君が戻る場所
祝・第3章始まりました!ありがとうございます!
※本日より作品タイトルが「狭間で俺が出会ったのは、妖精だった」に変わりました。
物語の雰囲気や内容により沿った形にするため、読者の方にとっても分かりやすく、惹きのあるタイトルを目指しました。とても悩んだ選択ですが、応援してもらえると嬉しいです。今後ともよろしくお願いします!
それからしばらくして──
一行は、静かにマアト村へと戻ってきていた。夕暮れの空は群青に染まり、村の屋根が影を落としている。日中の喧騒は嘘のように静まり返り、どこか張りつめていた村の空気も、少しずつ日常へと戻りつつあった。
村の中心にある、年季の入った会合所。吹き抜ける風が乾いた地面を撫で、道端に落ちた小枝を転がしていく。その音に交じるように、五人の足音だけが静かに響いていた。
その建物は木造で、どっしりとした梁と、手入れの行き届いた屋根が特徴的だった。壁には村の歴史を感じさせる古い木の色が染み込んでいて、ところどころに子供の落書きが残されている。
「……うむ。お主らが無事に生きて帰ってきてくれて、本当によかった。まずは──おかえり、じゃな」
そう声をかけたのは、マアト村の長であるヌトだった。年老いた身体ながらも背筋は伸び、灰色の髭を湛えたその姿は威厳を持ちつつも、どこか温かみも感じさせる。年輪を刻んだ深い声が、静かに部屋を包んだ。
その言葉に応えるように、タオが一歩前へと出て、静かに頷く。
「ヌト、心配かけたな」
短いその一言に、さまざまな想いが込められていた。ヌトは黙って頷き、今度はリリスへと視線を向ける。
彼女の身体には疲労の色がまだ濃く残っていた。けれど、その瞳だけはどこまでも澄んでいて、真っ直ぐに前を見据えていた。
「……おそらく、リリス、お主が一番苦しかったであろう。だが、よく戻ってきてくれたのう」
リリスは一度視線を伏せかけたが、すぐに顔を上げて、小さく微笑んだ。
「ありがとう、ヌト。……ティナは、ずっとあたしの中にいる。もう、あたしは大丈夫だよ」
その言葉に、隣にいたスミレがそっとリリスの肩に手を添え、美穂は心配そうに彼女の様子を見つめていた。
後ろに立つタオは何も言わず、ただ黙って見守っていた。けれど、その眼差しには、何か深い思索と葛藤の色が浮かんでいた。
やがて彼は、少しだけ視線を彷徨わせた後、静かに口を開いた。
「……リリス、一つ気になることがある」
その低く真剣な声に、リリスが反応する。ぴくりと耳を動かし、彼の方へと顔を向けた。
「……ティナはどうして悪魔化したんだ? 俺は、あいつが……誰かに無理やり、そうさせられたんじゃないかと思ってる。お前がされかけたように──ティナも、誰かに」
タオの目は鋭く、迷いと確信の狭間を行き来していた。その真剣な問いに、空気が一瞬、張り詰める。
リリスは目を伏せながら、言葉を選ぶようにゆっくりと語り出した。
「……あまり、はっきり覚えてない。でも──“墜落の王宮”で、毎日のようにティナの血を飲まされた。意識がぼんやりしてたけど、それでもわかる。誰かが、ティナに命令してたんだよ。あたしを、サタンにするように」
その言葉に、会合所の空気が重く沈んだ。静寂が場を支配し、誰もがその“誰か”の正体を想像しながら、言葉を飲み込んだ。
「……そいつの目的は、わからない。でもね、あたしとティナのことをよく知ってた。そして、タオ……あんたのことも」
そこまで言って、リリスはふいに口を閉ざす。言っていいのか、迷っているようだった。
タオは眉をひそめ、一拍置いてから口を開く。
「……俺のことを知ってる? だけど……思い当たる節はない。今のところは、な」
疑念と焦燥が、またも場を支配しかけたその時──
「──はいはい、そこまで!」
ぱん、と明るい音が空気を変えた。スミレが手を叩き、笑顔で場を和ませる。
「まずは一度ネイトエールに戻りましょう? リリスも疲れてるでしょうし、みんなも一度休んだ方がいいわ」
その言葉に、美穂が安心したように「そうだね」と頷く。
「ホクト様には、私の方から伝令鳥で報告しておくわ」
そう言うと、スミレは手馴れた様子で一羽の鳥を呼び寄せた。空気が柔らかくなり、蓮がふと思い出したように口を開く。
