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狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第5章 美しきスミレ花の上で
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記憶の中 後編

──だが。


 背後に鋭い気配。

 振り返る間もなく、空を裂いて黒い影たちが迫る。

 その群れの中、一際異質な存在がいた。

 紫の髪をたなびかせる妖精族の男──

 イリア姫の右腕にして、イシュタル王国の宰相・ザイラス。


「見つけたぞ、災厄の娘」


 静かな、だが鋭く突き刺さる声。


(ザイラスっ……どうしてお前がここに)


 蓮は必死に飛んだ。だが、相手は空を支配する術を心得ている。

 あっという間に包囲される。


 スミレを抱えたままでは、思うように動けない。

 矢が、魔力の刃が、間合いを詰めてくる。


 ザイラスは刃を向けながら言った。


「その娘を渡せば、見逃してやる。それが嫌なら──悪いが、ここで死んでもらおう」


 蓮は、スミレを抱きしめる腕に力を込めた。


「ふざけんな。何が目的か分かんないけど、絶対に渡さない!」


 怒鳴り返す蓮に、ザイラスは唇を歪める。


「……俺は、あの日、すべてを失った。家族も、仲間も、子どもも──何もかも、あの娘に焼き尽くされたんだ!」


 声が震えていた。

 怒りと、悲しみと、絶望に。


 スミレが、蓮の腕の中で固まる。

 小さく、嗚咽が漏れた。


「わ、わたし……わたし、そんな……!」


 目をぎゅっと閉じ、かぶりを振る。

 だが、心の奥に、疼くものがあった。

 黒く、重い罪悪感が、胸を締め付ける。


「……ごめんなさい……っ」


 かすれた声で、スミレが謝った。

 蓮は、スミレを強く、強く抱きしめた。


「違う! スミレは、今ここで震えてる!何かを壊すために生きてるんじゃない! 俺は──スミレを信じる!」


 叫ぶ声が、空に響いた。

 ザイラスの表情が、さらに歪む。


「なら、力づくで奪うまでだ!」


 ザイラスの背後。

 サタンたち──黒き獣たちが蠢き、翼を広げる。


「くっ!」


 蓮は剣を抜き、スミレを庇いながら必死に飛ぶ。

 背中の翼を羽ばたかせ、空を駆ける。


(まずい──っ!)


 そのときだった。


 ──ドン、と。


 空気が震えた。

 押し寄せる強烈な魔力。

 影たちが、一斉に動きを止める。


「──またせたな」


 低く、しかし凛と響く声。

 顔を上げた蓮の目に映ったのは、陽光を背に浮かぶホクトだった。

 その背には、巨大な翼。


 ──蓮の背に生えたものと、同じだった。


 だが、ホクトの翼は、蓮のそれより遥かに大きく、圧倒的な存在感を放っていた。

 ホクトは無言で剣を抜き、一振り。

 空気が震える。


「貴様らに、俺の連れに指一本、触れさせない」


 静かに、だが絶対の意志を込めた声。

 次の瞬間──空が、裂けた。

 ホクトの剣閃が、群がる影を薙ぎ払う。

 ザイラスが小さく舌打ちし、部下たちに指示を飛ばす。

 だが、ホクトの前では──無力だった。

 蓮は、その背を見つめた。


 圧倒的な力。絶対的な守護。

 ──どこか、懐かしかった。

 耳の奥に、微かに聞こえる。


「パパは生きてる。今は会えないけれど、必ず会える日がくるわ」


 母、未彩の声。


 ──父さん? 


