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宴の夜に舞い降りる。  作者: 津森太壱。
【宴の夜に舞い降りる。】
23/29

22 : それが真実で。2





 ついて来い、と皇帝が言った。またさらにどこへ移動するのかと思いきや、皇帝の足は外へと向かっているようで、気づけば深い緑に囲まれていた。


「フェンリスを呼んでやる。聖鳥が飛び立つ姿でもあれば、おまえたちがどこへ行こうとも、誰も咎めやしまい」

「フェンリス? 聖鳥?」

「見ればわかる」


 皇帝は天を仰ぎ、呟くように「フェンリス」とその名を呼ぶ。雲一つない夜空は、それだけではなんの変化も見られなかったが、しかし緩やかな風が吹いたと思ったとたんにそれは目の前に現われた。


『呼んだか』


 まずはその姿に、そして言葉に、ヒョウジュもイザヤも驚いた。


「でかっ……なんでこの世界のイキモノってみんなでけぇの? おれ自分のちっこさに泣きたくなってきたんだけ……うわ、自分で自分のことちっこい言っちゃった」

「イザヤ、だいじょうぶよ。こんなに大きい鳥、わたしも初めて見たわ」

「ほ? ひよも? え、じゃあこいつが規格外?」


 大木に並んでも劣らない大きな白い鳥は、動物にも等しく与えられる天恵を得て、巨大化したのだろう。言葉を解すということは、知力も備わっている。そんな動物は、魔と呼ばれているギル以外には、ヒョウジュも初めて相見えた。


