ねえ、アビ」

「はい?」

「わたしね……」


 イザヤと一緒になりたいのよ、と言いかけて、やめた。

 いつもそばにいてくれる侍女も、護ってくれている近衛も、ヒョウジュがイザヤのところへ行くことをあまりよく思っていない。たぶんそれは、兄王子の気持ちと同じように、イザヤが狩人だからだろう。狩人の寿命は長くない。いつも死と隣り合わせだ。そんな狩人と一緒になるよりも、大国の妃に収まったほうがいくらか幸せだ。ヒョウジュの場合はとくに、天恵を使わずに穏やかな生活を得られる可能性がある。


 けれども、とヒョウジュは思う。


 どんなに平和でも、天恵を使わずに平穏にいられても、心が傷つかないということはない。

 そこがたとえどんな場所でも、心に傷を負わないで済むなんてことはない。


 それならヒョウジュは、イザヤに、傷つけられたい。イザヤの傷を、受け入れたい。


「……ごめんなさい、なんでもないわ。お茶をいただける?」

「? はい、少々お待ちください」


 ねえ、イザヤ。とヒョウジュは心で呼びかける。

 ねえイザヤ、わたし、あなたのところに行きたい。国とか、民とか、自分の責任を放棄しても、あなたのところに行きたいと思ってしまう。今の立場から逃げてしまいたいと思ってしまう。きっとあなたは、許してはくれないことだろうけれど。


「ねえ、イザヤ……わたし、あなたが好きよ」


 窓から見上げた青い空は、自分の瞳と同じ色。

 空は素直な色を艶やかに広がらせているのに、自分は、嘘をついている。

 イザヤを待っていると言ったのに、待っていられなかった。

 イザヤと一緒になりたいのに、ほかの人のところへ嫁ごうとしている。

 イザヤに、嘘つき、と言われるのを怖がる自分は、なんて自分勝手で卑怯なのだろう。


「でも……でもね、わたし、あなたが好きなのよ」


 誰かに恋をすることが、こんなにも胸を焦がすことだったなんて、知らなかった。

 その苦しみを教えてくれたイザヤに、ヒョウジュは感謝する。

 あなたを好きになって、よかった。

 だからイザヤ、と心で呼びかけたとき、侍女がお茶を用意して運んできてくれた。


「ありがとう、アビ」

「いいえ。聖国でも美味しいと有名のお茶をご用意しました」

「そう。ありがとう」

「……、姫さま?」


 にこりと侍女に笑いかけて、ヒョウジュは心を押し隠した。







*一旬 …… 一ヶ月くらいだと思ってくださると嬉しいです。(本当は10日間のことですが)

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