00 : ただいま、おかえり。
はじめまして、こんにちは。
ようこそおいでくださりました。
楽しんでいただければ幸いです。
ひよ、と呼んでくれる人がいる。
今まで誰も、そんなふうに呼んでくれる人はいなくて。
今まで誰も、そんなふうに笑顔を見せてくれる人はいなくて。
いつも、いつも、この髪のせいで不気味がられてばかりだった。
「ただいま、ひよ」
怖がりもせず、恐れもせず、彼はいつも朗らかな笑みを見せてくれる。その笑みで話しかけてきてくれる。
「おかえりなさい、イザヤ」
手を差し伸べれば、にこにことしながら手を差し伸べてくれる、とても温かい人。その傍らにはいつも、黒い犬を連れていた。
二十年ほど前だったろうか。
英雄になることを拒み、若くして死した騎士がいた。
今目の前にいる彼は、その騎士の魂を持っているという。
その騎士が連れていたという黒犬と、片刃の双剣を操り、彼はその騎士と同じように害獣を駆除する狩人だ。
「ひよ? どうした?」
「……無事に帰ってきてくれて、よかった」
「あー……うん。今回も、無事だった」
言い方に疑問を感じた。だから、もしかして、と思う。
慌てて着ていた服に手を伸ばして、捲ろうとしたら、真っ赤な顔をして逃げられた。
やはりそうだ。
この人はまた、痛いくせに痩せ我慢して、怪我を放置したまま帰ってきたらしい。
「どうして手当てをしないの」
「や、や、や、帰りがけだったから!」
「逃げないで」
「女の子に襲われるなんて嬉し過ぎて恥ずかしい!」
「ばかなこと言ってないで、傷を診せて」
走って逃げる彼を追いかけ回して、けっきょく捕まえられないから黒犬にお願いする。
「ギル、捕まえて。手当てしたいの」
「いいけど……ひよ、汚れるぞ」
「イザヤの怪我が心配なの」
「……わかった」
黒犬は賢い。天恵という、天から恵まれた力を持つ魔の生きものだから、言葉も感情も理解できる。
その身体は大きく、また俊敏で、彼を捕まえるのはあっというまだった。
「ギルの裏切り者ーっ」
「イーサがひよを心配させるからだろ」
彼を下敷きにした黒犬の言葉から、彼が怪我を隠そうと思っていたらしいことに気づいて、ため息がこぼれた。
「どうしていつも隠そうとするの。無駄なことでしょう」
「だって……」
ぷっくりと頬を膨らませ、不服そうな顔をした彼は、治療されることを諦めてくれたようで、黒犬を背中から退けると起き上がり、自分からその上着を脱いだ。
「触るなよ、ひよ。ひよが、穢れる」
脱いだ上着を受け取ろうとしたら、彼はそれを黒犬に放り投げた。
それは彼の気遣いで、優しさだった。
害獣から受けた傷や、傷からの血は、それが僅かなものでも、穢れになる。害獣というものが、世界の澱みや塵であるから、生きているものを穢れさせるのだ。
「わたしは穢れにあてられない。そういう天恵を持っていると、教えたでしょう?」
「それでも」
彼は頑固に、穢れから護ろうとしてくれる。
こんなふうに護られるのは、とてもこそばゆいことで、とても嬉しいことだった。
なぜなら、穢れにあてられない天恵を持っていることで、誰よりも身近に穢れを見てきていたから。その天恵が、異質な髪色をもたらしていたから。
誰もが不気味がるこの髪の色は、白。
穢れを拒絶し、穢れを浄化させる、白。
天恵によるものだと知らない者たちは、この白を、色を失くしたものだと捉えて不気味がる。恐れる。怖がる。
だから、穢れを弾くのに、それを心配してくれる彼の気持ちが、とても嬉しい。
「ギル、それ……燃やしてきて」
「わかった」
穢れてしまったものは、火をくべて燃やしてしまうのが一番いい。だから彼は、黒犬にそれを頼んだ。
「ひよは、触っちゃだめ、だぞ」
彼は肩に、怪我をしていた。出血はひどく見えるが、それももう止まって、再生が始まっている。
「……だいじょうぶそうね」
再生が始まっているなら、穢れに蝕まれる心配はない。自然の治癒力が穢れを上回れば、穢れは消えていくものなのだ。
それでも、彼の細い肩に、その傷は痛々しい。
怪我なんてしないで、と本当は言いたい。言えないのは、以前そう言ったときに、彼が微笑んだからだ。おれは狩人だから、と。その微笑みには、勝てなかった。
「傷は深くなさそうね」
「掠った程度だから」
「そうみたい。穢れも消えているわ」
「そ? ならよかった」
にか、と笑う彼が、可愛い。
この笑みが向けられていることを、たまらなく幸せに思う。
「ひよ」
「なぁに?」
「うん……ただいま、ひよ」
彼に、ただいま、と言わせてやれる自分が、嬉しかった。
「おかえりなさい」
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*『黒犬と宴の夜。』がイザヤの話となっておりますので、よろしければお立ち寄りくださいませ。