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宴の夜に舞い降りる。  作者: 津森太壱。
【宴の夜に舞い降りる。】
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04 : 握った手のひらは震えて。2





 キルナイ村に着いたのは、夕刻に差しかかる時間だった。

 寂しさを感じるその時間にキルナイ村に入り、すぐ隣の街に行くという行商人夫妻にお礼を述べる。別れ際、無事に夫妻が隣街へ行けるよう、イザヤは途中までギルに護衛を頼んだ。


「夜は危ねぇから、頼む」

「そんなことしてもらわなくていいよ、狩人さん」

「隣街は近いっていっても、それでも怖いから」

「……心配してくれるのかい」

「おれは狩人だから」

「そうかい……ありがとう、狩人さん」


 ギルに護衛されることを了承した行商人夫妻を見送り、その姿が見えなくなってから、イザヤはヒョウジュの手を握った。


「宿に行こうか」

「もう?」

「だってヒョウジュ、疲れただろ? おれはその……たっぷり眠らせてもらったし」

「だいじょうぶよ」

「ん、でもな」

「だいじょうぶ」


 足手まといにはなりたくない。その一心で握った手のひらを強く握り返したら、ふふ、とイザヤは笑った。


「強情なお姫さまだ」

「今のわたしは、ただのひよ。姫じゃない」

「でもなぁ……ここまで連れて来ておいてなんだけど、ひよに怖い思いはさせたくねぇから」

「だいじょうぶ」

「まいったな……シスイを連れてくればよかった」


 どうしよう、と言いながら歩き始めたイザヤに、その方向が宿屋でないことを祈りながら、ヒョウジュは引っ張られつつ歩く。

 ここまで来て宿屋に置き去りにされるのは、いやだった。足手まといにはなりたくないけれども、だからといってひとりで待たされるのも、いやなのだ。

 俯いて抗議しながら、ヒョウジュはイザヤに引っ張られて歩く。


 村はまだ農耕に賑わっていて、防寒対策が行われていた。これからの季節は、寒い土地だからこそ実を生す果物や野菜の栽培が始まる。王都が近いクルナイ村は、需要が多い野菜を主に生産しているが、狩人の情報交換の詰所としても機能しているので、宿屋や酒場は充実していた。


「おう、イーサじゃねえか」


 と、イザヤを見かけて声をかけてくる狩人は、多くなかった。その狩人は大柄で、シスイのような体躯でこちらを圧迫する。華奢なイザヤがさらに華奢に見えた。


「相変わらず小せえなぁ、イーサは」

「うるせえな。そっちは相変わらず無駄にでけぇくせに」

「はん。ガキのてめぇには羨ましいだろ。って、お? 生意気に女連れかよ」


 イザヤに声をかけた狩人が、ヒョウジュに気づいてずいと顔を近づけてくる。すぐにイザヤが壁となってくれたが、驚いた。


「おいおい、おめぇ、こりゃ……姫さんじゃねぇか?」


 どきっとした。真っ白な耳当ては、ヒョウジュの珍しい白い髪を隠してくれているが、それでも足りなくて外套をすっぽりと頭から被っている。白く見えるものが耳当てであると、そう誤魔化されてくれなかった狩人に、自分の正体が知られたことに、ヒョウジュは少し焦った。

 今さらだが、ヒョウジュは王女だ。城を抜け出して、イザヤと一緒にいる。そのことをどう説明すればいいのだろうと、頭がぐるぐるとした。

 しかし、イザヤの態度は変わらない。


「それがどうした」

「どうやって攫ってきたんだよ?」

「あんたには関係ねぇだろ。それより、今ここにあんた以外の狩人はいんのか?」

「つれねえなぁ」

「いんのか、いねぇのか、どっちだよ」


 引かないイザヤに、折れたのは狩人だった。


「……ふたり、いるぜ。詰所で目撃された害獣の検討会だ」

「あんたを合わせると三、か……多いな」

「目撃されたのは一体じゃねえからな」

「てぇと?」

「二体だ。あとから四体。小せえのはそのさらに倍だ」

「ふぅん……やけに集中してんな」

「二十年くれぇ前にも、集中した時期がある。今じゃ珍しくもねえけどな」


 ふむ、とイザヤが考え素ぶりを見せたのは、一瞬だけだった。


「……わかった。目撃された場所は?」

「北の外れだが……おい、おめぇまさか、またひとりでやる気かよ?」

「ひとりじゃねぇよ。ギルがいる」

「魔犬ギルギディッツがおめぇに懐いてるからって……つぅか、姫さん攫ってきといて駆除なんかしてられんのかよ」

「あんたには関係ねぇことだ。行こう、ひよ」

「あ、おい、イーサ……っ」


 行こう、とイザヤは、狩人が呼び止めるのも無視して、ヒョウジュを引っ張って再び歩き始める。方向から、それが北であり、害獣が目撃された場所に向かおうとしているのがわかる。

