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宴の夜に舞い降りる。  作者: 津森太壱。
【宴の夜に舞い降りる。】
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05 : 握った手のひらは震えて。3

*残酷描写がちらりとあります。ご注意ください。





 ギルの背中に乗せられての移動は、思った以上に快適だった。ギルが揺れないように走ってくれたおかげもある。


 だから。

 それを見つけることができた。


「小物だ……六、七、八……九体だな」


 茂みに身を潜めて、イザヤが、その数を確認する。両手はすでに、右側の腰に下げられた双剣にあった。


「あれが……」


 害獣。


 小物だ、とイザヤは言ったけれども、それでも体躯はギルほどある、焼け爛れた赤黒い獣だ。歩くそばから黒い霧のようなものが発生し、辺りを暗く、じめじめした空気にしている。黒い霧は、あれは穢れだだろう。穢れが視認できるほど、そこは穢れに満ちている。


 ヒョウジュは、害獣を見るのは、これが初めてだ。あんな生きものだったなんて、知らなかった。もっと、自分が知っている形から離れたものだと思っていた。


「だいじょうぶか、ひよ」


 心配げな顔をしたイザヤに、ヒョウジュはギルにしがみつきながらこくこくと頷いた。


「すぐに駆除する。穢れはつらいだろうけど、少しの辛抱な」


 ふっと笑んだイザヤに、頬を撫でられた。けれども、すぐにそのぬくもりは去ってしまう。


「ギル、ひよを頼む」

「数が多い。イーサひとりは……」

「だいじょうぶだ。おまえは、ひよを」

「……わかった」

「行ってくるよ、ひよ」


 にこ、と笑ったイザヤが、身を翻して茂みから飛び出す。


「イザヤ……っ」


 思わず追いかけそうになって、しかしすぐに、人型を取ったギルに捕まった。


「ひよは、見るな」


 そう言って、ギルはヒョウジュに、イザヤと同じ顔を見せる。


「けど……っ」

「見るな。イーサならだいじょうぶだ」


 そう言って、ギルはヒョウジュの視界を、胸に抱きしめて隠してしまう。


 とたんに聞こえた害獣の唸るような叫び声に、身体がびくんと震えた。


「ギル、ギル、イザヤを助けて。イザヤを」


 ぎゃああ、と聞こえる悲鳴が、イザヤのものになったら、どうしよう。

 その不安に苛まれ、ヒョウジュは震えながらギルにしがみつき、自分の愚かさを恥じた。


 イザヤの危険をこんな間近で感じたくない。走れば届くところにいるイザヤが、こんな世界にいるだなんて信じられない。

 いつも仄かに笑っているイザヤから、笑みが消えてしまう。


 いやだ。

 イザヤがいなくなるのは、いやだ。

 ひよ、と呼んでくれる人が、いなくなってしまう。

 ひよ、と呼んで微笑んでくれる人が、いなくなってしまう。

 いやだ。


「いや…っ…イザヤ、イザヤ」


 聞こえ続ける害獣の呻き声、ザシュっと剣の斬れる音、ぼたぼたと滴るなにかの音、草花が踏み倒され荒らされる音、イザヤの僅かな息遣い。

 怖いと思った。

 イザヤの恐怖が、恐ろしかった。


「消え失せろ、害獣どもっ!」


