第13話:ケルピー
俺は巨大な石の蛇の身体へと落下していく。空中で体勢を整え、その背中に静かに着地することに成功した。着地した直後、再び弾き飛ばされないよう、慌てて突き出た岩の一つに掴まる。
巨大な蛇の身体は、まるで障害物など存在しないかのようにうねり、周囲の地形をすべて破壊しながら、より楽な姿勢へと移行していく。
くそっ……まるで自然災害そのものじゃないか!!
こいつがダンジョンのボスなのか!?
それにしても、なぜこんな単純なエリアで、しかもこんな唐突に目覚めるんだ!?
まずい。
こいつが少しでも動くたびに、身体の表面全体が激しい地震のように揺れる。
まだ敵意を見せていない――少なくとも、乱暴に動いていない今のうちに、ステータスを確認しないと。
【アイド=フウェド:ランクBモンスター】
【均衡と安定を象徴する巨大な蛇。地中で眠り、自らの使命を果たす時を待つ存在。外的要因によって妨害された場合のみ、早期覚醒する。これらの聖なるモンスターは、高位ダンジョンの均衡維持のために利用される】
ラ、ランクB!?
なんだよそれ……こんな歩く災害を誰が起こしたんだ!?
まさか……俺か?
いや、もし俺が原因なら、今ごろ真っ先に襲われているはずだ。
それに、こんな巨大な存在を刺激できるようなことを、自分がしたとは到底思えない。
じゃあ、あの「使命」を果たすために目覚めたのか?
視界の端で、地中から巨大な隆起が現れ、ダンジョンの天井に届きそうなほど持ち上がる。
……あれが、頭か!?
よく見えないが、何かが口元から落下している。
視線を集中させると、それが俺の倒したムカデの死骸だと気づいた。
なるほど……そういうことか。
アイド=フウェドが目覚めた理由が分かった。
あのムカデは、負傷時に真価を発揮する、とんでもなく厄介な能力を持っていた。
【血毒】――自らの血液を猛毒へと変える能力だ。
俺がムカデの首を落とした後、大量の血が流れ出した。
それは地面……いや、正確にはアイド=フウェドの身体の上に流れ落ち、結果的に毒を与えてしまったんだ。
状態異常を確認して、俺の推測が正しかったと確信する。
アイド=フウェドは【毒(軽度)】の状態にある。
だからこそ、突然目覚め、真っ先にムカデの死骸を攻撃したわけか。
……よかった。ムカデが毒血を垂れ流した原因が俺だなんて、こいつは知らない。
アイド=フウェドは落下するムカデの残骸を一瞥し、やがて視線を逸らして移動を開始する。
下を見ると、岩も植物もモンスターも、すべてがその巨体の下で押し潰されていた。
本当に……恐ろしい光景だ。
この進行方向……確か、湖の方だったはず。
……よし。
このままこっそり、アイド=フウェドに乗って湖まで行くか。
正直、俺が歩くより何倍も速い。
もちろん、少しでも気づかれたら即ミンチだ。
だが、動かず目立たなければ大丈夫だろう。
何せ、この巨大な存在にとって、俺なんて取るに足らないノミ以下だ。
それにしても……でかすぎる。
間違いなく、今まで出会った中で最強のモンスターだ。
こいつ一体で、ダンジョンの王を名乗ってもおかしくない。
もしランクBのアイド=フウェドですら最強ではないのなら……
ダンジョンの王は、さらに上――最低でもランクB+、最悪ランクAということになる。
そう考えると、ダンジョンの王を倒すのが目的じゃなくて本当によかった。
できることなら、一生会いたくない。
気づけば、もう不思議な湖の近くまで来ていた。
この速度……まるで破壊しながら突き進む弾丸列車だ。
歩いていたら数時間はかかっただろう。
だが、アイド=フウェドのおかげで、ほんの数分だった。
この湖を、少し調べてみたい。
なぜか分からないが、強く惹かれる。
森へ向かう予定を少し変えることになるが……
ここには、何か重要なものがある気がする。
湖は完全に透き通っていて、異様なほど鮮やかな色をしている。
まるで光を放っているかのようだ。
これほど目立つ存在が、こんな危険なダンジョンにあるなんて、不自然すぎる。
もしかしたら、何か手がかりがあるかもしれない。
ダンジョンから脱出する道……なんて期待しすぎか。
それでも、ほんの少しだけ希望を持ちたい。
それに……
なぜ俺は、数ある選択肢の中で「スケルトン」として転生したんだ?
