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狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第3章 魔法の光は過去を映す
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妖精国イシュタル


 新しい風が、頬をかすめる。

 背後では、町の朝市が賑やかな声を上げながら、活気を帯びてきていた。舟のこぐ音、鳥のさえずり、そんな穏やかな音を背に、彼らは次の地へと足を向けていた。


 水の匂いが遠ざかり、道が緑に変わる。森の入口が近づいてきたそのとき──


 歩きながら、蓮はふと隣を歩くホクトに問いかける。


「……イシュタルって、どんなところなんだ?」


 ホクトはしばし無言で歩を進めたが、やがて少しだけ口を開いた。


「山に囲まれた、妖精族の国だ。古くからの魔法と、自然との調和を重んじる文化がある。──まあ、静かな国だ」


 それ以上は語らない。言葉の端に、どこか壁のようなものを感じる。


 その時、美穂が口を開く。


「イシュタル災厄……あれからもう何年経ったかな? 復興が進んで、今じゃ元通りの国だって聞いたけど」


 ホクトの足が、ほんのわずかに止まる。だがすぐに、何事もなかったかのように歩き出した。


「ああ」


 それだけ。

 ホクトの返答に、違和感を覚える。

 蓮はホクトの背中を見つめながら、そして勇気を振り絞って、そのことを尋ねる。


「あの、イシュタル災厄って……?」


 いつもならすぐに説明してくれるミネルが珍しく黙っている。代わりに、美穂が口を開く。


「……燃えたのよ。イシュタルのほとんどが。跡形もなく、燃え尽くされたの。あの災厄をきっかけに、長寿と言われていた妖精族の数も減少した」


 蓮は息を呑んだ。


「それって……どうして?」


「分からないわ。火事が広がったんじゃないかって……そう言われてるけど、真実は誰にも分からない。悲惨な事件だった」


 その場にいた誰もが、何かを言いかけてやめるような、重たい沈黙が流れた。語られなかった言葉の奥に、ただの火災ではない何かが潜んでいる──そんな感覚が蓮の胸をざわつかせる。


「そのとき、イシュタルの女王アンネも命を落としたそうよ。国を治めていた女王が亡くなって、いろんな記録が燃えて、真相もなにもかも、闇の中」


 続けてホクトが言う。


「いまの姫様は、アンネの一人娘。名を、イリアと言ったか」


 ホクトはそこで言葉を切り、沈黙が続いた。

 蓮は、ザワザワ落ち着かない心にぎゅっと力を込めると、再び歩き出した。


(やっぱりイシュタルには、何かが隠されてる)


 前方の風景が徐々に変わっていくのを感じながら、蓮は無言で歩き続けた。


 道の先に、白く光る城壁が見えてきた。

 まるで森と一体になっているかのように、自然と溶け込むその城壁は、石ではなく大樹の皮や蔓、鉱石を組み合わせたような独特の素材でできている。


「……着いたんだね」


 美穂がぽつりと呟く。


 妖精国イシュタル。

 かつて“災厄”で焼き尽くされたこの国は、いまや少しずつ息を吹き返していた。


 街はネイトエールのような王都ほどの規模はないが、そのぶん空気が澄んでいて、人の気配も柔らかい。

 並ぶ建物はどれも新しく、焼けた過去を感じさせない。それでいて、どこか懐かしさを含んだ温かいデザインだった。木や花の模様があちこちにあしらわれ、妖精族の文化と感性が随所に息づいている。


 城門を守る衛兵の鎧も、金属ではなく植物の繊維や光る石を編み込んだもの。

 ただの見た目ではなく、自然と共に生きる種族の“再出発”が、国の隅々にまで沁み込んでいるようだった。


 けれど──どこか、落ち着かない。


 綺麗すぎる街並み。整えられた道。新築の家々から漏れる穏やかな笑い声。


 ここで本当に、国が燃えるほどの災厄があったのか──

 そう思ってしまうほどに、あまりにも穏やかで、澄んでいる。


(……何も知らずに生きている。そんなふうにも、見える)


 蓮の胸の奥に、言葉にならないざわめきが広がっていく。

 それは、この国が悪いわけでも、誰かが何かを隠しているわけでもない。

 ただ、あまりにも静かすぎて──「空白」が浮かび上がってくるような感覚だった。


 そんな蓮の胸のざわつきをよそに、旅の一行は街の中心へと足を進めていく。


 石畳の道を抜けると、やがて白く輝く城が姿を現す。

 周囲の建物より少しだけ高く、それでも決して威圧的ではなく──どこか妖精らしい、優美で温かな雰囲気を纏っていた。


 門番たちはホクトの姿を見ると、すぐに扉を開けて迎え入れる。


「お待ちしておりました。中へどうぞ」


 城内は外よりもさらに静かで、風の音すら優しく感じる。


 案内された広間には、すでに数人の姿があった。その中でひときわ目を引く存在──玉座の横に立つ、年若い女性がいた。


 柔らかな金色の髪は陽光を含み、緩やかに波打っている。

 その瞳は薄い翡翠を思わせる色で、どこか透き通っていて、それでいて芯の強さを秘めていた。

 年齢は蓮たちとそう変わらないだろう。けれど、その立ち姿には堂々とした風格があり、誰もが自然と彼女に目を向けてしまうような、そんな気品があった。


 蓮は思わず立ち止まり、目を見開いた。


(……スミレ、?)


