ヘカトンでの夜
湯から上がった一行は、グラーズの案内で寝床へと向かうこととなった。
巨人族の寝床は、人間たちの常識とはかけ離れていた。
乾燥した岩をくり抜いたような大広間に、ふかふかの苔と草、動物の毛皮がたっぷり敷き詰められたベッドスペースがひとつ、どんと構えている。
それは、まるで広場のような大きさで、人間であれば十人は寝られるだろう。
「さあ、ここが寝床だよ。ゆっくり休みな」
そう言ったグラーズは、大きなあくびを一つして、壁際にどしんと座った。すぐに寝息が響いてくる。
「よし、明日には出発だからね。おやすみ〜」
グリンダは大の字で、ベッドの真ん中に転がった。風呂上がりの彼女は、普段はまとめられている赤髪がすべて解かれ、ゆるやかに肩に落ちている。その姿は、いつもより少しだけ年上に見えた。
問題は、その寝床に4人で寝るということだった。
必然的に、グリンダを中心に「2人+1人」に分かれる配置になる。
「蓮は、どこで寝たい?」
スミレが、少しだけ首をかしげて尋ねた。
一方で、美穂もさりげなく蓮の様子をうかがっている。
「ふぇ……」
情けない声が出た。
(これは、地雷が複数埋まった地形……)
正直、心のなかではスミレの隣に行きたい。でもそれを言葉にすれば変な空気になる気がして仕方がない。
「お、俺はどこでも……!2人が先に寝やすいところ確保していいよ、うん……!」
美穂とスミレは顔を見合わせた。そして、同時に違う方向を指さす。
「じゃあ私は右」
「わたしは左」
(……これ完全に詰んだだろ!!)
蓮の頭がショートしそうになったその時、グリンダが立ち上がる。
「蓮、あたしが決めてあげよう。簡単な質問に答えるだけ!」
「は、はあ……?」
(頼れるのか頼れないのか分からない!)
グリンダはにやりと笑って問いを投げる。
「たとえばさ。旅の途中、崖にぶら下がってる子猫がいたとする。助けようとしたら、自分も危ない。でも下には川が流れてる。さて、どうする?」
「え、ええと……」
「直感で!」
「……自分も落ちてもいいから、助ける……かな?」
グリンダはパンッと手を叩いた。
「よし、その答えはスミレだ! 隣決定!」
「え、えぇぇぇぇっ!?」
困惑する蓮の背中をグリンダがバシッと叩いた。
「いいから寝る!こっちは眠いんだよ!」
おとなしく指示に従って、スミレの隣に寝転ぶ。
毛皮の感触と、ほのかな草の匂い。そして隣から漂う、やさしい甘い香り。蓮は緊張で心臓がうるさい。
「し、失礼します……」
スミレは微笑みながら、目を閉じたようだった。
やがて、グリンダの豪快な寝息が響きはじめる。
蓮も目を閉じてみるが、なかなか寝つけない。すると――
モゾッ、と隣で気配がした。
ちらりと目を向けると、スミレが寝返りを打ち、蓮の方を向いたまま、目をぱちぱちとさせている。視線が合った。
「っ……」
スミレは少し驚いたように目を丸くし、やがて小声で言った。
「蓮も、眠れない?」
蓮はこくりと頷く。
「……私もなの。なんだか、楽しくって」
そう言って、彼女は仰向けに寝返りを打ち、夜空を見上げた。
苔の香りがふわりと漂い、月光が差し込む。静かな夜だった。
「……綺麗ね。寝て起きたら、見れないもの」
蓮は彼女の横顔を眺めた。
月に照らされたその瞳は、星のようにきらめいて見える。
「……うん、綺麗だね」
小さく微笑みながら、そう返した。
少し離れたところでは、美穂が目を閉じていた。
……けれど、実はまだ眠ってはいない。
(聞こえたわよ……スミレのこと、綺麗って……)
そう思いながら、美穂はそっと目を閉じ、聞かなかったフリをして、静かに眠りにつくのだった。
***
翌朝。
まぶしい太陽の光が岩の隙間から差し込み、蓮の瞼をじわじわと照らしていた。
それと同時に、大地がわずかに揺れる感覚。
(地震……?)
寝ぼけまなこで体を起こすと、足元にゴトゴトと何かが積まれていく音がした。
「おーい、起きろー!」
グラーズだった。両肩にごっそりと工芸品を担ぎ、腕にも何かを抱え、まるで歩く土産屋のような姿になっている。
「お、おはようございます……って、え?」
「お土産だ!デールに渡すぶんもあるし、おまえらにも選ばせてやる。好きなもん持ってけ!」
その勢いに圧倒されながらも、蓮たちは寝ぼけ眼で起き上がった。木彫りの置物やら、光沢のある鉱石の装飾品、分厚い革に手彫りを施した書物まで――グラーズが誇らしげに並べていく。
「っていうかこれ、どうやって持って帰るの!?」
思わず蓮が声を上げた。
だが、その心配を吹き飛ばすように、グラーズは自慢げに胸を張る。
「ふっふっふ、安心しろ!俺が送ってやる! ついでにデールの運搬も手伝わなきゃならんしな!」
その言葉に、一行は思わず笑った。
スミレはふわりと微笑みながら空を見上げる。美穂は革の手帳を手に取り、何かを記録している。グリンダはというと、片手にでかい木箱を抱えながら、早速どれを売るか算段していた。
「よーし、じゃあ行こうか!大地の風に乗って、一気に帰るぞ!」
そう言って、グラーズが両手を広げると、蓮たちは再びその掌の上に乗せられる。大きな背中に風が吹き抜け、遠くに山々が霞んで見えた。
巨人の大地・へカトン。
その壮大な世界を背に、旅はひとつの区切りを迎える。
だが、物語はまだ、終わらない。




