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宴の夜に舞い降りる。  作者: 津森太壱。
【宴の夜に舞い降りる。】
12/29

11 : 偽りだらけの世界のなかで。2





「再会に水を差すようで悪いんですけど……ちょっといいですかぁ?」


 そんな声にハッとしたとき、ヒョウジュはこの場がどこであったかを思い出し、慌ててイザヤの胸から顔を上げた。


「あの、すみませ」

「誰だ、てめえ」

「イザヤっ」


 声をかけてきたのは、皇帝の隣に冷静な顔で控えていた侍従だ。イザヤが牙を向けようとしたのを、ヒョウジュは慌てて宥める。


「だいじょうぶ、だいじょうぶよ、イザヤ」

「ひよ……でも」

「だいじょうぶ」


 流れている涙を拭ってやりながら、だいじょうぶ、と繰り返す。涙腺が壊れてしまったのか、イザヤの涙はそれでも止まらなくて、ぽろぽろと流れ続けた。


「なんか、あてられますねえ」


 肩を竦める侍従が、人好きする笑みでにこにこと話しかけてくる。それはイザヤを警戒させたけれども、腰にある双剣を抜かせることはなかった。


 だから。


「逃げますよ、おふたりさん」


 そう告げた侍従に、ヒョウジュもイザヤも目を丸くした。


「え?」

「いえ、こっちの都合なんですけどね。もうちょっと静かに登場してくれたらよかったんですけど、ここまで派手にされては事態の収拾が面倒ですから、隠れてもらいます」


 侍従は、はらはらと見守っていた侍女アビのこともそばに寄せると、皇帝を振り返ってにこりと笑う。


「じゃ、先に行きますよ」

「ああ」


 軽い挨拶が交わされたと思った、次の瞬間。

 ふわりと身体が浮いた。

 それに驚いてイザヤにしがみつくと、イザヤもヒョウジュを強く抱き竦めてくる。

 なにが起こったのだ、と思ったときには、それはもう終わっていた。

 浮遊感が消えたと思ってイザヤの胸から顔を上げたら、見知らぬ部屋にいたからだ。


「さすがに三人も運ぶと、座標が少しずれますねぇ……ふむふむ」


 その呟きは、もちろん侍従からこぼれた言葉だ。


「……あの?」

「ん? ああ、いきなりすみません。おれの天恵で、移動させてもらいました。走っていたら間に合いませんし」

「天恵……?」

「空間移動の天恵ですよ。無属性ですから、見たことないと思いますけど」


 聞いたことのない天恵だ。それでも、確かにその力は働いて、あの庭から見知らぬ部屋に一瞬にして移動しているのだから、その天恵は存在する。ヒョウジュの天恵も珍しい部類に入ることを考えれば、侍従の天恵だってあってもおかしくはない。


「さて、先に彼の手当てをしましょうか。だいぶ無茶をしているようですし」


 そうだった、とヒョウジュはパッとイザヤから離れようとして、しかしイザヤが放してくれず、その胸に逆戻りしてしまう。


「イザヤ……っ」

「あ……ごめん。腕、動かねえ」

「え?」

「だって……ひよが、いるから」


 イザヤは己れの身体に起きた現象に戸惑いながら、震えている両腕をどうにかしようと動いた。だがそれはヒョウジュも一緒に揺さぶることになって、けっきょくヒョウジュを抱きしめた腕は解けなかった。

 イザヤのそれを見ていた侍従が、あはは、と笑う。


「身体は素直ですねえ」


 だいぶ緊張感のない笑い声に、警戒を露わにしていたイザヤも呆気に取られたのか、途方に暮れた顔をした。


「……笑いごとじゃねぇんだけど」

「心配しなくていいですよ。ここは関知されない場所です。おふたりのことは、サリヴァンが責任を持ってお護りしますから」

「は? 護る? なんで? おれ、ひよを攫いに来たんだけど」


 ヒョウジュはイザヤの言葉にぎょっとした。まさか、迎えに来たと言うのではなく、攫いに来たと言うとは思わなかったのだ。


「おやおや、ヒョウジュ王女殿下を攫いに来たなら、ますます護る必要がありますねえ」

「はあ? なんで?」

「王女殿下にはお伝えしたんですけどね、うちの皇帝陛下、お妃さまを娶るつもりはないんですよ。おれとしてはお嫁さんくらい欲しいなぁと思うんですけど、なにぶん今は身体的にも精神的にも忙しいもので、今すぐ欲しいとは思っていません。なので、王女殿下を含めた候補の方々は、近日中にご実家へお返しする予定なんです」