 怒鳴ったイザヤの声に、ヒョウジュはハッと顔を上げる。イザヤと同じ顔をしたギルも、イザヤのほうを見ていた。


「おれを引っ張り込むんじゃねえ!」


 その、声が。

 なぜだろう。

 悲しく聞こえた。

 寂しく聞こえた。

 泣いているように、感じた。


「イザヤ……」


 なんでそんな声を上げているの。

 なにがそんなに、苦しいの。


 ヒョウジュの目は、害獣に立ち向かうイザヤへと、流れる。

 その瞬間に、最後の一体であったらしい害獣が、イザヤの双剣で真っ二つにされた。噴き出すというよりも破裂したように、害獣の血らしき黒いものが飛び散る。


 駆除はあっというまだった。

 それが、イザヨイと同じように「イーサ」と渾名されるイザヤの、狩人としての実力なのだろう。


 肩で息をしたイザヤは天を仰いでいた。

 手の甲から、血を滴らせている。


 ヒョウジュは茫然と、それを見つめた。


「ああくそ、疲れた……まじ痛ぇ……しくった、最悪」


 ぼそぼそと天に向かって言いながら、幾度も深呼吸して、漸くイザヤはヒョウジュを振り向く。


 その一瞬だけ、ゾッとした。

 瞳の、曇りに。

 まるで穢れに侵されたかのように、虚ろな双眸に。


 愕然として見つめていると、イザヤのほうが幾度か瞬きをする。


「ひぃよ……?」


 ぱちぱちと瞬かせているうちに、少しずつ、焦げ茶色の双眸に光りが戻ってくる。ヒョウジュは急いで駆け寄り、その頬を撫でた。


「もう、だいじょうぶ。怖いものは消えたわ」


 そう言ったのは、言わなければならないと思ったからだった。

 言ったとたんにイザヤの雰囲気は和らぎ、いつものふわふわとした笑みを浮かべてくれる。


「ひよ、無事?」

「ええ」

「怪我、ない?」

「イザヤのほうが怪我をしているわ」

「ん? ああ……そういえば痛ぇな」


 まるで今気づいたかのように手の甲の傷を見たイザヤからは、先ほどまで感じた虚ろさが消えていた。


「あっちに小川があったわ。傷を洗い流して、手当てしましょう」

「そうだな。ギル、ここは頼んだぞ」


 ああ、というギルの適当な返事を聞いてから、ヒョウジュはイザヤを引っ張って小川があったほうへと移動しつつ、双剣を鞘に戻してもらう。

 あの虚ろな眼はなんだったのだろうと、疑問は残っているが、なにはともあれ怪我の治療が先だ。

 しかし、小川を見つけて傷を洗い流したあと、イザヤの顔つきが徐々に強張っていく。布で傷口を拭いながら、手のひらに天恵の力を付加させて穢れも一緒に祓っていたら、イザヤの手が震え始めた。


「ひよ……」


 まるで信じられないものでも見たかのような声を出すイザヤに、ヒョウジュはそっと己れの手を重ね、傷口に薬を塗る。包帯を綺麗に巻いてから、震えるイザヤの手を両手で包んだ。


「怖かった……?」


 ヒョウジュは怖かった。

 イザヤが、傷つくことが。


「ごめん……おれ、なさけねえ」


 かっこわるい、と声を絞り出し、包んでいた手を逆に取られて、引っ張られた。ヒョウジュの両手を胸に抱きながら、イザヤは身を丸める。


「ひよ、ごめん……ごめん、触らせて、ひよ」


 俯いて、ヒョウジュの両手を抱きしめるイザヤの表情は、ヒョウジュからは見えない。もう触れているのに、そのことをなぜ謝るのかわからなくて、ヒョウジュは自分から身を寄せた。