 目頭が熱くなった。

 なぜか、涙があふれて止まらなかった。


「蓮──泣くのはまだ早い。終わらせるぞ」


 ホクトの声に、蓮は涙を拭った。

 そして、スミレを抱えたまま、戦闘へと飛び込んだ。

 剣を抜いた蓮は、スミレを片腕に抱えたまま、迫るサタンたちを必死に捌いた。

 だが、数が違う。

 次々と飛びかかってくる黒き獣たち。

 それを、ホクトが圧倒的な剣閃で薙ぎ払っていく。


「蓮、無理はするなよ」


 「ああ、俺だって──!」


 蓮は食いしばった。

 背中の翼をばたつかせ、何とか体勢を保ちながら応戦する。


 刃と刃が空中で激しく弾け合う。

 空が、魔力の奔流で染まる。


 ザイラスもまた、鋭い一閃でホクトに斬りかかる。

 だが、ホクトは一歩も退かない。

 その大剣を振るうたび、ザイラスの剣圧さえ押し返していく。


 徐々に、ザイラスが追い詰められていった。


 紫の髪をなびかせ、歯噛みするザイラス。

 一瞬の隙を狙って蓮へと飛びかかろうとする──


 そのとき。


「ザイラス──!」


 高く、透き通った声が空に響いた。

 蓮がはっと顔を上げる。

 光の中に、ひとりの少女が浮かんでいた。

 黄金の髪をなびかせた、見覚えのある顔。


 ──イシュタル王国の姫、イリアだった。


 彼女は驚愕の色を浮かべ、ザイラスを見つめた。


「どうして、あなたが──」


 困惑と痛みを滲ませた声。

 だが、イリアはすぐにスミレへと視線を移した。

 そして、微かに震える声で言った。


「生きていたんですのね──マリア」


 その名前に、スミレの体がぴくりと震える。


「わ、たし……? マリア……?」


 自分の中に、聞き覚えのない名前が響く。

 心の奥深く、何かが軋んだ。


 ──ザイラスは、イリアの声に一瞬だけ目を伏せた。

 だが、その瞳に宿ったのは、救いではなかった。

 それは、燃え盛る深い憎悪の焔。


「……間違いない。マリアーーお前こそが災厄の娘なんだ!」


 静かに、だが深く突き刺さる声。

 その言葉が引き金となったかのように、スミレの胸が締めつけられる。

  混乱、恐怖、罪悪感──すべてが雪崩れ込んできた。

 “思い出せない”はずなのに、どこかで納得している自分がいる。そんな自分が、何より怖かった。


「ちがう……わたしは、……っ」


 頭を抱え、スミレは苦しそうに呻いた。


「やめろっ!」


 蓮の叫び。


 だが──遅かった。

 ザイラスの体が、異形へと変わっていく。

 骨が軋み、翼が黒く変色し、獣じみた咆哮が空を震わせた。


「ぐ、あああああああああああ!!」


 完全変異。

 彼の理性は、もはや残っていなかった。

 狂ったように、翼を大きく広げ、蓮へと襲いかかる。

 蓮は剣を構え、受け止めようとする。

 だが、スミレを抱えたままでは動きが鈍い。


「蓮!!」


 ホクトの声が飛んだ。

 ザイラスの爪が、蓮の翼を切り裂いた。


「ぐっ──!!」


 耐えきれず、蓮はバランスを崩す。

 抱えていたスミレと共に、空から墜落していく。


「マリアっ!!」


 イリアの悲鳴。

 ホクトの剣閃が空を切り裂く。


 だが──蓮たちは止まらなかった。


 紫の空の中、真っ逆さまに、森へと落ちていく。

 空に残ったのは、ホクトとイリア。

 彼は大剣を握り直し、完全変異したザイラスと、無数のサタンたちを前に──一歩、浮かぶ空中で踏み出した。


「……行かせるものか」


 空を裂く、再びの剣閃。

 空中戦は、さらに激しさを増していった。


 ***


 森の中に、鈍い音が響いた。

 蓮は地面に背中を打ちつけながらも、スミレを必死に庇っていた。


「く……っ」


 痛みが、腕と背中に走る。

 それでも、スミレを強く抱き締めたまま、蓮はすぐに身を起こした。


「スミレ……!」


 呼びかけるが、スミレは小さく身じろぎしただけで、意識がない。


「大丈夫……守るから……!」


 血が滲む腕を押さえながら、蓮は立ち上がった。

 辺りは静まり返っている。

 空での戦いの音も、ここまでは届かない。


 蓮は、スミレを抱えたまま、森の中を歩き出した。

 どこかに、身を隠せる場所を探しながら。


 ──そのとき。


 ふと、森の向こうに、小さな家を見つけた。


 ぽつんと建つ、古びた木造の家。

 誰もいないはずのこの森の中に、不自然なほど静かに佇んでいた。


(……なんだ……この家……)


 胸の奥がざわつく。

 見覚えがある。

 いや、正確には──『知っている』気がした。


 狭間で見た、あの不思議な景色。

 夢か幻かもわからなかった、あの光景。


(……あのときの……)


 蓮は迷わず、家へと向かった。


 そっとドアを押す。

 ギィ、と木の軋む音。


 中は静かで、誰もいなかった。

 けれど、どこか温かい空気が流れている。


 蓮はスミレをそっとソファに寝かせた。

 そして、自分もその場に崩れ落ちるように座り込んだ。


 ──助かった……。


 心から、そう思った。


 だが──


 カサリ、と。


 床を這うような音がした。


 蓮が顔を上げると、一本の蛇が、すうっと這ってくるのが見えた。

 細長く、艶やかな鱗を持つ蛇。


 その蛇は、まるで蓮を誘うように、家の奥へとするすると進んでいく。


 本能的に、蓮はそれを目で追った。


 蛇が向かった先。

 そこには、暗がりの中に、ひとつの影があった。


 ふわり、と。


 光が揺らぎ、影が輪郭を持った。


 現れたのは、

 ──上半身が人間の女、下半身が蛇の怪物だった。


 艶やかな黒髪に、妖しく光る赤い瞳。

 美しくも、底知れぬ存在感。


「ようこそ、我が家へ──」


 女は微笑んだ。

 どこか懐かしげに、優しく。


「お主のことを、ずっと待っておったぞ。蓮──」


 その声は、まるで初めから、蓮のすべてを知っていたかのようだった。


 蓮は、ただ呆然と、その存在を見つめた。


 ──蛇との出会い。


 すべての始まりが、いま、静かに幕を開けた。

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― 新着の感想 ―
スミレとザイラスの過去に何があったのか。 色々と気になるところへ新キャラの蛇。 どうなるのか予測できませぬ。固唾を飲んで見守りたいと思います。 (*´ω`*)
物語が核心に迫るほどに、スミレの抱える痛みと、彼女を支え続ける蓮の勇気に泣けます.... そして衝撃のラスト...!!!!
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