第3話 孤高の魔術師
四歳になった。
身体はぐんと伸び、言葉も大人並みに話せるようになった。
周囲の大人たちは「やっぱりリュカくんはすごいねえ」と笑ってくれるけど、俺自身は、まだまだ“何もできていない”と感じていた。
――だって、まだ魔法が、使えないんだ。
いや、正確には、“魔力を感じる”ことすらできていない。
魔法の第一歩は、自分の体内に流れる魔力というものを“感知”することから始まる――
本にも、村の人の話にも、そう書かれていた。
けれど、いくら瞑想しても、呼吸を整えても、何も感じない。
手のひらに意識を集中しても、胸の奥に意識を向けても、ただ“自分の体”がそこにあるだけ。
……本当に俺にも、魔力はあるのか?
ふと、そんな不安がよぎる。
だが――
「焦るな。まずは、感じようとすることが大事だ」
そう言ってくれたのは、父だった。
「魔法は、走る前に立ち方を覚えるようなもんさ。魔力感知ができなきゃ、何も始まらん。けど、できればすべてが変わるぞ」
「……うん」
この世界に生まれ変わって、もうすぐ五年。
そろそろ、“魔法使いになるための第一歩”を、ちゃんと踏み出したい。
俺は、今日も村の裏山に登り、小さな岩の上に座って、呼吸を整える。
吸って、吐いて。
自分の内側に、意識を沈めていく。
(魔力……魔力……俺の中にある“流れ”、どこにある……?)
けれど、今日も結果は変わらなかった。
そんなある日、村の子どもたちが話しているのが耳に入った。
「セリナ様、今日また魔物を一瞬で倒したらしいよ」
「わっ、ほんと!? あの人、やっぱり本物の魔法使いだ……」
「帝都の魔法学園を首席で卒業したんだってさ! それで魔法局からのお誘いも断って、うちの村に来たんだって!」
……セリナ、という名前を、そのとき初めて耳にした。
それは村の中でも“伝説の人”として語られる存在だった。
魔法学園を首席で卒業。王都の魔法局にすらスカウトされながらも、それを断ってこの片田舎に来たらしい。
一体、どういう理由で……?
その辺の事情は誰も知らない。彼女は村の外れに小さな家を構えて、ひっそりと暮らしているらしい。
「でも、あの人怖いよね……全然笑わないし、近寄りがたいっていうか……」
「お父さんも言ってた。セリナ様は“孤高の魔術師”なんだって」
孤高の魔術師。
その言葉が、やけに心に残った。
俺はこっそりと、セリナの家を見に行った。
誰にも見つからないように、木の陰から、遠くから。
彼女は静かに庭の花に水をやっていた。
風に揺れる銀髪、澄んだ青のローブ。立ち居振る舞いはまるで詩のように美しかった。
そして次の瞬間、彼女が片手をかざした。
その手から放たれた魔法陣は、わずかな詠唱の後――
「サイレント・ブレイズ」
無音のまま、空間に赤い線が走り、遠くの木がぱたりと音もなく倒れた。
その後時間差で聞こえてくる魔物の咆哮。
(――この距離からあそこにいる魔物を倒した!?)
言葉を失った。
こんなのが、本物の“魔法”なのか。
それは俺が見てきた、村の人たちの魔法とは桁違いのものだった。
凄すぎて、近寄ることすら恐れ多い。
俺が“弟子にしてください”なんて言ったら、きっと笑われるだろう。
(……違う。今の俺じゃ、あの人の足元にも及ばない)
俺は静かに木陰を離れた。
それでも、胸の奥には熱いものが残っていた。
(俺も……いつか、あんな魔法を使いたい)
だけど、そのためには、まず“魔力を感じる”ところからだ。
翌日から、俺は修行のやり方を少し変えた。
父に頼んで、呼吸法の基本や瞑想のコツを改めて教えてもらった。
筋肉の力を抜く方法、心を整えるルーティン、自然の気配を感じる感覚。
目を閉じて、耳をすませば、風の音、木々のざわめき、鳥の羽ばたき……
それらすべてが、“流れ”を持っていることに気づく。
だったら、俺の中にも、きっと流れているはずだ。
俺は一度だけ、小さく呟いた。
「……お願いだ。俺の中にある魔力、ちょっとだけでいい。感じさせてくれ」
沈黙の中に、ふっと微かな“何か”が、身体の奥から伝わってきたような気がした。
ほんの一瞬。けれど、確かに“それ”はあった。
(今のは……?)
思わず目を開けたが、そこにはいつもと変わらない森の景色があった。
……でも、いい。少しだけ、近づけた気がする。
前に進んでいるなら、それでいい。
あの人に会うのは、まだまだ先だ。
でも、その日が来るまで、俺は毎日、積み重ねていこう。
そう決めて、再び目を閉じる。
呼吸を整え、心を落ち着け、俺はまた魔力を探す旅へと入っていった。