 ヒョウジュは、握られている手のひらに、視線を落とした。

 震えている。


「……ひとりで行かなければいいのに」

「……うん」

「ほかの狩人と協力してもいいのに」

「……うん」

「ギルを待ってもいいのに」

「……うん」


 イザヤは前を向いたまま、ヒョウジュを見ない。けれども鮮明に伝わってくる、手の震え。

 怖がりなくせに、どうしてこの人は、狩人なのだろう。


「……ひよ」

「なぁに?」

「怖い」


 立ち止まったイザヤはヒョウジュを振り向き、空いているもう片方の手も握ると、こつん、と額を合わせてきた。


「怖いけど……ひよを、護る」

「……逃げてもいいのよ」

「おれは狩人だ。逃げない。だから……」


 ふと合わせた額を離したイザヤは、とんとヒョウジュの肩に、そのまま落ちてくる。


「そばにいて」


 小さく呟かれた言葉に、ヒョウジュは微笑む。首を傾かせて、寄り添った。


「いるわ。わたしをおいていかないで」

「うん……うん、ひよ」


 珍しいこともある。眠くなさそうなのに、甘えてくるイザヤが、子どもみたいに見えた。けれども、逃げないでこうして甘えられて、ヒョウジュは嬉しかった。







「いつもひとりなの?」

「うん。ギルがいるから」

「ギルだけ?」

「うん。ギルだけ」

「どうして?」

「ギルは仕方ないんだ。おれから離れようとしねぇし、置いて行こうにもついて来る。隠れても見つかるから。だからギルだけ」


 イザヤは、ひとりで害獣を駆除する。片刃の双剣と、黒犬ギルだけを相棒に、ひとりで害獣に立ち向かう。

 ふつうなら、狩人はあまり単独で動かない。移動中であった場合は仕方ないとしても、そうでもないかぎり、狩人はそのとき集まった人数で組分けし、単独ではなく複数で害獣駆除に当たるものだ。だから狩人の詰所が、各地に点在している。その地に永住している狩人もいるので、彼らは情報を交換しながら、状況に応じた戦法と戦略で、害獣を駆除していた。

 そんな中で、イザヤはいつもひとりだ。


「どうして、ひとり?」

「誰かが一緒っていうのは……怖いから」

「……なら、わたしはどうなるの?」

「ひよは剣を握らねぇし、握らせる気もねぇから、いいの」

「わたしも戦える」

「ん。でも、握らせねぇよ?」


 にか、と微笑むイザヤから、本気が伝わってくる。ヒョウジュはシスイから剣を習っていたので握れるし扱えるのだが、どうやら荷物に隠れている小剣を使う機会は与えられそうにない。


「戦えるのに……」

「だめ」

「でも」

「だぁめ。はい、この話は終わり! ひよ、ちょっとここで待ってな。この辺り見てくるから」


 話から逃げるように、イザヤは先を走っていく。役に立たないだろうというのは百も承知でついてきてはいたが、真っ向から禁止されるとは思っていなかっただけに、重いため息がこぼれた。

 近くに大きな岩を見つけてそれに腰かけ、丘の上にひとり立って周りを見渡すイザヤを眺めた。


「イーサの間合いに入ると、斬られるぞ」

「えっ?」


 急な声に吃驚した。振り返るといつのまにかギルが、戻って来ていた。


「行商のおふたりはどうしたの?」

「街の入口近くまでちゃんと送ってきたよ」

「そう……お疲れさま、ギル」


 しっかりとその役目を果たしてきてくれたギルを労って、柔らかい頭を撫でた。くすぐったそうにしたギルは、けれどもすぐにその灰色の双眸を、イザヤの後ろ姿に移した。


「イーサがひとりで戦うのは、害獣と一緒に人間まで斬りそうになるからだ」


 どこから話を聞いていたのか、ギルはそう言った。


「イーサは強いけど弱い。だから、ひとりで戦うんだ」

「……ギルは?」

「おれは人間じゃない。だから一緒に戦える。イーサにおれは斬れない」

「人だけ、なの?」

「イーサは人間が嫌いだから」

「え……?」


 あんなににこにこと微笑んでいるのに、と思う。だがしかし、そういえば先ほどの狩人に対して、狩人は親しげであったのに、イザヤはそれを拒絶するような言い方をしていたし、一線を置いているような態度だった。


「どうして、人が……」

「前は違った」

「前?」

「眠る前。あの頃は逆に、人間が好きだった。どんな人間でも、イーサは好きだった。けど……起きてからのイーサは、人間が嫌いになってた」


 ギルが言う眠る前というのは、きっと、イザヨイだった頃のイザヤのことだろう。確かに話に聞けば、イザヨイという騎士もイザヤがそうであるように穏やかで笑みを絶やさず、そして人間を好いていた。

