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宴の夜に舞い降りる。  作者: 津森太壱。
【宴の夜に舞い降りる。】
2/29

01 : 火が灯る。





 ヒョウジュは昔から、白い髪の持ち主だった。それはふたりの兄とも、両親とも、祖父母とも違う色で、国の中でも異質な色だった。

 空色の瞳はふたりの兄と父と同じなのに、髪だけが白いから、なにも知らない人たちからは色を失くした者として見られていた。

 髪が白いのは、天恵という、天から恵まれた恩寵の力ゆえのことであるだけなのに。

 だからヒョウジュは、産まれたときから、不気味そうな目で見られることに慣れている。恐れられ、怖がられる目で見られることに、慣れている。


「また部屋に籠もって……ヒョウジュ、だめだろう? こんなに天気がいいんだから、たまには外に出ないと」

「おれらとお茶でもしよう」


 長兄のアオヅキと、次兄のナガクモの声に、ヒョウジュはふっと顔を上げる。優しい兄ふたりは、いつも部屋に籠もりがちなヒョウジュを心配して、こうしてよく部屋を訪れてくれていた。

 そのとき兄たちを見たのは久しぶりだった。少し前に、遠くに行っていた祖父母が無事に帰国し、その宴やら祝いで数日ほど忙しかったこともあり、ヒョウジュよりもやることがたくさんある兄たちは振り回されていたのだ。やることがないほうが多いヒョウジュも気疲れしたほどで、しかし無事帰国した祖父母との宴は楽しかったと憶えている。


「ほら、外に行こう?」

「天気がいいから、空気がおいしいぞ」


 兄たちはそう誘ってくれるが、ヒョウジュは首を左右に振る。

 祖父母の帰国という喜ばしいことがあったために、まるでついでとばかりに、降りかかってきたものがあるのだ。


「耳が痛いの」


 そう言うと、兄たちの顔が曇る。先にため息をついたのは、次兄のナガクモだった。


「また父上か……」


 その呟きは当たりだった。


「ヒョウジュを可愛がるのはいいけど、どうしてこう、もっと気持ちを汲んでやれないかなぁ……なあアオ、父上のこと殴っていい?」

「ナガ、物騒なことを言うな」

「でも、ヒョウジュが外に出たくなくなるほどだぞ?」

「仕方ないだろう。ヒョウジュも来年には成人だ。婚約を固めてしまいたい父上の気持ちは、わからなくもない」

「ロク家のシズトだろ? いい男ではあるけど……」


 ヒョウジュの耳を痛める目下の問題は、来年には成人するというのに決まらない婚約だ。ただでさえ外見のせいで疎まれがちであるのに、父の過保護の結果だ。


 しかしヒョウジュは、誰とも結婚するつもりがなかった。この外見だ。どうしたって、人はヒョウジュを不気味に思う。

 だからこのまま、死ぬまで、ひっそりと生きていたかった。


「兄さま方、わたしのことはどうか、捨て置いてくださいませ」

「……ヒョウジュ、そんな寂しいこと言うなよ」


 眉をひそめたナガクモが、ヒョウジュに視線を合わせて屈む。その両手を取られて、ぎゅっと握られた。


「おまえのことを捨て置くなんて、できるわけないだろ」


 ナガクモの目は、長兄のアオヅキと同じように、優しい。


「わたしはこのままでよいのです」

「ヒョウジュ……」

「この離宮で生きることを、お許しくださいませ」


 ヒョウジュは、結婚しないなら、しなくてもいい立場にある。兄ふたりとは違う。

 長兄はこの国、リョクリョウ国の王太子、次兄は第二王子だ。いずれは長兄が国王である父の跡を継ぎ、次兄がそれを支える。それならヒョウジュも兄たちを支えられるように、とは思うのだが、この外見は兄たちのためには使えないのだ。

 それに、このところの害獣被害が増加傾向にあるせいか、ヒョウジュの外見を不気味に思う者たちの目は、日に日にひどくなっている。こんな自分が、兄と父に護られてばかりの自分が、国のためになるわけもない。


