16 : ゆめにみた。2
イザヤ視点です。
戸惑うヒョウジュを押さえつけ、泣き叫ぶヒョウジュに己れを穿つ。
こんな顔をさせたいわけじゃない。
こんな悲しくなるようなことをしたいんじゃない。
泣かせたいんじゃない。
そう思うのに、身体がそう動いてくれない。言うことを聞いてくれない。
どうして、どうして、どうして。
苛立ちが募る。
自分を殺したくなる。
そうしているうちに、泣き叫んでいたヒョウジュの瞳から、光りが失われてしまった。
「ひよ……っ」
違うんだ。
こんなこと、したいんじゃない。
もっと幸せを感じられる、そんなことをしたいんだ。
「び、びっくりさせるなよ、イーサ」
「……、へ?」
聞こえたギルの声に、イザヤは幾度か瞬きをする。
真っ暗な視界は、しかし端のほうが明るく、また己れは寝台に横になっていた。
「……、あれ?」
ヒョウジュを組み敷いて、泣き叫ばせていた気がするのだが。
どう見ても、そんな状況に自分はいない。
「どうした?」
「……ギル?」
「ああ。なんだ、寝ぼけてるのか?」
首を動かし、明るいほうを見ると、人型となっているギルが寝台に腰かけ、蝋燭の明かりで本を読んでいた。
「……あれ?」
どういうことだろう。
首を傾げたら、自分と同じ顔をしているギルもまた、同じように首を傾げた。
「なんだよ?」
「え……ええ? ひよ、ひよは?」
「隣の部屋で眠ってる。イーサが無茶するから、侍女が怒って寝室を別にしたんだ」
憶えてないのか、と訊かれて、さっきまでのことを鮮明に思い出す。
「お、おれ!」
勢いよく寝台から半身を起こすと、ギルは大きく身体を揺らして驚いていた。
「だ、だから、びっくりさせるなよ! なんだよ、イーサ!」
「……おれ、ひよを」
「ひよがどうした。押し倒そうとして、侍女に殴られたばっかりだろ、イーサ」
「え……?」
「憶えてないのか?」
怪訝そうにしたギルが、事細かに、それを教えてくれる。ヒョウジュを押し倒したのは、一度目を覚ましたときで、しかしそれをアビが殴って止めたとのことだ。
それから三日が経過しているという。
「じゃあ、夢……?」
「は? 夢?」
ヒョウジュに乱暴をして、泣かせていたのは、夢だということだ。
ほっと、身体の力が抜ける。
「おい、イーサ?」
ぱたりと寝台に倒れ込んで、長く息を吐き出した。
ヒョウジュを泣かせていない。悲しませていない。
よかったと、心から安堵した。
「……イーサ、頭だいじょうぶか?」
「だいじょぶじゃねえ」
熱のせいでいかれている。その自覚がある。さすがにこれは不味いと、イザヤは頭を抱えた。
「やべえ、おれやべぇよ」
「……そう言えるなら、もうだいじょうぶだな」
「だいじょぶじゃねえって!」
ヒョウジュを組み敷いて、無理やり抱こうとした。いや、抱いていた。そんな夢を、眠りながら見ていたのだ。
さすがにやばい。
「ん、熱も下がってきたな。そろそろ痩せ我慢もできるだろ」
イザヤの頭を無造作に撫でたギルが、そんな適当な診断を下す。それを払いのけて、イザヤはギルを睨んだ。
「もう我慢なんかきくかよっ」
「ん。いつものイーサだ」
「はあっ? 意味わかんねぇし!」
「怪我続きで、ちょっとどころかかなり頭おかしかったからな。それだけ元気ならもうだいじょうぶだろ」
「だから、だいじょぶじゃねえって言ってんだろ!」
勝手に納得しているギルに、いくら「だいじょうぶじゃない」と言っても、けっきょく聞いてくれなかった。「いつものイーサだ」と、満足そうに頷かれて、意味がわからなくてイザヤが憤慨しても、ギルの態度は変わらない。