「ひよ……」

「だいじょうぶ」


 だいじょうぶだから、と繰り返し囁くと、イザヤが顔を上げる。泣きそうな顔をしていた。


「……ひよ、抱きしめたい」


 そんな確認なんか要らないのに。

 そう思いながら肩の力を抜けば、すぐに両手は解放され、代わりに強く暖かい抱擁を受けた。言葉もなく、ただただ抱きしめてくるイザヤに、ヒョウジュは寄り添う。


 いつからだろう、と思った。

 いつからわたしは、この人を、好いているのだろう。

 なんで好きになったかはわからない。ただ、気づくとそばにいたいと思うようになっていた。心が感じるまますべてを受け入れたら、好きという感情が生まれていた。


 だからヒョウジュは、イザヤを婚約者に、と打診してきた祖父母の言葉を素直に受け入れた。

 結婚なんてするつもりは今でもないけれども、イザヤとなら、家族になりたいと思った。

 イザヤの家族になりたいと思った。


 イザヤがそれを、どう受け止めているかは、わからないけれども。


 けれども、こうして抱きしめてくれる。

 ヒョウジュに怖いと言ってくれる。

 ヒョウジュのそばで眠ってくれる。


 好かれていると、思ってもいいだろうか。

 それならとても、嬉しいのだけれども。


「ごめん、ひよ。やっぱり、怖い思いさせるだけだった」


 ごめん、と、もう幾度も謝られている。怖い思いをしているのはお互いさまなのに、それは申し訳なくて、ヒョウジュは唇を噛んだ。


「足手まといになって、ごめんなさい」

「え?」

「でも、一緒にいたいの。イザヤを傷つかせたくないの」

「……ひよ」

「ごめんなさい」


 我儘だとわかっている。けれども、好きな人のそばにいたいと想う気持ちは、どうしようもできない。怖い思いをしても、それだけは変わらない。

 まだ手を震わせているイザヤを、ヒョウジュが、安心させてやりたかった。


「……なあ、ひよ、おれ」


 と、イザヤがなにか言いかけたとき、どこからか馬の蹄の音が聞こえてきた。

 言葉を途切れさせたイザヤはそちらのほうを見て、いやそうな顔をしたかと思ったら、ため息をついた。


「一日も一緒にいさせてくんねぇのかよ……リツの嘘つき」


 そうこぼれた言葉の意味がわからず、イザヤが見ているほうに視線を向ける。


 竜旗だ。


「……国軍?」


 そんな、とヒョウジュは落胆する。

 城を抜け出して、まだ一日も経っていないのに。


「見つかっちゃった」


 はは、とイザヤは苦笑し、ヒョウジュを促して立ち上がる。その様子から、国軍が現われることは予測していたようだった。


「イザヤ……」

「行けたら、カジュ村のタカ爺って、おれが少し世話んなった爺さんのところまで行こうと思ったんだけど、もう無理っぽいな」

「……わかっていたの?」

「リツに、言っておいたから」


 やはりイザヤは、ヒョウジュが強制的に城へ連れ戻されることを、想定していたようだ。


「いやよ。わたし、いや。イザヤと一緒にいる」

「うん。害獣を駆除したら、帰るから」

「いや。一緒にいる」


 連れて来てくれたのに、一緒にいさせてくれたのに、ここまでそばにいさせてくれたのに、今さら帰るなんていやだ。


「なあ、ひよ。おれが帰ってくるの、待っててくんねぇかな」

「いやよ……一緒にいたい」

「ひよ」

「いや……っ」


 いやだ、と幾度も首を左右に振り、近づいてくる国軍の音を拒絶する。けれども、否定し続けてもいられない。


「ヒョウジュ!」


 遠くから、兄ナガクモの声がする。ナガクモを大将に、国軍は明確な目的で城から来たのだ。


「兄さまが来るなんて……いやよ、イザヤっ」

「おれもやだなぁ……でも、まあ仕方ねえや」

「仕方なくないっ」

「ひよ」


 ふふ、とイザヤは笑んだ。その手は未だ震え、ヒョウジュが手のひらを握っても震え続けているのに、いつものように仄かに微笑む。


「帰ったら、また、な」

「え……?」


 なにを、と思うまもなく、イザヤの顔が近づいて。


「ひよは、おれのだから」


 近づいたと思ったイザヤの顔が、ゆっくり離れていく。


「幾度でも、攫うよ」


 唇を掠め取られたと、そう気づいたときには、イザヤのぬくもりすら離れていっていた。


「……、イザヤ!」


 呼んだときにはもう、その後ろ姿は手の届かないところにあって、茂みから現われたギルの背に乗ってしまうともう、あっというまにその姿は見えなくなってしまった。


「イザヤ……」


 呆然と、ヒョウジュはイザヤの名を口ずさむ。


 口づけされた。

 してくれた。

 行ってしまったイザヤの、直前までの仄かな微笑みを思い出して、触れられた唇を両手で覆い隠して蹲る。


 嬉しかった。

 泣きたいくらい、嬉しかった。

 しかもイザヤは、ヒョウジュを「おれのだから」と、「幾度でも、攫うよ」と言ってくれていた。


 一緒にいたい、一緒に行きたい、そう思う心と、イザヤが残していった言動に葛藤を起こしながら、ヒョウジュは到着したナガクモに心配されて肩を抱かれるまで、詰まる胸の想いに身を焦がした。









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