 ヒョウジュが兄や父のためにできることは、二十年ほど前に起きた害獣襲撃のときのように城まで燃やさないよう、天恵を駆使することだけだ。


「お許しください、兄さま方」


 ヒョウジュは兄たちから逃げるように、握られていた手を離すと身を翻した。ヒョウジュ、と兄たちが呼んでいたけれども、ひとりでいたい気持ちが強かった。


「姫さま……」

「お願い、ひとりにして」


 兄たちから逃げたヒョウジュは、追いかけてくる侍女や近衛兵を振り切り、離宮の片隅にある温室へと足を向ける。

 温室とはいっても、厚い硝子に囲われているだけの狭いところであるから、栽培されている花の数は少なく、暖かいわけでもない。外に比べれば暖かいというだけで、寒い季節が長いリョクリョウ国を皮肉っている庭の休憩室だ。


 ひとりになって、ヒョウジュは詰まりそうになる息を長く吐き出した。


「このままでは……いられないのね」


 いくら穢れを弾く天恵を持っていても、それで城を護っていても、ヒョウジュは城に、王宮に留まり続けることなどできない。降嫁しなくとも、いずれは街に降りて暮らすことになる。


「……受け入れて、もらえるかしら」


 長椅子に腰かけて俯くと、結えてもいない白い髪が、さらりと落ちてくる。この白い髪を疎ましいと思ったことは、あまりない。ないけれども、好きにもなれない。みんな恐れるから、怖がるから、不気味がるから、悲しくなるのだ。

 兄たちや父のように、暖かい夕陽の色であれば。

 母のように、優しい大地の色であれば。

 こんなに悲しく、寂しい思いをせずに済んだだろうか。


 ぼんやりと、ヒョウジュは考える。

 これからのことを、どうやって父を説得するかを、どうやって街で暮らしていくかを。


「ひとりで、生きていけるかしら……」


 そう呟きがこぼれたとき、ヒョウジュは全身に、ぴしりぴしりと、いやなものを感じた。

 ハッと、顔を上げる。

 見上げる空は晴れて、綺麗だ。雲一つない、清々しい空。

 それなのに、いやな感じがする。

 こんなに、はっきりとわかるいやなものは、初めてだ。こんなに大きく、深いものを感じたことなど今までにない。


「どうして……穢れ、なの?」


 ヒョウジュはふらりと立ちあがると、温室を出た。


 穢れは、肌で感じるものではない。心で感じるものではない。むしろ、感じられるものではない。穢れに蝕まれている当人でもない限り、他者は感じられないものだ。


 もしかしたら害獣に侵入されたのかもしれない。


 次第にヒョウジュの足は早まり、きょろきょろと周りを見ながらそれを捜す。


「姫さま、姫さま、いかがなされたのです」

「わからない……わからないの。いやなものを感じるのに、わからないのよ」


 途中で自分の侍女や、つけられている近衛兵を見つけたが、今感じているものを説明するのももどかしく、とにかくいやなものを捜し続けた。

 離宮を抜け、後宮を抜け、表の王宮まで出てきたところで、出仕している貴族のさまざまな視線が一気にヒョウジュを射る。いつもならいやな気分になるが、今はそれどころではない。


