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傷を抱えてなお生きる

掲載日:2025/12/20

 Q輔さんの書いた「翼の生えた猫を吸う」nコードN9735LKに対しての、私なりのアンサーとなります。


『愚痴に付き合ってくれない?』


 仕事中に、旧友ですらない、知り合いでしかなかった、かつての同窓とばったり出くわした。


 同窓の女は、連絡を取り合うような仲でもないのに、会うなり呑みに誘ってきた。

 同居人がいるからと断ったが、どうやら相手の方も相当参っているらしく。

 気がつけば、居酒屋で仕事終わりの呑みニケイションとなっていた。


 同窓の女とグラスを打ち付け、一杯。


 酒でストレスを晴らすことなんて、やったことはなかった。

 先日、手酷い裏切りにあって涙した時だって、酒に逃げることはなかった。

 だから、なんか、新鮮というか。


「ねえ、ちょっと、聞いてる?」


 酒を勢いよく飲み干し、飲んだ分だけ愚痴を吐く同窓の女。

 聞いていると言わないと、そのまま泣き崩れてしまいそうなほど、傷ついて、酒に溺れていた。


 曰く、夫に浮気されている。

 曰く、情を交わさなくなって久しい。

 曰く、子どものことがあるから、別れられない。


 生活に不満はなく、子育ても協力的で、周囲への愛想も良く、強要したことがなくても毎日愛してると言ってくれる。




 ……それでも、浮気されている。




「…………やっぱり、若い子の方が良いのかな…………」


 やめて。その言葉は私にも刺さる。

 塞がる様子もない傷口が、開いてしまう。


 虚飾が、剥げる。


 気がつけば、お互い、呑むのも忘れて泣いていた。


 顔を上げて、前を向いて、痛くないと笑って見せても。


 つらくないわけなんか、ないんだ。


 こちとら、年下の好青年から告白されて、身も、心も、財産も、夢も、なにもかも託したのに。


 手元に残ったのは、老いた愛玩モンスター1匹。


 傷ついたモノ同士、傷を舐め合うことはできても、こっちが調子づけばすぐに爪をふるってくる。

 それはしょうがないけれども。

 愛玩とはいえ、モンスターなんだし。


 つらくないわけなんか、ないんだ。


 気がつけば、お互い、抱き合って泣いていた。


 ちくしょう。それでも、愛してるんだよ。


 同窓の女は、呪いのように、愛してると呟く。

 愛された分だけ、愛を返したいんだと。


 それが、どうしょうもないほどに、自身を縛り付けている。


 呪いのように。




 悔しくないわけなんか、ないんだ。


 愛し愛され、共に歩み、子が産まれて、幸せな日々のはずだったんだ。


 それなのに、変わらず愛をささやきながら、若い女に手を出すとは。

 しかも、分かるようにサインを残すとは。


 悔しくないわけなんか、ないんだ。


 でも、痛くて苦しくてつらくて、投げ出したくなっても、それができないから、私に助けを求めてきたんだ。


 きっと、答えは求めてない。


 ただ、誰かに聞いてほしかったんだ。


 張り裂けそうな、胸の内を。


 泣き出しそうな、痛みを。




 大したことじゃない。

 大丈夫。

 平気。


 そうやって、いつもどおりにと強がって見せても。


 痛くないわけなんて、ないんだ。




 抱き合い、泣き叫び、胸の内を曝け出して。

 ようやく落ち着いてきた頃。

 まだ、しゃくり上げながらも、ここが居酒屋だと思い出し、我に返った時。


「……あの、よかったら」


 店員の青年から、ソフトドリンクを受け取る。2人分。


「あ、これ、注文してない……」


「店から、です。飲んで、つらいことなんか飲み干してしまえって」


 ぎこちなく、頭を下げる青年。


 ひくっ、と、しゃくりあげる同窓の女。