 それにしても、フェンリスというらしいこの聖鳥は、大きい。ギルも随分と大きな犬だが、この聖鳥ほどではない。


『うむ? 白の国の姫か?』

「え、ひよの知り合い?」

『そちらは赤の騎士じゃな』

「えっ? おれも知り合いっ?」

『……いちいち忙しい奴じゃの』


 やたらと反応するイザヤは、その目はきらきらとしているから、おそらくきっと、フェンリスにものすごい興味がある。


「フェンリス。ふたりを乗せてくれるか。行き先はふたりが決めるが」


 皇帝がフェンリスを撫でながら口を開くと、赤い瞳がじっとヒョウジュを、そしてイザヤを見やってくる。


『……かまわぬ』


 それは、その背に乗せてもいい、という意味なのだろう。フェンリスの答えに皇帝が頷き礼を言うと、皇帝もじっとこちらを見やってきた。


「行け。この選択がおまえたちをどう導くかは知らないが、貫き通す意志があるなら、これを利用しろ」


 利用しろ、というのは、フェンリスを、だろうか。いや、そうだろう。逃げようとしていたのだ。先回りされるように、皇帝が下準備していただけだ。


「……なあ、あんた」


 フェンリスに興味を惹かれていたイザヤが、当然だが、怪訝そうに皇帝を見る。


「あんたにとって、こんなことする意味、あんのか?」


 皇帝に対し、それは無礼な口の効き方だ。けれども、注意するはずの侍従長はなにを言うこともなく、また皇帝も気にした様子がない。


「意味があるから、フェンリスを呼んだ」

「いいのかよ? おれたちを逃がして」

「よくはない。だが、悪くもない。おれはリョクリョウ国の王太后の意見に、賛成しているからな」

「……ひよとおれのこと?」

「おまえたちの仲を引き裂けるほど、おれはおまえたちを知らない」


 知らない者に対し、知ったようなことはできない。それはときには必要なことだが、今ほどこんな無駄なことはないと、皇帝は少し呆れたように言った。


「……おれ、あんたのことわりと好きかも」

「は? なんだ、いきなり」

「おれとひよのこと、否定しねぇもん」

「……だから、おれはおまえたちのことを、それほど知っているわけではないだけだ」

「おれ、ミドリ・イザヤ。リョクリョウ国で狩人やってる。そんで、ひよの彼氏。ひよはおれんだから、手ぇ出すなよ」


 にまっと笑いながらヒョウジュの腰を抱いたイザヤに、皇帝が首を傾げる。


「牽制する意味があるのか?」


 ないけど、と珍しくイザヤは悪戯っぽい笑みを振りまく。


「なぁあんた、名前、サリヴァンだっけ?」

「ああ」

「王サマっぽくねぇのな」

「……よく言われる」

「あんたがこの国……えと、聖国? あ、ヴァリアス帝国だ。の、皇帝になったってことは、その天恵があるんだよな?」


 はっと、ヒョウジュはその話題に瞠目する。まさかここでイザヤが直接訊いてしまうとは、思っていなかった。だが、その答えはヒョウジュも知りたいことだ。


「……なければと、思ったことは幾度もある」


 皇帝の表情が陰る。しかしイザヤの問いには、是と答えたようなものだ。


「そう言うなよ。なけりゃよかった、なんてさ」

「……なぜ?」

「あんたがいれば、リョクリョウ国の害獣は、そのうち数を減らす。おれは……この剣で、ひよだけを護ることができるようになる」


 ふと柔らかな笑みを浮かべたイザヤに、こんなとき、こんな場所なのに、ヒョウジュはどきっと胸を高鳴らせてしまった。その音がイザヤへと届いてしまったのか、イザヤはふわふわとした笑みを、ヒョウジュに向けた。


「護るよ、ひよ。なにからも、すべてから、ひよを護るよ」

「イザヤ……」

「だからおれを選べ、ひよ」


 強い眼差しがそこにあった。護りたいと思うのはヒョウジュも同じなのに、その強さに心惹かれた。


「わたし、イザヤがいいの。イザヤのそばに、いたいのよ」


 国を捨てたいわけではない。捨てようとは思わない。ヒョウジュは王族で、国の象徴たる存在だ。

 けれども、ただひとりの、人間でもある。

 狩人に恋した、ただの女でもある。

 狩人を愛したのは、王女だからではない。


「サリヴァン! ありがたく、このでかい鳥、利用させてもらうぞ」

「ん。ああ、好きにしろ」

「いつかあんたが困ったとき、助けてやる」

「今のところは必要ない。今はおまえたちだ。いいからさっさと行け。気づかれるぞ」

「サンキュ!」

「さんきゅ?」

「ありがとって意味!」

「……ああ。礼を言われるほどのことではない。おれの都合もある」


 いいから行け、と皇帝に促されると、イザヤはヒョウジュの手を取り、ぐいと引っ張ってフェンリスに駆け寄った。準備が整ったのかと、フェンリスが姿勢を低くしてくれたので、身軽なイザヤが先に乗りあがり、ヒョウジュは衣装に邪魔されながらもイザヤに助けられてフェンリスの背に乗った。


『強くわれに掴まれ』


 そう言われたが、柔らかな羽毛を握るのには気が引ける。


「ギルに乗ったときみたいに、とにかく全身でしがみつけばいい」


 腰をイザヤに支えられて、気にするなと言ってくれたフェンリスにしがみつく。

 フェンリスが、飛び立つ姿勢に入ったとき、はっと、ヒョウジュはそれを思い出した。


「陛下!」

「ん?」

「アビを……わたしの侍女を、お頼みしてもよろしいでしょうか」


 これからは一緒にいることも、今連れていくこともできない侍女アビは、幼い頃からヒョウジュに仕えてくれていた。朝になってヒョウジュがいないことを知り、父王にその積を問われるだろうことを考えると、胸が痛む。図々しいことだが、頼めるものなら、皇帝にアビの今後を任せたい。


「侍女も近衛も、預かっておく。気に病むな」

「あ……ありがとうございます!」


 快い返事がもらえるとすぐ、フェンリスが翼を大きく広げた。


『行くぞ』


 ばさりと、白い翼が羽ばたく。不快感のない重みが全身を襲ったが、まもなく緩やかになっていく。目を瞑って重力や風に耐えていたヒョウジュだったが、イザヤが奏でる口笛が聞こえて、そっと瞼を開けた。