 やはりイザヤとイザヨイは、同じ魂でも、違う人間なのだ。


「なにが、あったのかしら……」

「今のイーサには憎しみがある」

「……人に?」

「恨みもある。だから一緒に戦えないんだ。斬り殺しかねないから」


 瞬間的に、ゾッとした。イザヤにそんなことができるわけもないと、そう思いたいのに、思えなかった。あの笑顔の下には、きっと隠されたものはあるのだと、気づいてしまった。

 過去をちらりと話してくれたとき、イザヤがなんと言っていたか。

 苦しみも悲しみも、つらさも、イザヤはわからないと言っていたではないか。今でもわからないと、そう苦笑していたではないか。

 もし、わからないのではなく、わかりたくないのなら。


「ギル……イザヤは」

「そうだよ。イーサは無意識に、人間を殺そうとする」

「……そんな」


 イザヤはわかりたくないのだ。苦しみも悲しみも、つらさも、わかりたくないのだ。わかってしまったらどうなるか、人間を無意識に殺そうとする自分を自覚しているから、抑えつけているのかもしれない。


「イーサは弱い……強いけど、弱いんだ。前のイーサもそうだったけど……誰もそれをわかってくれない」


 しょぼんと耳を垂れさせたギルを、ヒョウジュは唇を噛みしめながら、そっと撫でた。


「なにがイザヤを、そうさせてしまったの……」

「わからない……起きたときのイーサは、もうそうなってたから」


 真っ直ぐと前を見据え、ヒョウジュに背を向けるイザヤを、ヒョウジュはギルと一緒に長いこと見つめた。

 イザヤは強い。

 それは狩人としての強さで、人間としての強さではないだろう。なにかが彼を、そう歪めたのだ。


「なにがあったの……イザヤ」


 その肩には、なにを、背負わされているのだろう。

 怖いと、そう言ったのは、害獣に対する怯えではなく、人間に対する怯えだというなら。

 その笑顔の下で、どれだけ、泣いているのだろう。

 わたしのところで、泣いてくれたらいいのに。


「ひよ、宿に行こう。やっぱ移動してるわ、害獣」


 丘を走り下りてきながら、イザヤはヒョウジュのところに戻ってくる。


「ここから少し先にいるっぽい。おれたちの移動はまた明日に……、どうした?」


 ヒョウジュの顔色に気づいたイザヤだったが、ヒョウジュはなんでもないと、首を左右に振った。


「わたしのことは、気にしないで。それより、移動を明日にしてしまっていいの? 今からでも追いかけたほうが」

「ひよに野宿させたくねぇもの」

「野宿、楽しそう。だって、イザヤと一緒だもの」

「うー……でも、なぁ」

「わたしはだいじょうぶ。イザヤが一緒なら」


 うーん、と唸ったイザヤは、やはりすぐにでも害獣を追いかけたいのだろう。街や村に近い場所で目撃されただけに、いつ襲撃があるのかと人々は怯えて過ごさなければならないからだ。


「やっぱり、駄目だ。そろそろ陽も落ちるし」

「わたしのことは気に」

「気にしてるわけじゃねぇよ。害獣がここを移動してるってことは、村への危険度も下がってるってことだ。詰所にはおれ以外の狩人もいるし、そんなに焦らなくてもだいじょぶだから」

「でも……」


 一緒にいたくて、ついて来てしまったけれども、やはり足手まといになるだけだ。それが悔しい。


「じゃあ、ひよ、ギルに乗って」

「ギルに?」

「陽が落ちるまでまだ少し時間がある。ギルがもう駄目だって言うまで、行けるところまで行ってみよ」


 イザヤのその妥協案は、ヒョウジュにはとても嬉しい提案だった。


「乗れるかしら」

「でかいから。おれでも乗れるし」


 ギルは大きい。大型の犬の三倍はある。


「いいぞ。乗れ、ひよ」


 少し不安だったが、ギルが乗れと背中を差し出してくるので、ヒョウジュは恐る恐る腰かけた。


「首に手ぇ回して。ぎゅっとしがみついたら、あとは目ぇ瞑ってな」


 言われたとおりに、ギルのふわふわした首に腕を回して、しがみつく。顔を埋めて目を閉じた。


「行くぞ。ギル、ひよを落としたら、ただじゃおかないからな」


 とたん、ぐんと後ろに引っ張られる感覚がし、慌ててヒョウジュはさらに強くギルにしがみついた。


「ひゃ、あ……っ」

「ひよ、喋るな。口を閉じろ」

「で、もっ」

「いいから口を閉じろ。歯を食いしばれ。風を身体に感じろ」


 ギルの助言に、できるだけ沿うように努力はしてみるが、なかなか難しい。そもそも、走るだなんて思ってもいなかったので、突然のことに心臓がばくばくし、手が震える。落ちないようにしがみつくのが精いっぱいだった。







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