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宴の夜に舞い降りる。  作者: 津森太壱。
【腕に抱いた確かな温度。】
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02 : うばわないで。





 子を授かった。そう言うとイザヤが、とたんに青褪めて、頼むから安静にしてくれと懇願してきた。だからヒョウジュは、渋々ながらもおとなしく、イザヤの帰りを待つ身に甘んじている。ヒョウジュとしても、イザヤとの間に授かった子を失いたくはない。まして流浪の身では、いつ授かった子が流れるともしれない危険な毎日を送らねばならないのだ。それなら、イザヤの帰りを待つ身に徹する。もちろんイザヤになにかあってはいやなので、その間だけは遠くへ行かず、定期的に帰ってくることを約束させた。


「なかなか帰って来んの、イザヤは」

「もう十日になるわ……なにかあったのかしら」


 イザヤがヒョウジュを安静にさせるためにと考えた住居は、イザヤがこの世界に来て初めて世話になったという、酒場の老人宅だ。名を、キッタカといい、タカ爺と呼び慕われている天恵授受者の老人である。以前から世話になっているキッタカに子を授かったことを説明し、しばらく身を置かせて欲しいと頼むと、イザヤをヒョウジュごと孫のように思ってくれているキッタカは、諸手を上げて迎え入れてくれたのだ。


「黒犬がついとることだし、大事にはならんと思うが」

「だと、いいのだけれど……」

「ヒヨ、おまえさんが弱気でどうする。さっさと帰ってこいと、腹を立てておったほうが身体のためだぞ」


 ぽんぽん、とキッタカはヒョウジュの頭を撫でる。

 ヒョウジュがこの酒場、紅屋にお世話になり始めてから、ヒョウジュの腹部は少しずつ、膨らみ始めていた。産まれるまでまだまだ時間はかかるが、それでも身体は常に大事にしなければならない。イザヤへの心配は尽きないが、だからといってこの身体を蔑ろにすることは、子の命を失うことと同義だ。


「……わかったわ。イザヤが帰ってきたら、うんと怒る」

「そうだ、その調子じゃ」


 よしよし、とキッタカは微笑み、そろそろ店が開く時間だから奥に行きなさいと、ヒョウジュを厨房のほうへと促してくる。

 酒場の手伝いはイザヤがいやがるので表立ったことはしないが、料理はヒョウジュと相性がよく、一度キッタカに教わればすべて自分のものにできたため、少しだけ厨房の手伝いに入っている。店が開く頃には雇われている店員が来るので、そうしたらあとはキッタカとふたりで、軽い食事を客に振る舞う。それがヒョウジュの、今の仕事だった。


「今日は肉料理だな。ヒヨ、頼んだぞ」

「任せて。甘いほうがいいかしら?」

「そうだなぁ……今時期の酒は辛い。それに合わせてくれ」

「わかったわ」


 さてどんな料理にしよう、と思いながら厨房へ行こうとしたときだった。


「タカ爺!」

「! おお、トリッドか。吃驚したわい。なんだ、今日は早いな」


 店に飛び込んできたのは、紅屋の店員、トリッドだった。随分と慌てた様子で、肩で息をしている。


「お嬢ちゃん、いるだろ! お嬢ちゃん!」

「え、わたし?」

「すぐ来てくれ!」


 トリッドや、この村、カジュ村の人々は、ヒョウジュをイザヤのように「ヒヨ」と呼んだり、「お嬢ちゃん」と呼ぶ。だからヒョウジュは自分が呼ばれたのだとわかったのだが、すぐ来てくれとはいったいどうしたことか。


「お嬢ちゃん、確か浄化できるんだよなっ?」

「ええ……、まさか害獣が?」

「違う。いや、違わねぇんだが、とにかく来てくれ。イザヤなんだ!」


 はっと、ヒョウジュは息を呑む。


 ヒョウジュには、この国特有の天恵がある。害獣という、世界の塵や淀みが集中する最北端のリョクリョウ国に産まれたことで、その害獣が有する穢れを祓うことができる天恵だ。その力は、旅をしていればときにはたくさんの人々に使ったが、それでも今もおもに、イザヤに対してのみ使われることが多い。イザヤが害獣を駆逐する狩人で、穢れを自身の治癒力のみで祓うことができず、つまりそれくらいの大きな怪我をたびたび負うからだ。


 まさか、こうして離れているときにまでそういった無謀をするとは、さすがに思わなかった。多少の怪我なら負って帰ってくるが、その場合、ヒョウジュのところへ帰ってくる前に、自身の治癒力で祓っているのだ。