 似ている、と思った。

 もちろん、顔立ちは異なる。声も、所作も、性格も違うのだろう。

 だが、それでも──彼女が放つ空気に、確かにスミレを重ねてしまう自分がいた。


「お待ちしておりましたわ」


 その女性──イシュタル王国の姫、イリアが微笑む。

 明るく澄んだ声でそう言いながら、蓮たちに向かって優雅に一礼した。


「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。どうぞ、こちらへ」


 その隣には彼女に仕える召使いや、書記らしき人物、そして一人、立ち姿の端正な青年が控えていた。


 城内の空気は凛としていて、けれどどこか暖かさもあった。蓮たちは広間の長いテーブルを囲むようにして腰を下ろす。

 イリアの隣には秘書のような妖精たちが静かに控え、ホクトとミネルも無言で椅子を引いた。


「今日はこのイシュタルに来てくださって、本当に嬉しく思っていますわ。異種族との交流の機会は、我々にとっても大きな前進ですもの」


 イリアはにこやかに言った。


「改めまして──わたくしが妖精国イシュタルの姫、イリアです。こうしてまたお目にかかれて嬉しいですわ。今日は、より良い話し合いができますように」


 “また”という言葉に、蓮は小さく首をかしげた。ホクトが以前から姫と面識があったとは──。


 イリアは手を差し出すと、ホクトに握手を求める。その細く優雅な手を、傷だらけの大きな手がしっかりと包んだ。


「王都ネイトエール、騎士団のホクトだ。姫様、その節はどうも」


「ふふっ、お変わりなさそうで何よりですわ」


 二人のやりとりはあくまで端的だったが、そこには確かに、過去のやりとりをにおわせる温度があった。

 そしてイリアは、蓮たちに向き直り、柔らかな笑みをたたえたまま言葉を継いだ。


「ご紹介しますわ。こちらは私の側近、ザイラス。普段から国政を支えてもらっている頼もしい存在ですの」


 名を呼ばれた青年──ザイラスは、無言のままゆっくりと頭を下げた。

 その動作は一分の隙もないほどに整っていたが、どこか温度のない所作だった。

 銀灰の瞳は冷ややかで、誰の顔を見るでもなく、空間そのものを計測するように流れていく。


 蓮はその視線に、思わず背筋を伸ばした。冷たいというより、何も映さない鏡のような印象だった。


(……この人が、側近?)


 そう思った瞬間、ザイラスの瞳がわずかに蓮をとらえた。

 一瞬だけだが、その無機質な視線とぶつかる。何かを見透かされるような、妙な息苦しさがあった。


 イリアが微笑を絶やさず続ける。


「それでは……まずは、状況の整理から始めましょうか」


 話し合いの幕が、静かに開かれる。


「ご用件は──?」


 ホクトが静かに口を開く。


「我々は、各地の種族間をつなぐ『共存同盟』の旗印の下、協力と情報の共有を望んでいる。イシュタルの協力を、ぜひとも仰ぎたい」


「共存、ですか……素敵な響きですわね」


 イリアはそう呟いた後、少しだけ瞳を伏せ、考えるような仕草を見せた。

 その仕草は、まるで過去の記憶が心の中でちらついたかのようだった。


「もちろん、イシュタルとしても協力は惜しみませんわ。ただ、ひとつだけ……」


 イリアは、ほんの少し言葉を探すように視線を泳がせた。

 その視線には、何かを隠しきれないような、微妙な気配が漂っていた。


「……王城の北側にある区画。今も整備されておらず、人の手もあまり入っていませんの。できれば、その一帯には……近づかないでいただけると」


「ほう、それは……?」


「私自身も、詳しくは知らないのです。昔の記録もほとんど残っていなくて。『触れてはいけない』、ただそれだけが伝えられてきましたの」


 その言葉には、誰かが意図的に隠したというより、“空白”として扱われているものの気配があった。

 その“空白”が何を意味するのか、蓮には掴みきれない。だが、イリアがそれを語ることにためらいを感じているのは、間違いなかった。


 ホクトは黙り込んだまま、頷いた。


「わかった。そこには触らないようにしよう」


「ありがとうございます。では、異種族の受け入れを少しずつ始める方針にしていきます」


 イリアの声は明るいが、その瞳の奥に、一瞬だけ迷いが過った気がした。

 この国を背負う者としての責任と、未知の未来への不安が、交差しているようにも見える。


「状況が整い次第、貴国の王トーカルにも報告します。その後、共存同盟を結んでいただけますか」


 ホクトのその言葉に、イリアは快く頷いた。


 そして、話し合いは一応の合意に至り、場は一度解散となった。

 想像よりもあっけなく目標に辿り着けそうだったが──どこか、蓮の胸には引っかかるものが残った。

 イリアの微笑みの奥に潜む、本人すら気づいていないような不安が、彼には確かに感じ取れたのだ。


 皆が会談室を後にする中、蓮はふと足を止め、イリアの背中を見つめた。


「……やっぱり、似てる」


 思わず漏れた小さな声に、イリアが振り返る。


「え?」


「あっ……いや、なんでもないです」


「ふふっ、不思議な方ですのね。なぜか……とても話しやすい気がしますわ」


 その屈託のない微笑みが、またスミレを思い出させる。蓮は言葉を失ったまま、視線をそらした。


「そうだわ。あなた、お名前は?」


「──峰野蓮って言います。あんまり、こっちにはいない見た目ですよね……」


 蓮がどこか気後れしたように答えると、イリアはふっと目を細め、何かを思い出すように言った。


「そう、蓮さま。今、なぜあなたに違和感がないのか分かりましたわ。

 ちょっと、着いてきて。会わせたい人がいますの」


 突然の言葉に戸惑いながらも、蓮はその背を追って歩き出した。


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― 新着の感想 ―
色んな関係性が隠されていそうで、明かされていくのが楽しみです。 序盤から随分ご無沙汰になっていた蓮の苗字をすっかり忘れていました。(苦笑)
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