「…………お店に、迷惑かけちゃったかもね…………」


「…………ん」


 明確な返事はできず、ただ、うなずくだけ。


「こうなったら、呑もう」


 ふんすっと、鼻息荒い同窓の女。


 呑んで、呑み干してしまえるほど、傷口は小さくはなくて。

 呑んで、呑み干してしまえるほど、痛みは小さくはなくて。

 それでも、呑まなきゃやってられない。


 傷ついたモノ同士、愛する家族のことも、気難しい同居人のことも、今は忘れて、2人で呑んだ。




 ふらふらと、夜道を歩く。


 同窓の女は、迎えに来た旦那とともに帰路へついた。

 酔って、くだを巻いて、抱きつき、愛をささやいて。


 その姿は、愛し合う夫婦そのもので。


 ほんとに浮気なんかされてんのかよ。

 そう思ったとしても、よその家庭のことだ。口は出すまい。


 同窓の女の夫だという、人の良さそうな男性といくつか言葉を交わし、別れ、こちらも帰路へつく。


 呑みすぎてしまった。

 時折、視界が歪む。

 けれど、胸に溜まった汚泥のような感情は、だいぶ吐き出せた。


 これでまた、前を向ける。

 顔を上げて、笑っていられる。

 生きていける。


 星が瞬く夜空のように、心は晴れて。

 けれども、足は紐が絡まったようにもつれている。


 呑みすぎてしまった。


「……あの、大丈夫ですか?」


 声の方を見てみれば、先ほどの居酒屋で働いていた青年。


 あいつとは、顔も違う。髪形も、服も、靴も違う。

 背格好も、肩幅も、仕草も、声も、なにもかも違う。


 ……なのに、どうしてか、目の前の彼とあいつを重ねていた。


 同じのなんか、年齢くらいしかなさそうなのに。


 傷口が、開いて、疼く。痛む。


 自分でもわけが分からなくなって、ナニゴトかを口にした。




 …………そして。




 気がついたら、ベッドの中だった。


 隣には、居酒屋で働いていた青年。


 なぜこうなったのか、必死に思い出そうとして、


 彼が目を覚ますのに合わせて、土下座した。


 こんな年増でごめんなさいと。


 しかし、彼は、怒るでもなく、笑うでもなく。


 ただ、なにも言わずに、私の頭に触れ、髪を梳き、頬に触れ、唇を撫でた。


 昨夜のことを、思い出す。


 心の内をぶちまけた。


 酷い裏切りにあったと泣いた。


 心の傷が痛くて苦しいと叫んだ。


 彼にひどいことを言った。


 …………それでも、優しく抱きしめてくれた。


 ひどく、真剣な顔で。




 身なりを整え、彼に謝り、感謝を告げて、立ち去ろうとして。


 ここがどこか分からず、途方に暮れた。


「送っていきますよ」


 酔った女性を連れ込んだ以上はと、自宅まで送ってくれるという彼に甘えて帰宅し、およそ1日ぶりの同居人に、翼猫のオボロにあいさつし、抱き上げようとして逃げられた。


 差し出した腕をするりとかわし、自宅まで送ってくれた彼の前へ進むオボロ。


 ぶわっと毛が膨れ上がり、大いに警戒していると体全体で表現していた。


 それはまるで、見知らぬ男から、私を守ろうとしてくれているようで。


 彼は、明確に拒絶されていると感じながらも、ゆっくりとしゃがみ込み、そっと手を差し出した。


 だめ、ひっかかれる。


 止めようとする間もなく、オボロは前足を…………ふることはなく、差し出された彼の手を、グイグイと押しのけようとしていた。

 爪を引っ込めた、肉球で。


 出ていけ。と言わんばかりに。


「こいつ、優しいやつなんですね。傷ついてるのが分かるんだ」


 ふと、こぼれた彼の言葉は、彼もまた、傷ついて、痛くて、苦しいのだと言っているようで。


「これ、俺の連絡先。何かあったら、呼んでください。すっ飛んできますんで」


 恥ずかしそうに、連絡先を書いた紙をよこしてくる彼。


 そんな彼の足元で、オボロは体をこすりつけ……、いや、押し出そうとしてか、頭をぐいぐい押しつけていた。