「姫さま、それ以上は……っ」


 正面の出入り口付近まで来たとき、侍女にそう止められたが、ヒョウジュの焦燥も募っていくばかりで、足を止められなかった。


 しかし。


 ふと目が、駆け込むようにして王宮に入ってきた一段に、吸い込まれる。


「シスイ!」


 先頭を切っている青年に見憶えがあったヒョウジュは、咄嗟にその青年を、シスイを呼び止めた。ヒョウジュに気づいたシスイは、立ち止まって振り返ってくれる。


 とたん、ヒョウジュは瞠目した。


「姫さん、なんだ、どうした、こんなところまで。悪いが今は」

「シスイ、その人」

「あ? ああ、怪我人だ。害獣に襲われたんだよ」


 だから悪いが、と立ち去ろうとしたシスイの腕には、小柄な少年が、いや、青年が横抱きされていた。


 彼だ。

 彼からいやなものを感じる。


「だめ……だめよ」


 声が震えた。

 なんで、どうして、こんなことに。


「こんな……だめよ」


 穢れだ。

 穢れが、ひどく彼を、蝕んでいる。この青年の命を。

 一刻も早く、この穢れを彼から取り除かなければ。


「姫さん、すまねぇが行くぞ」


 蒼褪めるヒョウジュに、シスイはそう声をかけ、足早に立ち去る。それを目で追いかけ、続くようにヒョウジュは再び駆け出していた。


「姫さま、お待ちください!」


 なにかを捜して歩き回るのではなく、シスイを追いかけ始めたヒョウジュを、侍女が追いかける。

 ぞろぞろと続いたその集団に、出仕していた貴族たちが目を丸くして見ていたことを、ヒョウジュは知らない。









 害獣に襲われ、穢れに蝕まれた青年を、その素性もわからないまま、ヒョウジュは治療にあたった医師と共に診た。

 ヒョウジュ自らの行動に戸惑う者もいたが、それを気にしてはいられない。穢れは青年の命を蝕む一方であり、またその穢れはヒョウジュの天恵を刺激し、城内の空気を狂わせているのだ。

 ヒョウジュはとにかく、青年の治療に専念した。浄化の天恵を駆使した。


 青年、名をイザヤというらしい彼の事情を聞いたのは、彼の意識がぼんやりと戻る少し前のことになる。


 イザヤは、害獣を駆除した際に、或いは駆除する際に開かれる宴に呼び寄せられ、だが帰られなかった迷子で、そして二十年ほど前に死した騎士の魂を持つという。

 それらのことには、帰国したばかりの祖父母が関係していた。父が迷子を捜しているというのは、祖父母が帰国した際に開かれた宴で聞いている。ゆえに、イザヤの情報を求めて祖父母の許を訪れたヒョウジュは、イザヤが城に運び込まれたそれまでのことを、祖父母から直接聞くことができた。


「ねえ、ヒョウジュ……わたくしは間違っていたかしら?」


 傷を負い、穢れに蝕まれたイザヤのことについて、祖母はそう訊いてきた。肖像画でしか祖父母のことを憶えていないヒョウジュだったが、両親から話はよく聞いていたので、祖父母の、先王夫妻のその落ち込んだ姿には、驚かせられた。


「なにをお間違いになられたと、思うのですか?」

「この国に、この世界に、連れて来たことよ」

「なぜ?」

「また……あの子を傷つけたわ」


 後悔しているのだろうか。いや、迷っているのかもしれない。祖父母は、英雄になることを拒んで死んだ騎士を、義弟と呼んでいたのだ。優しく穏やかな人だったと聞く。国を護るために、祖父母を護るために、狩人であった騎士は死ぬときまで狩人で在り続け、死してのちに騎士となった人だ。英雄と呼ばれることはおろか、騎士となることも、その騎士は生前受け入れなかったのだ。

 祖父母が、自分たちがやったことを迷うのも、わからなくはなかった。


 だが、決めつけてはいけないことがある。


「彼はそのときのことを……騎士であったことを、憶えているのですか?」

「……憶えていないと思うわ」

「でしたらおばあさま、勘違いなさらないほうがよろしいかと思います」

「勘違い?」

「彼はイザヤです。イザヨイさまではありません」


 彼は、イザヤは、かの騎士の魂を確かに持っているのかもしれない。けれども、今の彼は、イザヤだ。かの騎士ではない。

 だから、決めつけてはいけない。

 イザヤはかの騎士、イザヨイではないのだから。


「彼を幸せにしたいと思うのなら、それだけで、よろしいのではありませんか」


 後悔などしている場合ではない。なんのために連れ戻したのかを、忘れてはならない。


「想いを大切にしてくださいませ、おばあさま、おじいさま」


 悔いる気持ちがあるなら、二度と悔いることがないよう、努力するしかないのだ。

 ヒョウジュは祖父母にそれを伝えると、席を離れた。


 部屋を辞す際に、「ヒョウジュ」と呼ばれて振り返る。


「イザヨイ……いえ、イザヤを、頼めるかしら」


 穢れのことだろうかと思いながら、ヒョウジュは頷く。ほっとしたような顔を見せた祖母と、そしてにこりと微笑んだ祖父に、ヒョウジュは最後に礼をして、その場を辞した。

 その足で、イザヤがいる部屋に向かう。初めは王宮の客室に運ばれたイザヤだが、翌日には祖父母が住まう離宮に移された。ヒョウジュが住まう離宮は、その隣にある。

 本来なら、穢れの浄化が済めばイザヤのところへ行く必要はない。だが、穢れが入り込んだ傷の場所は胸だった。心の蔵に近い。様態が急変しないとも限らないので、ヒョウジュはほとんどの時間をイザヤの部屋で過ごしていた。