怒鳴り過ぎて疲れてきた頃、腹部と腕に激痛が走った。
「いて…っ…てて」
「あ、まだ動かないほうがいいぞ。怪我の治り、ちょっと遅いらしい」
あれから数日が経過しているのに、傷はまだ塞がっていないらしい。かなりひどい傷だったようだし、痛みで眠れそうになかった意識が、強制的に眠らせられていたくらいだ。そう簡単には治らないだろう。
そういえば指の動きが鈍い。
「……ギル」
「うん?」
「指が……」
「……そうか」
すべて言わなくても、ギルにそれは伝わった。
ほっと息をついて、動きの鈍い右手を握ったり開いたりしてみる。左手の動きも鈍くなっているが、これは右手の分の力を使って疲れているだけか、或いは数日も剣を握らずにいるから鈍っているのだろう。
ふと、このまま手が動かなくなれば、狩人で在り続けられなくなるのかもしれないと、思った。
そうすれば、このどこから湧いてくるのかわからない激しい憎悪も、消え失せてくれるだろうかと思った。
人間に憎悪を向けている自分に、苦笑がこぼれた。
「どうした」
「ん……いや、こんなに人間が嫌いで、憎いとか思ってるわりに、ひよとか、ばあちゃんとかじいちゃんとか、好きな自分がいて……おかしいなと思って」
「心を許してる人間を、殺したいとか思うのか」
直接的なギルの言葉に、唇が歪む。
いとしい人を殺したいだなんて、思わない。
だのに、人間を憎く思う。
どうしてこんなに人間が嫌いで、憎いのか、イザヤはわからない。
ただ、失望している自覚はある。
だから嫌いで、憎いのかもしれない。
好きでいたいのに。
好きになりたいのに。
ヒョウジュや、祖父母と慕っているふたりのように、好きでありたいのに。
「おれは、たぶん、壊れてるんだ」
ぎゅっと、拳を握る。力を込めると、傷がある右腕が痛んだ。
「人間を好きでいることに、疲れたのかもしんねぇな」
「……おれは、どうしてそこまでイーサが人間を護ろうとするのか、わからない。嫌いなら、護る必要なんてないだろ」
「諦められねぇんだ」
「人間を?」
「好きになりたいから」
「……無意味だな」
イザヤの想いを、ギルはあっさりと切って捨てる。それはギルが人間ではなく魔という獣だから、というわけでなく、ギルの性格だ。
「そんなに、頑張る必要はないと思うんだけど」
「頑張る?」
「嫌いなら、嫌い。それでいいだろ。それ以上は、疲れるだけだ」
今、イザヤがそうであるように。
ギルは肩を竦めてそう言うと、イザヤが瞬きをしたその一時の間に、黒犬の姿に戻った。
「ほら、もう少し休め。熱は下がってきたけど、油断できないんだから」
ぐいぐいと巨躯をイザヤに押しつけてきたギルは、寝台の中に潜ってくると、柔らかな黒毛をイザヤに提供してくれる。温かなぬくもりに、イザヤはすり寄った。
「眠れそうにねぇんだけど」
「なら、目だけでも閉じておけ。身体を動かすな」
「退屈だ」
「そうでもない。この城には……得体の知れない人間がいる」
「え……?」
「わりと近くに……でも気配が掴めない。ふらふら動いてる」
危険人物がヒョウジュの近くにいる。
そう思うと、ぞわりと全身が慄いた。
「害があるようには思えないけど……注意は必要だ。だから身体を休めて、いざというときに動けるようにしておけ」
「……ああ」
やはり、ここから逃げたほうがよさそうだ。
眠れなくなったイザヤは、だがその警戒に、身体を休めようとギルの言うとおり瞼を閉じた。
夢オチ……ゴメンナサイ。




