23 : 宴の夜に舞い降りる。1
*視点が視点なだけに、会話だらけになっています。
視点が誰かは文末にて。
「おれが困っているとき、助けてくれるのではなかったのか」
と言ったのは、皇帝だった。
いや、皇弟だった。
「困ってんの?」
問うたのは、イザヤだった。
「もう終わった」
「じゃ、いいじゃん」
「……軽いな」
「だって、べつに助ける必要なかっただろ? あんた、今めちゃくちゃ幸せそうだし」
「まあ……幸せではあるが」
「おれも幸せ」
にか、とイザヤは笑い、皇弟の苦笑を誘う。
「にしても、あんた、皇弟だったんだな? ちらっと見たけど、あんた、皇帝にすっげぇ似てた。兄弟いたんだ?」
「病に臥せっていたから、おれがしばらく玉座を預かっていた。おまえが言うように、おれと兄上はよく似ているからな。入れ替わっていても、気づかれない」
「双子?」
「いや。二つ、兄と歳が離れている」
「あんた今いくつだよ」
「二十七だが?」
「え、マジ? おれのほうが歳上だったの? おれ、あんたの兄ちゃんと同じ歳だよ」
「二十九? おれのほうが歳下だったのか」
「なんっだよ、その意外そうな顔は!」
「いやべつに」
「悪かったな、ばかっぽい顔で!」
「そうは言ってない」
久しぶりに逢ったというのに、つい昨日別れたばかりのようにふたりの会話は弾む。旧友なのでは、とちらりと思うが、イザヤと皇弟はたったの二度、逢って僅かな話をしただけの仲だ。
「え? じゃあなにか? あんとき、あんた十八だったわけ? おれが二十歳で?」
「そうなるな」
「……凹む、マジ凹む」
「はあ?」
「おれ、すっげえガキだった……」
「おれもガキだったが」
「そのあんたより、めちゃガキだったんだよ!」
「今とさして変わらないぞ」
「うわ凹んだ! おれ凹むわそれ!」
頭を抱えて蹲ったイザヤに、皇弟はきょとんと目を丸くする。イザヤが問題にしたことを、まったく理解していない顔だ。
「おいサリヴァン、もうちょっとガキになれよ! おれが可哀想だろっ? おれ可哀想な子だよっ?」
「具体的に言うと?」
「うわ凹む!」
イザヤが大袈裟な身振り手振りで転げ回り始めると、かまわないほうがいいらしいと皇弟は覚ったらしく、卓に用意されているお茶のところへと移動し、ひとり椅子に腰かけた。
「無視すんなよ!」
「あ? ああ悪い。どこを突っ込めばいいのかわからなくて」
「無視しないでくれたらそれでいいよっ?」
「難しいな……」
「簡単だよ!」
「咽喉乾かないか?」
「あ、いただきます」
転がった反動を生かして飛び起きたイザヤは、皇弟の向かいの椅子に腰かけ、もう冷めてしまったお茶に手を述べた。イザヤの素早い変わりように、皇弟は苦笑している。
「あのときはわからなかったが、けっこう騒がしい奴だったんだな」
「あー、あんときなぁ、ひよの一大事で頭いっぱいだったからなぁ。怪我もひどかったし」
もうほとんど指先には感覚がない、とイザヤは苦笑しながら右の手のひらをぶらぶらさせる。
「おまえも、動かないのか」
「いや、動くには動く。感覚が遠いだけ。って、おまえもって、あんたも?」
「おれは腕が全体的に……まあ、昔からだが」
「剣握れねぇの?」
「ああ」
「……そっか。おれは両手つかえるから、そんな不自由もねぇけど」
「おれもべつに不自由はしていない」
左手ですべてできる、と言った皇弟は、そういえばずっと、動かしているのは左だけだ。右はほとんど動かしていない。
「そういやさ、あんた、昔から髪、白かったか?」
「自然とこうなった」
「ふぅん……まあ、おれも気づいたら、目ぇ蒼くなってたんだけどさ。髪も、ちっと色が変わった」
「コウガ族、だったか」
「らしいな、この特徴を持つ種族は」
「らしい?」
「おれ、自分が誰から産まれたのかとか、知らねぇもん」
「両親を知らないのか」
「そ。おれを拾って育ててくれたのは、ばあちゃんとじいちゃんよ。そのふたりも、知らねぇらしい」
「……そうか。おれも、母親の顔は知らないな」
「へ? そうなの?」
「別々に暮らしていた。そもそも、いることすら知らなかったからな」
「あー……訊き難いんだけど」
「ん? ああ、亡くなっている」
「てことは、やっぱ正妃?」
「知っているのか」
「歴史の本は、少し前にひよに読ませられて」