「え……じゃあ」

「はい。王女殿下は、わが国のお客人です」


 それは本当か、と侍従に確認したあと、イザヤはヒョウジュにも本当かとその瞳と揺らしながら訊いてくる。皇帝からその言葉を直接聞いていたヒョウジュは、ふっと微笑んで頷いた。


「ひよ……っ」


 感極まったらしいイザヤに再度抱きしめられて、ヒョウジュの微笑みも深まる。

 ほっと安堵したのと、イザヤがここにいてくれている現実と、それらを言葉にできない喜びに胸が詰まって、止まりかけていた涙が一筋頬を伝った。


「よかった……よかった、ひよ。ひぃよ」

「イザヤ……」

「おれ、ばかだから、いっつも逃げて……ひよに、本当に逃げられたのかと思った」

「……本当、ばかね。わたしは一緒にいたいって、言ったはずよ」

「うん、うん……ひぃよ」


 ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、それは少し苦しいくらい強い抱擁であったけれども、これまでの悲しさや寂しさを考えれば、この苦しさは心地よかった。


「よし、じゃあ手当てしますか。どうやったらそれだけ傷を作れるのか、不思議ですよ」


 ぱんぱん、と両手を叩いた侍従にたびたびの喜びは中断されるも、確かにまずはイザヤの怪我だ。黒い服はいたるところに血を滲ませているし、ボロボロであるし、頬の傷はまだ血も止まっていない。腕にいたってはぐっしょりしていて、ヒョウジュの衣装を赤く染めているほどだ。


「アビ、ごめんなさい。許してくれる?」


 咽喉もとで手のひらを組ませて見守ってくれていた侍女アビに謝ると、それまでイザヤにあまりいい顔をしていなかったアビが、涙目で幾度も頷く。


「じゃあ侍女さん、隣の部屋にある棚の一番上に道具があるので、お願いしていいですか? おれは医師を呼んできますから」

「棚の一番上ですね」

「とりあえず止血すればいいと思います。腕、ちょっと危なそうですし」

「わかりました」


 侍従に頼まれたアビは、一目散に隣室へと走っていく。侍従はそれを見送ってから、医師を呼んできますと、部屋を出て行った。


「イザヤ、とりあえず座りましょう。それからゆっくり、身体の緊張を解いてあげて」


 イザヤを促して、どうにか近くの長椅子にふたりで腰かけると、イザヤが部屋を出て行った侍従を追いかけるかのように視線を流した。


「……なんで、護ってくれるんだ? 医師まで呼ぶって」

「それは……わたしが、客人だから、かしら」

「おれは侵入者だぞ」

「自分で言わないで」

「……ごめん」

「でも、嬉しいわ」

「……ほんと?」

「だって、わたし、イザヤがいいもの」

「え……?」


 きょとん、とイザヤが目を丸くしたとき、身体の緊張が解れてきたのか、くっついていた身体に距離ができる。それを少し寂しく思いながら顔を上げ、見つめてくる焦げ茶色の双眸に己れの姿を映した。


「姫さま、お持ちしましたっ」

「……ありがとう、アビ」


 言おうと思った言葉はアビが戻ってきたことで遮られてしまったが、言う前にまずは治療だと自分に言い聞かせ直して、アビに道具を広げてもらう。


 止血用の硬い大きな布を受け取ると、まずは腕の傷を見せてもらう。


「……なんてこと」

「あ……ごめん」


 腕の傷は、今まで以上に深そうだ。巻かれていたのだろう包帯は真っ赤に染まっていて、包帯の意味すら成していない。


「ギルは……ギルはどうしたの?」


 今までイザヤの怪我は最小限で済まされていたのだ、と気づいた。それはギルの存在があったからだろうと、姿を見せないギルのことを問う。


「すげぇ疲れさせちまったんだ……おれ、ひよが聖国に行ったって聞かされたとき、腹に怪我してたから動けなくて、それで、出遅れて……ギルに無理させて、半旬でここまで来たから」


