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宴の夜に舞い降りる。  作者: 津森太壱。
【宴の夜に舞い降りる。】
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03 : 握った手のひらは震えて。1





 頬を朱に染めたイザヤが、ヒョウジュの手を引いて、白み始めたばかりの空の下を歩く。吐く息は白く、握った手のひらは暖かい。


「疲れたら、言えよ、ひよ」

「ええ」

「寒くても、言うんだぞ」

「だいじょうぶ」

「つらくなったら、そう言わないとだめだからな」

「平気」

「帰りたくなったら、ちゃんと言って」

「イザヤが一緒なら、帰るわ」


 ぴたりと歩が止まり、イザヤが振り向く。


「ほんと?」

「ほんと」


 ぎゅっと手のひらを握ると、イザヤは微笑んだ。


「行こうか、ひよ」


 くん、と引っ張られて、また歩き始める。


 イザヤがヒョウジュを迎えに来たのは、早朝も早朝だった。夜も明けきらないうちに、とんとん、と露台の窓を叩いてヒョウジュを起こしたのだ。出かける準備をしていたヒョウジュは、そんなところから現われたイザヤに驚きはしたものの、本当に連れて行ってくれるらしいということに舞い上がり、あっというまに支度を整えた。街に降りて暮らす日々が来るだろうというのは幼い頃からわかっていたことだったので、支度には手間取らなかったのが幸いだ。

 あっというまに支度を終わらせたヒョウジュに、イザヤが「急がなくていいのに」と苦笑し、手のひらを差し出した。迷わず手を述べて握った。そうしたら引き寄せられて、「ちょっと待ってな」と言ったイザヤが自分の荷物を漁り、真っ白な耳当てを取り出すと、それをヒョウジュの頭にかぶせてきた。ふわっと感じたぬくもりに驚いたら、「贈りもの」と言ってイザヤは照れくさそうに笑った。嬉しくて、ヒョウジュも笑った。ありがとうと、お礼を言った。

 だから、握っている手のひらも、耳も、夜明けの寒さを感じない。

 城を抜け出して、こうして寒い中をふたりきりで歩いている。


「どこまで行くの?」

「キルナイっていう村。馬で半日、だったかな? 歩くと丸一日」


 近いところだ。だから一緒に連れて行ってくれるのだろう。


「これ、読んでくんね? リツのやつ、おれ読めねぇよって言ってんのに、毎回こうやって指示書寄こすんだよ」


 そう言って渡されたのは、リツエツの字で書かれたイザヤへの害獣駆除依頼の紙だった。簡単な文字ならかろうじて読めるイザヤのために、大雑把な単語がいくつか並んでいる。


「これくらいなら読めるでしょう?」

「読めねぇな」

「もう……教え甲斐のない人」


 気が向いたときにしか勉強してくれないせいもあるが、こんなに簡略的に書かれた文字すら読めないなんて、教えているヒョウジュの技量が疑われる。


「キルナイ村って、書いてあるんだろ?」

「ギルに読んでもらったのね」

「うん。だってギルのほうが読めるし」


 教えても覚える気がないなら、いくら教えても無駄かもしれない。改めてそう思ったけれども、覚えて損はない。むしろ必要だ。


「お。ギル、上手いことやってくれたな」

「なぁに?」


 あれ、とイザヤが前方を指差す。受け取った紙を荷物にしまってから、ヒョウジュはそちらを見た。


「行商?」

「そう。キルナイ村を通る商隊がねぇか、ギルに捜してもらってた。あったらおれたちを乗せてってくれるように頼むことも」


 目の前には、荷車を引く二頭の馬がいた。人型になっているギルと、荷車の持ち主らしい行商人夫妻もいる。

 疲れたら言えとか、つらくなったら言えとか、そう言っていたくせに、イザヤはヒョウジュの足を考えてくれていたようだ。イザヤのそばにギルがいないのを不思議に思っていたが、こういうことだったわけだ。