 さっさと出て行けとばかりに。


「……ねえ? どうして、そんなに?」


 まだちょっと、気持ちの整理がつかず、言葉が足りてないと自覚しつつも問いかける。


 店でのサービスはたぶん自腹で、酔ってめんどくさくなってる年増を介抱してくれて、自宅まで送ってくれて。

 ただ優しいだけじゃあ、そこまではしてくれないと思う。

 あいつみたいに。


「…………ぉれ」


「えっ? なんて?」


「一目惚れ、だったんですよ」


 顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに言う彼に、つい、首を傾げてしまう。


「こんな、年増のおばさんなのに?」


「いや、年とか関係ないっす。顔とか髪形とか体型とか雰囲気とか、俺が好きな要素が奇跡的に完全一致してる感じで、店で偶然、最近ひどい目に遭わされたばかりだって聞いて、何とかしてあげたくなって、仕事終わりに見つけて、1人でふらふら歩いているところに声かけたんすよ」


 で、声かけられたら悪酔いしてめんどくさくなってて、休ませようと自宅にお持ち帰りしちゃって、美味しくいただいちゃったと。


 ……いや別に、美味しくはなかったかもだけどさ。


「手ぇ出した以上は、責任取るつもりなんで」


 真面目に、真剣に、どこか照れくさそうに。


「いやいや、やめときなって。こんな年増、深入りしても損するだけよ?」


「だから、年とか関係ないって……。わからせてあげよ」


 シャーッ!


 さっさと出ていけとばかりに、オボロが彼を威嚇する。


「ん、ごめんな。今日はもう帰るよ。またな」


 彼は威嚇をものともせず、オボロにそっと手を伸ばして、


 差し出した手を、前足で、ふみっと踏みつけられていた。




 彼もいなくなり、一人と一匹、おばさんとおばさんとで見つめ合う。


「ねえねえオボロー? なんだか彼には優しくなーいー? やっぱり、若い子が好みなのかなー?」


 抱き上げて、むちゅーと顔を近づければ。


 シャーッと鳴いて、爪が閃く。


 あーあ、またやっちゃった。


 鏡を見れば、はっきりと爪の痕。

 おでこが痛えよ、あの時みたいに。


 …………でも、なんだか笑えた。


 大丈夫と、平気だと、強がる必要もないほど、自然に笑えた。


 やっぱ、私はおばさんだわ。

 若い子に優しくされて、舞い上がっちゃってる。


 でも、彼もきっと、若い女子(おなご)の方が好きなんだよね。


 わかってるわかってる。

 平気平気。


 次に彼と会った時、若い女と腕組んでても大丈夫大丈夫。

 あれは一夜の夢だから。


 この思い出があれば、これから先も生きていけるよきっと。


 さあ、今日も仕事だ。行くぞ、いつもの私。


 顔上げて、前を向いて、笑ってみせろ。


 打たれ強いのが取り柄なんだから。


 つらい過去なんか、笑い飛ばせ。


「行ってきますっ!」


 いつものように、オボロに手を振れば、


 老いた翼猫は、飛べない翼を羽ばたかせて返してくれた。



 なお、ちゃんと名前も聞かなかった彼と再会したら、彼の言葉が全部全部本気で本当のことだったとじっくりねっちりきっちりと、時間をかけてわからせられた。まる。



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― 新着の感想 ―
よかったよかった( ˘ω˘ )
う~ん。 人の好みは何とも言えんし。
本作の元となる『翼の生えた猫を吸う』に限らず、僕の作品に登場する者たちは、みんな何かしら人格に欠落したところが必ずあって、それは主人公であっても漏れなく同様で、だから読み手さんから「てか、そもそもこの…
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