少しだけ空気が重くなった。だが、皇弟のほうがまったく気にした様子がなく、イザヤひとりだけ申し訳なさそうにしている。しかしそれも数秒ばかりで、なにかを思い出すと、ぱんっ、と両手を合わせて叩いた。
「歴史で思い出した」
歴史で思い出すとは珍しいことだ。イザヤは本を読まない。強制的に読ませられてはいるが、自ら進んで本を読もうとする奴ではないのだ。ゆえに、歴史にはまったく興味がなく、強制されて監視がついて、初めて目にする。
「皇の剣っていう一族、まだいんの?」
「……メルエイラ家のことか?」
「そう、そのメなんとか家」
「メルエイラだ。メしか言えないってなんだそれ」
「すっげえ強いって、本に書いてあったんだけどさ。どんくらい強いのかなって。あと、片刃の剣士だって書いてあったからさ」
「なんの歴史書を読んだんだ……確かにメルエイラは強いし、剣は片刃を主流にしている。だが、もう皇の剣とは呼ばれていない」
「じゃあもういねぇの?」
「なんで気にする」
「おれも片刃の剣士だから。ちょっと、剣を見せてもらいたくて」
「……呼ぶか?」
「おう呼んでく……、えっ? 呼べんのっ?」
「というか、さっき逢ったと思うが」
「逢ったのかよ、おれっ?」
自らに逢ったかどうかを問うイザヤの姿に、さすがに皇弟も噴き出して笑った。
「やたらと笑う騎士がいただろう」
「あんたの周りは無暗に笑う奴が多い」
「ラクは違う」
「じゃあ……え、もしかしてあのブラックな笑み浮かべてた兄ちゃんとか、言わねぇよな?」
「ぶらっく?」
「黒いって意味。薄い紫色の目ぇした兄ちゃん」
「黒いというのは当たっているな……そうか、イーサが片刃の剣を腰に下げていたから、ツァインは笑っていたのか」
「え?」
「ツァイン・メルエイラ。メルエイラ家の当主だ」
「あのブラックな兄ちゃんが! うわ……ちょっとやかも」
「強いぞ、確かに。天恵者だしな」
「おまけに天恵者かよ。ああでも、剣は見せて欲しいなぁ……エンバルで腕のいい鍛冶師、紹介して欲しいし」
「ああ、片刃の剣を打てる鍛冶師はここでは少ないからな」
「サリヴァンは知らねえ?」
「ひとり知っている。だが場所までは……ツァインに訊いたほうが早いな」
ちょっと待て、と言った皇弟が椅子を離れようとしたが、イザヤは「いやいやいや」と首を左右に振り、皇弟を呼び留めた。黒い笑みを浮かべていた騎士は怖いらしい。
「おれの剣見て笑ってたなら、すっげ怖い!」
「……手合わせくらいしないと教えてくれないだろうな」
「やだ! おれ弱いもん!」
「なら……ツェイに訊いてみるか」
「つぇい? 誰それ」
「妻だ。妻もメルエイラの剣士なんだ」
「女の子なのに剣士っ?」
「強いぞ」
「おれ男の子なのに……」
しょぼん、と凹んだイザヤは、いい歳の男なのだが、皇弟は気持ちがわかるのか遠い目をして唇を歪めていた。
「おれは体力皆無とよく言われるんだがな……」
「あ、うん、そう見える。おれより弱そう。てか、弱いだろ、あははは」
弱いと決めつけられた皇弟は、目を据わらせた。
「ラク、ツァインを呼んでこい」
「うわちょおっ? 待てまて待て! 黒い兄ちゃんは怖いって! つかどこに侍従の兄ちゃんがいるんだよっ?」
「呼べばくる」
「ああ! そうだった、あの侍従の兄ちゃん変な天恵者だった!」
「ラ」
「呼ぶな!」
頼むから呼ばないでくれ、と反対側にいる皇弟に伸びたイザヤの、なんと恰好の悪い姿か。
ぶはっ、とついに耐えきれず笑った。
「ギル! おまえもうさっきからなんだよ! 寝てたんじゃねぇのかよ!」
「ぶふっ……う、悪い。だってイーサ、うるさいし恰好悪いし間抜けだし、ばかだし」
「うるさい!」
眠れたものではない。実に十年近い再会、おまけにそれが偶然だったせいか、珍しくイザヤが興奮気味で、ぎゃんぎゃん煩いのだ。仲のいい友だちも少ないイザヤだから、もしかしたら歳の近い皇弟には友情を感じていて、いやもしかしなくても友情を感じていて、再会がたまらなくなったのだろう。
大声を出すイザヤなど、師匠であるシスイ以外を相手に、初めてだ。
今日はいいものを見た。
きっとイザヤも、今日はいい日だと思っているに違いない。
あれから九年が経った。
あと少しで十年になる。
ギル視点でした。
読んでくださりありがとうございます。