「ギルを呼んだ。白い鳥を目印にしろって伝えたから、あとからついてくる」


 口笛はギルを呼び寄せるものだったらしい。


「見ろよ、ひよ。もう、あんなに小さい」


 上昇していくフェンリスの上から、聖国の城が見えた。どんどん小さくなって、もはや皇帝の姿もない。


「高いところ、平気なんだな?」

「え?」


 そういえば、フェンリスは鳥なのだから、空を飛んでいるということになる。だが、大きな白い鳥は、その背も広く、そしてその大きさから安定感もあって、まず怖いとは思わなかった。


『われは落とさぬ。安心しろ』

「信じるぞ、鳥。ひよを落としたらただじゃおかねぇからな」

『われはフェンリスだ。落とさぬと言うた限りは、落とさぬ』

「それって、故意に落とすこともあるってことか?」

『さてな』

「落とすなよ!」

『任せよ』


 楽しそうに笑ったフェンリスに、イザヤはしばし揶揄されていた。その光景をヒョウジュは微笑みながら見守っていたが、ふと、こんなに高く飛んでいるのに未だ届きそうもない夜空に、目が奪われた。


「久しぶりに見たわ……」

「え? ああ、空?」

「こんなに穏やかな気持ちで空を見たのは、本当に、久しぶり」

「あー……ずっと、気ぃ張ってた?」

「ええ、そうね。聖国へ嫁げと言われたことから始まって……今日まで、空を見上げることもなかったわ」


 風が気持ちいい。空が美しい。ふとした瞬間のその想いが、今はなんだかとてもいとおしい。


「……ひよ」

「ん、なぁに?」

「ありがとう」


 急に強く引き寄せられたと思えば、イザヤに礼を言われた。


「おれ、ずっと中途半端で……なんも、わかってなくて……けど、ひよだけは、どうしても欲しくて……いろいろ迷惑かけたり、面倒かけたりするけど、でも、おれ、ひよが好きだから」

「……わたしも、イザヤが好きよ」


 突然の告白は、けれどもするりと、ヒョウジュからもこぼれた。


「サリヴァンの言葉をぜんぶ信じるわけじゃねぇけど、たぶんサリヴァンなら、いい王サマになると思う。だから、リョクリョウ国は平和になる。害獣の数が減って、狩人も、穏やかにはいられねぇと思うけど、でも、今までより危険は少なくなると思う。おれ、狩人だけど……ひよ、一緒にいてくれるか?」

「わたしの心は、もうずっと、変わらないの。変われないの。わたしこそ……わたしは王女だけれど、一緒にいてくれる?」

「おれはひよが好きだ」

「……わたしも、同じよ」

「ひよ、おれの家族に……なってくれる?」

「わたしはイザヤと家族になりたいの」


 わかって、とヒョウジュは微笑み、イザヤの頬に手のひらを添える。擦り寄ってイザヤは、泣き笑いにも似た顔で、また「ありがとう」と礼を言ってきた。


「ありがとう、なんて……わたしにはそれが真実で、それ以外がないだけよ?」

「うん……うん、ひよ。おれ、すっげぇ嬉しい」

「……わたしも、すごく嬉しいわ。イザヤに、好きと、言ってもらえたもの」


 当たり前のように言ってくれたことが、こんなにも嬉しい。この喜びは、言葉に現わすことなどできない。


 今さらだが、イザヤに「好きだ」と言われたことがとても嬉しくて、涙がこみ上げた。


「わたし…っ…すごく、嬉しいわ」


 ヒョウジュが恋したのは、怖がりで臆病な狩人。強くて、とても弱い人。


「好き…っ…好きよ、イザヤ」

「な、泣くなよ、ひよっ」

「愛しているの……っ」

「あ、あい……う、わっ……う、嬉しいかも」


 たまらず泣き出したヒョウジュを、イザヤは強く、抱きしめてくれた。


「おれも、ひよのこと、あ……愛してる、よ」


 恥ずかしそうに、けれども確かな力が、ヒョウジュを包み込んだ。





 白い聖鳥が皇城から飛び立つという僥倖を多くの人々が目にしたその夜、誰に知られることもなく、異界より現われた黒の狩人が北方国の白き姫を攫った。







終わりかけていたのに放置していてすみません。

楽しんでいただければ幸いです。


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