 ちなみにこのことは祖父母しか知らず、両親や兄たちには知られていない。イザヤのことでヒョウジュが動いたのは知っているが、初日だけのことだと思っている。いつもついて歩く侍女や近衛兵があまりいい顔をしない行為ではあるが、気になるのだから仕方ないと、諦めてもらっていた。


 イザヤがいる部屋の前に来ると、シスイがちょうど出てきたところだった。


「おう、姫さん。また来たか」

「ええ。わたしにできることを、やりたいと思うから」

「ん、お人形さんも卒業だな」


 シスイは兄たちに剣を教えた師で、ヒョウジュも少しだけこのシスイに剣を教わったので顔馴染みだ。宰相ロク・シエンの弟なので、貴族ではあるのだが、彼は害獣を駆除する狩人で、貴族らしいところが一つもない変わった人だった。


「イザヤの熱な、もう少し続くらしい。目ぇ覚めたら、もうだいじょうぶだと判断すればいいとさ」

「魘されていても?」

「起きる気があるんだ。起こすべきだろ」

「……そうね」

「じゃ、おれはカジュ村に戻る。なにかあったら知らせてくれ」

「わかった。気をつけて」


 大規模な害獣駆除が行われようとしているという村に戻るシスイを見送ると、ヒョウジュは扉を軽く叩いて、部屋に入る。

 とたんに目に入る、イザヤの姿に、目を細めた。

 そばに歩み寄り、寝台の端に腰かけると、宙を掻くイザヤの手を握る。

 熱に魘され、痛みに苦しみ、それらから逃れようとするイザヤの姿は、とても痛々しい。


「だめよ。動かしてはだめ。今はおとなしくして」


 穢れが入り込んだ胸の傷は、骨のおかげで深くはない。けれども場所が場所だけに、確実にイザヤを蝕んだ。痛みは長引くだろう。薬があっても、ヒョウジュの天恵があっても、イザヤの苦しみは終わらない。


「はな、せ……っ」


 初めて聞いたイザヤの声は、苦しそうというよりも、寂しそうで。


「落ち着きのない人……だめと言っているでしょう」

「いやだ…っ…はなせ、よ」


 悶える腕に力はなく、必死になにかを求めているように、ヒョウジュには感じられた。

 熱い息を吐くイザヤに水を飲ませ、もっと、とせがまれて微笑みながら水をさらに飲ませる。すると、薄く目が開かれて、焦げ茶色の瞳が彷徨った。


「……だ、れ?」


 ヒョウジュは身を屈める。


「ヒョウジュ」

「? ひょ、じゅ?」

「ヒョウジュ。ここにいるのは内緒」

「ひよ、ないしょ?」

「あら、いいわね。そう、わたしは、ひよ」


 聞き取れなかったのか、イザヤに「ひよ」と呼ばれて、そのくすぐったさに微笑んだ。

 そんなふうに呼ばれたことも、呼んでくれた人も、今までいなかったから。


「ひよ……みえ、な……い」

「だいじょうぶ。今は熱があるだけ。熱が引いたら、見えるようになる」


 頬を撫でると、イザヤの苦しげな顔がいくらか和らぐ。男らしいというよりも中性的な容姿をした人だと、思った。


「ひよ……ひよ、くるしい」

「だいじょうぶ。少しの辛抱よ」


 侍女を呼んで濡れた布を用意してもらい、額の汗を拭ってやる。すると眉間の皺が伸ばされ、ふっと、微笑えまれた。


「ひよ……」


 どきっとした。

 なんて顔をする人だろうと思った。

 そんな顔で、そんなふうに呼ばれたら、胸が苦しくなる。


「……なぁに?」

「ありがと……ひよ」


 やんわりと、柔らかに微笑んだイザヤは、そのまま瞼を閉じて眠った。







 ヒョウジュの胸に、くすぐったくも暖かい、焦がれるような熱が生れた、あのとき。

 イザヤへ想いが傾き始めた、その出逢い。

 この人のそばにいたいと、泣きたくなるような苦しさを持つようになるまで、そう時間はかからなかった。





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