「……足手まといね、わたし」

「え? なんで?」

「だって……」


 ヒョウジュの足では、丸一日歩き続けることなどできない。それを申し訳なく思ったら、イザヤの手のひらがふっと、ヒョウジュの頬を撫でた。


「おれ、いっつもああやって、移動するぞ?」

「……そうなの?」

「だって馬に乗れねぇもの」

「それは……」


 イザヤは馬との相性が悪い。イザヤを見た馬は、それがどんな暴れ馬でも、じっと見つめて動かなくなってしまうのだ。どうやら馬にはイザヤに対する興味が強過ぎるらしいと、長年世話をしている厩舎長が言っていた。

 だからイザヤは、馬に乗れない。その細い身体では操れないだろうということもあるが、イザヤを見た馬が動かないのでは乗っても移動ができないのだ。


「面倒なときは、ギルが背中に乗せてくれるし……まあそういうことだから、気にしなくていいんだぞ?」


 ぺちぺち、と頬を軽く叩かれる。だいじょうぶだ、ヒョウジュは足手まといではない、と、イザヤは言ってくれている。


「わたし、頑張る」

「はは。そんな気張るなよ。ほら、行こう?」


 手を引かれて、待っているギルと行商人夫妻の許へと急ぐ。

 夫妻は気のいい人たちで、イザヤが挨拶をすると笑顔で返事をしてくれる。道中の護衛と交換に、乗せもらえることになった。

 交渉が済んで、ギルが人型から黒犬の姿に戻ったときは夫妻も驚いていたが、魔だと説明すると珍しげにギルを撫でていた。


「人里で魔を見たのは初めてだなぁ」

「え、ほかで見たことあんの?」

「一度だけ、ちらっとな。ああでも、灰色だったな。瞳が黒かった。魔じゃないかもしれないなぁ」

「毛が灰色で目が黒……まるでおまえの逆だな、ギル」


 ギルは黒毛で、灰色の瞳の魔だ。

 大抵は温厚な性格の魔は、ときには人助けもしてくれて、リョクリョウ国では貴重種として珍しい生きものだ。ただ、この大陸の半分以上の領土を持つ三大国の一つ、聖国とも呼ばれるヴァリアス帝国では魔の印象が悪い。リョクリョウ国は聖国の属国であるが、魔よりも害獣のほうに意識が向けられるため、貴重種として見られているのだ。


「黒いところがあれば、それは魔だ。ほとんどは毛の色で判断されるけど……でも灰色の獣で魔はいない」

「あれ、そうなの?」

「そいつはたぶん、記録者だ」

「記録者……なんだそれ」

「おれもよく知らない」

「知らねぇのにわかんのかよ」

「そういう生きものがいるって、聞いたことあるだけ」

「適当だなぁ」


 イザヤと黒犬のそんな話を聞きながら、行商人夫妻に促されて荷車に乗せてもらうと、奥さんのほうに柔らかい大きな枕を渡された。ぐらぐらと揺れる荷車に長く乗っていると、けっこう身体が疲れるらしいのだ。それを軽減させるためだという。


「ありがとう」

「いいのよ。こんなに可愛いお嬢さんと一緒なんだもの」


 にこにこと微笑む奥さんは旦那さんと同じように御者台に乗り、荷馬車は動きだした。

 がたがたと揺れる荷車を身体に感じながら、ふと横を見ればイザヤの横顔がある。ああ、本当に連れて行ってくれるのだと、今さらながら実感した。


「ひぃよ?」


 じっと見つめていたら、視線に気づいたイザヤが「ん?」と目を丸くして振り向いた。


「……ありがとう、イザヤ」

「え、なにが?」

「連れて来てくれて」

「あー……うん、まあ、半分は自分の都合なんだけど」

「都合?」


 首を傾げると、イザヤが視線を彷徨わせて、赤くした頬を指先で掻く。


「ばあちゃんの教えで、これだって思ったものには素直になれって、言われてんだよね」

「……おばあさま?」

「あ、ひよにとっては本当のばあちゃんだな。ええと、ユキちゃんだ」

「イザヤにとってもおばあさまはおばあさまよ」

「うん。でも、血ぃ繋がってねぇし」


 イザヤはこことは違う世界から、ヒョウジュの祖母ユキイエと祖父ツヅクモに、世界を渡る方法はそれぞれ違っていたが、連れて来られたようなものだ。そちらの世界で、イザヤはヒョウジュの祖父母を「ばあちゃん、じいちゃん」と呼び、祖父母として慕って育っていた。だが、ヒョウジュのように血縁にあるわけではないと聞いている。