立ち止まり、改めてダンジョン全体を見渡す。
今乗っている石の蛇ですら、このダンジョンの規模にはまったく及ばない。
地中で眠っていた時、蛇は丸まっていた。
それでも相当な面積を覆っていたが、今は完全に伸び切っている。
全長はおそらく3km近い。
それでもなお、ダンジョン全体と比べれば微々たるものだ。
昔、地下世界を描いた映画でよく聞いた言葉がある。
「地上とは切り離された、失われた世界」。
まさに、ここはそれだ。
見たところ、このダンジョンは全長80km以上はありそうだ。
複数のバイオームに分かれ、天井は巨大な柱によって支えられている。
その柱は、前世の世界のどんな高層ビルよりも高い。
この蛇でさえ、三分の一も登れないだろう。
天井に届くには、完全に身体を立てるしかないが……
それでは、バランスを保てない。
この世界は……すべてが、こんなにも巨大なのか。
信じがたいが、受け入れるしかない。
思考に耽っているうちに、アイド=フウェドはすでに湖の岸へと到達していた。
俺は隠れていた場所から抜け出し、跳ぶ準備をする。
巨大な蛇の背から勢いよく跳躍し――
着地と同時に、派手に躓いた。
格好悪い着地だったが、問題ない。
湖まではもう数十メートルだ。
ただし、アイド=フウェドが完全に去るまでは動かない。
万が一、視界に入ってしまったら終わりだ。
手を振って見送る。
乗せてくれてありがとう。
それと……無理やり起こして悪かった。
アイド=フウェドが去った後、俺は湖へと向かう。
浅瀬に足を踏み入れると、水は足首までしかない。
……本当に澄んでいる。
不自然なほどに、輝いている。
水面に映る自分の姿を見る。
赤黒い骨の身体。
……本当に、スケルトンになったんだな。
分かってはいたが、やはり受け入れるのは簡単じゃない。
さっき、闇魔法で擬似的な鏡を作って確認もした。
それでも、どこか現実味がなかった。
RPGの世界に来られたこと自体は嬉しい。
成長できるし、強くもなれる。
だが……
人間じゃないという事実は、やはり重い。
……落ち込んでも仕方ない。
やることは一つだ。
強くなって、人間の身体を取り戻す。
その時、水が急に濁り、揺れ始めた。
……おかしい。
俺は一ミリも動いていない。
前を見ると、水面に藻の塊が浮かんでいる。
だが、嫌な予感がして動かない。
今までモンスターと遭遇した時と同じ感覚だ。
明確な敵意。
藻の下、水中から二つの黄色い光が水面を突き破る。
青白い皮膚と黄色い目を持つ存在が、水から浮かび上がった。
馬……?
たてがみの代わりに藻が生えている。
全身は見えないが、頭部は完全に馬だ。
【ケルピー:ランクDモンスター】
【馬の姿をした水棲モンスター。極めて狡猾で、湖底に潜み、生物を水中へ引きずり込み溺死させる。人間に変身する魔法を使い、水辺へ誘い込むこともある】
……やっぱりモンスターか。
どうしてこう、出会うモンスターは全員、殺し方が陰湿なんだ。
まあいい。
こいつも、俺には通用しないタイプだ。
最初は毒特化のムカデ。
呼吸も血流もない俺には、効果が薄かった。
そして今度は、溺死狙いの馬。
呼吸不要、肉体なし。
深水圧も関係なし。
……どうやら俺は、このダンジョンのモンスターたちにとって天敵らしい。
このままでいてほしい。
ケルピーは上半身をほぼ露出させ、鋭い視線で俺を睨みつける。
次の瞬間、表情が怒りに歪み、鋭い牙を剥いた。
俺は腕を前に伸ばし、指先に魔力を集中させる。
黒い光の球体が、手前に浮かび上がった。
【ダーク・ブラスト】
今回が初使用だ。
性能確認を兼ねたテスト。
黒い魔弾が、高速でケルピーへと放たれる。
説明では、【ブラスト】系で最も遅いが、威力は最大――だったはず。
だが、ダーク・ブラストは途中で霧散した。
……は?
届いてすらいない!?
威力も確認できないとか、何なんだよ!
くそ……
とはいえ、速度と射程は把握できた。
【透明な槍】より遅く、射程も短い。
威力は未確認だが、弱くはないはずだ。
短〜中距離向け。
長距離では使い物にならない。
レベルが上がれば改善されるかもしれない。
使い続けてみる価値はある。
次は【ダーク・チェーン】だが……
これは完全に近距離用だろう。
……まずは、引き寄せるか。
「――フルルルルル……!」
ケルピーの怒りは、完全な激怒へと変わった。
水面に立ち上がり、全身を晒す。
馬そのものの身体。
違いは、青い皮膚、藻のたてがみ、そして魚の尾だけだ。
「――フルルルルルッ!!」
咆哮とともに、ケルピーは水面を蹴り、こちらへ突進してくる。
速い。ムカデ以上だ。
……だが。
今の俺に、恐れる理由はない。