 一瞬、ギルが害獣かなにかに倒されてしまったのかと冷や冷やしたが、そうではないと知ってホッとする。無理をして疲れているだけなら、聖国のどこかで休んで待っているのだろう。


「ギルはだいじょうぶ?」

「呼べば来る。ここから逃げるときのために、城壁の上に待機させてるから」

「なら、呼んで。わたしとイザヤの無事を、教えてあげて」

「無事なことだけ知らせる。なんかのときのためにも、ギルの存在は知られたくねぇし」


 まだ逃げるつもりでいるらしいイザヤに少し笑って、古い包帯を取り去り止血し、汚れた血を拭う。剣で斬りつけられたらしい傷はやはり深く、上腕をきつく縛って漸くその流れを止めることができた。

 ヒョウジュに治療されている間、イザヤはアビに頼んで窓を開けてもらうと、口笛を吹いた。音階をつけた口笛は音楽のようで、歌のようにも聞こえるそれは、ギルにさまざまな情報を伝える役割を担っているらしい。


「無茶をしたのね」

「だって……ひよが」

「わかってる。ありがとう、イザヤ」

「……ん」


 ふんわりと微笑んだイザヤは、そのとき漸く流れっぱなしだった涙を止め、ヒョウジュの手のひらに拭われると猫のように擦り寄ってきた。


「こんなに仲がいいのに、なぜリョクリョウ王は聖国に姫を連れてきたんだろうな?」


 という声は、皇帝のものだ。侍従と、侍従が呼んできたらしい医師だという青年も一緒で、それぞれが苦笑している。


「誰?」

「聖国の皇帝陛下よ」

「じゃあ……ひよが」

「もうその話は終わりよ、イザヤ」

「でも……」


 ほんの少しだけ皇帝を警戒したイザヤは、けれども皇帝が医師の青年に声をかけて、強引に治療を始めさせたので、戸惑わせて警戒を薄れさせてしまう。


「国主のサリヴァンだ。そう呼んでくれ」

「サリ、ヴァン?」

「ああ。きみは?」

「……イザヤ」

「……きみがイーサか?」

「え、なんでその渾名……」

「実はリョクリョウ国の王太后から、少し前に親書が届いた。王にも伝えておいたぞ」

「王太后……ユキちゃんから?」


 サリヴァンと呼べ、と言ってきた皇帝は、懐を探って親書とやらを出す。


「要約すると、わが国の姫には心に決めた人がいる、ゆえにその幸せを願いたい、どうかご協力を、と」


 ふっと笑った皇帝サリヴァンは親書を広げて見せて、そのままそれを侍従に渡す。


「おれは王太后に協力することにした」


 その楽しそうな言葉には、ヒョウジュもイザヤも呆気に取られてしまう。

 ヒョウジュの輿入れは、王太后ユキイエによって上手く、駆け落ち設定にされたらしい。


「だから護るって……ああ、そういうことか」

「きみたちにはいいことだろう? おれにもいいことだ。妃候補がひとり減ってくれただけでなく、その者は真にいとしく想う者と一緒になる。これほどいいことはない」


 そこには打算のようなものが含まれているが、皇帝の言うことも確かだ。悪いことなどなに一つなく聞こえる。


「でも、おれ……侵入者」

「それは気にするな。城の者たちの警戒心を煽るために、おれが芝居を打ったことにした。場内警備の訓練だな」

「へ……?」

「そばにいた騎士が証言するだろう。陛下と侍従だけは騒ぎの中にありながら冷静だった、と。もちろん王太后の親書の実を知っていたのは、おれとラクだけだからな。事実だ。だから、姫と謁見する今日に来てくれて、本当のところは助かった。どうやって誤魔化すか、考えあぐねていたからな」


 しっかりと、その策は練られていたらしい。今日という偶然が為したことでもあるが、僅かな日数でその策を考えただけでもすごいことだとヒョウジュは思う。さすがは賢帝を期待される皇帝だ。