「あれ、そういえば。伝令鳥といえば……タオとリリスって、前に直接やり取りしてなかった? なんか、テレパシーみたいなやつ。スミレは使わないの?」
首をかしげる蓮に、リリスが笑って答える。
「それはね、特別。ずっと昔、タオ、ティナ、私の三人で“夢の精霊”と契約したの。心でつながる術をね。だから、言葉がなくても届くの」
その言葉には、どこか懐かしさと温もりが宿っていた。
それを聞いたタオが、少し目を細める。
「……リリスがどうしてもって言うから、仕方なくな」
その声には、どこか照れくささと優しさが滲んでいた。
「タオは、恥ずかしがり屋なのね」
美穂がぽつりと呟くと、タオはほんの少しだけ、頬を赤らめて目を逸らしたのだった。
旅立ちの準備が整い、馬車へ向かうその時だった。蓮がふと思い出したように立ち止まり、振り返る。
「──あっ、そうだ! 思い出した! ヌトさん!」
突然の声に皆が振り返る中、蓮は大慌てで自分の荷物をごそごそと漁り出す。荷物の奥から引っ張り出したのは、一冊の小さな、けれどどこか温かみを感じる手製のノートだった。
「これ……シロとクロから──あっ、じゃなくて、ミーニャとクロネから! 村長に渡してって預かったんです。なんでも、秘伝のレシピらしくて……!」
手渡されたノートを見た瞬間、ヌトの目が見開かれる。驚きと懐かしさがない交ぜになったような表情で、彼はそっとノートの表紙を撫でた。
「これは……まさか、あの二匹が……わしのために……」
その指先は少し震えていた。年老いた目がうっすらと潤んでいるようにも見える。
「ミーニャとクロネは、元気にしておったか?」
「はい。ちょっと口喧嘩してましたけど、すごく元気そうでしたよ」
「そうか……あの子たちらしいのう。まったく……」
どこか寂しげで、でも嬉しそうなヌトの笑顔に、蓮も自然と頬を緩めた。
「ちなみに……そのレシピって、どんなものなんですか?」
蓮の問いに、ヌトは咳払いをひとつして、顔をぐっと近づけ、囁くように言った。
「ふふ……それはの、“にゃんにゃんスーパーヒーリング・シチューDX”と申す……。この村でも限られた者しか知らぬ、伝説のレシピじゃ」
「な、名前のインパクトがすごい!」
思わず盛大にツッコむ蓮に、ヌトは肩を揺らして笑う。
「ふむ、ふざけた名前じゃが……これがなかなかどうして。体の芯から温まり、心の傷を癒すという……。一度食べた狼獣が、思わず歌い出したという逸話まである」
「え、それは……本当ですか?」
「うむ。半分くらいはな」
笑いながら言ったヌトの言葉に、会合所の木柱がギシリと音を立てた。それはまるで、旅立ちの時を静かに告げる鐘のようだった。
蓮は笑いながら頭をかき、「じゃあ、また来ますね!」と元気よく手を振る。
ヌトはその背を見送りながら、目を細め、静かに呟いた。
「いつでも帰っておいで」
そして、木漏れ日が揺れるマアト村をあとにして──
一行は次なる目的地、ネイトエール城へ向かうのであった。
《国、地名、用語紹介》
王都ネイトエール
架空界唯一の中立王都で、他種族共存を目指している。
蓮の拠点でもある。王を務めるのは、トーカルである。
騎士団ネイト
ネイトエール騎士団の名称。騎士団長ホクトを始めとしたネイトエールの治安を守る組織。特に権力を認められた者は騎士団のバッジを所持する。
マアト村
ネイトエールから北に進んだところにある小さな村。村長は羊のヌト。タオ、リリス、ティナの故郷でもある。
マアト孤児院
マアト村にある孤児院。
タオ、リリス、ティナの育った場所。
アスト街道
ネイトエールからマアト村までを繋ぐ街道。見晴らしがいい。
交易都市テルヴァン
交易都市で国中の商人が集まって商売をしている。デールとグリンダがよくここで商売をしている。港もあり、船や馬車などの交通網も多い。
樹木林
ネイトエールの近くにある1番小さな森。水や木の実など食料を求めにくる者も多い。
キャッツリー
樹木林を進んだ先にある猫の住む集落。肉食獣の弱者が集まる場所とも言われる。高所恐怖症にはしんどい高さ。ミーニャとクロネの家がある。