「ヒヨ、行きなさい。わしもすぐに行こう。トリッド、ヒヨを頼んだぞ」


 早く行きなさい、とキッタカに背を押されて、ヒョウジュは漸く足を動かし、トリッドに案内されながら走った。


「イザヤ……っ」


 ヒョウジュのいとしい人は、怪我を負うことになんら躊躇いがなく、大怪我をしてもへらへらと笑っている。だから遠くへ行かず、定期的に帰ってくるようにと約束させていた。

 それなのに、また、イザヤは無茶無謀をした。

 これだからイザヤのそばを離れるのはいやだったのだ。


「おねがい、無事でいて……っ」


 こぼれそうになる涙を抑え、数分ほど走ったところで、村の住人が集まった場所を見つけた。その中に飛び込み、ヒョウジュは息を止めそうになるほど、驚愕した。


「イザヤ!」


 真黒だった。

 今までにない、穢れの大きさだった。

 もともと穢れとは目視できるものでなないのだが、その量が大きければ大きいほど、多ければ多いほど、目視は容易になる。

 こんなに黒い穢れは、初めてだ。村人にもイザヤが背負った穢れは見えているから、だから誰もイザヤに近づくことができず、遠巻きに声をかけている。


「おいイザヤ! 起きろ! お嬢ちゃんが来てくれたぞ!」

「起きろよイザヤ!」


 各々声をかけ、倒れたイザヤの意識を呼び起こそうとするが、イザヤは反応しない。


 ヒョウジュは崩れてしまいそうになる足を奮い立たせ、イザヤに歩み寄る。


「イザヤ…っ…イザヤ、起きて、お願い」


 天恵を発動させながら、少しずつ、ゆっくりと、穢れを浄化させる。それでも、消すたびに穢れが膨れ上がってくる。

 この穢れで死に至った者は多い。

 ぞくりと背に冷たいものを感じながら、よくないことを考えそうになる自分を叱って、ヒョウジュはイザヤに手を延ばす。この穢れを、目視できるものだけでもこの場で祓わなければ、負っているだろう怪我の治療ができない。


「起きて、イザヤ!」


 もう涙は抑えていられなかった。ぼろぼろと泣きじゃくりながら、ヒョウジュはイザヤに触れる。浄化の天恵を持っているから穢れがヒョウジュを侵すことはないが、それでも、ヒョウジュの天恵を上回るほどの穢れがイザヤを蝕んでいる。


「イザヤ…っ…イザヤ」


 やめて、お願い。

 わたしのいとしいひとを、連れて行かないで。

 わたしの愛する人を、奪わないで。


 願いながら、ひたすら穢れを浄化させていた、そのときだ。


「ん、く…っ…ひ、よ」

「! イザヤ!」


 目覚めたイザヤが、ゆっくりと、身体を起こした。そうすると、イザヤには大きな外套の下から、小さなものが姿を見せる。一瞬、ギルが小さくなってしまったのかと思ったが、そうではなかった。


 子どもだ。


「ひよ、このこ、たすけて」


 無理に身体を動かしていると明らかにわかるイザヤが、その身を押して、子どもをヒョウジュの前に引きづり出す。黒っぽい赤髪の子どもに、ヒョウジュは瞠目した。


「コウガ族……」


 滅んだとされる種族の、子どもだ。それはイザヤと同じ髪の色でもあるのだが、確かに滅んだとされるコウガ族の特徴を持つ、子どもだ。


「おれは、まだ、たえられる……だから、さきに、このこを」


 助けてくれ、と言いながら、イザヤが力尽きて倒れる。


「イザヤ!」

「まだ、だいじょうぶ、だから、はやく……っ」


 穢れの耐性は、子どもにはない。耐性でいくなら、確かにイザヤのほうが強くあるだろう。

 躊躇われたが、イザヤは一度意識を取り戻せば痩せ我慢ができる。優先順位をつけるなら、穢れに耐性もなく、弱っている子どものほうだ。


「すぐに浄化するわ!」


 ヒョウジュは気を取り直すと、イザヤ同様に真黒な穢れを負った子どもを腕に抱き寄せた。力いっぱいに天恵を発動させ、浄化の力を子どもに流し込む。


「ごめん、ごめん、ひよ……たのむ、そのこ、たすけて」


 ぼろぼろと泣き始めたイザヤに、今できるやっとの微笑みを浮かべる。


「わたしがここにいるのだもの。もう、だいじょうぶよ」


 イザヤの手を手繰り寄せ、ぎゅっと握る。

 なにがあったのかわからないが、イザヤはとにかくこの子どもを助けるために、大きな穢れに侵されたのだろう。それなら、そうまでして助けようとする子どもを、ヒョウジュが助けないわけにはいかない。必ず、助けてみせる。いとしい人をを護るために、この天恵はあるのだ。

 ヒョウジュはその日初めて、ふたり同時に穢れを祓い、そうして疲れて意識を失った。







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