「内密なことになるが、おれは王太后に協力する。親書にある言葉が本物であるとわかったからな。ほとぼりが冷めるまで、ここにいるといい」

「……なんで、協力するんだ」

「言っただろう。これほどいいことはない、と」

「あんた皇サマだろ」

「だから?」

「国のためを考えれば、こんなことって思わないはずがねえ」


 信じられない、とイザヤはその言葉をぶつける。悪い意味ではなく、なぜそこまでして考えてくれるのだと、そういう単純な疑問だ。ヒョウジュも、同じようにその疑問がある。


「国にはなに一つ問題が起きていないのに、か?」

「は?」

「きみたちのことで、わがヴァリアス帝国はなにか問題でも起きたか?」


 そう問われると、先の言葉を考えれば、出てくる答えは一つだ。


「……起きてねえ、かも」


 流され言い包められているだけかもしれないが、問題は起きていないように感じる。


「そういうことだ。国に害をなしたわけでもない者を、なぜ咎める必要がある。そんな無駄なことに割く労力は持ち合わせていない」

「でも、裏を考えりゃ……国って、国政って、そういうもんがあるだろ?」

「疑り深いな……おれは無駄が嫌いなんだ。それで納得しろ」

「納得しろって、無理だろ、それ。おれとあんた、初対面だぞ」

「それがどうした。おれなんか、外に出てまだ一旬も経ってないんだぞ。逢う奴みんな初対面だ。どうしようもないじゃないか」

「……外に出て? みんな初対面?」

「あー……いや、それはおれの都合だ。気にするな」


 なにかを誤魔化した皇帝は、しかしまごついて、侍従のわざとらしい咳払いで助けられた。


「皇帝になるぞ、と推されて、まだ一旬しか経っていないんですよ。それなのに今はもう皇帝ですし、先帝の崩御は急なことでしたから」


 そうだ。聖国の先帝の崩御は、病に倒れてからすぐであった。それゆえに皇太子の戴冠が急がれ、ヒョウジュにも急な話が舞い込んだのだ。


「まあそういうことだ。王には伝えておくし、なにかあれば知らせる。きみたちのことはおれが責任を持つから、好きにするといい」

「……信じていいのか」

「信じなくてもかまわないが、そうなるとおれはきみたちを護ってやれない。城から出たとたんにきみたちは国の人間に捕まるだろう。それらを含めて、好きにするといい。ほとぼりが冷めるまで滞在するなら、それなりに面倒は看る」


 どちらがいいかと訊かれたら、ヒョウジュは迷わずイザヤと一緒にいられる未来を選ぶ。だから、皇帝の提案には縦に頷いた。だがイザヤは、皇帝の言葉を最後まで信用し切れないらしい。


「本当に、おれとひよを護るのか」

「……これだけおれの本心を曝したんだから、もういいだろ」


 しつこいくらい疑うイザヤに、皇帝は苦笑をこぼして背を向けると、扉のほうへと歩いて行く。その後ろ姿を、イザヤが呼びとめた。


「最後に一つ」

「……なんだ?」

「国と国が……戦争、なんてことには」


 自分の行動がどれくらいのものであるか、イザヤはわかっていたのだろう。その不安と心配を抱えていたのだろう。それゆえに、しつこいくらいに疑っていたのかもしれない。


「きみたちの出方によっては、起きるかもしれないな」

「え……」

「おれの面目が潰される。つまり、聖国を踏み潰すということになる。生憎だが、そうされてしまったら最後、おれはわが国の者たちを抑えることなどできないぞ」


 皇帝にそう言われては、さすがのイザヤも疑い続けるわけにはいかなくなったようで、ふっと息をついて肩を竦めた。


「ほとぼりが冷めるまで、ここに隠れてていい?」


 にっかり笑ったイザヤに、皇帝はやはり苦笑しただけだ。


「もう派手に動くなよ」


 そう言って、皇帝は部屋を出て行った。侍従も、あはは、と緊張感なく笑ってから、「じゃあまたあとで」と皇帝を追いかけて部屋を出て行った。

 ヒョウジュはほっと息をつくと、同じようにほっと息をついているイザヤを見つめて、微笑んだ。







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