「おれは、さ……ユキちゃんとツクモさまに、助けられたんだ。そのときまでおれが生きてたところは、生きてるって言えるところじゃなかったから」


 ふとイザヤが、過去を話してくれる。それは初めてのことだ。


「おれもよくわかんねぇんだけど……ユキちゃんとツクモさまに拾われたときは、ガリガリのボロボロで、自分の状態すら理解できねぇようなガキで、言葉もろくに喋れなくて……今思えば、ユキちゃんもツクモさまもかなり大変だっただろうなあって感じるよ」


 平和に生きていたわけではないだろう、というのは、イザヤの様子を終始見ていれば感じるものがある。いつも仄かに笑んでいるから、どうすればこんなふうになれるのだろうと、不思議に思っていた。


「……どうして、そんなふうに、言えるの」

「わかんねぇから」

「なにが、わからないの?」

「なにが苦しくて、なにが悲しくて、なにがつらかったのか……今でもおれ、わかんねぇもの」


 困ったように苦笑したイザヤに、嘘は見えなかった。それは、本当にそれらがわからないと、そういうことだ。


「ユキちゃんとツクモさまに出逢うまで、それが当たり前だったから……それがおれっていうガキだったから、本当のところはよくわかんねぇの」


 おれ、ばかだから。

 そう言ったイザヤは、笑っている。


 ああだから彼は、笑うのか。

 わからないことを、わかろうと思っても、どうしてもわからないから、笑って誤魔化そうとしているのか。


「こんなおれだから、ユキちゃんは言ったと思うんだよね。これだって思ったものには、素直になれって。じゃないと後悔するからって」


 イザヤには常に素直であって欲しい。祖父母はそう思ったのだろう。自分のことすらよくわからないような言動に出るイザヤだから、本能とも呼べるその直感を大事にして欲しいと、思ったに違いない。

 ヒョウジュだって、今の話を聞けばそう思う。


「そうしたほうがいい。後悔のないように」

「……うん」


 にこ、と笑んだイザヤに、ギュッと手のひらを強く握られた。


「だからおれ、ひよを攫ってきた」

「……え?」

「昨日はやっぱり、怖くて眠れなかった。あんな思いをするくらいなら、いっそ……」


 とん、とヒョウジュの肩に頭を乗せたイザヤが、両瞼を閉じる。


「イザヤ……?」

「ひよは……あったかい」


 急に肩のその重みが増した。ずるずると、イザヤがヒョウジュのほうに倒れ込んでくる。


「イザヤ」

「ねむ……い……ひ、よ」


 慌ててイザヤを支えて、両腕になんとか抱えて、いつものように膝を枕にしてやると、すぐにイザヤの寝息が聞こえてきた。

 話の途中だったのに、と思ったが、寝台では眠らないイザヤのことを考えると、こぼれるのは苦笑だった。


「ギル、おいで」


 少し離れたところで寝そべっているギルも近くに寄せて、ヒョウジュはイザヤの寝顔を眺める。

 真っ赤になって逃げ回っている顔か、ただただ微笑んでいる顔か、転寝している顔しか見たことがない。

 いつになったらほかの顔を見せてくれるだろう。

 いつになったらヒョウジュを、婚約者として見てくれるだろう。


「あらあら、狩人さんは眠ってしまったのかい?」

「……ええ」


 振り向いた行商人夫妻に、ヒョウジュは肩を竦めて笑った。


「ふふ、お嬢さんは狩人さんに愛されてるねえ」

「え……?」

「だってそうだろう? そんな穏やかな顔で、狩人さんを眠らせてやれるんだから」


 羨ましいねえ、と言った奥さんに、ヒョウジュは幾度か瞬きをして、目線をイザヤに戻した。


 寝台で眠らないイザヤ。

 眠れる薬を欲しがるイザヤ。

 ヒョウジュの膝で、寝息を立てるイザヤ。

 嫌われているわけではないとわかってはいるが、それなら、少しでも好かれていると、期待してもいいのだろうか。その愛を、与えてくれようとしていると、思ってもいいのだろうか。


「イザヤ……わたし」


 出逢った頃よりも伸びたイザヤの髪を梳きながら、ヒョウジュは胸を高鳴らせた。







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